もうすぐ授業参観日

 昨夜のことである。

 お母さんが泣きながら、「ううう、あのね、ずびっ……どうしてもね、断れない仕事が入って……授業参観、行けなくなったわ……ぐずっ」と、電話をしてきた。

 自分がミッションスクールに憧れていたからという理由で私をミッションスクールに入学させただけあって、お母さんは授業参観日に『二荒聖陽女子学院ふたあらせいようじょしがくいん』を訪れるのをずっと楽しみにしていたから、絶対に見に来るだろうと思っていたので私もちょっぴりショックだ。久しぶりに会えると思っていたのにな……。

 しかし、その後話の内容が思わぬ方向に飛び、「お爺ちゃんから聞いたけど、あんたが始めたっていうアルバイト、未成年なのに泊まりもあるんでしょう? 何か変なことしているんじゃないでしょうね? あんたと話しててもしょうがないから、本当だったら今回授業参観でそっちへ行くついでに、直接あんたのアルバイト先にも行こうと思ってたんだけど……」などと言われてしまい、困ってしまった。

 だって、私の雇い主である杠葉ゆずりはさんは私のことを妖怪だと思っているのだ。だから私のお母さんがどうのこうのと話をしても、真面目に受け取ってもらえないかもしれない。


「話があるのだろう? さっさと話せ」


 そして、現在。

 学校が終わり、いつものように冷光れいこう家のお屋敷に出勤した私は、素敵な中庭がよく見える居間にて、座卓を挟んで杠葉さんと対面していた。


「ええっと、あのう、そのう……私のママンが、未成年の女の子に外泊させるようなアルバイト先は信用できない、何か良くないことをしているんじゃないかって風に疑っていまして……どうしたものかと……」


「ふむ……なるほどな」


 そう呟いて、杠葉さんは目を閉じて俯いた。

 それからしばらくして顔を上げると、再び口を開く。


「早いうちに話さなければいけないとは思いつつ、ずっと先延ばしにしてしまっていた。正直に言うと、お前というあやかしに愛娘と成り代わられてしまった人たちと、会って話をする勇気がなかった。お前が居なければ、冷光うちはお終いだ。だから、本来であればお前のような悪しきあやかしをはらう立場にありながら、俺は彼らに真実を伝えることすらできない」


 んん? 杠葉さんの中ではそういうストーリーになっていたのか。

 まあ、考えてみればそうか。杠葉さんは私のことを妖怪だと思っているが、妖怪に人間の親や家族がいるのはおかしなことだ。その上、私は山田やまだ春子はるこという人間の戸籍を持っていて、学校にまで通っている。そうなると、ヤマコという妖怪が、山田春子という人間の少女に成り代わって生活している、という風にはたからは見えるわけだ。

 うーむ、なんというかヘビーな話だな。山田春子がかわいそうだし、ヤマコは恐ろしい。いや、どちらも私なのだが。


「だが、毒を食らわば皿までか。気は進まないが仕方がない、うまいこと丸め込めないか試すだけ試してみよう。とりあえず後で電話をしてみるから、都合のつく時間帯を聞いておけ」


「あいさー」


「話が済んだなら出て行け、これから霊符れいふを作るから集中したい」


「はーい。それじゃあ、またです」


 追い払われるようにして立ち上がり、歩き出した私を一切見ることなく、杠葉さんが「ああ」とだけ返事をする。

 廊下へと続くふすまを開けた私は冗談半ばで、振り返って杠葉さんにたずねる。


「あの。来週授業参観日なんですけど、雇用主って保護者みたいな感じありますし、杠葉さん来ますか? 女学院ですよ? 普通に入ったら逮捕ですよ、逮捕」


 相変わらずの鋭い目つきで私を見上げた杠葉さんが、にべもない態度で言う。


「行くわけがないだろう」


「誰も来てくれなそうなんですよね、実は。ママンが来られなくなっちゃって、じいじには『女学院なんて華やかなとこ、行きとうないわ』って言われちゃいましたし……」


「だからと言って、なぜ俺が行くことになる? だいたい、お前の通っている学校は確か校則でアルバイトが禁止されていたはずだぞ。俺との関係を聞かれたらお互いに困るだろう」


「まあ、そうですよね。すみませんでした。えっと、じゃあ失礼しますね」


 そう言って襖を閉めて、歩き出そうとすると、いつの間にかすぐそばにアンコちゃんが立っていた。

 いつもと同じフレームのない頭が良さそうに見える眼鏡をかけており、今はお客さんもいないので和柄の可愛いエプロンをつけている。

 なぜか前のめりになってアンコちゃんが訊ねてくる。


「授業参観があるんですか?」


「えと、はい。ありますけど」


「あの、私が行きます! 行かせてください!」


「え? 来たいんでしたら構わないですけど、本気ですか?」


「当然です! フォーマルでオシャレな服を見繕みつくろってきますから、ラインで日時とか送っておいてください!」


「あ、はい」


 アンコちゃんがばびゅんと廊下を駆けていく。おそらく、フォーマルでオシャレな服を探しに自室に行ったのだろう。

 廊下に置き去りにされた私は、小さく首をかしげる。


「なんだろう、そんなに女学院に興味があったのかな……?」


「――まあ、アンコのやつは高校には行かせてもらえんかったからのう。確かに興味もあるのかもしれんが、わちはそれよりも多分、親の気分を味わいたいんじゃろうと思う」


 どこか離れたところから、ハッチーが答えてきた。

 どこにいるのかと探しに行くと、廊下の突き当たりにある納戸なんどの戸が開いており、狐の尻尾をゆらゆらと揺らしてハッチーが何やら考え込んでいる。


「えっと、親の気分ってどういうことですか?」


「冷光の血は呪われておるからのう。今の状況で子孫を残せば辛い目にうのは目に見えておるし、アンコは子が欲しくても作れぬ。じゃけどアンコは子ども好きじゃし、本当は子どもが欲しいんじゃろうな。じゃから、わちやバッケや、おぬしを自分の子どもみたいに扱いたいんじゃろ、多分」


「子どもが欲しいのに、子どもを作れないんですか……そんな事情があったんですね、知りませんでした」


「ま、わちも先輩じゃし、ヤマコの保護者みたいなものじゃからの。授業参観じゃったか? 散歩ついでに見に行ってやるとするかのう」


「え、ハッチーも来てくれるんですか? 嬉しいです、けど……」


 狐の耳や尻尾が生えていて、しかも私よりも年下に見えるハッチーが授業参観に来て大丈夫なのかな?

 お母さんが来られなくなって寂しいし、来てくれるのであれば来てはほしいけどな。


「ところで、ハッチーは納戸で何をしてたんですか?」


「罰を受けているのじゃ。わちが一生懸命育てたというのに、杠葉ときたらどうしてあんなにも傲慢ごうまんなのじゃろうな?」


「えっと、育てたハッチーが傲慢だからじゃないですか?」


「は?」


 ハッチーのだいだい色をした吊り目の瞳孔どうこうが、獣のようにキュッとすぼまる。


「あっ、えっと、違いました。口が滑っただけです、えっと……」


「何がどう違うんじゃ?」


「あれです、言い方が悪かったんです! 良い意味で、です! ハッチーは良い意味で傲慢なんです! なんていうか、ハッチーにはリーダーシップがあります! そう、それで、ハッチーのリーダーシップに憧れた杠葉さんも、リーダーっぽく振る舞おうと頑張っているんだと思います! きっとその気持ちが空回りしての傲慢なんです!」


 蜂蜜はちみつ色をしたおかっぱ頭のてっぺんに生えた狐の耳をピコピコと動かしつつ、ハッチーがふんふんとうなずく。


「確かに、言われてみればそうかもしれんのう! もうほぼ記憶がないんじゃけど、わちは狐時代に優れた群れのリーダーじゃったような気もするし、言われてみればリーダーとしての才覚がわちには備わっておる気がする! 杠葉はわちに憧れて、自分も立派なリーダーになりたいと努力しておったのじゃな! なるほどなるほど、しかし杠葉にはリーダーとしての才覚がなく、うまくできずにあのような傲慢男になっているのじゃな!?」


「そうですね! 間違いありません!」


「やっぱりヤマコは賢いのう! さて、気持ちがすっきりしたことじゃし、次は納戸をすっきり片付けんとな! ヤマコも荷物を運び出すのを手伝ってくれんか?」


「いいですけど、結局何があったんですか?」


「ほれ、この前はヤマコたちだけ旅行に行ってわちとユミは留守番だったであろ? それでわちらには何もないというのは不公平じゃし、杠葉に旅行に連れていけと言ったんじゃ。じゃけど、傲慢な杠葉がわちを無視して仕事を続けておったから、杠葉が席を立った隙にやつのノートパソコンの画面に指で穴を開けて、バカと書いてやったんじゃ。そしたら五発も殴られて、納戸を片付け終わるまでご飯抜きにすると言われたのじゃ、傲慢な杠葉にの」


 なるほど。これは考えるまでもなく、完全にハッチーが傲慢だな。

 平日にいきなり旅行に連れて行けと言われても杠葉さんだって困るだろうし、何よりも私たちは旅行を楽しんできたわけじゃなくて、廃墟でオバケと戦ってきたのだ。

 とはいえ、ハッチーは先輩だし、何よりも可愛いので、片付けは手伝ってあげようと思う。ご飯を抜きにされてお腹を減らして泣いているハッチーを想像すると、凄くかわいそうだしな。


「それにしても、ずいぶんと物が多いですよね。床にまで物が積まれていますし、さすがに全部を綺麗に収納するとなると、納戸だけじゃ広さが足りない気がしますけど……」


「ああ、大丈夫じゃ。それについてはまったく問題ない。なぜかといえば、わちには秘策があるからの。そうじゃな、ヤマコはとにかく窓際に荷物を集めるのじゃ。わちは投げる係をやる」


「えっと、わかりました」


 とりあえず頷いたものの、しかし、投げる係ってなんだろうな?

 よくわからないまま、私は重たかったり軽かったりする段ボール箱やよくわからない書類の束なんかを、手あたり次第に窓のそばに運んでいく。

 すると、しばらくして、「よし、だいぶ集まったの」と言って、ハッチーが窓を全開にした。

 そして、納戸にあった様々な物を窓から外に放り投げ始める。


「えっ、えっ?」


 状況を理解できないでいる私をよそに、次から次へと物が外に投げられていく。

 しばらく放り投げる作業を続けて納戸をすっからかんにすると、汗をかいているようには見えなかったものの、ハッチーが額を手の甲で拭うような仕草をして言う。


「ふー、働いたのう! よし、それじゃ外へ行くぞ! ヤマコは台所から、アンコの畑でとれたジャガイモを持ってくるのじゃ!」


「えーと、わかりました」


 ハッチーの指示に従い、私は冷光家の台所からジャガイモをいくつか拝借はいしゃくして、ざるに載せて外へと向かう。

 靴を履いて庭を歩きながら、なんかあとで杠葉さんに怒られそうな流れになっているなと思った。まあ、怒られるのはハッチーだろうから別に構わないが。


 納戸の裏まで回ると、ハッチーが納戸から出した物を一か所に集めて山にしていた。


「次はじゃあ、山に入ってたけのこを掘ってきてくれんか? ほれ、今の時期じゃと真竹またけがちょうど生えてきとるじゃろ?」


「えっと、私、筍って掘ったことがないんですけど……」


「なんじゃと? おぬし、山のあやかしなのに筍も食べとらんかったのか?」


「あ、食べるのは好きですよ。毎年食べてはいましたけど、掘り方は知らなくて」


「えっ……ああ、そういうことか、さては配下のあやかし共から奪っておったのじゃな? せっかく見つけて掘った筍をみつがせるなんて、なかなかえげつないことをするのう! さすがじゃな!」


 なぜかハッチーが誇らしげにうんうんと頷く。

 ちなみに本当は人間であり、しかも去年までは普通に町で暮らしていた私は、筍はいつもお金を出してスーパーで買っていた。


「ま、ならば仕方がないのう。わちも自分で筍を掘りに行くのは面倒じゃし、ジャガイモだけで我慢するかの」


「ええっ!? なんですか、それ!? ハッチーこそ私から奪おうとしていたんじゃないですか! ジャガイモだって育てて収穫したのはアンコちゃんですし、やっぱりハッチーは傲慢ですよ! ――あ、良い意味で!」


 またハッチーの瞳孔がキュッと細くなったので、ちょっと怖くなってつい良い意味にしてしまった。

 なんだか野生の獣みたいで、キュッとなったハッチーの目って怖いのだ。


「なんじゃ、良い意味でか。じゃけど、傲慢ではなくリーダーシップと言ってほしいのう。わちってこう、命令を出すポジションが向いておると思うのじゃ。リーダーシップが備わっておるから当然じゃけどな! じゃから、わちが命令して、他のやつが仕事をこなすというのが一番うまくいくと思っとる」


「ですね、間違いありません」


「じゃろ? ヤマコはやはり賢いだけあって、よくわかっておるな。悪い意味で傲慢になってしもうた杠葉とは大違いじゃ」


「私もそう思いますけど、ところでこの段ボール箱やらの山はどうするんですか?」


「いい質問じゃな。ここに冬に使いきれずに残った灯油があるじゃろ?」


 あ。

 もうわかってしまった。やっぱりこれは、杠葉さんにしこたま怒られる流れに違いない。

 馬鹿なことをするなあとは思うが、ハッチーは狐の赤ちゃん並みにしか物を考えられないから、先のことをあまり想像できないんだろうな。なんかそう考えると、ちょっと哀れだな。


「これをこうするじゃろ?」


 そう言いながら、ハッチーが積まれた段ボール箱や謎の木箱や、古めかしい巻き物や紙の束などに灯油をちょろちょろとかけていく。


「で、こうじゃ」


 そして最後にハッチーが妖術ようじゅつで生み出した火球かきゅうを放つと、まるでキャンプファイアのような火の山が完成した。

 近所に家もない山の中なので誰にもバレなさそうだが、それはそうと、これって犯罪になるんじゃないか? なんだか、見るからに燃やしたら環境に悪そうな物もちらほらと混ざっているし……。

 というか、今燃やしているのって、もしかして東根ひがしね先生が見たがっていた冷光家の資料じゃないだろうな?

 もしもそうだとしたら、東根先生が今回の事件を知ったら怒るかもしれないぞ? 悪いのはハッチーだけど、私も一緒にいたことがバレたらとばっちりを受けかねないし、なるべく知られないように気をつけよう。


「む? 芋を包むのにアルミホイルがないぞ? ヤマコ、ヤマコ! アルミホイルは持ってこんかったのか?」


「いやいや、だって頼まれていませんもん」


「これ、言い訳をするでない! わちがリーダーじゃぞ!?」


「ええっ!?」


 だって、本当に頼まれていないぞ?

 自分が頼み忘れたくせに私のせいにするなんて、なんて傲慢なやつだろうか。絶対にリーダーになっちゃいけないタイプだと思うぞ。

 最悪のリーダーがお屋敷に向けて、大きな声で呼びかける。


「ユミ、ユミ! バッケと一緒にアルミホイルを持って来るのじゃ! ジャガイモパーティじゃぞ!」


 少しして、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきたが、一つだけだった。それも、弓矢ちゃんやバッケちゃんみたいな軽やかな音ではない。多分、杠葉さんの足音だ。

 共犯者として扱われて、ハッチーとまとめて怒られたらたまらない。

 私は急いで逃げ出そうとしたが、ハッチーに足を引っかけられてすっ転ぶ。


「――ぎゃんっ!?」


「すまんのう、わちは杠葉の怒りがある程度落ち着くまで隠れておるから、しばらくの間おぬし一人で怒られておくのじゃぞ! なぜならリーダーの罪は下っ端が負うのが決まりじゃからな!」


「えっ、そんな!? やだ、待ってください!」


「待つわけないじゃろうが! リーダー命令じゃ、わちが戻ってくるまでに杠葉の怒りをできるだけしずめておくのじゃぞ!」


 そう言って凄い勢いで走り去るハッチーの小さな背中に、私はあらん限りの罵声ばせいを浴びせる。


「こ、このっ……バカ! 駄目リーダー! 傲慢! ウ〇コ狐! つ、吊り目! うわあああああん!!!」


 倒れ込んでいる私のもとに、憤怒ふんぬ形相ぎょうそうをした杠葉さんが歩いてくる。

 この顔は、拳骨げんこつ一発じゃ済まないかもしれない。


 この日、私はいっぱい泣いた。

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