ネバーエンディング・オリエンテーリング

 腕時計を見る。アナログ時計の針は、11時36分を示していた。

 最初にホイッスルを吹いてからすでに一時間が経過しているが、未だに助けは来ない。

 少しずつ容態が落ち着いてきたもなかちゃんに、リュックサックから取り出した水を飲ませる。最初は土で汚れることを気にしていたが、もはやそんな余裕もなく、リュックサックは地べたにじか置きだ。


「あたしたち……死ぬのかな」


「間違いなく死ぬでござるよ。誰しもが、いずれ死ぬでござる」


「うざ」


「えっ、どうしてそんなこと言うのでござるか!? だって、本当のことでござるよ!」


「うざい」


「なんでそんなにひどいことを言うのでござるか!?」


 うーむ、困ったな。とても困ったぞ。

 今朝からお腹の調子がよくなかったが、ここにきてなんだか痛みが増してきている。しかし、花盛りかつ、十人並みの美少女女子高生が野外はまずい。一刻も早くこの謎空間から脱出しなければ、大変なことになってしまうかもしれない。


「あの、あのですね、一時間以上も前からホイッスルを鳴らして待っていますが助けが来ませんし、私にはこのままここで待っていても意味がないように思えます。過呼吸を起こしてさっきまで真っ青な顔で痙攣けいれんしていたもなかちゃんには申し訳ありませんけど、移動した方がいいのではないでしょうか?」


「そうだな……あたしも移動した方がいいと思う。怖いから認めたくないけど、多分これ、ただの迷子じゃない……何か、現在の自然科学では説明のできない現象が起きていると思う……」


「なんだかそう聞くと、わくわくしてくるでござるな」


「では、もなかちゃんを間に挟んで、私とねるこちゃんが肩を貸す感じで移動しましょうか」


「悪いな……向かう方向だけど、もう65度は無視しよう」


「じゃあ、あえてコンパスを見ないで適当にさまよってみますか?」


「それもありかもな……んで、万一またこのポストが見えてきたら、今度は近づかないで別の方向に行ってみよう」


 話がまとまったので、もなかちゃんの手を引っ張って起き上がらせる。そして、もなかちゃんの右腕を私の肩に、左腕をねるこちゃんの肩にかけて、三人で横並びになって歩き始めた。

 もはや驚きはしなかったが、15分ほど歩くと前方にいつものポストが見えてきた。もなかちゃんの指示に従ってすぐに左に曲がってみたが、そこからさらに15分ほど歩くとまた前方にポストが見えてくる。仕方なしに近づいてみると、やはり看板を支える支柱の周りの地面に私たちが刺した数本の木の枝が立っていた。


 私とねるこちゃんの間から抜け出て、もなかちゃんがポストをじっと見つめて言う。


「気持ち悪いな、マジで」


「で、ござるな。実はこのポストがタヌキが化けた化けポストで、私たちが移動すると先回りして待っているのではござらんか?」


「ふむ、さすがにそれはないだろと思う一方で、もはや何が起こっても不思議じゃない気もするな……おい山田、お前スマホって持ってきてたりする?」


「あ、はい。持ってますよ、一応リュックに入れてあります」


「くそ、いいな、あたしも通学生がよかったぜ。そんじゃ、また移動する前に写真撮っておきたいから、そのスマホちょっと貸してくれないか?」


「あっ、でも、わけがあって私はカメラNGなので、一緒に写真を撮ってあげることはできないんです」


 写真を撮ると必ず私の目線にモザイクがかかって、なんだかいかがわしい雰囲気になってしまうからな。せっかく美少女に生まれたというのに写真を残すことができず、私としても残念でならない。


「は? 何言ってんだ、お前。なんかの役に立つかもしれないから、周りの景色も含めてこのポストを撮影しておくんだよ。お前のことなんて撮らないから安心しろ、ほら早く貸せ」


「あ、拗ねないでくださいよ。もなかちゃんと写真を撮りたくないわけじゃないんです。私だって写真は撮りたいんですけど、ほんとにやむを得ない事情があるんですから」


「拗ねてないが、わかったから早く貸せ」


「あっ」


 もなかちゃんにスマホを奪われた。ついさっきまで動けないでいたくせに、やっぱりヤンキーの人は強引だな。

 カシャ、カシャ、カシャ……カシャっと、角度や距離を変えながら何度目かのシャッターを切ったもなかちゃんが、「ほらよ、ありがとさん」と言ってスマホを返してくる。


「びっくりしました、カツアゲされたのかと思いました」


「お前はあたしをなんだと思ってるんだよ」


 なにって、ヤンキーだと思っているけど……たまにいるもんな、ヤンキーなのに頭いい子って。

 って、んん? いや、ちょっと待てよ。

 そういえばだけど、実はもなかちゃんやねるこちゃんが妖怪っていう可能性もあるんじゃないのか、この状況? もともと妖怪が生徒に成り代わっていた可能性もあるし、そもそも私はクラスメートの顔さえ覚えきれていないのだから、ただうちの学校のジャージを着ただけの何の関係もない妖怪に騙されている可能性だってある。私と一緒にいる二人のうちのどちらかか、もしくは二人ともが妖怪で、この謎のループ現象を引き起こしているんじゃないか?

 そうなると、ねるこちゃんがもなかちゃんを妖怪二口女ふたくちおんなと呼んだのも単なるあだ名などではなかったのかもしれない。考えてみればこんなに小柄な、まるで小学生みたいなもなかちゃんが何でも二口で食べてしまうなんておかしな話だ。きっと髪の毛とかで隠しているだけで、本当にもう一つ口があるに違いない。普通の口の方も八重歯が凄く鋭くて目立つし、実は人間を食べてしまうような危険な妖怪なのかもしれないぞ。


「でも、どうやって確かめよう……?」


 もなかちゃんを無理やり全裸にして、ポニーテールもほどけば二つ目の口があるのかどうかは確認できる。しかし、もなかちゃんが妖怪ではなくただの人間だったら、私が悪者になってしまいそうだ。

 うーむ、素直に聞いてみるしかないか。もうこっちは確信してるんだぞという雰囲気を出せば、観念して認めてくれるかもしれないし。


 私は指先をもなかちゃんの鼻先にびしっと突きつけて、断言する。


「すべてわかりましたよ、犯人はもなかちゃんですね! 私は賢いので誤魔化しても無駄です、もなかちゃんが妖怪二口女で、この謎の現象を起こしていたんです!」


「がぶっ!」


「ぎゃあッ!?」


 噛まれた! 二口女に手を噛まれた!

 このまま食べられてしまうのかと思い焦ったが、しかし、すぐに手を解放される。風が吹いて、もなかちゃんの唾液で濡れた部分が凄くひんやりとした。


「ったく、馬鹿なこと言ってないで帰り道を探すぞ。待ってたって助けは来ないんだ、時間が経つほど状況は悪くなるだろうし、動けるうちに動かないと」


「まあまあ。まだお弁当もお茶もあるでござるし、そう焦らずともきっと何とかなるでござるよ。夜になっても三人でくっついていれば、たぶん死にはしないでござる」


 相変わらずねるこちゃんはのんきそうな顔をして微笑んでいる。場の雰囲気を明るくしようとして故意にやっているのか、素でこうなのかは見ていてもよくわからない。

 もなかちゃんが難しい顔をして言う。


「もうどうしていいのかわかんないけど、あたしたちは歩いてここまで来たんだから、やっぱり歩いてここから出る方法があるんじゃないかな? そもそもこの状況がすでにおかしいんだし、あえておかしいことをしてみるか」


「おかしいことって、裸踊りとかでござるか?」


「今度はコンパスを見ながら65度の方向に5分くらい歩いてみて、そこから180度回って、245度の方向にあえて戻ってみよう。踊りはお前一人で踊ってろ」


「やーでござるよー、それがし恥ずかしいでござる~」


「うざ。何照れてんだよ、くねくねすんな。けど、こんなヤバい状況で離ればなれになったらマジで洒落にならないし、また肩でも組んでいくか」


「はーいでござる。じゃあ、また山田氏とそれがしで、もなか氏をサンドイッチするでござるかー」


 さっきと同じだが、それがいいだろうな。一番背の小さいもなかちゃんを真ん中にするのが一番歩きやすいはずだ。

 また三人で肩を組み、横並びになって歩く。コンパスはねるこちゃんが確認し、腕時計は左手が空いている私が確認することになった。

 65度の方向に5分ほど進んで、その場で180度回って、今度は245度の方向に来た道を戻る。


「ちっ……そんなに期待していたわけじゃないけど、やっぱりダメか」


 そう言って、もなかちゃんが溜め息をつく。

 今回に限っては当たり前の話ではあるのだが、戻った先にはいつものポストが立っていた。


「一応、さっき撮った写真も確認してみますね」


 私がスマホを取り出して10分ほど前に撮ったばかりのポストの写真を表示すると、二人が画面を覗き込んでくる。


「……ポストだけじゃなくて、周りの風景にも違いという違いが見当たらないのが気になるな。森の中なんてどこもかしこも似たような風景だし、はっきりとは言えないけどさ」


「まだ写真を撮ってから一回しか移動してませんし、まったく同じだと断言するにはちょっと材料が少ないですかね。一応、今回も撮影しておきますか」


 そう言って私はスマホをカメラモードに切り替えようとするが、もなかちゃんに「ちょっと待て」と止められる。

 もなかちゃんが首をかしげて言う。


「うん……? なんか違和感があるな、なんだ?」


「もしかしてでござるが、写真よりも枝が一本減っているのではござらんか?」


 ねるこちゃんの指摘にまさかと思いながらも、私はもなかちゃんと一緒になって写真と目の前にある実際の光景を見比べる。

 ふむ。確かに、ポールの周りに刺してあった枝が一本少なくなっているな。


「え……本当にそう見えるな。マジかよ、ねるこのくせにやるじゃんか」


「えへへでござる。それがし、やるときはやるのでござるよ」


「だけど、これはこれでまた、わけがわかんないな。枝が減ったからなんなんだ? あたしたちがこのポストを見つける度に減っていくのか? どうしてだ? 全部なくなると何かあるのか?」


「うーん、全然わかりませんし、やっぱりこの場を離れてみて、またポストを見つけたときの変化を見てみるしかないんじゃないですかね?」


「怖いし、やだけど、そうするしかないか。現状、あまりにも情報が不足してるしな……でも、そもそもこの枝ってあたしたちが目印として刺したもんなのに、なんでこんなわけのわからない現象が起きるのかね?」


「えーと……なんででしょうね? もしも枝を刺していなかったら、代わりに何か別の現象が起こっていたんでしょうか?」


「そこも気になるところだな。初回に限っては枝なんて刺してなかったし、それでまた同じポストを発見したときには特になんの変化もなかったわけだ。いや、あたしたちが気づかなかったってだけで、何かしらの変化は起こっていたのかもしれないけどさ……くそ、どう考えればいいのかまるでわかんないぞ、不条理にも程があるだろ」


「とりあえず、できることを試していきましょうよ。もう一度移動してみて、枝に変化があるのかどうかだけでも見てみましょう」


 苛々いらいらとしているように見えるもなかちゃんをなだめつつ、ポストの写真をさらに数枚撮影してから、また三人で肩を組んで歩き始める。今度は何となく南下してみることにした。

 しばらく歩いていると、やはり行く手にいつものポストが現れた。そこまでは想定内の出来事だったが、しかし、今まではポストを出発してからまたポストに戻るまでに大体15分くらい歩いていたはずなのに、今回は10分も歩いていないことが気にかかった。


「もしかしたら、段々とかかる時間が短くなっていく感じですかね?」


「まだなんとも言えないけど、ありえるな。そしてポストに戻るごとに枝が減っていくっていうのはどうやら当たりみたいだ。また一本減って、残り四本になってる」


「本当でござる。いったい、なんなのでござろうな?」


「ただ枝が一本ずつ減っていってるだけとはいえ、なんか意味深というか、めちゃくちゃ嫌な感じがするんだよな……この枝が全部なくなったところで、それ以上は何も起きない可能性もあるけど、とてもそうは思えないっていうか」


「ふーむでござる。ただの勘でござるが、それがしはいきなり森の外に出られるようになるんじゃないかと思うのでござるよ」


「逆に一生出られなくなるかもしれませんけど――痛っ!?」


 私がそんな可能性を口にすると、いきなりもなかちゃんが私の腕を叩いてきた。ストレスが限界に達してしまったのだろうか、ヤンキーはすぐに暴力を振るうから嫌だな。


「そういうこと言うんじゃねーよ! なんでそういうこと言うんだ!? あたしが泣いてもいいのか!?」


「ええ? なんでそんなに怒ってるんですか? まったく、怖いからって八つ当たりはやめてくださいよ」


「あーもう、あーもう!」


 もなかちゃんがじだんだを踏んで悔しがる。私に正論を浴びせられて、ぐうの音も出ないようだ。

 恐怖から来るストレスで情緒が不安定になってしまっているもなかちゃんに、ねるこちゃんが心配そうな顔でたずねる。


「大丈夫でござるか? そんなに怖いんでござったら、枝を足しておくでござるか?」


「そういう話じゃないんだよ! なんで誰もあたしの気持ちをわかってくれないんだ!?」


「まあまあ、落ち着くでござるよ。こういう時にパニックを起こしたら大変なことになるでござる。とりあえず、それがしが枝を追加しておくでござるよ?」


「ぐっ……いや、待て。よくわかんないんだからもっとちゃんと考えて、慎重に判断すべきだ。次にまたこのポストを見つけたときに枝がまとめてごっそりと減っていたりしたら、めっちゃ怖いだろ? あたし、そんなの見たら失神するかもしれないぞ?」


 まあ確かに、今まで枝が一本ずつ減っていっていたからといって、次もそうなるとは限らない。次は逆に枝が増えている可能性だってあるのだ。

 とはいえ、よく考えようにも判断材料がまったく足りていないのだからどうしようもない気がする。


「でしたら、とりあえず枝だけでも集めておきます? いざ枝が一本もなくなったときに何かヤバいことが起きても、すぐに枝を突き刺せば収まるかもしれませんし」


「まあ、そうだな。そう都合よくいくかどうかは別にして、後でまた使うかもしれないし、ないよりかはあった方がいいかもな」


「じゃあ、適当にこの辺で枝を集めましょうか。一応はぐれたりしないように、また肩を組んで並んで歩くスタイルにします?」


「そうしようか。よし、お前らあたしを挟め」


「はいはい」


「はーいでござるー」


 もう何度目になるかもわからないが肩を組んで三人で横並びになり、枝を拾い集めながらポストの周辺を歩き回る。見つけた枝を拾うのは、片手が空いている私とねるこちゃんの仕事だ。

 ねるこちゃんが手を伸ばして何本目かの枝を拾った直後に、事件は起きた。


「ふへ?」「ッ~~~!!?!?!?」「えーっでござるうー!?」


 真後ろにあったはずのポストが、いつの間にか目の前にあった。

 私とねるこちゃんの間に挟まったまま、もなかちゃんが声にならない悲鳴を上げて失神してしまう。


「これはさすがに、ブシドーをたしなんでいるそれがしといえども、びっくりしたでござるよ……もなか氏が耐えられなかったのも、無理はないでござる」


「枝も、三本に減ってますね。今までとは明らかに違う現れ方をしましたけど、どういうことなんでしょう……」


 ますますわけがわからないが、今までに撮影した写真と見比べてみようと思い、とりあえずスマホを取り出す。

 写真と目の前の光景には、支柱を囲む枝の本数以外にこれといった違いはない。先ほどもなかちゃんが言っていたように、森の中はどこも似たような風景なので断言こそできないが、ポストの周囲にも変化はないと思う。


「急に目の前にポストが現れたから、まるでポストがワープしてきたみたいに感じましたけど……ポストの周りの風景も変わっていないんだとしたら、これってやっぱり、私たちの方がワープしているんですかね?」


 もなかちゃんならばどう考えるだろうか? ワープと決めつけたりはしないかもな。単に私たちの認識がおかしくなっているだけで、物理法則がねじまがっているわけではないのかもしれないのだから。

 つまり、ポストの位置は最初からまったく動いておらず、頭が変になった私たちが自らこの場所に戻ってきているだけという説だ。

 そう考えると、せっかくスマホがあるのだし、ここら辺にどうにかスマホを固定して動画モードで撮影しておくのは良い手かもな。それでまた私たちがポストの周りをうろちょろしてみて今みたいな現象が起きれば、動画を確認することで実際に何が起きていたのかがわかるはずだ。

 もしかしたら私たちが同時に気絶して、気絶したまま夢遊病患者みたいにポストの目の前まで歩いていって、そこで同時に意識を取り戻して叫び出すといったような、それはそれで怖すぎるシーンが撮れるかもしれない。


「何がなんだか、それがしにはわからないでござるが……なんにしてもこのポストは怪しいでござるよ。もなか氏が気絶しているうちに、ちょっと蹴ってみてもいいでござるか? もしもタヌキが化けているのでござったら、逃げていくと思うのでござるよ」


「なるほど、良い考えだと思います。もなかちゃんが起きていたら慎重に行動しろって怒り出すでしょうし、今しか試せませんもんね」


「ちぇいやー!」


 ねるこちゃんが勇ましく叫んで、ポストに向かって助走もなしにドロップキックを繰り出す。

 三人で肩を組んでいたので、地べたに落ちたねるこちゃんと、失神しているもなかちゃんの二人分の体重が私に掛かり、堪えきれずにすっ転ぶ。


「ぶべっ!?」


 私の頭がもなかちゃんの頭にぶつかった瞬間、私の意識は途絶えた。


 …………


 ………………


 ……………………


 ――おい……


 ――山田……


 ――起きろ、山田……!


「ん……?」


 目を覚ますと、泣きべそをかいたもなかちゃんが私の顔を覗き込んでいた。

 なんだか、『先日ネットショップで見かけた桃のギモーヴとやらを取り寄せるのです、お前さま』と言うスイちゃんの声が脳裏にこびりついている。ギモーヴって何だろうな、スイちゃんが欲しがるのだから甘いお菓子には違いないが……というか、どうせならばこの状況に対するアドバイスが欲しかったな。


「よ、よかった、目を覚ましたか……いったい何が起きたんだ? 気づいたら、山田もねるこも寝てて、わけがわかんなくて……あたしたち、三人そろって眠らされてたのか?」


「あー……」


 どうやら、もなかちゃんは急に目の前に出現したポストにびびって気絶した出来事を覚えていないらしい。

 私のすぐ隣で地面に大の字になったねるこちゃんがくかーくかーと寝息を立てているが、彼女は多分、私まで気絶してしまったものだから単純に暇になって寝てしまっただけだろう。なんかのんきそうだし。


「な、なあ、山田。マジで、何が起きてるんだ? あ、あたし、怖くて……だって、気づいたらお前ら二人とも寝てるし、しかも、なんか向こうで煙が上がってて……」


「へ?」


 もなかちゃんが指をさした方向に顔を向けると、確かに木立こだちの上に黒煙こくえんが立ちのぼっている。

 ねるこちゃんは寝ているし、ポストは健在だから、私が気絶している間にねるこちゃんがポストを燃やしたということもなさそうだ。


 不意に近くのやぶの奥から、カサ……ガサッ……カサ……と、こちらに向かってくる何者かの足音が聞こえてきた。

 恐怖がキャパシティーオーバーしたもなかちゃんが、お漏らししながら命乞いを始める。


「えっ――!? あっ、あっ、あっ、あっ……だ、だれ、だれなの? やだ、食べないで、来ないでください、ごめんなさい、許してください、ごめんなさいっ……!」


「ええっ、普通に助けが来たのかもしれないじゃないですか。怖がりすぎですよ、落ち着いてください」


「あ、あれ、あれだけ笛吹いても誰も来なかったんだ、いいい今更助けなんてくるかよ、絶対幽霊だ! あっ、ああっ……うっ、ひっぐ、えぐう、やだよぉ、死にたくないぃ、うええぇぇぇえん!!」


「ええっ、幼児みたいに泣くじゃないですか、高校生にもなってそんな泣き方しないでくださいよ! だ、大丈夫ですから! もし幽霊が来ても私がパンチしますし、ワンパンですから、ワンパン!」


「ええぇぇぇえん!!」


 ヤバいな、もなかちゃんは泣き止みそうにないし、どうしたらいいんだ?

 うるさいしおしっこ臭いし、凄く困ったぞ。


 すると、ガササッ――と藪をかき分けて、黒い人影が現れた。


「ひぃっ……」


 という引きったような声を上げたのを最後に、限界を迎えたもなかちゃんがまた気を失って静かになる。どうやって泣き止ませようかと思っていたが、意外とすぐに泣き止んだな。


 この前週刊少年チャンプを立ち読みした際に気に入った漫画のキャラクターを真似して、私が強そうな構えを取ると、黒い人影がぶんぶんと手を振りながらこちらに向かって歩いてくる。


「ごきげんよう、姉さま! おねだりしに――ゲフンゲフン、助けに来てあげたわ!」


「え、冥子めいこちゃん? なんで?」


 なんと藪から飛び出してきた黒い人影は、明るいところでよく見ると黒づくめの冥子ちゃんだった。冥子ちゃんはまだあまり着る物を持っておらず、外出時には『黒の山田』という異名を持つ私の服を着ることが多いので、どうしても黒くなりがちなのである。


「えっと、ポストにストーカーされて帰れなくなったり、クラスメートがゲロを吐いたり、お漏らしして大泣きしたりして、たしかに困ってはいましたけど……助けに来てくれたんですか? 顔がいいだけしか取り柄のない、引きこもりのぐうたらな冥子ちゃんがですか?」


「だって、急に姉さまの妖力ようりょくが感知できなくなってしまったんだもの。だから、姉さま思いな冥子は何があったのか心配になって、姉さまの妖力が消えた辺りまで来てみたの。そうしたら森の中の空間の一部が歪んでいて、その近くにいかにも古臭いほこらを見つけたから、とりあえず妖術ようじゅつで燃やしてみたのよ。すると、なんとそれが大正解だったみたいで空間の歪みも元に戻って、姉さまの妖力も感知できるようになったの! それでね、それでね、せっかく近くまで来たのだし、姉さまの様子も見に来たの!」


「えっ、ということはつまり、ほんとに助けてくれたんですか!? えっと、あのその、顔がいいだけしか取り柄がないとか言ってしまってごめんなさい! やっぱり持つべきは可愛い偽妹ぎまいですね!」


「でしょう! それでね、冥子、姉さまにお願いがあるのだけれど……」


「私にできることでしたらなんだって言ってください! 実際、冥子ちゃんが来てくれないで、森の中に閉じ込められてしまっていたら死んじゃってたかもしれませんし!」


「そう? それじゃあ、発売したばかりのプレイステージ5が欲しいのだけど、買ってもらえるかしら?」


「ええっと、確か5万円くらいでしたっけ? 構いませんとも、命の値段って考えたら安いもんですよ!」


「正規ルートで購入できればそのくらいなんだけど、冥子は今すぐに遊びたいの。抽選に当たるまで待ちたくないから、転売している人からすぐに買ってほしいのだけれど、そうすると多分8万円くらいになるわ」


「えっ……ま、まあ、冥子ちゃんが助けに来てくれなかったら本当にどうなっていたかわかりませんし、じゃあいいですよ」


「それとね、それとね? 冥子、せっかくプレイステージ5が手に入るのだから大きな画面で遊びたいと思っているの。ほら、今お部屋にあるテレビって小さいし、古くて映りもあまり綺麗じゃないでしょ? だから、テレビも一緒に買ってほしいのだけど……」


「ええっ、でもそうすると、合わせて20万円とか飛んじゃうじゃないですか。私の月収ほとんどですよ、ちょっとそれは――」


「あら、姉さまの命の価値は20万円よりも低いのかしら? そう……なら、次はもう、何かあっても冥子は助けに行かないかもしれないわね……」


「えっ!? それはおねだりじゃなくてゆすりですよ、ゆすり! う、うう……わ、わかりましたよ、わかりました! テレビも買います! テレビも買いますから、また私がピンチになったときは絶対助けに来てください! 約束ですからね!?」


「ふふ、わかったわ。冥子が大好きな姉さまを助けるのは当たり前のことよ、安心してちょうだい!」


 なんて現金な女だろうか、笑顔が可愛いのがまた腹が立つな。これでまた、バレンシアゴが一か月は遠のいたぞ。


「ところで、なんでその祠? とやらは、私たちに悪さしたんですか?」


「これは推測なのだけど、結構古そうに見えたから、ここに学校ができるよりも前から祠はあったんじゃないかしら? 中に何がいたのかは冥子も知らないけど、長年忘れられていて眠っていたのが、多分、姉さまの妖力に反応して目覚めたのだと思うわ」


「え、じゃあ、私のせいだったんですか?」


「姉さまや冥子みたいに膨大ぼうだいな妖力を持っていると、ただ近くに行っただけで古い者を目覚めさせてしまったりするのよ。姉さまも急に破壊神みたいなやつが近くにやってきたら、触発しょくはつされちゃって無意味にみやこを焼いてみたくなったりするでしょう?」


「いや、なりませんし、近くに破壊神が現れたら逃げますけど……」


 しかし、そうか。理屈はよくわからないままだが、今回のループ現象みたいなものは私のせいで起こったトラブルだったんだな。

 つまり、もなかちゃんが怖がり過ぎてゲロを吐いたりおしっこを漏らしたりしてしまったのも、私が一緒にいたせいだったということだ。

 うーん、なんというか、さすがに申し訳ないな……とはいえ、正直に話すのもはばかられるし、今後定期的にお菓子をお納めしよう。


「なんだか辺りが騒がしくなってきたわね、冥子はそろそろ退散しようかしら」


「というか、なんか煙どころか炎が見えるんですけど、祠を焼いたときの火ってちゃんと消しました? 森にまで燃え広がってませんか?」


「姉さま、その笛で助けを呼んだ方がいいかもしれないわ! ここには寝ている子が二人もいるし、早くしないと燃えてしまうかもしれないわよ?」


「あ、はい!」


 そういえばもう空間の歪み? とやらは直っているのだし、ホイッスルを吹けば助けが来るのだったな。

 森林火災がどれほどの速度で広がっていくのかは知らないが、なんにせよ助けを呼ぶなら早い方がいいだろう。

 私がホイッスルを構えた瞬間、冥子ちゃんが後ろを向いて言う。


「それじゃあ、冥子はおうちで待っているわね、姉さま!」


「あ! ちょっ!? 誤魔化されていませんからね!」


 運動不足だろうに、結構なスピードで冥子ちゃんが走り去っていく。

 冥子ちゃんめ、祠を焼いた後に消火しなかったんだな……。

 先月はバッケちゃんがうちの山で火災を起こして、今月は冥子ちゃんがうちの学校で火災を起こして、この分だと来月はハッチーあたりがやらかしそうな気がするな。


 ホイッスルに息を吹き込むと、ピイイイイイイイッと高い音が鳴った。

 もなかちゃんは気絶しているし、ねるこちゃんは起こしたところであまり役立ちそうにないので、多分私が先生やシスターたちに何があったのかを説明しなければならないのが億劫だ。

 しかも、なんだかまた波が来ていてお腹が痛いのだが、きっとまだしばらくはトイレにも行けないんだろうな……。

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