押しつけられた悪縁(※杠葉視点)

 杏子あんずに借りたジムニーシエラを運転しながら、今日何度目になるかもわからない溜め息をつく。

 まだ目的地に到着してすらいないというのにもかかわらず、俺は杏子を本家に置いてきた自らの判断を早くも後悔し始めていた。


 いつもならば車の運転も手のかかる式神たちの世話も弟子である杏子が率先してやってくれるが、杏子がいない以上はすべて己でやるしかない。

 うちの式神たちはやれ腹が減っただのお菓子が足りないだの、ジュースがなくなっただのトイレに行きたいだのと四六時中うるさいし、どうにか店を見つけて入れば今度は目立つ容姿でわーわーきゃーきゃーと騒ぐものだから変に注目を集めてしまって非常に居心地が悪い。どうしてうちの式神たちはこれほどまでに賑々にぎにぎしいのだろうか?


 ぐねぐねとねじ曲がった細い山道を、ひたすらに運転し続ける。標高が高いので、春先といえども路面が凍結していたりもするし、自分で走るのは初めての道なので神経を使う。もっとも、ひどい事故を起こしてこの車がペシャンコになろうが爆発炎上しようが、それで死ぬのは人の身である俺だけだろうが。

 俺は助手席に座る、ついさっき買ってやったばかりの東北限定のじゃがりご牛タン味をボリボリと食べているヤマコを横目で見やる。

 もしも事故が起きそうになったら、一切ためらわずに助手席側を犠牲にしよう。あやかしであるヤマコはどうせ交通事故程度では怪我もしないのだから。


 不意に斜め後ろから少女の手が伸びてきて、じゃがりごを一本俺の口に突っ込んでくる。


「んぐ!?」


杠葉ゆずりはも食べたかったんじゃろ、東北限定牛タン味。今ヤマコのじゃがりごをじっと見とったの、わちは気づいとるぞ」


「え、そうだったんですか? すみません私気がつかなくて。どうぞ杠葉さん、私のじゃがりごも一本だけ分けてあげますね」


「いら――んぐ!?」


 今度は助手席からヤマコが、運転中でろくに抵抗もできない俺の口にじゃがりごを一本無理やり突き入れてきた。さすがに吐き出すわけにもいかず、仕方がないので噛んで飲み込む。

 うまいがなんというか、えらく喉が渇く味だな。こんなものをずっと食べているから、飲み物がすぐになくなるし、水分を取りすぎるせいでトイレも近くなるんだろうが……!


 腹は立つが、しかし、今いる三体の式神たちに俺は頭が上がらない。

 蜂蜜燈はちみつとうは祖父や父といった愚か者どもが道を誤り、代々冷光れいこう家の当主が受け継いできた他の古参の式神がすべて壊れても、ただ俺への情だけを理由に家に残ってくれた。蜂蜜燈がいなければ白髪毛しらばっけを生み出すための時間すらも稼げなかっただろうし、俺はもちろん、弓矢ゆみやも杏子も死んでいたに違いない。

 白髪毛は弓矢と杏子を守るためにどうしても蜂蜜燈の他に式神が必要になり、幼くして俺の身代わりに呪殺された双子の妹である譲羽ゆずりはの魂を使い、こちらの身勝手な理由から生み出してしまった式神で、言うなれば俺の罪の証だ。苦しみぬいて死んだ妹の魂を禁術をもちいて無理やりに呼び戻して、ひたすらに戦わせることになった。

 そして、ヤマコは……あとは追いつめられていくばかりだったはずの苦しい状況をひっくり返してくれる、今の冷光家にとって唯一の希望だ。ヤマコほどの力を持った大妖おおあやかしが式神になってくれることなど、本来であれば絶対にありえない。それも、たとえタイミングの問題とはいえ、よそではなく俺の式神となってくれた。


 だから、じゃがりごを強引に口にねじ込まれるくらい些細なことだ。この程度のことでいちいち怒っていては恥ずかしい。無心になれ、無心に……。


 相変わらずじゃがりごをボリボリと食べながら、毛玉の浮いたセーターにボロボロと食べかすをこぼしつつヤマコが聞いてくる。


「そういえば、なんでアンコちゃんの実家に行くのにアンコちゃんは一緒じゃないんですか?」


「以前にも話したが、杏子はうちの分家の生まれで、俺の従姉いとこにあたる。杏子の父親――俺の叔父が祖父の指示で分家した際に押しつけられたのが、先祖が非常に強い力を持った大妖を封じた土地だった」


「へー、大妖を封印したんですか、そんなことがほんとにあるんですね……ボリボリボリ」


「だが、いかに修行を積んだ術師じゅつしを揃えようが、人の身で大妖を封じるのだから当然その代償は高くつく。それからというものの、三十年に一度危険な儀式を行い、冷光家の血族を一人生贄いけにえに差しださねばならなくなった」


「うわ……生贄って、死んじゃうやつですよね?」


「そうだ。生贄は封じられている大妖に喰われて死ぬ。おそらく当時の当主が、霊力が高い冷光の血をひく者を定期的に生贄に捧げることを条件に、大妖におとなしく封じられてくれるようにと交渉したのだろう。しかし、その大妖との悪縁を疎ましく思った祖父が、土地ごと叔父に押しつけたというわけだ」


「おじさん、かわいそうですね……ボリボリ」


 ヤマコがそんなことを口にするが、一応親族ではあるものの叔父は俺が生まれた時にはすでに鬼籍きせきに入っていたため会ったこともなく、申し訳ないがさしたる情もない。


「結局叔父は分家した四年後に、自らが生贄となって亡くなった。そして、来年の秋で叔父が亡くなってからちょうど三十年が経つ」


「それって、来年には次の儀式をやらないといけないってことですよね? つまり、そこで杠葉さんの親戚の誰かが生贄にならないといけないわけですか」


「誰かじゃない、儀式を行うのならば生贄は杏子になる。叔父が分家した際に、祖父がきっちりとくだんの大妖との悪縁を本家から切り離して、叔父の分家へと付けているはずだ。それに加えて、十一年前に日本中の祓い屋から多くの死者を出した大騒動が起こった際に、俺と弓矢と杏子の三人を残して、本家が把握しているすべての分家筋を含めた冷光の人間は全員死んでいる。杏子の家――会津冷光家の人間も杏子の他には残っていない」


「え!? 早く何か手を打たないと、アンコちゃんが死んじゃうじゃないですか!」


「だから、ヤマコを連れてきた。相手も人間の手に負えない大妖とはいえ、以前に会津冷光家を訪ねた時に感じた妖力ようりょくはヤマコにはまるで及ばない程度のものだったからな」


「ん……? も、もしかしてですけど、杠葉さんは私が直接そのヤバい妖怪と戦う感じの流れを想定してるんですか……?」


「ああ。秘策があるわけでもないのでな、おそらくはそういう流れになるだろう。俺もできる限りの支援はするが、先祖たちがどうにもできなかった大妖を俺がどうにかできるとも思えん。あまり期待はするな」


「……………………」


 ヤマコが黙りこくって、どこか虚ろな眼差しで虚空を見つめる。じゃがりごを食べる手も止まっていた。

 あからさまに様子がおかしいが、いつものことと言えばいつものことだ。またトイレに行きたくなってきたとか、今度は甘いものが食べたくなってきたとか、きっとそんなところだろう。妖怪の奇行など、いちいち気にするだけ時間の無駄である。


「それで、だ。最初に聞かれた杏子を一緒に連れていかない理由だが、万が一大妖の対処に手こずった場合に杏子が現場付近にいると狙われる可能性が高く危険な上に、俺の方も完全に無防備ではいられないから式神一体で人間一人を守らなければならなくなる。それならば杏子を本家に置いてきて、蜂蜜燈と白髪毛で俺一人を守りながら、ヤマコが大妖と一対一で戦うという状況の方がいい」


 ヤマコが「一対一……」と、ぼそっとつぶやく。気が進まない様子だが、事実としてヤマコほどの妖力を持つあやかしなんぞ他に見たことがない。相手も確かに大物ではあるが、何度考えてみてもヤマコならば一対一だろうがまったく問題がないように思える。


 ただ、もしも相手の大妖が逃げに徹して、隠れたりばかりするようだと厄介だ。


 弓矢と杏子がいる本家の屋敷には強固な結界が張ってあるので屋内にいれば安全ではあるが、今回は式神を三体とも連れてきてしまっているし、俺たちが屋敷に帰るまで二人は外に出ることができない。

 弓矢に至っては学校も休まなくてはならないし、杏子も数日くらいならばともかくとしてずっと外に出ないわけにもいかないだろう。

 それに、うちには日常的に行っている常連客相手の仕事もそれなりにあり、そちらも決して疎かにはできない。

 だから、会津冷光家の大妖は対峙たいじしたその場で、確実にはらいたかった。


「ヤマコ。今回戦ってもらう大妖だが、逃がすことなく、最初の一撃で仕留めてほしい。できるな?」


「ヴッ……ウ…………」


 青い顔をしたヤマコが、急にうめき声を漏らす。

 今度はなんだ、食べすぎか? それとも何か喉に詰まらせたのか?

 この細い山道を抜けない限り車を停められるような場所はなさそうだし、本当に手がかかる式神だな。

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