第9話 俺なら、できるのか

「ふんふんふーん」


 ご機嫌といった鼻歌を歌いながら歩を進めていく背中を追う。


 一歩ごとに揺れる栗毛色の髪は薄暗い洞窟の中でも松明の火に照らされてよく目立って見える。


「大丈夫か? そんな調子で」

「うーん?」


 その後ろ姿に少し不安を覚えてしまい声をかけると振り返ることもせずに声だけが返ってくるがそこには警戒や緊張といった色はない。


「一応ここダンジョンなんだぞ? もう少し気を張った方が……」


 何とも気の抜けた答えに俺の不安は益々増してくるが前を行くエルナの足取りは止まることはない。


「はぁ……」

「何か言ったかい?」

「いいや何にも」


 溜まらず漏れてしまった小さなため息に聞き返してくるその声は果たして頼もしく思えばいいものかどうか。


 気を張ってしまう俺の方が心配性なのだろうか、と周囲に気を配りつつ昨日の夜のことを思い返す。



 *



「――これなんだけど」


 そう言ってエルナが懐から取り出してきたのは1枚の紙きれだった。


 薄茶色の紙に何やら色々と書いてあるそれは俺もよく見慣れたものであった。


「クエスト依頼か?」

「まぁね」


 それはこのギルドで使用されているクエストの発注書であった。


 ギルドに加入しているものであれば誰もが一度は目にしたことのある至ってありふれたもの。


 紙の真ん中にうっすらと赤い色で印が押されていることが正式な書類であることを表している。


「えっと……」


 その紙片に目をやる。


 クエストの種類は数あれど書いてある中身は大体が同じようなもので――


 ~~発注~~

 種別:『探索』

 対象:■■

 場所:タルタス洞窟

 報酬:■■

 備考:低級から受託可


「んん?」


 その内容に目が止まってしまう。


「何だこれ?」


 俺はまだギルドに加入して日が浅い低級ランクの人間ではあるがそれでも今日のようにいくつかのクエストの達成経験はある。


 だが今目の前にあるものはその経験上初めて目にするものであり思わず疑問の声が漏れてしまう。


「面白いと思うだろう?」


 困惑を覚えている俺に対してエルナは実に楽し気な口調であり、紙に落としていた目を上げるとその声の通り口角を上げた顔がすぐ目の前にあった。


「いや、面白いっていうか……」


 だが俺はとてもそんな顔にはなれない。


 何しろギルドから発注されている依頼書のその所々が黒く塗りつぶされて読み取れなくなっているのだ。


 上級であろうと下級であろうと依頼内容は常に明確であり、それが黒くて見えない何てことは聞いたこともない。


 更に言えばこれはどうやら『探索』クエストであるようだが肝心のその対象物すら読み取れないのだかそもそも発注書としての体を成していない。


 仮に受けようにも何を探してくればいいのかもわからず――


「……なるほど、それが俺ってわけか」

「そう。もちろんピンポイントで君のような人間を探していたわけじゃないんだけどね」


 にこり、と相変わらず目はそのままに口だけで笑うエルナに合点がいく。


 確かに何を探してくればいいのかもわからない状況であろうとも、真偽を確かめる俺のスキルならそのを判断することができるのかもしれない、ということか。


 偶然なのか何かの縁なのか、俺はエルナにとって探し求めていた力を持つものであったようだ。


「もちろんだからって誰でもいいってわけじゃない。私が私の目で見てできると思ったから声をかけたんだから」

「お、おう……」


 それを言葉通りに受け取っていいのか、或いは俺をおだてるためのものなのかまっすぐに見つめてくるエルナの顔からは今一つ判断ができなかったがあまりにもはっきりとそう言われてしまっては今更断ることもできず俺は一応少し考えたふりをしつつも直ぐに首を縦に振ったのだった。



  *



 そうして夜が明けてから再度集合しこうして目標地点のダンジョンに入り込んだのが今から数時間前だったか。


「そういえばさ、あれって何なんだ?」

「あれって?」

「ほら、昨日あいつに言ってただろ? 『銀級シルバー』とか何とかって」

「あぁ」


 自然の山をそのままくり抜いたかのように上下左右でこぼことした岩となっている洞窟をずんずんと奥へと進んでいくエルナ。


 朝だというのに日の光は既に届かない洞窟内部を照らすのは互いが手に持った松明の明かりのみ。

 

 それでもその足取りは淀みなく正直なところ俺よりもこうした場所に慣れているようである。


 一体どこまで続いているのかもわからないがエルナは何か目途を持っているのか進んでいく足取りに淀みはない。


 薄暗い洞窟で恐怖を紛らわせるため、というわけではないがただ黙って歩いているだけというのも何なので気晴らしにその背に声をかけるとエルナの声が反響しながら返ってくる。


「帝都の騎士達にはね、皆何かしらの称号がついているのさ。武勲やら生まれやらでいろいろ区別はあるんだけど。君知らないのかい?」

「いや、さっぱり」

「はぁ……」

「……悪かったな、こっちは山育ちなんだよ」

「別に何も言ってないだろう? まぁ『銀級シルバー』っていうのはその称号の一つってわけだよ」

「……『銀級シルバー』っていうのは凄いものなのか?」


 カツンカツン、と岩の道を叩く足音と俺たちの声だけが洞窟の中に響く。


「凄いといえば……まぁ凄いといえるね。『銀級シルバー』はその実力で手に入れられる称号の中では最高位だ。それ以上の級もあるにはあるけれどそれらは貴族達に与えられる名誉級みたいなもので実際には肩書だけのものだ」

「なるほどな」


 エルナの言葉に俺は暗い洞窟の道に昨日のあの男を姿を浮かび上がらせる。


 目の前の闇のように黒い鎧に身を包んでいた男、ユリウス・ベングドール。


 その瞳もその声も暗く冷たく、およそ俺が今まであってきたような誰とも異なる人間であるように見えた。


「けど知り合いなんだろ?」

「――秘密」


 そんな男とエルナは明らかに顔見知りのようであり、一体この女は何者なのだろうかと話の流れで聞いてみたがそれはピシッ、とした言葉で断ち切られた。


「何で昨日はあそこにいたのかは知らないけど気にすることはないよ。何度も顔を合わせる相手じゃない」


 カツン、と歩みを止めることのないエルナの背はそれ以上その話題について問うことを拒絶しているようであり俺はもう一歩踏み込むことはやめた。


  ――たぶんね。


 最後に小さくそう呟いたようにも聞こえたがそれは洞窟内に響く二人の足音にかき消されてはっきりとは聞き取れなかった。

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