第15話 全ての後に、残る
「っ――、はぁ――!」
無意識に止めていたのか、足を止めた瞬間に肺は酸素を求め呼吸の回転を上げる。
途端に荒く上下する肩がずしり、と重く感じ前のめりに倒れそうになる。
その身体を間一髪のところで支えたのは両手に握ったままの鋼の剣。
つい今の今まで打ちたての鋼のように赤々と燃えて熱を放っていた剣であるが既にいつも通りのただの剣へと戻っている。
「……」
その剣の姿に自然と視線は前へと向く。
すぐ目の前、手を伸ばせば届く距離にある巨大な塊。
俺の身体と同じほどの大きさを持つ鋭い牙を口から覗かせながら眠るように動かない1匹の獣。
否、眠るように、ではなくそれは間違いなく覚めることのない眠りについている。
その面の中央を裂くように真っすぐに引かれた太刀筋の線と呼吸をすることない身体がそれを否が応でも感じさせる。
それは紛れもなく先ほどまで俺たちの前に立塞がっていた漆黒の龍であり、そしてその命を絶ったものこそが俺の手にする剣であることが今なお感触として残っている。
「――っ」
ぐっ、と息が詰まるような感覚が走るのは何の感情によるものか。
ぐわんぐわん、と目が回りそうになる俺だったが、
「お疲れ様」
いつの間にそこにいたのか、膝をつく俺のすぐ傍らに立ちこちらを見下ろしてくる声に少し意識が清涼なものになるのを感じる。
「エルナ……」
労う声にただその名を呼ぶことしかできなかった俺だがエルナはうん、と頷いて返した。
その栗毛色の髪が揺れる姿にようやく全てが無事終わったのだということを感じることができた。
「やれやれ、それにしても大物だったね」
ふぅ、とため息交じりに腰に手を当てるエルナの視線の先にあるものは当然倒れ伏す黒い巨龍。
ぴくりとも動くことのなくなった肉体を前に観察するように何度か小さく頷いている。
「……あぁ、やっぱりか」
そうしてしばらくした後、何か得心をしたのか一人呟くがその言葉の意味はよくわからない。
「ほら、早く立った立った。こんな“影”を斬った程度で気疲れしてたんじゃこの先やっていけないよ?」
と、呆然と見上げている俺の視線を感じたのか、エルナは手を差し伸べて立ち上がるように促してきた。
その手を反射的に取りつつも今の一言が気にかかった。
「影?」
「あぁ、“影”だ」
ぐっ、と膝をついていた俺を引き上げながらそういうエルナの視線は前方の龍の亡骸へと向けられており、俺もそれを追うように顔を向けると、
「――あっ」
たった一言、そんな言葉が口をついて出てしまったのは目の前の現実があまりにも予想外だったから。
天まで見上げる程に巨大で、その重量は腕の一振りだけで大地を揺らした漆黒の龍がずぶずぶと洞窟の地面へと沈み込んでいく。
いや、沈み込むというよりもそれはまるで巨大な氷が融けるかのように圧倒的な質量を持っていた物体が少しずつ、しかし確実に消えていっていた。
「こ、これは……」
その現象に頭が上手く動かない。
にわかには信じがたいが龍種というものはこういう最期を迎えるものなのか、などということすら想像をしている俺に対して、
「そもそも“淀み”の穴から出てきたような龍だ、まともな存在じゃなかったんだろう。過去の龍の残滓か、もしくは何かが凝り固まってできた異物か……まぁいずれにしても普通の生き物ではなかったようだしそれを気にしているようなら不要なことだよ」
呟くエルナのその横顔はどこか冷めたようにも見え普段であればどきり、としてしまいそうだったが、今は何故かその一言に心が少し軽くなるのを感じる。
これまで散々魔獣退治などをしてきたにも関わらず何とも自分勝手な心境だとは思うが、彼女の言う通り“龍”という命を絶ったことに心が揺れていたのかもしれない、そのことに今ようやく思い至ることができた。
「おや?」
そんな俺の心境の揺れを感じているのかいないのか、エルナは何かを見つけたように呟くと足を前へと踏み出した。
「おっ……」
立ち上がった際に繋いだままだった手を引かれるように俺は今の今まで巨龍が倒れていたその場所を踏む。
まるで先ほどまでのことが全て夢か何かであったかの如く最早周囲には龍の姿は欠片もなく、無機質な岩の地面だけがある。
しかしここは洞窟の行き止まりであり、別に龍が消えた後に道が切り開かれたわけでもなく――
「……発見、かな?」
奥の壁に辿り着く途中、エルナは腰を曲げて地面に手を伸ばすとそう言って振り向いてきた。
洞窟にまるで放り捨てられたかのように無造作に落ちていた
「ほら、どう思う?」
「……なるほど」
目の前に差し出されるそれは何の変哲もない鉄を輪にしただけのもの。
目を見張る宝玉が付いているわけでもなく、何か意味深げな装飾が施されているわけでもない、道端の商人が旅人相手に売っていてもおかしくない、そんな鉄の輪を一目見て――俺は感じた。
「多分……
「ふふっ、やったね」
何の根拠もなく、しかしそれが最も確かな根拠であるような感覚。
それはきっと物事の真偽を確かめるという俺のスキル『
俺はこの指輪こそがこのクエストの終点、即ち俺たちが探していたものであるとそう確信していた。
「よしっ、それじゃあ戻ろう!」
しかしそれは俺の感覚であり何の保証もないというのにまるでそれでいい、と言うかのようにエルナは口角を上げて微笑むと快活な声でそう言った。
「おっ、おい!」
呼び止めようとした俺の声は洞窟内に反響するエルナの声にすぐに掻き消されてしまう。
戸惑いを覚える俺を無視して入口へと戻っていくエルナ。
手を繋いだままの俺はただその後に着いていくしかないのだった。
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