第20話 話は、朝食と共に
「それにしても……」
きょろきょろと辺りを見回しながら一人呟てしまうがその後の言葉は出てこなかった。
でかい、と言えばいいのか。
或いは綺麗と言えばいいのかうまく頭でまとめることができなかったのだ。
それほどに今歩いているこの廊下は目を見張るものだった。
「本当にお金持ちってわけか」
まず単純に廊下は幅広く人が数人は通り過ぎでもぶつかることはないだろう。
足元で踏みしめるのはギシギシと怪しい軋みを上げる安宿の板張りのものとはまるで違うふわりとした感触の絨毯。
明るく日の光が差し込む窓の枠は何やら豪奢な装飾が施されており俺はよくわからないがきっと“何とか調”と名のついたものなのだろう。
まっすぐに続く廊下の所々にはそんな俺でも一目見て高価とわかる壺や何やら変わった彫像らしきものが置かれ彩に花を添えている。
それら自体が発光しているわけでもないのにどういうわけか眩しく輝いて見えるのは果たして気のせいだろうか。
とにもかくにも俺が今までの人生では見たことも触れたこともないようなものばかりが溢れている道にただ出てくるのはありきたりな感想だけなのだった。
「――あっ、すまない」
と、壁に飾ってあった巨大な絵――どこか遠くの景色だろうか、緑に囲まれた湖を描いた絵――に気を取られいつの間にか立ち止まっていたようだったので慌てて謝る。
だが俺の謝罪に対して相手からは何の返答もない。
――それも当然、そこに在るのは小さな瑠璃色の球体なのだから。
「さっ、行こうか」
俺が声をかけたからなのか、或いは絵から目線を外したからなのか、俺より数歩ほど前方の廊下に置いてあっただけの球体が触れもせずにコロコロと転がり始める。
「……お金持ちはこういうものも持っているのか」
その現象に一人呟くがもちろん答えがないことはわかっている。
セルヴィアに言われ一階に用意されているという朝食を食べに行こうと部屋の扉を開けたところ、足元にあったのがこの球体だった。
誰かの落とし物だろうか、などと考えていたところそれは一人でに廊下を転がり始めてしまった。
それが何となく俺を先導しているような気がして着いていったのだがどうやらそれは間違いではなかったようでこうして俺が立ち止まったり少し距離が空いたりするとその場でぴたりと止まり俺が近づいて来るのを待っているのだ。
「でも確かにこれなら迷うことはなさそうだな」
廊下は広く、そして長い。
意図的にか廊下は曲がった先もどこも同じような同じような装飾により見た目に差異が少ない。
歩いてきた距離はそう長くはないが果たして今戻って先ほどの部屋に帰れるかと言われると自信はない。
「便利なもんだな――っと」
誰かに向けてではなく己の過去と知識に対して言い聞かせるように球体を追って階段を下るとすぐ目の前にはこれまた豪奢な紋様で彩られた扉があった。
瑠璃色の玉はその前まで転がるとぴたりと止まった。
その動きはまるでここで案内は終わりと告げているようであり、即ちこここそが俺の目的地なのだろう。
「ありがとな」
そんなことを言う必要はないのかもしれないが何となく足元の物言わぬ案内役に声をかけつつ扉に手をかけ、押すとゆっくりと、しかし軋みを上げることもなく緩やかにそれは開かれていった。
*
ふわり、と部屋に一歩踏み込んだとたんに鼻を通じて肺を満たす香りに心が落ち着くのを感じる。
まだ嗅覚だけで捉えたにも関わらずそれだけでそれが今ここに用意されているものがどんなものかが想像できるようであり頭に浮かんだまだ見ぬ朝食に心と腹が浮足立たせていると、
「やっ、おはよう。ちょっと寝すぎじゃないかい?」
聞きなれた声がそう俺を呼んだ。
「おはようエルナ、先に来てたのか」
寝すぎ、という部分にはあえて触れず返事をするとうん、と頷きが返ってきた。
扉の正面、薄いレースのかかった窓から差す日の光に栗毛色の長髪を輝かせながらエルナはすっ、とテーブルに置かれたカップに口をつけた。
相変わらず真っ黒なローブを身に纏い怪し気と言えば怪しげな見た目であるがその所作は様になっており少なくとも俺なんかよりはこの景色に合っていた。
「来たわね」
まるで絵画を切り取ったかのようにも見えてしまったエルナの姿に気を取られている俺に鋭く突き刺さる声。
扉から入ってくるものを迎え撃つように真正面を向く形で座っているその声の主は黒に染まるエルナとは対照的に純白の服を身に纏っていた。
ヒラリと風に揺れる羽のような繊細さと共に質素なしなやかさも併せた印象を与えるそれは確かにこの荘厳な雰囲気の世界に最も相応しく、何よりも雄弁にこの人こそがここの主であるとみる者に伝える力があるように思えた。
「まずは座りなさい。話はそれからよ」
しかしその衣装もこの場の空気も声の主にとってはそんなものは一切関係ないと言わんばかりに冷たく人を威圧するのだから本当にここの住人なのかと疑いたくもなる。
否――正しくはこの屋敷の人間だからこそ、この場の雰囲気などと言ったものは自分の意のままに変える権利がある、そう思っているが故の態度なのだろう。
「あ、あぁ……そうするよ。えっと、おはようフラン」
「……フランソワーズよ。次そういったらお茶取り上げるわよ」
つい昨日の気分のままに声をかけた俺にフラン改めフランソワーズはむっ、と眉間に小さく皺を寄せて冗談なのか彼女なりの本気なのかよくわからない罰を提示してきた。
「いやだなぁ、フランったら怖いんだから」
「……」
「さっ、座りなさいってタクト」
もはやわざとであろうその言葉にフランが押し黙っているのをいいことにまるで己こそがここの主であるかのようにエルナも着席を促してきたのでそれに従うことにする。
「まずはゆっくり朝食でも食べながら話をしようじゃないか」
そう言ってエルナが視線を横へと向けると昨日俺たちを己が屋敷へと招いたフランソワーズ・フォン・ニコラメルス・パイライトはゆっくりとカップに口をつけ、一口喉を鳴らす。
それが話の始まりの合図であることがわかり、どきりと胸が一瞬鳴るのを俺は一人感じていた。
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