第2話 逆境でも、生還
「何だ、これ」
自分の声がやけに大きく聞こえ少し驚きを覚えるが正直なところ目の前の現実の方が衝撃が大きくあまり気にはならない。
「
眼前で石のように止まっている魔狼のその口と俺の顔の間、その空間に浮かび上がっている文字を声に出すがだからといって何かが変わるわけではない。
周囲には風のそよぐ音も先ほどまで嫌というほど聞こえていた魔物たちの息遣いもない。
本当に全てが凍り付いてしまったかのように止まった世界の中で動いているのは俺自身とぼんやりと光っているようにも見えるその文字だけで、
「っ!?」
などとのんびりとその現実を考察していたところ浮かび上がる文字のその色が徐々に薄くなっていくのを捉えた。
それが何を意味しているのかは理解できたわけではないが何となく嫌な予感だけはひしひしと湧きあがってきた。
「ま、待て! いや、待て……これは……」
消えていく文字を呼び止めるようについ声を上げてしまうが直ぐにそれは無駄と察し、それと同時に頭には別の考えが浮かぶ。
「俺ができること……なのか?」
【
Ⅰ:前方へ回避 (効果なし)
Ⅱ:声を上げ威嚇 (効果なし)
Ⅲ:待機 (効果あり)
説明も理由もなくただ突きつけられるその文字列にしかし何か深い意味があるように俺の本能は警鐘を鳴らす。
ならば例えわからなくとも今はこの言葉だけでも目に焼き付けておかなければならない、とそう感じた。
「効果なしと……あり?」
何かを指示しているような3つに分かれた文字列もさることながらその後ろに付け足されるように加えられたその言葉が妙に頭に残って、
「あっ――」
と、その意味を飲み込もうとしたところで薄くなっていた文字はついに完全に消えてなくなった。
『――aaaaaaaaaaa!!』
そう認識した次の瞬間、まるでそれまでのことは全てなかったことであるかのように停止していた咆哮と共にむき出しになった魔狼の口が俺へと飛んできた。
「っ!」
反射的にそれを振り払おうと体を動かそうとしたときにそれに先んじて頭に浮かんだのは消えていった3つの言葉。
Ⅰ:前方へ回避 (効果なし)
Ⅱ:声を上げ威嚇 (効果なし)
Ⅲ:待機 (効果あり)
その言葉の意味はわからず、目の前には俺の命を断とうとする牙が迫り、あと数秒の後には鮮血が待っていてもおかしくない状況において――
「っ……!」
俺は――動かずに待つことを選んだ。
それは通常であればどう考えも生きることを諦めた行為であり、どうしてそんなことをしたのかと自分で自分を呪ってしまいそうになる選択だったのだが。
『Booooooooooo!!』
『Gyaaaaaaaaaaa!!』
ザクリ、と首に走るであろう痛みと衝撃はなく、次に聞こえたのは苦し気に呻く2つの声と軽くなる身体の感覚。
「――なっ」
すっ、と重みがなくなり自由が戻った身体を素早く起こしたところ視界に飛び込んできたのは呻き声と共にもみ合いになる一体のゾンビと魔狼。
『Buooooooo!!』
『Guaaaaaaaa!!』
しがみついてくるゾンビの腕に噛みつく魔狼。
それを振り払おうとゾンビはばたばたと地面を転げまわる。
「マジかよ」
これはあくまでも推測だが俺に魔狼が襲い掛かろうとしたところ、ゾンビもまた俺に噛みつかんとして飛び込んできたのだろう。
無論ゾンビに俺を助ける意図などなくその本能のままの行動だっただろうが結果として2匹は衝突する形で飛んでいき、俺は襲われることはなかったのだ。
その有様に俺は嫌でも先ほどの出来事を思い出す。
――本当に、動かずに待機をしていたおかげで命を拾うことができたのだ。
「うっ!」
先ほどの記憶と目の前の現実との整合性が少しずつあってきたことを感じた時、再びどくんっ、と身体と視界が揺れる感覚に思わず足が眩む。
何とか倒れないようにそれを耐え視線を交戦する魔狼達へと戻したところ、
【
Ⅰ:上空へ逃げる(効果なし)
Ⅱ:ゾンビの群れへと逃げる(効果あり)
Ⅲ:魔狼の群れへと逃げる(効果なし)
「……またか」
まるで先ほどの再現のように、世界からは動きというものがなくなりただ怪しげな言葉だけが俺の目の前にふわふわと浮かんで見えた。
「そうだよな……」
相変わらず何でそんなものが見えるのかはさっぱりわからないが、それでも俺に何をさせようとしているのかはしっかりと理解できた。
「――次は逃げないとだよなっ!」
己に言い聞かせるようにして叫びながら、足をくるりと翻す。
向かう先は迷わない。
選ぶべき道は今見えたのだから。
「どっけええええええええええええ!!!」
それでも雄たけびを上げてしまったのは心に僅かに残った恐怖を振り払うためか。
何しろうじゃうじゃと次から次へと湧いてくるゾンビ共の群れへと一人突っ込んでいくのだから、そうでもしないと足が竦んでしまう。
けど――
「これでいいんだよなァ!!」
そう、俺には見えたのだから。
ゾンビ共の方へ逃げろ、と俺の目は確かに見たのだから。
「うぉおおおおおおおおお!!」
『Boaaaaaaaaaaaaaaa!!』
精いっぱいの威嚇のつもりで声を上げる俺にゾンビの集団もまたその爪と歯をむき出しにして迫ってくる。
「おおおおおおおお!!」
『aaaaaaaaaaaaaaaa!!』
そのまま数瞬後には俺の身体はゾンビ共にもみくちゃにされ、全身に噛みつかれ――
「おおお……おおぉぉぉ……」
――ることもなく、
「お?」
『Boooooooooooo!!』
ゾンビの集団は向かってくる俺をわざわざ避けるように間を空けながら真っすぐ一直線に横を通り過ぎていき、気が付けば俺の目の前にはただ何もない道が広がっていた。
『Gruaaaaaaaaaaaa!!』
『Bubaaaaaaaaaaaa!!』
視界に映るものに呆然としてしまう俺の背後ではおぞましい叫び声と爪と爪、肉と肉がぶつかり合う音。
その音に恐る恐るゆっくりと振り返ると後方では無数のゾンビと魔狼たちが互いに身動きもとれぬ程の乱闘騒ぎを起こしていた。
「は――ははっ」
凄惨とすらいえるその光景につい、笑みがこぼれる。
さしずめゾンビの集団は自分たちの仲間が魔狼に襲われたので本能のまま目の前の俺から標的を魔狼に変えた、というところだろうか。
ゾンビよりは知能が高いだろう魔狼たちも集団で襲い掛かってくる奴らの相手で手いっぱいで既に俺のことなど相手にしている余裕はないようだ。
「生き延びた……のか?」
踏みしめる土の感触、肌を撫でるそよ風の感触を俺は生還の証と確かめると、
「いよっしゃぁああ!!」
つい声を上げて一度大きく飛び跳ねて、そのまま真っすぐに目の前の続く道を走っていった。
後ろはもう振り返らない。
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