第11話 危ないもには、近づくな
【
Ⅰ:後方へ回避 (効果あり)
Ⅱ:剣を抜く (効果なし)
Ⅲ:その場で待機 (効果なし)
「――これ、はッ」
静止した世界の中、眼前に浮かび上がる文字に目を見開く。
何故突然。
何のために。
そういった疑問も頭を過らなかったわけではないが、それよりも先に身体が動き出していた。
「エルナッ!」
スキル『
「ッ!?」
故にエルナからすればいきなり俺が声を張り上げながら手を掴んできたので何のことかと困惑をせざるを得ない状況であろうが今はそれを一つ一つ説明をしている時間はないような気がした。
その根拠のない俺の本能的な思いが結果として正しいものであったと知るのには時間は瞬き程も必要がなかった。
ズンッ――
という振動に身体が揺れたのと、エルナの手を引きながら後方に飛びのいたのと、
「あたっ!」
短い悲鳴を上げるエルナ。
『
身体の前面に感じるエルナの重みと背中に感じる岩の感触に一瞬だけ息ができなくなるが、それでもその痛みの方で済んだだけでも幸いと言えたであろう。
「……何だあれ?」
痛みに顔をしかめながら
今の今までエルナが立っていたその位置、その地面から洞窟の天井に向かって吹きあがる泥のような何か。
否、それを泥と思ったのはただ水よりは粘性が高く、色が禍々しく黒々としていたためだけという理由であり実際には泥とすらも思えない。
先ほど一瞬だけは知った衝撃はあれが地面を貫いて湧きあがってきた際のものだったのだろう。
ドドドッ、と勢いが弱まる気配もなく地から天への吹きあがる漆黒の間欠泉はまるで何か巨大な影がそこに立っているようにも見えた。
いずれにしてももしそこのエルナが立っていて、あれに飲み込まれていたらと考えると背中にひやりと冷たいものを感じてしまう。
「――気を付けるんだ」
俺の身体の上に乗ったまま顔だけを背後に向け、
振り返る顔は横顔しか見えないがそれでもその言葉と表情からエルナの張り詰めた感情ははっきりと伝わってきて、そして同時にこれが単なる自然現象か何かでないことを明らかにしていた。
「どうしてこんなところに? いや、こんなところだから――なのか?」
「お、おいっ、大丈夫か?」
「ん? あぁごめんごめん助かったよ」
ぶつぶつと呟きながら
「それにしても良いタイミングだったね。あれのお陰かい?」
「あぁ、何のことかはわからなかったけどな」
「ふふっ、やっぱり良いスキルじゃないか」
パンパン、と衣服に着いた埃を払いながら立ち上がるエルナに続いて俺も体を起こす。
目の前では未だ勢い収まることなく黒い影のようなものが下から上へと伸びている。
不思議なことに――洞窟の天井は高く、ここからでは松明の火だけでははっきりとは見えないがそこへと向かって吹きあがる
それだけでもやはりこれが自然の水か何かとは異なることは明らかであった。
「あれだけ純度の高いものを見るのは久しぶりだ。いや、人の手の入らないこんなところだからこそあれだけ熟成されたのか……」
「何なんだよ、あれは」
「あれはね『淀み』だよ。自然の影、裏の面に溜まっていく
「姿なきって、めちゃくちゃはっきり見えてるじゃないか」
「だからそれは少し驚きなんだけどね。本来ならああいう形にあることなく世界そのものに溶けるようにして揺蕩うものが『淀み』だから。ほら、何かわからないけど嫌な予感のする場所、ってあるだろ? ああいうところには『淀み』が強く融けているんだけど」
じっ、とその場で吹きあがるそれ――『淀み』と呼んでいた影を見るエルナの表情は硬いままであるが一方で杖を構え何かに備えるという様子はない。
「……危ないものなのか?」
「んー、触っていいものではないだろうね。あれだけ形を持っている以上純度も高いだろうから近づかないに越したことはない」
「っ……」
まっすぐに『淀み』を見つめたままのエルナの言葉に思わずごくり、と息を飲んでしまう。
そんな俺にエルナは小さく微笑みを向けた。
「まぁ安心するといいよ。ここで見ている限りは安心だ」
「そうなのか?」
それは俺の不安を宥めようとするためのものではなく、エルナ自身もそう思っているらしきことはその表情からも伝わってきた。
「別にあれがそのまま噛みついてくるわけでもなし――」
――ドッッ!!
はははっ、と笑いながらそう言ってきたエルナの言葉を――轟音が掻き消した。
「ッ!?」
身体を叩く衝撃は空気を伝わる音と洞窟を揺らす振動によるもの。
反響し何倍、何十倍にも拡大されたその音に思わず耳を塞ぎたくなるがそうするには身体を動かすことができなかった。
「……あれ?」
そんな俺と同じように呆けた顔で前方を見つめたまま固まるエルナ。
その視線の先には未だ天へと伸びる黒い影があり――
『Ooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!』
そこから地に響くような咆哮が響たかと思うと、ひと際強く激しく勢いを増して吹き上がる。
「……危ないものじゃないんだよな?」
眼前で起こる現状に念のため、一応そう聞いておく。
どんな答えが返ってくるかは何となく予想がついたのだが。
「んー……ちょっと危険かも」
そしてそんな俺を否定することなくエルナは小さく頬を掻きながらあはは、と力なく笑うのだった。
眼前では『淀み』は既に一つの形を成していた。
『Oooooooooo……』
聞くものを震わせる程に低く重たいその声を発するそれはもはや不定形の泥ではなく。
「厄介だな……」
苦々し気に言葉を吐くエルナ。
持ち上げた視線の先には洞窟の闇よりも尚黒く、禍つを放つ龍が一頭、その首をもたげこちらを睨んでいた。
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