パンデミックの後に

白川芥子

パンデミックの後に

「中国湖北省武漢に端を発したとされる新種の疫病がもたらした未曾有のカタストロフィーは、瞬く間に世界を飲み込み、我々の生活様式を否応なしに変容させる事となった。例えばソーシャルディスタンスと呼ばれる両者間の新たなる社会的、果ては心理的距離感は最早スタンダードとなった。このように且つての常識は非常識となり、日常と非日常の境界線は極めて曖昧なものとなったのだ。」


「パニックに陥った世界を嘲笑うかのように、何者かの手によって発信された真偽のつかぬ情報が日々更新されながら、電気の波の上を漂い飛び交う。それらに踊らされ右往左往する者達は、あるいは暴徒化し、あるいは物資を占有することで私腹を肥やし、あるいは歪んだ正義を振りかざした。」


「群衆は『ステイホーム』を合言葉に一斉に巣籠りを始め、ロックダウンされた街からは人々の息遣いは立ち消え、今までの喧騒はまるで絵空事であったかのように静寂に包まれた。いつ明けるかも分からぬ長い夜の闇に絶望し、我を失った者は、自らその命を絶った。しかしその一方で、この破滅的な状況の中にすらも希望と価値を見出し、新たなるビジネスへと転化させる強かな者もいた。」


「パンデミックは果たして、人為的にもたらされたものであったのか?私は考える。これは我が物顔でこの地上に君臨し、傍若無人の限りを尽くし続ける、傲慢極まりない我々人類に対する自然からのしっぺ返しなのだと。現に人の姿が消えた都市部に、今こそ再び我らが覇権を取り戻さんと言わんばかりに、野生の獣共が忍び寄って来ているという報告も耳にする。」


「地球の資源は言わずもがな有限である。それらを無尽蔵に搾取し、獣を狩り、森を焼き払い、核を生み、大地と海洋と大気を汚染し続けてきた。それだけでは飽き足らず、大いなる宇宙にまでその魔の手を拡げようとしている。それは正に際限の無い人類の蛮行に対する神からの制裁なのだ。......しかし、いかなる凶事を前にしても、その叡智を振るい、立ち上がらんとする。それもまた人類の偉大なる一面でもあるのだ。」


「パンドラの箱から最後に飛び出したのは希望だった。—このコロナ禍を超克したその先には必ず眩いばかりの希望に満ちた未来が待ち受けている。そう信じて、我々は一歩、また一歩と前へ進んでいくしかないのだ。」










「グリコ。」

一歩進もうとしたその矢先、手元のスマートフォンから怒声が響き渡る。

「おい!早く上がって来いよ!日が暮れちまうぞ!」

「そうだ、何悠長な事してやがる。」

スマートフォンにはグループ通話中の3人の姿が映し出されている。

「うるせーよ!お前らがズルしてるんじゃねーかよ。こっちは真面目にやってんだよ!」

「いやいや、ジャンケングリコしようと言い出したのはお前だろ。この1500段ある神社の石段で。」

「......わかったよ。...グリコのおまけ。」

「「「だ~か~ら~、それじゃ終わらねーっツーの!」」」

スマートフォン越しに3人の声がユニゾンとなって総ツッコミが入る。

見上げれば3人の姿は既に視界から消え失せ、さっきまであった太陽もいつの間にか境内の裏にでも隠れてしまったのか、頂上から長く伸びた影が気の遠くなるほど延々と続く階段を覆い尽くしていた。

僕はグループ通話をさりげなくOFFにし、そっとその場から立ち去った。



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パンデミックの後に 白川芥子 @shirakawakarashi

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