帰るまでが遠足

「私のためにありがとうございました、本当になんとお礼を言ったらいいか……うう、ひっぐ! ずび!」


 冷光れいこう家の玄関前で、ずびずびと鼻をすすりながら、大泣きしたアンコちゃんが抱きついてくる。

 この人、見た目は凄く賢そうでデキる女って感じなのに、実際はドジだし泣くし怖がりだしでなんだか同族臭を感じるな。特に見た目はデキる女なのにってあたりが私とそっくりだぞ。


「うう、本当にありがとうございました、返せる物なんて何もありませんけど、屋敷にあった食材でできる限りのごちそうを用意したので、今日は是非夕食も食べていってください」


 ふむ、ごちそうか。私はジャンクフードが好きなんだけど、スイちゃんのご機嫌取りになるかもしれないし、せっかくだから頂いていくか。なんとなくだけど、スイちゃんは高級志向っぽいしな。


「じゃあお言葉に甘えて――ってアンコちゃん、鼻水が私の毛玉セーターについて大変なことになっちゃってますけど」


「ああっ!? ごめんなさい! すぐに洗います、代わりに何か着るものを持っていきますから、居間で待っていてください!」


 そう言って、ひどく慌てた様子でアンコちゃんが屋敷の中に駆け戻る。

 凄く感謝されちゃっているが、そもそも私の不注意でうんぬばの封印が解けてしまい、そのせいでもしかしたらアンコちゃんが死んでいたかもしれないことを思うと、ちょっぴり居心地が悪いな。


 ともかく、それからお屋敷に上がり、居間で待っているとアンコちゃんが新品のセーターを持ってきてプレゼントしてくれた。私でも聞いたことがあるようなブランド物の、私が一度も着たことがないようなオシャレな明るい茶色のセーターだ。オシャレにうとい私は基本的に黒い服しか買わなかったので、中学の友人たちからは『黒の山田』とバカにされていた。とはいえ、杠葉ゆずりはさんから貰ったお給料もあることだし、近いうちに全身バレンシアゴとかでコーデして見返してやるつもりだ。(この時の私は、後に『バレンシアゴの山田』とドン引きされることになるなんて夢にも思っていなかった。)


 そんなこんなで、『黒の山田』を卒業してオシャレレベルがアップした私は、麺もソースもアンコちゃんお手製の早朝からじっくりと煮込んだミートソ―スパスタや、お屋敷の裏庭でアンコちゃんが育てている香草をふんだんに使用したローストチキンや、オニオングラタンスープやハーゲンダックアイスクリームの抹茶味などを平らげて、アンコちゃんから「ヤマコさんは命の恩人です! 私にできることがあればなんでもしますので、困ったことがあったら遠慮なく頼ってくださいね!」と熱いお見送りを受けて家路いえじについた。


 帰宅してじいじ祖父に「ただいま」と挨拶するついでに、冗談で「私がいなくて寂しかった?」とたずねてみたら、じいじが非常に疲れた顔をして「お前のわがままな妹がいるから、寂しいなんて思う暇もなかった」と答えた。

 私は一人っ子だし、妹なんていない。

 じいじも結構な年だしボケてしまったのだろうか? 明日にでもお母さんに電話で相談してみようと思いながら、階段を上がって二階にある自室へと向かう。


 すると、なぜか二階の廊下の電気がついていた。

 普段、じいじは二階には上がってこないし、電気をつけることもない。

 昨夜はうんぬばにつけていたはずの電気を消されて、今夜はついているはずのない電気がついている。

 うんぬばは消滅したはずだし、昨日のそれと今日のこれには何の関係性もないはずだが、なんかちょっと嫌な感じがするな。

 ただ、そうは言っても、部屋に入らないことには荷物を置くことすらもできない。

 思い切って、スパンッとふすまを開ける。

 クラシカルなメイド服を着たツインテールの少女が私の布団に寝転がって、私のセイテンドースイフトライトでゲームをしていた。


「え、誰!?」


 いつでもパンチを打てるように右手を振りかぶりつつたずねるが、謎の侵入者たる少女は慌てた様子もなく、ゲーム画面から目を離しもしない。


「ちょっと待って、今いいところなんだから。片目と腹心の部下を失って闇堕やみおちした王子がようやく私に心を開こうとしているの」


「王子闇堕ちするんですか!? 腹心の部下ってあの人ですよね、えっ、死んじゃうんですか!? ちょっ、えっ、いやいやいや!? 勝手に私のゲームで遊んで、しかもネタバレをしてくるなんて許されませんよ! というかそもそも不法侵入で、えっと、えと……と、とにかく逮捕ですから!」


「もう! ねえさまうるさい、ちょっとこっち見て」


 メイド服の少女がゲーム機を置いて、初めて私を見た。

 年の頃は十七か十八くらいだろうか、体は細いのに胸はしっかりとある羨ましくなるような体型の、黒い髪で緑色の目をしたとんでもない美少女だ。やはり見覚えはないが、誰かに似ている気がする。


「姉さまって、わ、私に妹はいません! 美少女に姉さまと呼ばれるのはちょっと気持ちがいいですけど、そんな風に言いくるめられると思っているんでしたら、それはいくらなんでも私をバカにしすぎ……」


「何を言っているの、姉さま? 姉さまはメイコの姉さまでしょう?」


 そうだった。メイコちゃんはたった一人の、大切な妹だ。どうして忘れていたのだろうか?

 妹の存在を忘れるだなんて普通ならば絶対にありえないことだが、とはいえ、昨夜私は普通でない体験をしてきたばかりだ。もしかしたら、うんぬばの言葉を聞いてしまったせいで脳に異常が生じたのかもしれない。

 精神的外傷トラウマを除けば何のダメージも受けていないと思っていたが、どうやら勘違いだったらしい。うんぬばはやはり恐ろしい大妖怪だったのだ。


「あれ……メイコちゃんの名前って、どういう字を書くんでしたっけ? ごめんなさい、お姉ちゃんなんだか頭がぼんやりしちゃってて」


冥府めいふの冥に子どもの子で、冥子めいこよ」


「ああ、そうでした、そうでした。どうして忘れちゃってたんでしょうか、大事な妹の名前なのに」


 山田春子と山田冥子で字面は似ているが、私のあまりに平凡な名前に比べて、冥なんていうかっこいい字が使われている妹の名前にちょっと嫉妬したりしたんだったか。ぼんやりとだけど、そんな覚えがある。


「ふう……冥子ちゃんのことを忘れてしまっていたりで焦りましたけど、こうして思い出せたわけですし、とりあえず無事に済んだってことで、これで安心していいんですよね」


 実際に、今はもう冥子ちゃんのこともしっかりと思い出せている。冥子ちゃんはいつもこんな風にぐうたらしていた。まだ少し頭がぼんやりとしているが、そうだったはずだ。

 うむうむ。冥子ちゃんがぐうたらしているいつも通りの光景を見ていると、帰ってきたという実感がわいてくるな。


「あの、冥子ちゃん。お姉ちゃんはヤバい大妖怪と戦わされて凄く疲れてて、今日はもう寝ちゃいたいんですけど、布団を空けてくれませんか?」


 そうお願いしながら、どうして姉妹で一緒の部屋なのに布団は一組しかないんだろうと一瞬疑問に思ったが、


「なら、半分こしましょう。さ、冥子の隣に来て、姉さま」


 と冥子ちゃんに言われて、そういえばいつも同じ布団で一緒に寝ていたことを思い出す。

 なんだろうな、やっぱりまだ頭がぼうっとしている。

 まあ、これがうんぬばのせいだったとしても、ちゃんと冥子ちゃんのことも思い出せたわけだしそのうちによくなるだろう。


「じゃあ失礼します……あれ、枕って一つしかないですけど、私が使ってよかったんでしたっけ?」


「枕はいつも姉さまが使っていたわ。冥子はいつも姉さまの腕枕で寝ていたの」


「ああ、そういえばそうでした。じゃあ右腕をそっちに伸ばしておきますから、使ってください」


「ええ。ありがとう、姉さま。ふふふ……」


 いつも通り、冥子ちゃんが頭を私の二の腕に乗せてくる。完璧な美少女である冥子ちゃんの頭は小ぶりだが、それでも人間の頭なのでやはり結構な重さがある。


「ねえ、姉さま。そのヤバい大妖怪はどうしてきたの? もしもまだ生きていて姉さまを狙っているのなら、この部屋にいたら襲われたりして面倒くさそうだし、冥子は出かけようかと思うのだけど」


「ん……もういません、ワンパンで消滅しちゃいました」


「あら、やっぱり余裕だったんじゃない。なら、どうしてそんなに疲れているのよ?」


「単純に、遠出をして、山を登ったりして疲れたってのも勿論ありますけど、怖い思いをしたからっていうのが大きいと思います。うんぬばっていうんですけど、その妖怪が出てくるまでの流れも、見た目も怖かったですし、そもそも最初は私なんかがヤバいって評判の大妖怪に勝てるとは思えなくて、そいつにやられて死んじゃうんだって思ってましたし……うう、あの時の気持ちを思い出したら泣きそうです」


 でも、本当に冥子ちゃんがいてくれてよかった。

 もしも一人だったら、うんぬばのトラウマが蘇ってしまい、怖くて眠れなくなっちゃいそうだ。

 冥子ちゃんがおかしそうに笑って言う。


「ふふ。姉さまが負けるはずないじゃない、お馬鹿さんね」


「うん、スイちゃんが……あ、スイちゃんって言うのは、私の中にいるほんとにヤバい妖怪なんですけど、その妖怪が夢に出てきて、妖怪のやっつけ方を教えてくれて、それでどうにか……そうじゃなかったら私、あんなに怖い見た目をした妖怪にパンチしようなんて思わなかったでしょうし、妖力ようりょく障壁しょうへきでやられはしなくても、きっとうんぬばを逃がしちゃってたと思います」


「そうなの。姉さまの性格ならすぐに宿主しゅくしゅの命を食べて体を乗っ取っちゃいそうなものだけど、わざわざ手間をかけて助言までしてあげたなんて……よほど姉さまは姉さまのことを気に入ったのね。なら、長い付き合いになりそうだし、こういうやり方はよくないかしら?」


「んー……? むにゃあ……」


「でも、そうね……腕枕が意外と気持ちがいいから、朝になったら解術げじゅつしてあげるわ。おやすみなさい姉さま、明日からも仲良くしてね」


「みぃ……」


 ――チュッチュン


 ――――ビイビイ


 ――――――ボッボ


 ――――――――ギエー……


 山奥ならではの多種多様な鳥の鳴き声がうるさくて目を覚ますと、私の腕を枕にして知らない女が隣に寝ていた。

 いや、厳密に言えば知らなくはない。昨夜たしかに会っているし、言葉を交わしてもいる。その記憶は残っている。

 だが、正体不明だ。


「洗脳、されてたのかな……?」


 昨夜はこの女のことを妹であると思い込んで――多分、思い込まされていたが、一人っ子である私には当然妹なんて存在しない。

 しかも、私だけでなく、じいじ祖父もこの女を私の妹だと認識していたようだった。

 こうした洗脳のような特殊な能力にも効果があるのかはわからないが、自称最強であるスイちゃんの妖力ようりょく障壁しょうへきを突破したのだとすれば、この女はうんぬばなんて比較にならないほどの力を持ったヤバい妖怪だということになる。


「ぐっすり眠ってるけど、どうしよう……?」


 今ならば妖力パンチで殴り放題だろうが、寝る前に何やら朝になったら術をくみたいなことを彼女自身が言っていたような気もするし、害意がいいはないのかもしれない。不法侵入は不法侵入だけど、相手が妖怪なのであればそれを言ってもどうしようもないしな。

 というか、そもそもの話、無防備に眠っている美少女を殴るというのはどうしても気が進まない。同じ妖怪でもうんぬばのような見た目であれば、目を覚ました瞬間に反射的に殴ってしまっていたかもしれないけど。


 なんというか、見ているだけで凄く庇護欲をそそられるんだよな……でも、多分、そういう生き物なんだろうな。この女は多分、これまでも庇護欲を刺激したり、洗脳したりして人間に寄生してぐうたら生きてきたんだと思う。そんな感じがする。


「右腕、痺れてて感覚がないんだけど、よく見たらめちゃくちゃよだれ垂らされてる……気づいちゃったらさすがに気持ち悪いし、起こすか」


 空いている左手で、女の――冥子めいこちゃんの肩を揺さぶる。

 身じろぎはするが起きる気配がないので、耳もとで大声で呼びかける。


「おーい! 起きてください、朝ですよー!」


「ん、んんっ……姉さま、うるさい……冥子の朝は夕方の五時くらいなの、まだ明るいじゃない、起きられないわ……」


「えいっ!」


「きゃん!?」


 枕にされていた右腕を引っこ抜いてやると、びっくりしたらしい冥子ちゃんが悲鳴を上げた。

 冥子ちゃんが「いたぁい」と悲しそうに言いながら起き上がり、ようやくまぶたを開く。

 翠色すいしょくの、私と同じ――スイちゃんと同じ色をした瞳と、目を合わせてたずねる。


「昨日は頭をおかしくされていたせいか気づけませんでしたけど、冥子ちゃんはスイちゃんの妹ですね? 私は頭がいいので、隠しても無駄ですから」


 体型や外見から判断すれば冥子ちゃんの方がスイちゃんよりも二、三歳ほどお姉さんに見えるが、私を――スイちゃんのことを「姉さま」などと呼ぶのだから、やはり冥子ちゃんの方が妹なのだろう。


「ん、そうよ。改めてよろしくね、姉さま。でも、姉さまと姉妹であることは別に秘密でもなんでもないわ」


「姉さまって、まだその呼び方を続けるんですか? 冥子ちゃんみたいな美少女に姉さまって呼ばれるのはちょっとときめきますけど、冥子ちゃんは私の妹じゃないじゃないですか」


「姉さまは姉さまを取り込んだのだから、冥子の姉さまよ。間違いないわ」


「ええ……まあ、じゃあ、別にいいですけど」


 不承不承私が頷くと、冥子ちゃんが急に立ち上がり、合わせた両手を自らの頬に添えて、花が咲くような笑顔で言う。


「本当に? 嬉しい! なら、これから冥子のお世話をよろしくね! 食事はお爺さんが用意してくれるから、このまま冥子を部屋に置いてくれて、たまにお小遣いをくれれば問題ないわ! あ、でもさすがにお布団はもう一組必要ね、だったら今から二人で買いに行きましょうか? 何百年ぶりかの姉妹水入らずね、楽しみだわ!」


「えっ!? ちょっと!? 妹だって認めたわけじゃありません! 姉さまって呼ぶのを許しただけです! ああっ、私のお財布を勝手に持たないでください! って、え!? まさかその目立つメイド服のまま出かけるつもりですか!? この田舎で!? ヤバいです、それは絶対にヤバいです! なんか服を貸しますから着替えてください、私までご近所さんから変な目で見られちゃいます!」


 本気で焦り、膝立ちになって真正面から冥子ちゃんのメイド服のスカートにしがみついた私を見下ろしつつ、冥子ちゃんは細いあごに白魚しらうおのような指の先を当てて、「ふむ……」と何やら考える仕草をする。

 そして、ずびし、とあごに当てていた指を真下に――冥子ちゃんを見上げる私の顔に向けて言い放つ。


「なら、条件があるわ。私を妹と認めなさい! そうしたら姉さまの要求を呑んで着替えてあげる」


「うー、もう! わかりましたよ! どうせ抗いようがないんですし! 最悪また洗脳されちゃいそうですし! スイちゃんのこと取り込んだっていうのも私の意思じゃなかったのに、ほんとに姉妹揃って厄介ですね! 厄介姉妹です!」


「ふふ、いいじゃない。だって、一人っ子ってきっと寂しいでしょう? 姉さまだって妹が欲しいって思ったこと、一度や二度くらいあるんじゃない?」


「私の欲しかった妹は私に従順で私を持ち上げてくれて私を尊敬している妹です! しかもどちらかというと私をめちゃくちゃ甘やかしてくれる優しいお兄さんとかの方が欲しいです!」


 文句を言う私をよそに、冥子ちゃんは勝手に押し入れを開けて、衣装ケースに真っ黒い服が最低限の枚数しか入っていないのを確認して小首を傾げる。


「あら、姉さま……これっぽっちしか服を持っていないの? お財布に20万円も入っているのに。せっかくだからお布団だけじゃなくて服も買いましょうよ、姉妹でお揃いも素敵じゃない? わくわくするわね!」


「ああっ、私の初任給! 駄目ですよあんまり使っちゃ、貯めておいてあとでバレンシアゴを買うんですから!」


 ちなみにこの後、「バレンシアゴって何?」と訊ねてきた冥子ちゃんにスマホで画像を見せたところ、「……えっと、その、このブランドは姉さまみたいな容姿の人にはあまり似合わないんじゃないかしら?」と言われた。

 私ほどの――十人並みの美少女ともなると、かえってシンプルな服の方が映えるということだろうか?

 まあでも、実際に試着した姿を見せてあげたら冥子ちゃんも意見を変えるかもしれないから、もう少しお金を貯めたら東京にでも行ってみようと思った。

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