うんぬばが来る

「――お前さま」


 鈴を転がすような声に呼ばれて、目を開ける。


 そこはどこか山奥の川辺だった。

 木漏れ日が降り注ぐ、平らな岩に腰掛けている私の足元には、澄んだ清流がさらさらと音を立てて流れている。湿気をはらんだ、ひんやりとした空気の流れを感じた。


 隣を見やると、長すぎる黒髪の先端を水面みなも揺蕩たゆたわせて、紅白の巫女装束を纏った、病的に白い肌をした美貌の少女が座っている。

 私とお揃いの翠色すいしょく邪眼じゃがんと目が合う。


「あ、美少女様だ。私が美少女様を呼ぶための名前を考えておいたんですけど、スイちゃんっていうのはどうですか? 美少女様はやっぱり翡翠ひすいのような目の色が凄く印象的ですし、かわいくていいかなと思ったんですけど」


「お前さまときたら、これだもの……わらわがお前さまを心配して、ずいぶんと手間をかけて波長を合わせて会いにきたというのに、のんきなものですね、お前さま」


「え? やっぱり私、相当ヤバい感じなんですか……? えっと、スイちゃんも知っているのかもしれませんけど、実はうんぬばって言うヤバいって評判のヤバい妖怪に今にも襲われるかもしれない状況なんですけど……」


「うんぬばなるあやかしは知りませんが、お前さまの視覚や聴覚を通して状況はだいたい把握していますよ、お前さま。慌てふためくお前さまがあまりにも憐れでしたので、此度こたびはあやかしをほふすべを教えに参りました」


「えっ、そんなのがあるんですか!? えっと、ちゃんと私にもできるやつですよね?」


「お前さまはわらわの妖力ようりょくを持っているのですもの、できないはずがありませんよ、お前さま。何せ、ただにらんで、それから力いっぱい殴るだけです。わらわの邪視じゃしが効かぬ者などいませんもの、怯えて動きを止めるなり、狂って襲い掛かってくるなり、睨めば必ず隙を作ることができます。そうしたら、あとは殴るだけです。力いっぱい殴りつければ、おのずと妖力を込めることができるでしょうから、特に難しいこともありません。わらわの妖力を込めて殴れば大抵のあやかしは粉々になりますよ、お前さま」


 なるほど、スイちゃんの妖力を身に宿している私は、妖怪が相手でも物理攻撃が可能なのか。それは良い情報だけど、うーむ……でも、私って結構どんくさいところがあるから不安だな。

 確かに隙を作らなければパンチを当てることも敵わないだろうが、かといって、邪視にあてられて狂って襲い掛かってきた妖怪の攻撃をうまくいなせるとも思えないぞ。


「ええと……あの、せっかく私のことが大好きなスイちゃんが心配してアドバイスをしに来てくれたわけですけど、やっぱり難しいんじゃないかと思います。だって、妖怪が襲い掛かかってきたら、たぶん私死んじゃいますもん……」


「あら、あら。それならば仕方がありませんね。もしもそのうんぬばとやらにお前さまが食べられてしまいそうになったら、うんぬばよりも先にわらわがお前さまを食してさしあげます。これでお前さまがうんぬばに食べられる可能性はなくなりました、よかったですね、お前さま」


「ええっ、そんなっ、いじわるを言わないでください! 大好きな私のことが心配で来てくださったっておっしゃってたじゃないですか! 食べちゃいたいくらい私のことが好きって気持ちもわかりますけど、私死にたくないです、助けてください!」


 私はスイちゃんの白衣びゃくえに包まれた華奢な肩をつかんで、激しく揺さぶる。


「あわあわっ――な、なんという恐れ知らずでしょう、わらわにこのような仕打ちをなさるなんて……うっ、やめて……!」


 ちょっと揺らしすぎた気がして手を離すが、それでもまだスイちゃんは頭をゆらゆらとさせていた。どうやら目を回してしまったようだ。


「えと、大丈夫ですか?」


「うぷ……わらわはか弱いのです、お前さま……それなのに、なぜあやかしに恐れられるかといえば、強大な妖力を持っているからに他なりません……先ほどはいじわるを申しましたが、うんぬばとやらにお前さまを食べることなど、おそらくできないでしょう。妖力は障壁しょうへきにもなりますから、わらわに拮抗きっこうするほどの妖力を有するあやかしでもなければ、わらわを――お前さまを傷つけることなどできないのです。先日、ハッチーとやらがお前さまを何度か叩きましたが怪我をしなかったでしょう?」


「あ、そういえばそうでした。叩いた相手はみんな吹っ飛ぶか埋まるかしてたのにって、ハッチーが驚いていましたっけ」


「わらわの妖力と比べたらハッチーとやらの妖力があまりにも貧弱だったので、障壁を破ることができなかったのですよ、お前さま」


 ふむふむ、そういうことならば安心かもしれない。杠葉ゆずりはさんいわく、うんぬばの妖力は私よりもずっとショボいらしいし。

 つまり、襲ってきたうんぬばに殴られようがかじられようが私は怪我をしないし、むしろ近づかせて逆に殴っちゃえば勝てるというわけだ。

 なんだ、余裕じゃないか。最初からうんぬば程度に負ける要素なんてまったくなかったわけだ、怖がって損したな。


 がしっとスイちゃんの手を握って、私は言う。


「スイちゃん、わざわざ色々教えに来てくれて、ほんとにありがとうございました。何も心配いらないみたいですし、もしもうんぬばが現れたらめちゃくちゃあおりまくってやります!」


「あら、あら。元気になりましたね、お前さま。その意気ですよ、仮にもお前さまはわらわの妖力を身に宿しているのですから、ヒトの子らを相手に大きな顔をしているようなそこらのあやかし程度に臆するなどあってはならないことです。わらわに歯向かったことを、うんぬばとやらにきちんと後悔させてやってくださいね、お前さま」


「もちろんです! 私たち見た目も似てますし、スイちゃんの化身けしんとしてうんぬばをわからせてやりますよ!」


 まあ、いくら十人並みの私といえど、さすがにスイちゃんの美少女っぷりには及ばないが、そんなに大きな差はないはずだ。たぶん。

 スイちゃんがなんだか困ったような顔をしつつ、「お願いしますね、お前さま」と頷く。


「そういえばですけど、スイちゃんって前に会った時にはひらひらとした天女てんにょさんの羽衣はごろもみたいな服装をしてましたよね? あれも似合ってましたけど、今回の巫女装束も似合ってます」


「ああ、あの羽衣は時代に合っていないように思えたので、お前さまが一番好きそうだった服を着てみました。ここは幻のような空間ですから、わらわが想像した通りの恰好になれるのです。お前さまにも着せてさしあげましょうか?」


 微笑んでスイちゃんがそんなことを言ってくる。

 確かに私はバッケちゃんやハッチーが巫女装束を着ている姿を見て喜んでいたが、しかし、バッケちゃんやハッチーが可愛いから喜んでいただけで、巫女装束に特別な思い入れがあるわけではない。

 とはいえ、やはり私が着たら似合うだろうな。だって、髪の色も目の色も同じで私に似ているスイちゃんにこれだけ似合っているわけだし。


「少し恥ずかしいですけど、そこまでおっしゃるのでしたら『スイちゃんに名前をつけた記念』に着てみようかなって思います。でもちょっとだけですよ、恥ずかしいですから、えへへ」


「あら――もう来ますね、時間がありません。先日お前さまのお勤め先でいただいた、『山の笑み』なるお砂糖の衣をまとった切り株のようなお菓子、あれはとても美味でした。また近いうちに味わいたいものです、期待していますよ、お前さま」


 川のせせらぎが、湿気を孕んだ微風そよかぜが遠くなり、周りの景色と一緒にスイちゃんの姿も薄らいで消えていく。

 もう来ますねって、うんぬばのことかな? つまり現実の、アンコていの二階に一人で寝ている私のすぐそばにまで、うんぬばがやって来てるわけか。いやまあ、こっちはうんぬばに対して無敵状態で、しかもワンパンで勝てると思ったらたいして怖くもないが。

 しかし、これから大妖おおあやかしと戦うっていう場面で、アドバイスや激励を送るのではなく、最後に甘い物の催促さいそくをしてくるとは……ぶれないな、スイちゃん……。


 ――ガタガタ……


 ――ガタガタガタガタ……


 ――ガタガタガタガタガタガタ!


 ぱちっと目を開ける。

 いつの間にか電気が消えていて、室内は闇に包まれていたが、邪眼を持つ私には部屋の隅々までよく見える。

 ガタガタガタガタガタガタガタと、広縁ひろえんに続くガラス戸や開け放ってあるふすまが地震みたいに鳴っていたが、床はまったく揺れていない。

 なんだか空気が重たく感じて、息苦しい。


 あれ……おかしいな?


 自分は無敵でしかもワンパンで勝てるのなら怖いことなんてないと思っていたが、なんというか状況的な怖さがあるというか、冷や汗をかいてしまっているし、心拍数が上がっている。

 いや、だって、知らない家で、ひとりぼっちで、夜中で、電気も消えてて、姿もわからない妖怪がやって来るんだぞ。

 正直に言うと、すでにトラウマになりかけているというか、この状況を後で夢に見てうなされそうだ。というか、むしろ現在進行形で悪夢を見ていて、現実の私は電気がついている部屋でぐっすりと眠っているのかもしれない、なんて気すらしてきた。

 今急に、バッて目の前に恐ろしい姿の妖怪が現れでもしたら、それだけで心臓が止まって死んじゃうかもしれない。


「うう、目を閉じてるのも怖いし、目を開けてるのも怖い……いやでも、目を閉じてて、開けたら急に目の前に怖いのがいるって方がやっぱり怖い気がするから、目は開けとこう、そうしよう」


 こんなんじゃ、次に会ったときにスイちゃんに怒られてしまう。しっかりするんだ、私。大丈夫だ、ワンパンだワンパン。私にこんなに怖い思いさせて、ストレスを与えたひどい妖怪に、どっちが上なのか思い知らせてやれ。

 パンチだパンチ。もし急に目の前にヤバい見た目をしたやつが現れても、反射的にパンチするんだ。

 よし……よし、だんだんと行ける気がしてきたぞ。


「と、とりあえず、ただ待ってるとなんか余計に怖い気がするし、電気つけようかな……つくかわかんないけど」


 静かに立ち上がって、そろりそろりと、なるべく音を立てないように気をつけながら、電気のスイッチがある廊下側の壁に向かって歩いていく。寝る前はそこまで気が回らなかったが、電気のスイッチから一番遠い部屋の隅っこで寝てしまったことを後悔した。

 襖を開け放っているせいで少しだけ廊下の様子が見えるのが、なおのこと怖い。見える範囲には何もいないが、見えない少し先に何かいるのではないかという気がしてしまう。というか、寝る前は廊下の電気もつけっぱなしにしていたはずだから、もしかしたらこの二間ふたま続きの和室のみでなく、二階全部の電気がつかない状況なんじゃないだろうか?

 くそう、うんぬばめ、わざわざブレーカーを落としたのか?


 忍び足でようやく壁際にまでたどり着いて、パチッと電気のスイッチを入れるが、やはりつかない。想定していたことではあったが、すがるような思いで何度もスイッチのオンオフを切り替える。

 パチ……パチ、パチ、パチパチパチパチパチパチパチパチパチ――!

 やはり、つかない。ブレーカーはどこにあっただろうか? ちゃんと確認していなかったが、一階の脱衣所の高いところにそれらしき物を見た気がする。

 杠葉さんからはうんぬばが来たら一人で戦うように言われたが、もう怖くて耐えられそうにない。怒られるかもしれないし、呆れられるかもしれないが、急いで階段を下りてみんなと合流してしまおう。


 そう決断した瞬間、私の退路を塞ぐようにして、目の前の廊下に真っ黒いもやのようなものが現れた。


「ひえっ……!?」


 驚いて声を上げてしまったが、いやでも、ただの靄ならば見た目はたいして怖くないな。パンチが効くのかはちょっぴり不安だけど、ほかに妖怪をやっつける方法なんて知らないのだし、とにかく信じて殴るしかない。


「ふう、ふう……どんな怖い姿をしているのかと思ったら、まさかの不定形タイプでしたか。見た目が怖くないなら余裕ですよ、うんぬばさん、ここがあなたの墓場です! とりゃあ!」


 拳を振り上げて、宙に浮かんだまま動かない黒い靄に向かって駆けだす。

 すると、靄がいきなり膨れ上がり、馬のような形に変化した。私はびっくりして足を止めてしまい、転んでしまう。


「ひゃあっ!?」


 畳に手をついて、顔を上げると、目の前に濡れたようにつやつやとした質感の馬が――いや、いや!

 馬じゃないぞ、こいつ!

 馬のような形をした、お婆さんだ。変な姿勢で四つん這いになっているが、異様に太く長い首をした、しわくちゃのお婆さんだ。しかも、目と鼻の穴と口をすべて、太い糸で乱雑に縫い付けられている。


「えっ、怖っ……! ちょっ、こ、怖すぎますって! 体の形状だけでも不気味なのに、なんでそんな色んなところを縫い付けられちゃってるんですか!?」


 というか、でかくないか?

 四つん這いになった状態でも、私よりも若干背が高い。生の昆布を束のまま乗っけたような頭髪がまるでたてがみのようで、顔を見なければ本当に馬みたいだ。


「ぶ……う……い……ん……お……!」


 口を縫いつけられており、うまく発声することができないうんぬばが、何かを言う。

 そして、四つん這いのまま突進してきた。


「うひゃあああああああっ!!?」


 目と鼻と口を縫い付けられた老婆の顔面が迫ってきて、恐怖のあまり目を固く閉じる。

 どんっ! とうんぬばの巨体が正面からぶつかってきたのがわかったが、不思議なことに大した衝撃はなかった。やはり、スイちゃんの妖力からなる障壁を突破できなかったようだ。

 ブチブチブチッと太い糸を千切ちぎるような音がして、目を開けると、うんぬばの両目も開いていた。


「へ……?」


 うんぬばの両目には眼球が存在せず、ただの空洞だった。

 でも、眼窩がんかで何か、よくわからない黒くて細長いものが渦を巻いている。


「う……おえ……!」


 急に吐き気が込み上げてきて、うつむいて嗚咽おえつする。

 たぶん、理解しようとしちゃダメなんだ。違和感は違和感のまま無視しておかないと、こちらの頭がおかしくなる。どうせ相手はわけのわからない妖怪なんだ、理解できなくていい。理解できないのが正常だ。

 また、ブチブチブチブチッという音が聞こえた。

 はっとしてうんぬばの顔を確認すると、今度は口を縫い付けていた糸が千切れている。大きく開かれた口の中には歯も舌も見当たらず、やはり空洞になっていて、黒くて細長い何かがうごめいていた。

 妙に甲高かんだかい、子どものような声でうんぬばが話し始める。


「ある……晴れた日のことでした……畑仕事を終えて……休んでいると……息子が……馬……」


 以前にスイちゃんの本名を聞いた際に大変なことになったが、あれの物凄くショボいやつだと直感した。頭がぼーっとしてきて、体から力が抜けていきそうになるが、スイちゃんの時ほどの急激な変化ではない。だが、このままずっとうんぬばの話を聞いていたら多分、ヤバいことになるのだろう。

 だけど、そうはいくもんか。

 私は気力を振り絞って、ずいぶんと怖い思いをさせられた恨みを込めて、うんぬばの顔面に素人パンチを叩き込む。


「こ、こなくそぉっ! ――ぁっ!!」


 ボンッ!!! という破裂音がして、一瞬にしてうんぬばの全身が消し飛ぶ。

 私の拳から発生した衝撃波で襖がはじけ飛び、土壁が砂と木片になり、廊下の壁に直径1メートルほどもある大穴が空く。街灯が一本もない山奥なだけあって、穴の向こうにはとても綺麗な星空が見える。


「…………へ? は……? なんだこれ……?」


 妖力、ヤバすぎる。

 今までは漠然ばくぜんと、妖怪相手に特殊ダメージが入るってくらいの観念なのかなと思っていたけど、普通に壁とか破壊しちゃうのか。

 驚くと同時に、この力で人を殴ったらどうなっちゃうんだろうと思い、ゾッとした。学校が始まっても、私は体育の授業には参加しない方がいいかもしれないな、取り返しのつかない大事故に繋がりかねないぞ、これ……。


 とにかく、うんぬばは多分消滅したと思うが、それでもまだ怖いものは怖い。そもそも私はホラー映画とかも苦手なタイプだし、夜中に知らない場所で一人きりでいること自体がわりと怖いのだ。

 散らばった木片やらを踏んで怪我をしないように気をつけつつ、急いで階段を下りる。一階の廊下に出ると居間の襖の隙間から照明の灯りが漏れていて、電気がつかなくなっていたのは二階だけだったことがわかった。

 勢いよく襖を開けて居間に飛び込むと、暖かそうな半纏はんてんを羽織った杠葉さんが出迎えてくれる。


「ずいぶんと派手にやったようだな、ヤマコ。うんぬばらしき気配が屋敷に入ってきて一応布団からは出ていたが、今の騒音で完全に目が覚めた」


「あ、あわ、わ……明るい、電気ついてる、あったかい……!」


「どうかしたか? いつものことだが、様子が悪いぞ。うんぬばはきちんと仕留めたのだろうな?」


「あ、はい……う、うんぬば多分やりました、私やりました! なんか戸がガタガタいって、黒い靄みたいのが現れて、それが濡れたみたいにつやつやした馬の形になって、でもよく見たら顔が人間のお婆さんで、襲ってきて、なんか喋りかけてきて怖かったけどパンチしたらボンって、たぶん消滅しました!」


「そうか、よくやった。それにしても、こちらのことは気にするなとは言ったが、まさかあえてうんぬばを呼び込むとはな……俺が早く帰りたいと言ったから、気を使ってくれたのか? 何にせよ感謝するぞ、ヤマコ」


 優しげな微笑みを浮かべて杠葉さんが言ってくるが、意味がわからない。襖を開け放ったのは杠葉さんに指示されたからだし、うーむ、いったいどういうことだろうか?

 さっき私が敷いてあげた布団から、パジャマ姿のハッチーが眠たそうに目を擦りながら這い出てくる。ちなみに、バッケちゃんは爆睡しているようだ。


「んあ……寝ておったわ。だってわち、眠たかったんじゃもん。仕方なかろう? それで、なんか凄い音が鳴ってたような気がするんじゃが、ヤマコがうんぬばをやったのか?」


「ああ。二階に上がるなり、口笛を吹いて誘ってな。確かに早く終わらせるに越したことはないが、どんな力を持っているのかもわからない大妖おおあやかしを相手にそれだけの余裕があるのだから、さすがだ」


「ほお……ほお! まっこと剛毅ごうきなことじゃのう! さすがわちが見込んだ後輩じゃ、いかしておるのう!」


 豪快で暴力的なのが好きなハッチーがぴょんぴょんと飛び跳ねてはしゃぎ始める。かわいい。

 しかし、感心しているところ申し訳ないのだが、口笛は恐怖心を誤魔化すために吹いていただけでそのせいであやかしを呼び込んでしまうだなんて知らなかったし、もしも知っていたら絶対に吹かなかった。

 とにかく、あんまりにも怖い思いをしてしまったせいで今はもう限界だ。何かほかに話があるにしても、あとは明日にしてほしい。


 杠葉さんがぼそりとつぶやく。


「しかし、黒い靄が濡れたような質感の、馬のような形をした老婆になったと言っていたが……くもれたうまと書いて雲濡馬うんぬばなのか、それともばばと書いて雲濡婆うんぬばなのか、どちらの漢字で伝わっていたのだろうな」


「うう、そんなのどっちでもいいですよ。もううんぬば終わったんですから、私もこの居間で寝ます。バッケちゃんとハッチーに挟まれて寝ますから。無理ですもん、いっぱい怖い目に遭いましたし、もう一人じゃ眠れませんもん……」


「のわっ、わちを引っ張るでない! ぬわーっ、このバカ妖力、力が強すぎるのじゃ!」


 私はハッチーの手を握って、もぞもぞとバッケちゃんが寝ている布団にもぐり込む。ハッチーが入るスペースはないが、隣にハッチーの布団が敷いてあるので問題ないだろう。

 しかし、今晩はハッチーとバッケちゃんが一緒だからいいが、家に帰ったら一人で寝なければならない。明日から一人でちゃんと眠れるのかが、すでに不安で仕方がなかった。


 というか、このまま杠葉さんの式神として働いていたら、きっとまた今日みたいな恐怖体験をすることになるのだろうし、そのうちに精神病とかになって立ち直れなくなっちゃうんじゃないかな……だんだんと慣れて怖く感じなくなればいいけど。


 お腹にかかえたバッケちゃんの小さな体はとても温かくて、まるで湯たんぽみたいだった。

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