おいでよ授業参観日

 なんだかいつもと比べて教室がざわついている。

 次の授業――4時限目は保護者が見に来るから、嬉しかったり気恥ずかしかったりで、みんな気持ちが浮ついているのだろうな。

 私の前の席に座っている、結んだ黒髪をバレッタで留めてアップにした物凄く小柄な女の子――涙目なみだめ最中もなかちゃんが椅子をこちらに向けて、話しかけてくる。


「そういや、山田んとこは誰か来るのか?」


「えっと、親とかは来ないんですけど、代わりに知り合いが来てくれることになってます」


「え? だけど、単なる知り合いじゃ学院の中に入れないんじゃないか? うちってそういうとこ厳しいぞ、実体がどうであれ一応お嬢様学校なんて言われてるしな」


「え、そうなんですか? ど、どうしましょう? 来てくれるって言ってたんですけど……」


「うーん、赤の他人となると多分無理だぞ。スマホ持ってきてんだろ? もう遅いかもしれないけど、一応連絡してみたらどうだ?」


「は、はい。そうですね、そうしてみます」


 そう言って、私はスマホを探してごそごそと通学鞄を漁り始める。

 すると、一際大きなざわめきが起こった。

 不審者でも入ってきたのだろうかと思い辺りを見回すと、教室の後ろの壁際にブルグリの大きなレンズのサングラスをかけて、バレンシアゴのスーツを着た背が高くてスタイルの良い美人が立っていた。

 んんっ? あれって……もしかして、女優の涙目なみだめ鈴鹿すずかじゃないか!?

 って、涙目?

 もなかちゃんと同じ苗字だが、まさか!?


「あ、マ――げほっ、母さん!」


 私の目の前でもなかちゃんが嬉しそうに手を振ると、教室の後ろに立っている涙目鈴鹿がこくりとうなずく。

 マジか。


「ちょっ、もなかちゃんのお母さんって、女優の鈴鹿様なんですか!?」


「おう。そうだけど、言ってなかったっけ? マ――母さんは女優になる前はモデルをしていたからな、あたしも多分高校でかなり背が伸びると思うんだ。悪いけど、山田の背も追い抜いちゃうかもな」


 もなかちゃんが嬉しそうに笑い、妙に鋭い犬歯けんしが覗く。

 あまりに二人の体型が違うためもなかちゃんは養子なのかなと一瞬疑ったが、涙目鈴鹿の犬歯も鋭くて目立つし、よく見ると顔立ちはかなり似ている。気の強そうな目元などはまさにうり二つだ。

 とはいえ、根拠はないものの、なんとなくもなかちゃんは一生チビのままな気がした。


「それにしても、やっぱりバレンシアゴの服ってかっこいいですね。私も早くお金を貯めて買いたいです」 


 私がぽつりとらすと、隣の机に突っ伏して寝ていた、ブロンドの髪をポニーテールにまとめた青い目の小柄な女の子――終日ひねもす寝子ねるこちゃんが顔を上げて、ティッシュでよだれを拭いて言う。


「ん……ごきげんようでござる」


「えと、おはようございます」


「それがしのパパうえはまだ来ていないようでござるな。さっき妙に教室がざわついたから、もしかしたらと思ったのでござるが……」


「ねるこちゃんのお父さんって、外人さんなんですよね? こう、ハリウッドスターみたいな感じですか?」


「オフの時のハリウッドスターには、似たような恰好の人もいるみたいでござるが……ざわつくと言っても、残念ながら良い意味ではないのでござるよ」


「ええ、どういうことですか?」


「ふっ……見ればすぐにわかるはずでござる」


 ねるこちゃんが遠い目をしてそう言った途端に、またもや大きなざわめきが起こる。

 高級腕時計をつけて見るからに高そうなスーツを着たアンコちゃんが、白い丸襟まるえりとコサージュがついた紺色のフォーマルワンピースを着て、白いベレー帽をかぶったバッケちゃんと手をつないで教室に入ってきた。

 その後ろに続いて、赤いベレー帽で耳を隠し、白いタイツをはいて、丈が長めの紺色のフォーマルワンピースで尻尾を隠したハッチーと、濃紺色の和服の上に黒いトンビコートを羽織はおった杠葉ゆずりはさんが入ってくる。

 そして最後に、なぜかレースやフリルが沢山ついた黒いゴスロリドレスをまとった冥子めいこちゃんが姿を現した。


「えっ!? なんで!?」


 杠葉さんとバッケちゃんはともかく、なんで冥子ちゃんまでいるんだ!?

 しかも、杠葉さんたちと一緒に教室に入ってきたが、冥子ちゃんと冷光れいこう家のみんなは面識がなかったはずだが……いったいどういうことだ!?



◆◇◆◇◆◇< 杠葉視点 >◆◇◆◇◆◇



 ヤマコが人間の振りをして通っている高校――人里離れた山の上に建つ『二荒聖陽女子学院ふたあらせいようじょしがくいん』に向かって杏子あんずが運転する車で山道を走っていると、車道に女が飛び出してきた。

 杏子が急ブレーキを踏んで女に接触する寸前で車は止まったが、車道にたたずむその女から異常なほどの妖力ようりょくを感じる。

 女が歩いてきて、運転席の窓をコンコンと叩く。

 無視すれば力づくで窓を破られる可能性もあったので、杏子に窓を開けてやるように指示をして、俺はシートベルトを外して退魔たいま霊符れいふを指の間に挟み持つ。

 杏子が運転席の窓を開けると、女が顔を近づけてきて、ヤマコと同じ翠色すいしょくの瞳で車内を覗き込んでくる。

 黒髪をツインテールに結わえた、異様に整った顔立ちをした若い女だった。顔立ちや体型は似ていないが、瞳の色はもちろんのこと、妖力の大きさも気配もヤマコとそっくりだ。

 確かゴスロリとか言うのだったか? 大量のフリフリがついたそでに包まれた、女の白く細い腕が窓から車内に伸びてきて、杏子が握っていたハンドルを外からつかむ。

 鈴を転がすような声で女が言う。


二荒聖陽女子学院ふたあらせいようじょしがくいんまで乗せてもらえないかしら?」


「行き先まで同じときたか……の色といい妖力といい、ヤマコの関係者なのか?」


「ヤマコって、ねえさまのことかしら? 姉さまは冥子の姉さまよ。今日は姉さまの授業参観日なの。だから、き妹として、サプライズで行ってあげようと思っているのよ」


 困り顔の杏子が、「どうしましょう?」という風に視線でたずねてくる。


「……乗せてやれ。どの道、学院で会うことになるのだろうしな」


「あら、助かるわ。ありがとう、優しい人は好きよ」


 そんなことを言って、ヤマコの妹を名乗る女がドアを開けて、白髪毛しらばっけ蜂蜜燈はちみつとうが座る二列目シートに乗ってくる。そして、なぜか白髪毛を膝に抱えた。

 女の膝の上に乗せられた白髪毛が「ヴウウッ」とうなり、身をよじるが、しかし女の力が相当に強いようで拘束こうそくを抜け出すことができない。

 蜂蜜燈が目を丸くして言う。


「ほお……ヤマコに比べたらちと足りぬが、それでも凄まじい量の妖力じゃな。わち、ヤマコが世界で最強のあやかしなんじゃとばかり思っとったのじゃが、これほどの妖力を持った妹がいるとなるとそうも言いきれんくなるのう」


 俺とて、ヤマコと並ぶような強大な妖力を持つ大妖おおあやかしなんて存在しないだろうと思っていたが、まさか姉妹がいたとはな……信じたくはないが、ヤマコにそっくりな気配で、同じ翠色すいしょくの瞳を持っているともなればもはや疑いようもない。

 夢ならば覚めてほしいが、しかし、今ここで現実逃避するのはまずい。どれだけ受け入れがたくとも、現実は現実として受け入れて気を引き締め直す。


「ふふ。そうね、冥子と姉さまがきっと世界で一番怖いあやかしね。クスクス……」


「ヴウウッ――がぶっ!」


「きゃっ!? 噛んだわ! 小っちゃいのにとても勇敢なのね、偉いわ。冥子を噛む度胸のあるあやかしなんて、滅多にいないのに……でも、せっかく可愛いのだから懐いてほしいわね。ほら、冥子の目を見て?」


「――白髪毛、目を閉じろ」


 俺の指示に従い、白髪毛がきつく目をつむる。

 冥子とか名乗るヤマコの妹が、「あら?」とつぶやく。


「目を閉じるのはずるいわ」


「目で見るだけでおかしなことができてしまうやつの方がずるいだろう」


「そうは言っても、きっともうすぐ冥子の力が必要になるわよ?」


「……それはどういうことだ?」


「多分だけど、姉さまはあなたたちに、授業参観の日時くらいしか伝えていないんじゃない?」


「どうなんだ、杏子?」


「は、はい。えっと、確かに日時しか聞いていません……」


「ほらね。なら、絶対に冥子がいないと困ることになるわ。この車に乗ってあげた冥子に感謝してほしいわね」


「何なんだ、いったい」


 それきり会話がないまま、二荒聖陽女子学院の校門に入ったところで、警備員に車を止められた。

 杏子が運転席の窓を開けると、警備員が「おはようございます、本日はどのようなご用件でご来校されたのでしょうか?」と訊ねてくる。


「えっと、授業参観に来たのですけど」


「授業参観ですね、でしたら証明書を拝見させていただきます」


「えっ? 証明書ってなんですか?」


「保護者専用に発行される証明書がございまして、申し訳ございませんがそちらをお持ちいただかないと原則校内にお通しすることができません」


「ええ……? ゆ、杠葉さんどうしましょう? ヤマコさんからはそんなこと聞いていませんし、何も用意していないんですけど――ああっ!? でも、弓矢くんの授業参観なんかで、そういえばそんな紙を持っていった記憶があります!」


 なるほど。不審者が紛れ込む可能性だってあるのだから、言われてみれば証明書のような物が必要になるのは当然のことだ。

 仕方がないから引き返そうと言おうとしたところで、後ろに座っていた冥子とやらがドアを開けて、車から降りた。


「私の目を見て」


「は……?」


「証明書はさっき見せたでしょ? 思い出せたなら通してちょうだい」


「はい……」


 そんな会話を警備員と交わして、冥子が再び車に乗り込んでくる。


「許可をもらえたから、駐車場まで行ってちょうだい。ふふ、言った通り、冥子の力が必要になったでしょ?」


「洗脳みたいなものか。それにしても、かなり効力が強そうだが……」


「姉さまの目と違ってあまり危なくないし、使い勝手がいいのよ。怖いのは姉さまの目の方が怖いけど、冥子にはこれくらいで十分だわ」


 ふむ、こいつはヤマコの邪眼じゃがんの効果を把握しているのか。

 ヤマコに訊ねたところでいつも曖昧な返事ではぐらかされてしまうから、俺には特別に強力な邪視じゃしということくらいしかわからない。

 だが、今ここでこいつに聞いたところで多分教えてはくれないだろう。そもそも、こいつの言うことを鵜呑うのみにするのも危険だ。

 こいつはヤマコの妹ではあっても俺の式神ではないし、ヤマコと違って頼んだところで式神になってくれるようにも思えない。


 二荒聖陽女子学院の駐車場で車を降りて、校舎に向かい歩き出す。

 昨夜まではヤマコの授業参観なんかに行く気などなかったのだが、白髪毛までもが行きたがり、杏子からも「ヤマコさん、杠葉さんに来てほしがっていたじゃないですか」などとしつこく説得されてしまい、仕方なく同行することにしたのだが……来て正解だったな。まさかヤマコに妹がいて、しかもこんな所で遭遇することになるとは思ってもみなかった。

 ヤマコの妹はヤマコと並ぶほどの妖力を持っている上に、ヤマコよりも扱いにくそうに感じる。俺の知らないところで、杏子や式神たちがこいつに洗脳されるような事態にならずに済んだのは幸いだった。

 歩きながら蜂蜜燈はちみつとうが、「尻尾と耳が窮屈じゃのう。わちの一番かわいいところなんじゃがな、なんで隠さねばならんのじゃろうな?」などとぶつくさと文句を言う。自分で来たがっておきながら文句が多いといつもならば腹が立つところだが、今ばかりは蜂蜜燈の常と変わらぬ態度が心強く感じられる……実際には何も考えていないだけなのだろうし、決して頼りになるわけではないとわかってはいるが。


 校舎に入る際にも別の警備員が声をかけてきたが、先ほどと同様に冥子と目を合わせた途端に様子がおかしくなり、素通りできてしまった。

 無論、だからと言って証明書を持っていない俺たちが校内に入って良いわけがないのだが、しかし、冥子を監視できる人間が自分たちしかいない以上は細かなルールなど気にしていられない。警備員には申し訳ないが、このまま冥子について行くことにした。

 廊下で今度は教師らしき男から証明書の提示を求められて、またしても冥子が邪眼を使う。


「どうじょ……お通りくだしゃい……」


「おい、呂律ろれつが回らなくなっているが、元に戻るんだろうな?」


「ちゃんと加減しているから平気よ。洗脳されやすいタイプの人だとこんな風になっちゃうこともあるけど、遅くても明日には元に戻ると思うわ」


 本当だろうな……? 疑わしく思えども、俺には今すぐに真実を確認する手立てもなければ、冥子を力ずくで止めることもできない。

 ヤマコと出会ったことで俺たちは生きる希望を持てたが、ヤマコと出会ってからというものの、こんな風に己の無力さを痛感することが多くなった。ヤマコだけでもなかなか手に負えないのに、妹まで出てきてしまうとは予想外にも程がある。


 前を歩いていた杏子が足を止めて、きょろきょろと周りを見る。

 そういえばこれまでに見たことのないスーツを着ているが、まさかヤマコの授業参観のためにスーツを新調したのだろうか? いや、杏子の金なのだから好きに使えば良いとは思うが、式神を相手に入れ込みすぎじゃないかと少し不安になるな。


 しばらくして杏子が振り返り、困った顔をして聞いてくる。


「杠葉さん。1年生の教室が2クラスあるんですけど、ヤマコさんのクラスはどっちなんでしょうか?」


「俺が知るはずないだろう。授業参観に誘われたのに、クラスも聞いていないのか?」


「は、はい。そういえばクラスって一つじゃありませんもんね、困りました。二分の一の確率ですし、中に入ってヤマコさんの姿を探してみるしかないですかね?」


「仕方ないな……俺が妖力を探ってみよう」


 ヤマコの妖力は強大であるがゆえに、大体どこら辺にいるかというのは凄くわかりやすいのだが、その代わりに細かな位置を絞り込むのが難しいのだ。

 今回も校舎の外にまでヤマコの妖力があふれ出している上に、ヤマコとよく似た妖力を持つ冥子までもが近くにいるために、益々ますますわかりにくくなってしまっている。

 俺がヤマコの妖力を探るのに集中していると、先ほどの杏子と同じようにきょろきょろとしていた冥子が奥にある教室を指さして言う。


「多分、姉さまの教室はあっちだと思うわ。ふふ、冥子はサプライズで最後に登場したいから、あなたたちが先に入って」


 何というか、こうなってくると、ヤマコが授業参観に誘ってきたこと自体が嫌がらせだったのではないかと思えてくるな。

 誘っておきながら自分のクラスさえも教えず、証明書のことにも何も触れない。そして都合よく出会った、ヤマコの妹を名乗る冥子の存在も怪しく感じる。

 さすがに俺が来ることまではヤマコもわかっていなかったはずだが、それならそれで、俺の居ないところで杏子たちが冥子と接触していたわけだ。

 普段の様子を見る限り、ヤマコのことだから教室を教えることは単純に忘れていて、証明書に至ってはやつ自身も存在を把握していなかったという可能性も否定はできないが……普段の間抜けな態度が演技だという可能性もある。仮にすべてが故意だったとすると、一体何を目的としているのだろうか?

 俺か、もしくは杏子たちが、冥子と接触することか? だとしたら、その先には何が待っているのだろうな……。



◆◇◆◇◆◇< 山田視点 >◆◇◆◇◆◇



 もなかちゃんが若干じゃっかん引いた声で言う。


「うわっ、なんだ? なんか真っ白けな幼女と、金髪の子どもと、ゴスロリ女がいるぞ? 金髪ってうちの学年じゃねるこしかいないけど、お前に妹なんていたっけ?」


「いやあ、それがしに妹がいるなどとは聞いたことがないでござるよ。いったい何者でござろうなあ」


「あの、えと、あの……全部私の知り合いです」


 おそるおそる名乗り出た私に、もなかちゃんが驚いた顔をしてたずねてくる。


「えっ? でも、知り合いって……家族とかじゃないんだろ?」


「えっと、はい」


「じゃあ、あいつら、どうやって学院の中に入ってきたんだ?」


「その、あの……よくわかんないです」


「ええ? おいおい、大丈夫かようちの学校。つまり、あんなに目立つやつらを素通りさせちゃったのか?」


「あの、できればですけど、えと、誰にも言わないでいただけると……」


「まあ、山田には差し入れをもらったりして世話になってるからな、危ないことしないなら見逃してやるけどさ……いやでも、この学院で寝起きしている身としては、やっぱり警備の面で不安になるぜ」


「えーと、多分ですけど、そこは大丈夫なので……」


 なんで冥子ちゃんまで来ているのかはわからないが、冥子ちゃんは目を合わせるだけで他人を洗脳できるのだ。

 多分だが警備の人はちゃんと仕事をしようとしたのだろうけど、冥子ちゃんに洗脳されてしまったのだろうと思う。 

 ゴシックアンドロリータを身にまとった冥子ちゃんが私を見つけて、手を大きくブンブンと振ってくる。


「あら、姉さま! まったく、どうして冥子に授業参観のことを教えてくれなかったの? 姉さまのアカウントを使って、定期的に姉さまの学校のホームページを確認していなかったら気づけなかったわ! ほら、見てちょうだい。姉さまの授業参観だから、オシャレな服を着てきたの! どうかしら、可愛いかしら?」


「おおっ、ヤマコ! そんなところにおったのか! 同じ服を着た似たような見た目をしたやつらがこうも沢山おると、なかなか見分けがつかんくてのう! じゃが、優秀なわちが本気で妖力を探れば一発じゃったぞ! どんな問題が出るのかまったく見当もつかんが、ヤマコは賢いからきっと全問正解じゃな! 期待しておるぞ!」


「わあ、高校の教室ってこんな感じなんですね~。これくらいの年頃の女の子が揃うと華やかでいいですね、ふふ。あ、ヤマ――じゃなかった、春子ちゃん! 今日は頑張ってくださいねっ! 学校ってちゃんと通ったことがないですし、どんな問題が出るのかは私にもわかりませんけど、きっとヤマ――春子はるこちゃんならけますから! ここから応援していますね!」


「んっ!」と、バッケちゃんが小さな拳を突き上げる。


 なんだこれ?

 なんか、なんだろうな……凄く恥ずかしいぞ?

 運動会じゃあるまいし、そんな風に大声で応援したりするのは何か違うんじゃないか?

 なんだか私まで悪目立ちしてしまっているし、みんなの気持ちは嬉しいけど照れくさいし、とにかく凄く恥ずかしいぞ!?

 というか、冥子ちゃんに至ってはゴスロリを着てくる意味がわからないし、それでいて大きな声で私を姉さまとか呼ぶし嫌がらせか!?


 恐々こわごわとした様子で、もなかちゃんが訊ねてくる。


「おい、あのゴスロリ女、お前のこと姉さまって呼んでるけど……ほんとに姉妹とかじゃないのか? ゴスロリは高校生くらいに見えるし、金髪は小学生くらいに見えるけど、学校休んで来たのか? なんなんだ、あいつら?」


「ええと……血縁関係はないんですけど、ゴスロリは偽妹ぎまいで……金髪のほうは、えっと、お世話になっている方の偽母ぎぼ――いや妹、って感じですかね?」


「ん? ゴスロリは義妹ぎまいなんだな? それなら血縁関係がないにしてもちゃんと親族だし、問題ないだろ。いや、他のやつらがどうやって入ってきたのかについては、相変わらずわからないままだけどさ……」


 お喋りしている間に――というか、もなかちゃんからそんな感じで尋問じんもんを受けている間に英語の蒲田かまた先生(ガマガエルのような顔をした妙齢の女性)が教室に入ってきて、チャイムが鳴った。

 蒲田先生が保護者たちに挨拶をして、授業が開始される。

 そういえばねるこちゃんのお父さんらしき人の姿が見えないのが気になるが、遅刻しちゃっているのだろうか?


「そうしたら、22ページのハマーとドリーの会話を――ミス・モナカ、音読してみましょう!」


「はい。

 ハマー:Let's go barhopping tonight.

 ドリー:Wow, That's a great idea. I'm in the mood for a wine tonight.

 ハマー:Good timing! There’s a bar I frequent in front of my home.

 ドリー:Really? But I'm particular about wines.」


「グッドジョッブ! よくできました。では、この会話を――ミス・ネルコ、日本語に訳してみましょう!」


「ええとでござる……。

 ハマー:今夜ははしご酒したいでござるな。

 ドリー:おー、良い考えでござるな。それがしは今夜はワインの気分でござるよ。

 ハマー:ちょうどいいでござる! それがしの家の前に行きつけのバーがあるのでござるよ。

 ドリー:本当でござるか~? でもそれがしワインにはうるさいでござるよ」


「グッドジョッブ! よくできました。では続けて、23ページの会話も――ミス・モナカ、音読してください!」


「はい。

 ハマー:It’s about time to call it a night.

 ドリー:I’ll never drink again.

 ハマー:Me, too. I shouldn’t have mixed Brandy and wine.

 ドリー:I feel like throwing up. But I have to catch a taxi.

 ハマー:Well, why don't you come over?

 ドリー:Thank you, but I’m good.」


「ダッツインプレッスィーヴ! よくできました。では、この会話を――ミス・ハルコ、訳してみましょう!」


 えっ、私!?

 このガマガエル、どうしてかいつも二回ずつ繰り返して同じ人に当てるから、すっかり油断していたぞ!?

 ど、どうしよう!?

 この学校は勉強ができない子が多いのだが、ミッションスクールなので世界中に姉妹校があり、生徒の保護者にお金持ちが多いこともあって留学が盛んなため、英語だけはどの子も結構できるのだ。

 せっかくみんなが見に来てくれているのに、私だけが問題に答えられないなんてことになったら恥ずかしいぞ!?


「ヤマコ! わちの後輩として、こやつらに賢いところを見せつけてやるのじゃ!」


「姉さま! そこよ、そこでアッパーカットよ! ガマガエルの妖怪ごときが姉さまに挑むなんて生意気だわ、わからせてやりましょう!」


「頑張ってください、ヤマ――春子ちゃんでしたらきっとできます!」


「んっ!」と、バッケちゃんが小さな拳を突き上げる。


 もなかちゃんが振り返って、「23ページだぞ」とささやいてくれる。

 だが、英文を見てもさっぱりわからない。まず一行目がすでにわからない。

 それは……だいたい、時間……呼ぶ……その、夜……?

 あ、暗号か?

 くそう、IQならば多分私は200以上あるはずなのだが(※根拠はありません。)、ひらめき型なので(※根拠はありません。)暗記がメインとなる学校の勉強はそこまでできるわけではないのだ。


 ガマガエルが首をかしげて言う。


「ミス・ハルコ? スタンダーップ」


「あ、あ、はい……、ええと、ええと……!」


 仕方がないのでとりあえず立ち上がって、考えている振りをしながら私は横目でちらちらとねるこちゃんの顔を見る。

 ねるこちゃんが「頼まれたでござる」と小声で言って、日本語訳を書いたノートを私の方に突き出してくれた。


「ええと、ええと……!

 ハマー:そろそろお開きの時間でござるな。

 ドリー:もう二度と絶対に酒は飲まないでござる。

 ハマー:同じくでござる。ブランデーとワインをちゃんぽんしたのがよくなかったでござる。

 ドリー:ゲロ吐きそうでござる。でもタクシーに乗らないとでござる。

 ハマー:それなら、うちに来たらいかがでござるか?

 ドリー:ありがとうでござる、でも結構でござるよ」


「アッオー……ミス・ハルコ、チートはいけません。ミス・ネルコに答えを見せてもらいましたね? ござるなんて言うのはこの学院内でもミス・ネルコだけですから、バレバレですよ」


「あっ!? ね、ねるこちゃん、なんでノートにまでござるって書いてあるんですか!? 慌ててたから、ついそのまま読んじゃったじゃないですか!」


「こ、これはそれがしのポリシーでござるよ! ブシドーの精神を常に忘れないように心がけているのでござる!」


 ねるこちゃんとそんなやり取りをしていると、開いたままの教室のドアから、彫りの深い顔立ちをした見るからに不潔なおじさんが入ってきた。

 汗染みで黄ばんだよれよれのカッターシャツを着て、はき古して茶色っぽくなったよれよれのジーンズをはいている。ぼさぼさの長髪を頭の後ろで一つに束ねており、鷹のように鋭い目つきをしていた。

 無精ひげまで生えているその汚いおじさんを見て、私は思わずつぶやく。


「――私が想像してた、理想の東根ひがしね先生だ!」


「あっ、パパ上でござる! 相変わらずばっちいでござる!」


 ねるこちゃんが汚いおじさんを指さして言った。

 あの『理想の東根先生汚いおじさん』がねるこちゃんのお父さんなのか、なんだか似てなさすぎて笑えてくるな。


 しかし、なんだろうな……?

 あいつ、ねるこちゃんを見に来たんじゃないのか?

 なんで私のことばかり、じっと見ているんだろう?


 ……やっぱり、私が美少女だからかな?

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