みんなでランチ

 ずっとねるこちゃんのお父さんに見られ続けて居心地が悪いまま授業が終わり、授業参観に来てくれた保護者たちと一緒にお昼ご飯を食べることになった。

 背中にねるこちゃんのお父さんの視線を感じたが、とりあえず私も冷光れいこう家の面々feat.冥子めいこちゃんと合流して教室を出る。


「あの、あの、なんで杠葉ゆずりはさんまでいるんですか? しかも冥子ちゃんが一緒にいますし、どういうことですか?」


「姉さま! 冥子がいなかったら、この人たちは学校に入ることさえできなかったのよ? 姉さまの尻ぬぐいをした冥子に感謝してほしいわ! ふふふ、ご褒美には何を貰えるのかしら、楽しみね!」


「あっ、そうでした。そういえばなんか、親族とかじゃないと学校に入れないって私知らなくって、何も確認しないままにお誘いしてしまって申し訳ありませんでした!」


 そう言って私がアンコちゃんに向けて頭を下げると、杠葉さんがゴスッと拳骨を落としてきた。


「――ふぎゃっ!? な、何もぶつことないじゃないですか!?」


「この冥子とかいうあやかしとは、ここに来る途中で出会ったのだが……お前に妹がいるとは知らなかったぞ。しかも、同居しているらしいな。なぜ隠していた?」


「へ? 別に隠していたつもりはありませんけど、なんかまずかったですか?」


「こっちはお前のように馬鹿みたいな妖力ようりょくを持ったあやかしが二匹も三匹もいるとは思っていないから、急に遭遇したら驚くだろう。確認しておくが、お前たちの他にはもういないな?」


「えっと、どうなんですか冥子ちゃん?」


「姉妹は私たち二人だけよ。だからかしら、特別に仲良しなの。ね?」


 首をかたむけて、冥子ちゃんが可愛らしく微笑んで私を見てくる。

 冥子ちゃんに対しては色々と思うところもなくはなかったが、またまれても面倒くさいので一応うなずいておく。ちょっとでも邪険じゃけんな扱いをしてしまうとすぐに病んでしまうから面倒くさいのだ。もしかしたらそれも寄生生活を送る上での作戦なのかもしれないが、同じ部屋で寝起きしている相手が病みモードに入ると本当に面倒くさいので、ズルいなとは思いつつもつい譲歩してしまう。


「本当だろうな?」などとしつこく確認してくる杠葉さんのことは無視して(聞かれても私だってわからない。)、アンコちゃんたち女性陣に向けて言う。


「お昼なんですけど、市内のお店やパン屋さんがお弁当やパンを売りに来てくれて、あとパックのパンやおにぎりの自動販売機もありますけど、どうします?」


「色々とあるんですね~。実は私学食に少し憧れていたんですけど、食堂みたいなものはないんですか?」


「それがですね、生徒を太らせたくないからなのか知りませんけど、自由にメニューを注文できるようなシステムが存在しないんですよ。お弁当も量が少な目で味も薄めですし、自動販売機にもカップラーメンとかの油っこい物がないんです。しょうがないので、私はチャック付きの天かすやマヨネーズなんかを持参して惣菜パンに足して食べています」


「え、ええ……天かすまで持参しているんですか? えっと、なんといいますか、さすがヤマコさんです」


「やきそばパンのやきそばに天かすとマヨネーズを混ぜた山田スペシャルが一番おすすめなんですけど、なぜか最近パン屋さんが持って来てくれないんですよね、やきそばパン」


 ハッチーが目を半眼にして私を見上げて、「ヤマコのせいかもしれんのう」と言ってくる。

 なんで私のせいになるのだろうか、意味がわからないぞ。この前はもなかちゃんが同じようなことを言ってきたが、みんなしてどうしてすぐに私を悪者にしようとするのだろう? 私がかわいいから嫉妬して意地悪を言っているのかもしれないが、ハッチーももなかちゃんも十分にかわいいのだからもっと自信を持てば良いのにと思う。


「まあ、じゃあとりあえず全部見てみます?」


「そうですね~、ヤマコさんたちが普段どんな物を食べているのか気になりますし、全部見てみたいです」


 アンコちゃんたちを先導しながら廊下を歩いていると、いつも校舎の内外をうろうろしている髪の長い若い女の姿をしたオバケだか妖怪だかが窓際に立っていて、じっとこちらを見ていた。

 普段、ねるこちゃんやもなかちゃんといった学校の友達と歩いている時には、みんなには見えていないようなので、変に思われないように私も気づかない振りをしていたのだが……。


「あら、姉さま。姉さまの通う学校なのだからここはもう姉さまの縄張りなのに、生意気な子がいるわ。とっちめてやりましょうよ?」


「なんじゃ、こいつ。わちらに視線を向けてきおるぞ、生意気なやつじゃな。ここはヤマコの縄張りなのじゃろ、喰ってはやったらどうじゃ?」


「若くて元気な子たちが集まっている学校でも、こういうのっているんですね~。害がないのでしたらいいんですけど、もしも学生さんに取りいたりしたら危険かもしれませんし、ちょっとかわいそうですがはらっておいた方がいいんでしょうか?」


「まあ、そうだな。金にはならんが、手間がかかるというわけでもない。白髪毛しらばっけ、やれ」


「ん!」


 バッケちゃんが物凄い速さのパンチを放つと、髪の長い女は一瞬にして消滅した。あまりに呆気あっけないが、普通の人には視えない程度の怪異なんてこんなものなのだろう。みんなから生意気だと言われて通りすがりに殴られて消滅した女に同情する気持ちもないではなかったが、正直すっきりした。

 実は先日、朝に賞味期限のだいぶ過ぎた納豆を(マヨネーズで除菌すれば大丈夫だろうと思って)食べてしまったら学校でお腹が痛くなってしまい、それで医務室のベッドに横になっていた際にベッドの下から女の腕が伸びてきて、めちゃくちゃびっくりさせられて床に落っこちて痛い思いをしたのだ。

 ベッドの下を覗いた時にはもう何の姿もなくて、ただ、ぼろぼろになったハイヒールの片方が転がっていただけだったが……あの時私をおどかしてきた女が、多分今の女だったように思う。


「わあ、綺麗なお弁当ですね~」


 細長い折りたたみテーブル二つに、ずらりと並べられたお弁当を見てアンコちゃんが歓声を上げる。

 少し離れたところではパン屋さんのパンが売られており、バッケちゃんはそっちに行きたそうだったので、惣菜パン派である私が手をつないで一緒に連れていく。

 この学校の生徒はほとんどが寄宿生なので、寄宿舎のキッチンスタッフが調理したお弁当を持ってきている。そのため、普段ならばそれほど混むことのないお弁当やパンの売り場も、保護者たちが来校している今日は結構混雑していた。

 バッケちゃんがあんぱんとチョココロネとメロンパンを選び、自分用にはコロッケバーガーとピザとあんドーナツとチュロスを選んで(ある程度の油分が含まれたパンをコンプリートしてやった。)、他にも適当にみんなに分ける用のパンをいくつか一緒に買い、お弁当を買い終えて待っていたアンコちゃんたちと合流して『聖母様の花園マリア・フラワーガーデン』に向かう。

 校舎の外に出ると、アンコちゃんがきょろきょろしながら言う。


「素敵ですね~。とにかく広いですし、おっきな池があって、あちこちに中庭やアーチ型の回廊があって、まるでヨーロッパのお城みたいです。こういうところに住んでみたいです」


「ふふ。大体の妖怪は海を渡れないけど、冥子は船にも飛行機にも乗れるからヨーロッパのお城に住んでみたこともあるわ。住みやすくはなかったけれど、気分はよかったわよ」


「西洋かぶればかりじゃな。わちはたたみに布団が最強じゃと思う。一昔前までは畳って貴人きじんしか上がれんかったし、持てなかったんじゃぞ。のう、ヤマコ?」


「へー、そうだったんですか」


「へーっておぬし、畳が普及したのってほんとに最近の話じゃろうが。さすがに覚えとるじゃろ? 昭和の中頃なかごろに機械が作った変な畳があちこちで使われるようになったじゃろうが。機械が作った畳は通気性が悪いんじゃけど、湿気には強いんじゃよなあれ。じゃから、山の中にある冷光の屋敷には悪いばかりでもないんじゃけど、足で踏んだ感触じゃってまったく違うし、わちはやっぱり昔ながらの藁床わらどこが最強じゃと思っとる」


 うーむ、そんなことを言われてもな。ハッチーは私のことを長く生きている妖怪だと思っているのだろうけど、実際にはまだ15歳だし、当然ながら昭和のことなんて知らない。昔ながらの畳と、機械で作られた最近の畳の違いなんてわからないぞ。


 ちょうど花盛りの真っ赤なつつじに包まれるようにして、聖母様の石膏像が建っている広い中庭――聖母様の花園マリア・フラワーガーデンを取り囲む、アーチ状になった回廊の石段に腰を下ろして、みんなでお昼ご飯を食べ始める。

 しかし、せめてトースターくらい使えたらいいのにな。やっぱり冷めているピザはチーズが固まっていて微妙だ。マヨネーズをかけているのでどうにか食べられるが。


「もう、姉さまったら。脂質と炭水化物のコンボはダメだって何度も言ってるじゃない。女の子は15歳を境にあとは代謝が下がる一方らしいから、きっとこれからどんどん太るわよ?」


「かっかっか! 高校生ジョークじゃな? 確かに高校一年生じゃと、ちょうどそのくらいの年頃じゃものな。もちろん、あやかしでなければじゃが!」


 私は別に太っていないが、今がちょうど折り返し地点なのだと言われるとちょっと怖くなってくるな。とはいえ、マヨネーズを我慢したら今度はそのせいでうつ病とかになってしまいそうな気がする。

 まあ太ってから悩めばいいかと結論付けて、天かすとマヨネーズを挟んだことにより1cm以上も厚みを増したコロッケバーガーにかぶりつこうとした瞬間、急に尿意がやってきた。

 今日はちょっと風が涼しいから、そのせいだろうか?

 とにかく無理に我慢すれば漏らしそうな気配を感じたので、私は手のひらでお腹を押さえながらそっと立ち上がる。


「あの、ちょっとトイレに行ってきますね」


「はーい、いってらっしゃい」


 そう言って笑顔で手を振るアンコちゃんに見送られつつ、足早に歩き出す。現在位置から考えて校舎のトイレが一番近いなと思い、ついさっき来た道を戻っていく。

 すると突然に、校舎のかげから腕が伸びてきた。


「――へっ!?」


「静かにしろ」


 彫りの深い顔をした、汚い身なりのおじさん――ねるこちゃんのお父さんが壁ドンしてきて、校舎の外壁に背中を押し付けられる。


「ひょ、ひょえっ!? わっ、私は確かに美少女ですけど、落ち着いてください!」


「そういうんじゃねえよ! だいたいなお前、美少女はさすがに盛りすぎだろ!? お前なんて盛ってギリギリ中の上だ!」


「だ、男性って、自分から声をかけてきたくせに、振られた途端とたんに逆ギレしてそうやって容姿を馬鹿にしてきたりするんです! そういうの、少女漫画とか乙女ゲームでよくありますもん!」


「だからそういう目的で声をかけたんじゃねえっての! くそっ、腹の立つ妖怪だな!」


「妖怪じゃないもん! トイレに行きたいんです、どいてください!」


「どう見ても妖怪だろうが! なんだって妖怪が俺の娘と一緒に高校生なんてやっていやがる? しかも、授業参観に馬鹿みたいに妖怪を引き連れて来やがって!」


「私の人生初壁ドンが偽物の東根ひがしね先生だなんて、なんだかショックです! 返してください! 初壁ドン!」


「なんの話だよ!? いや、俺の話を聞けよ!?」


「おじさん特有のくさいにおいがしますから、とにかくもうちょっと離れてください!」


「ぐっ、妖怪だってわかっちゃいるが、人間っぽい姿のやつにそういうこと言われると傷つくぜ……だが断る。俺の質問に答えるまでは逃がさねえぞ」


「ほんとにトイレに行きたいんです! 私は普通に女子高生してるだけです、ねるこちゃんとはただのお友達です!」


「信じられるか、阿呆っ!」


「あたっ!?」


 頭をペシンとはたかれた。くそ、なんてやつだ、乙女の頭をたたくなんて。しかも、結構痛かったぞ?


「うう……いいんですか、暴力なんて振るって。私が本気出したら、にらんだだけでおじさんの頭をおかしくすることができますし、本気でパンチしたらカスも残さずにこの世から消せちゃうんですよ?」


「やっぱり妖怪じゃねえか!! 人間にそんなことができるわけねえだろっ、誤魔化す気あんのか!?」


「ぴぃっ!? 耳の近くでいきなり怒鳴らないでください、びっくりしておしっこ漏らしちゃいそうになったじゃないですか!」


「お前が怒鳴らせてんだろうが! それで、どういうことなんだ? 授業参観に来た仲間の妖怪どもは、大方警備員を洗脳するかなんかして無理やり入ってきたんだろうが……山田春子だったか? 本人はどうした? 殺して成り代わったのか? なんつーかだな、父親として、人を殺すような妖怪に娘のそばにいられると不安なんだよ。わかるだろ?」


 ふむ、なるほど。ねるこちゃんのお父さんも杠葉さんと同じような勘違いをしていて、それで私のことを警戒しているわけだ。

 話は理解できたが、しかし、どう答えればいいのだろうな……? 人間だと言い張っても信じてくれそうにないし、困ったぞ。


「えーと、あのー、うーんと……」


「俺の娘を害する気はないなんてお前が言ったところでだな、俺からしたら信じるに足る根拠なんてないわけだ。それに、触穢しょくえってわかるか?」


「しょくえ?」


「まあ、要はけがれに触れると伝染するって話だ。修行を積んでもいない素人が妖怪やら、悪いもんにかれた人間やらと接点を持っていると、どんどん穢れを溜め込むことになっちまう。最初は大したことがなかったとしても、穢れを溜め込んでいくうちに単に気分が落ち込むとかいうだけの話じゃ済まなくなる。なんつーか、魂の免疫力めんえきりょくみてえなもんがなくなっちまって、よくないことばかりが続いて体も弱り果てて最後には死んじまう。お前みたいな大妖おおあやかしなんてもんは特大の穢れで、寝子ねるこは穢れから身を守るすべを持たない素人だ」


 ねるこちゃんのお父さんが見るからに汚い頭をぽりぽりといて、心なしか言いづらそうな様子で、けれどもはっきりと言う。


「だからだな、どうしたところでお前に娘のそばにいられると俺は不安で仕方がねえ。お前がどういう目的で学生ゴッコをしてんのかは知らねえが、なんだ、せめてよその学校に行ってくれねえか?」


「でも、その、お母さんが学費を払ってくれましたし……」


「山田春子の母親だろ。お前の母親じゃないし、お前のために払ったわけじゃねえだろ。とにかく俺の娘から離れてくれりゃ、俺はお前の行動の一々に文句をつける気なんてねえんだ。そもそも、どう足掻あがいたところでお前に勝てるとは思えねえしな」


「えと、えと、あう、あうっ――すぅー、はぁー……誰かー!!! 助けてくださーい!!!」


 尿意が限界だし、もはや何を言えばいいのかもわからず、混乱した私はこの場から離れたい一心で大声を張り上げた。

 ねるこちゃんのお父さんが驚いた顔をして、「んなっ、てめえっ!!?」と叫ぶ。


「フッ……ほら、逃げなくていいんですか? 先生やシスターたちは、きっと妖怪だのなんだのと言っても聞いてくれませんよ? 逮捕されちゃいますよ、逮捕!」


「お前、やっぱり寝子のこと友達だなんて思ってねえだろ!? 友達の父親を冤罪えんざいで逮捕させる気かよ!?」


「冤罪じゃありませんもん! 私は実際にここの生徒ですし、おじさんに脅されましたし、身の危険を感じましたもん!」


「身の危険は絶対にねえよ、バーカッ! ――うおっ!? あぢゃあッ!!?」


 ジーンズのお尻がいきなり燃え始めて、おじさんが悲鳴を上げてゴロゴロと地面の上を転がる。

 すると、どういうルートでやって来たのか、校舎の屋根からバッケちゃんが飛び降りてくる。どうやらおじさんのお尻に妖術ようじゅつで火をつけてくれたようだ。

 えらいぞ、バッケちゃん!


 転がりまくって何とかお尻を消火して、地面に仰向けになり荒い呼吸を繰り返していたおじさんの顔を、いつの間にかやって来ていた冥子ちゃんが覗き込む。


「殺しちゃったら面倒になるかしら? なら、姉さまに都合のいいようにいじっちゃいましょうか?」


 冥子ちゃんの背後からひょっこりと顔を覗かせたハッチーが、物凄く意地悪な笑み浮かべて言う。


「まさかヒトの身で世界最強のあやかしに喧嘩けんかを売るやつがおるとはのう、驚きじゃ。愚かとしか言いようがないが、根性は認めてやるぞ。あっぱれじゃな、あっぱれ」


 最後に、バッケちゃんがおじさんの顔を指さして、そして私の顔を見上げてたずねてくる。


「いらない?」


「まっ――待った! 待ってくれ! 頼む、見逃してくれ! 寝子には俺しかいないんだ!」


 おじさんが慌てた様子で命乞いを始めるが、まあ怖いだろうな。私も、今のバッケちゃんの言い方にはなんだか背筋がぞくっとしたぞ。声に感情が乗っていないというか、なんというか……私が「いらない」と答えたら、迷わずおじさんのことを消し炭にしてしまいそうな凄みを感じた。

 こちらへと近づいてくる足音が聞こえてきて、杠葉さんとアンコちゃんが姿を現す。

 私たちのそばにまでやってきた杠葉さんは足を止めると、誰ともなしに訊ねる。


「何だ、この状況は?」


「わち、悪くないもん。最初にヤマコとこの男がなんか言い争っとって、そこにバッケが入っていってこの男のケツに火をつけたんじゃ。わちは止めようとしたのじゃが、あと一歩間に合わんかった」


「嘘をつくな。その状況でお前が止めようとするわけがない、むしろ面白がってあおるはずだ――ヤマコ、何があった? 嘘をつくなよ」


「えっと、えっと……倒れてるこの汚いおじさんは、私の隣の席のねるこちゃんのお父さんなんですけど、危険そうな妖怪が娘のそばにいると安心できないみたいなことを言って、私に壁ドンして、転校しろとか脅してきまして……困ったので、とりあえず社会的に抹殺してやろうと思って大きめの声で助けを呼んだんですけど、そしたらバッケちゃんが真っ先に来てくれたんです。バッケちゃんは良い子でした、ひとつも悪くないです」


「ふむ……何となく理解できたが、ひたすらに面倒くさいな」


「それで、あの、漏れちゃいそうなのでトイレに――」


「黙れ、後にしろ。おい、お前」


 と、杠葉さんがねるこちゃんのお父さんに声をかける。


「これは俺の式神だ。お前やお前の娘は勿論のこと、この学院の関係者には手を出さないように改めて厳命げんめいしておく」


 ねるこちゃんのお父さんが、鋭い目つきで杠葉さんを見上げて言う。


「それだけじゃ安心できねえな。どうしたところで、近くにいればお前の式神から俺の娘が穢れを受けることに変わりはねえはずだぞ」


「こいつは人間に穢れを移さない。つい先ほど、こいつと同じクラスの生徒たちの様子をお前も見たはずだが、異常な穢れを溜め込んだ生徒などいなかっただろう? もしもまだごねるのならば、お前は冷光を敵に回すことになる。わかったならとっととどこかへ行け」


「冷光だと? ってえと、坊主ぼうずが当主のユズリハか?」


 おじさんがそう言いながら、きょろきょろと周りを警戒しつつ立ち上がる。バッケちゃんやハッチーは急に殴ってきそうだし、冥子ちゃんは洗脳してきそうだし、警戒する気持ちは私にもわかるぞ。

 眉間にしわを刻んで、杠葉さんが聞き返す。


「そうだが、今度はなんだ? まだごねるのならば、敵意ありと受け取るぞ」


「いや、冷光なんてめちゃくちゃやべえ家に楯突たてつく気なんてねえよ。ただ、なんだ、仕事を依頼できないかと思ってだな……」


「仕事と、報酬の内容による。本気で言っているのなら、後日うちの屋敷を訪ねてくるといい。住所は――」


「ああ、電話番号だけくれりゃあいい。街中の方に遠郷台とおさとだいって団地があるんだが、そこをちょいと調べてほしいだけだ。まだ近隣住民に聞き込みをしている途中だから、実際に依頼を出すのは一か月くらい先になると思うが……特定の条件下で、普段は存在しない家々が現れるって話でな。俺は坊主と違ってプロではねえし、式神だって持ってねえから、自分で調査するにはリスクが高すぎる気がしてちょうど悩んでてな」


「……他人に頼んでまでして、なぜそんな物を調べたがる?」


「七年前に妻が神隠しに遭った。物理的に不可能な状況での、突然の消失だ。どう考えたところでまったく説明がつかねえ事態に、捜そうにも普通のやり方じゃあどうしようもねえと悟った俺は、いわゆるオカルト方面からのアプローチが必要だと考えた。遠郷台の件が直接俺の妻に関わっているとは思わないが、とにかく少しでも情報が欲しいからな。人間じゃなくて家だが、突然現れたり消えたりするっていうのは神隠しって現象に重なる部分があるだろ?」


「なるほどな、事情はわかった。うちの式神は強いが、しかし、亜空間に閉じ込められたりすれば万が一ということも有り得る。報酬はどれくらいを想定している?」


「金はあんまり持ってねえが、冷光のご当主様が欲しいかもしれない情報はいくつか持ってるぜ。如月きさらぎや、遠野とおのなんかの情報もあるぞ」


「その話が本当ならば金よりも魅力的だが、如月や遠野が隠している情報なんてよそに流して無事で済むのか?」


「さてな。ただ、そんだけやべえ妖力ようりょくを持った式神がいるってんなら、よそとの縁を切ってでも冷光に取り入った方がむしろ安全そうだからな。そもそも殺されるほどのやべえ情報は持ってねえし、多分大丈夫だろ」


「そうか……しかし、よくこれ・・の『やばさ危険性』がわかっていながら、これ・・と直接交渉をしようだなどと考えたものだな。式神がいないのならばなおさらだ、正気とは思えない」


 そう言って、杠葉さんが私のことを横目でちらりと見てくる。

 ねるこちゃんのお父さんも、鷹のように鋭い目をさらに鋭くして、私を見つめて吐き捨てるように言う。


「娘と同じ学校にこんなの・・・・がいて、しかも娘と席が隣で仲良しときたら無視したくたって無視できねえだろうが。俺だって無視できるんなら無視したかったぜ、こんなバケモン」


 なんで私は汚いおじさんに壁ドンされたあげく、化け物扱いを受けているのだろうか? せない話だぞ、これは。そして、尿意がそろそろ本当に限界だ。

 トイレに行きたくて場を離れるすきうかがっていると、多分なかなか戻ってこない父親を捜していたのだろう、なぜか片手に竹ぼうきを握りしめたねるこちゃんがやって来て声を上げる。


「あっ、パパうえ! こんな所にいたでござる! 山田たちといったい何をしていたのでござるか? またよそ様に何か迷惑をかけたのでござろう!?」


「あ、えと、いきなり暗がりに連れ込まれて、壁ドンされました。怖かったです」


「あっ、てめえ――ごふっ!!?」


 おじさんは私に文句を言いかけるも、ねるこちゃんにほうきので喉を突かれてひっくり返った。

 ねるこちゃんが皮肉げに口元を歪めて、ぼそっと言う。


「もしかするとそれがしは、今日、パパ上を斬るためにブシドーを歩んで来たのかもしれぬ」


「ゲホッゴホッ――ちが、違うぞ! そういうんじゃない、こんなガキは俺のタイプじゃねえ! こいつは妖怪なんだ!」


 おそらく怒りでだろう、わなわなと震えながらねるこちゃんがおじさんに言う。


「もう、うんざりでござる。またでござるか? また、そんな言い訳をするのでござるか? パパ上はそれがしが小学生の頃にも、隣の家の未亡人に強引に関係を迫ったことがあったでござるが、あの時にも『違う! この女と、この女の娘も妖怪なんだ!』とか、わけのわからない言い訳をしていたでござるな……それがしの友達にまで手を出すようであれば、さすがに生かしてはおけないでござる!」


「待ってくれ! 本当なんだよ! あのババアとガキはどっちも雪女だった! 嘘じゃない!」


 尻もちをついたままおじさんが叫ぶが、ねるこちゃんは問答無用とばかりに竹ぼうきを竹刀しないのように構えて、振りかぶる。


「せめて、もう少しまともな嘘をついたらどうでござるか!? このっ、このっ、このっ!」


 スパァン! スパァン! スパァン! と、竹ぼうきが振り下ろされるたびに小気味好い音が鳴り、ねるこちゃんのお父さんが「あだっ! っだ!? いだっ!」と悲鳴を上げる。


「――いっ!? おい、痛いだろうが! こらクソ妖怪ッ、お前のせいでこんなっ……私は妖怪ですって正直に言いやがれ!!」


「まだ言うでござるか!!? 今度ばかりは許さないでござる――秘剣・『落雷』!!!」


 ねるこちゃんの膝がカクンと曲がった、その一瞬の間におじさんの耳と手首と足首が続けざまに竹ぼうきに打たれる。緑色になって高性能になった気がするヤマコアイでなければ見逃していたほどの早わざだ。

 耳を打たれて三半規管が麻痺してしまったのか、おじさんは伸びてしまった。

 騒ぎを聞きつけてやって来たらしいガマガエル――蒲田かまた先生が、竹ぼうきを持ったねるこちゃんと、倒れているおじさんを見て本物のカエルのようにび上がる。


「ウウウウウップス!!!? ホワーイッミス・ネルコ!? いいいったいン何を――ンなんってことをンなさったのぉうっ!!?」


 ホワーイホワーイという蒲田先生の叫び声を聞きつけて、一人増えまた一人増えと、他の先生やシスターたちも集まってくる。


「だ、だって、パパ上が、それがしのパパ上が……たい、退学は嫌でござる~!」


 ねるこちゃんがいっぱい泣いた。

 なお、私はぎりぎり漏らさなかった。

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