私の心のヤバイやつ

 初仕事を無事に終えて、私は電気を消した自室の布団の中にいた。


「今日はいい日だったな」


 あれから冷光れいこう家のお屋敷を一通り案内してもらい、杠葉ゆずりはさんとお茶をした和室に戻ると、アンコちゃんがお昼ご飯に手作りのナポリタンを振る舞ってくれた。

 その後は特にやることもなく、屋敷の造りを把握するためという名目でハッチーとバッケちゃんと弓矢ゆみやちゃんと私の四人でずっとかくれんぼをして遊んだ。


「家中の至る所に貼りつけてあった小っちゃい鏡が、なんとなく怖かったっけ」


 よく知らないけど、あれは風水的な魔除けか何かだったのだろうか?

 まあ、それはそれとして、十八時になって初仕事を終えた私が帰る際にはみんなが玄関までお見送りに出てきてくれた。

 杠葉さんから初給しょきゅうの入った厚い封筒を手渡された際も勿論嬉しかったが、かくれんぼで特にがんばって隠れていたバッケちゃんが別れ際に「いっぱい楽しかった」と言って、私にうっすらと微笑んでくれたのが今日一番の思い出かもしれない。バッケちゃんの声を初めてちゃんと聞けたのと、そんな風に言ってくれたのとで私のテンションは爆上がりしていたので、微笑んで見えたのはもしかしたら目の錯覚だったのかもしれなくもないけど。


 とにかく、(一人はついているらしいが)かわいらしい小っちゃい女の子たちに見送られて、もしかしたらロリコンのがあるのかもしれない私は最高の笑顔で「また明日も来ますからね! 待っててくださいね! 絶対に来ますから!」と思い切り手を振ったのだった。


 こうして思い返してみれば、お菓子を食べてお昼ご飯を食べてかくれんぼをして遊んだだけという内容だったが、それでお給料がもらえるのだからありがたい話である。

 しかし、特に仕事らしい仕事はしていないとはいえ、広いお屋敷を丸々使い午後いっぱいかくれんぼをしていたせいか程よく疲労が溜まっているな。

 このまま、幸せな気持ちで眠ることができそうだ。


 …………。


 ………………。


 ……………………。


 ………さま。


 ……えさま。


「――お前さま」


 鈴を転がすような声に呼ばれて、目を開ける。


 鎖で吊るされた南瓜かぼちゃのような形のランプたちが放つ、色とりどりの幾何学きかがく模様の光に照らされた、大小様々な動物の剥製はくせい紫水晶アメシスト晶群しょうぐんなどの原石。

 それらに囲まれるようにして部屋の中心に置かれた、レースの天蓋てんがいがついた大きな寝台しんだい

 その上に、異様なまでに長くつややかな黒髪を広げて横座りしている、仏画に描かれた天女の羽衣のごときひらひらとした布を纏った、病的に白い肌をした美貌の少女。


 今や鏡で見慣れてしまった、見る者に本能的な恐怖を呼び起こす翠色すいしょくの瞳が、寝台の前に立つ私をじっと見つめている。


 年の頃なら十五か十六くらいの、まだ若干の幼さが残る顔立ちをしたほっそりとした少女だというのに、ぞっとするほど美しい。


「ようやく言葉を交わすことができますね、お前さま。お前さまはヒトの子の中でも特別ににぶくできているようで、波長を合わせるのにわらわもずいぶんと苦労したのですよ、お前さま」


「えっと、あの、誰ですか?」


 夢なんて変で当たり前だが、それにしてもなんだか、いつにも増して変な夢だ。

 いつもならば夢の中だと、現実では知らない相手でも付き合いの長い友達みたいに接することができるんだけどな。

 夢の中で話し相手の素性が気になるなんて初めてのことだし、この美少女の迫力もちょっと異常だぞ。


「ヒトの身でわらわの名を知ろうとなさるとは、さすがお前さまですね。でしたら、お前さまがわらわの名を知ることができるか、一度だけ試してみましょうか。わらわの名は―――――――――――――――――あら、あら。まだ半ばですのに、やはり駄目でしたね、お前さま」


 いつの間にかひどい虚無感に呑み込まれていた。


 寝台の上から、白魚しらうおのような指でつんと額をつつかれて意識を取り戻す。

 同時に強烈な吐き気が襲ってきて、私の口から黒くて粘っこいヘドロのような物が飛び出して床に落ちた。

 室内に鼻をく悪臭が立ち込める。


「お、おえ……おええ……! ぬぁ、なんですか、これっ!? 私、何を吐いたんですか!?」


「わらわがつついて、吐かせてさしあげました。大丈夫、吐いてしまえば死にはしませんよ、お前さま。ですが、体内にいたのは一瞬のこととはいえ、寿命はすこしだけ減ったかもしれません」


「え、え? 寿命が、え? 私の寿命、減っちゃったんですか?」


「だって、わらわの名は魘魅えんみ呪言じゅごんだもの……わらわの名を知るということは、ヒトの子にとっては死と同義。お前さまが吐き出したそれは、お前さまの命を食すはずだったむしですよ、お前さま」


 塩味えんみ? ジュゴン? いったいなんの話だ、海の話か?

 そんなことよりも、本当に私の寿命は減ってしまったのだろうか?

 いや、でも、変な夢だけど、これは明らかに夢だ。

 だから、所詮は夢の中で起きた出来事である以上、本当に私の寿命が減るなんてことはありえないはずである。


「ここは単なる夢の中ではありませんよ、お前さま。だってお前さまは今、わらわが見せるの中にいるのですから。だってわらわはお前さまの胎内にいるのですから。ここはわらわが術を解かねば二度と出ることが敵わぬ恐ろしいところなのです、ほら、御覧なさって。窓も扉も――本当は壁も、果てさえもありません」


「ゆ、夢じゃない……? ほんとのほんとですか? じゃあ、私の寿命ってほんとに減っちゃったんですか? しかも、ここから出られないって……う、嘘ですよね? 嫌です、死にたくないです、寿命取らないでください!」


「慌てないでくださいな、お前さま。わらわがすぐに蟲を吐かせましたもの、寿命が減っていたとしてもほんのすこしだけですよ、お前さま」


「ほんのすこし? ほんのすこしって、五分くらいですか? なら、一安心ですけど……でも、ここから出られないって、私って今結構ピンチなんじゃないですか?」


「危険なのは『今』に限りませんよ、お前さま。わらわはいつでも、気が向いたときにお前さまの命を内側から食すことができます。なにせ、お前さまはわらわを取り込んでしまわれたのですから」


 目の色も一緒だし、この邪悪な雰囲気の美少女はもしかしなくても、あの呪いの勾玉まがたまに封じられていたか何かしていたヤバい存在なのだろう。

 思った以上に自分が危険な状況にあることは理解できたが、しかし、だからといって何ができるというわけでもない。

 まず私の意思ではこの空間から出られないし、たとえ出してもらえたところで、この美少女はいつでも気が向いたときに私を食べてしまえる。しかも、彼女は私の中に存在しているらしいので、そうなると逃げようにもどこにも逃げ場がない。


「私、食べられちゃうんですか? あの、あのですね、杠葉さんが将来的に月収100万円を約束してくれたのも、このヤバい目と凄いって評判の妖力ようりょくのおかげで、つまりは美少女様のおかげなんですけど……でも私、生きてたいです。お給料を貯めてお金持ちになったら、ハワイの大きなプール付きの豪邸に住んで夜な夜なパーティを開催したり、世界中の色んな国に行って贅沢に遊びまくったりしたいんです。それに、早くに死んじゃってお母さんを悲しませたくもないです。そもそも、美少女様を取り込んでしまったっていうのもわざとじゃなくて事故でしたし、どうにかして見逃してもらえませんか?」


「見逃すも何も、食べようとすればいつでも食べられるというだけの話ですよ、お前さま。石に封じられていた時を思えば、お前さまに取り込まれてからの日々はわらわにとって新鮮で楽しいものです。お前さまの五感を通して外を知ることもできますし、特にお前さまの味覚を通して味わった甘味かんみはとても美味でした」


「甘味って、甘い食べ物のことですよね? 美少女様は甘い物がお好きなんですか?」


「甘味を食すに勝る幸福はこの世に存在しませんよ、お前さま。先ほどお前さまのお勤め先でいただいた日輪にちりんなるお饅頭まんじゅうや、今の内小判なる菓子も実に美味でした。わらわがどれほどの年月を石ころに封じられていたのかは知りませぬが、わらわの知らぬにヒトが作る甘味はすばらしさを増したようで、わらわはとても嬉しいです」


「あの、私が甘い物を食べれば、美少女様も私と同じように甘い物を味わうことができるんですよね? じゃあ、その、なるべく甘い物を食べるようにするので、私のことは食べないでくれませんか? ダメですか……?」


「もとより、今すぐにお前さまを食べようだなんてわらわは思っていませんよ、お前さま。お前さまをここに連れてきたのも、わらわを知ってほしかったが故のこと。だってお前さまときたら、わらわの存在にいつまでたっても気がつかないのだもの。だから寂しくて、わらわがここにいることを、そして、美味なるものを――とりわけ甘味を好むということを知ってほしかったのですよ、お前さまに」


 ん……? 美少女様ってもしかして、私に惚れているんじゃないか?

 気づいてもらえなくて寂しかったとか、私に知ってほしかったとか、それって恋なんじゃないだろうか? 私は女の子同士ってよくわからないけど、でも、そういうのがOKな人が意外とたくさんいることは知っているぞ。

 うーむ、こんな完全体みたいな美少女にまで求められてしまうだなんて、私って凄いな。さすが、十人並みと言われただけのことはある。


 それにしても、おいしいものか……私の好物は某チェーン店のハンバーガーとかフライドチキンといったジャンクフードなのだが、大丈夫だろうか? ちょっと心配だな。

 いくら私に惚れているとはいえ美少女様には命を握られているわけだし、杠葉さんと式神契約したおかげで収入もあるのだから、定期的に高級なお店で食べてみたり、ネットでスイーツをお取り寄せしてみるか。


「ふう。一時いちじはこのまま食べられて死んじゃうのかと思って焦りましたけど、美少女様が私に惚れているみたいなのでちょっと安心できました。えへへ」


「なにゆえお前さまのようなうつけが、わらわを取り込むことができたのでしょう……わからないけれども、放っておけないうつけ者という意味ではどこかわらわの妹に似ているような気がしなくもないような」


「美少女様には妹さんがいらっしゃるんですか?」


「ぬらりひょんのような妹がいますよ、お前さま。もしかすると、お前さまも会うことがあるかもしれませんね。お前さまはわらわの妖力をその身に宿しているのだから、妹がわらわの妖力に気づいてやって来ないとも限らないもの」


「今の私たちって目の色も一緒ですし、それで妖力まで一緒となると、美少女様の知り合いが私を美少女様と間違えちゃうかもしれませんね。なにせ私もそこそこの、およそ十人並みの美少女なわけですし」


「お前さま。お前さまは十人並みという言葉の意味をご存じですか?」


「なんとなく知ってます、女の子十人分のかわいさって意味ですよね?」


「……ともかく、妹が来たら気をつけてくださいね、お前さま。妹の名もわらわと同じようなものですから、名乗られたり、もしくはわらわの名で呼びかけられたりしたら、ヒトの子であるお前さまはそのまま死んでしまいますよ、お前さま」


 え、それはヤバいぞ。

 お姉さんと間違えられて美少女様の名前で呼ばれる確率はそこそこ高いはずだ。私とて十人並みの容姿を持っているわけだし。


「あら、あら。いつの間にやら、結構な時間が経ってしまいましたね、お前さま。あまりお前さまの眠りを妨げるのもよくありませんから、そろそろお終いにしましょうか。わらわがお前さまとの日常に飽きてしまわぬように、甘味を食すことだけはくれぐれもお忘れなきよう、よろしく頼みますよ……また幻の中で会いましょう、お前さま」


 翠色の瞳の美しい少女の姿が、大きな寝台や動物の剥製とともにぼやけていく。

 空間ごと薄らぎ、見えなくなっていく彼女に向けて私は声を張り上げる。


「がんばって甘い物をたくさん食べますから、ほんとに私のことは食べないでくださいね!」


 次に彼女と会った時は、私が彼女を呼ぶための名前を付けてあげたらいいかもしれないな。さすがに美少女様じゃ名前らしくない上に、私も一応十人並みの美少女なので分かりにくい。

 次がいつなのかはわからないけど、なるべく早めに彼女の呼び名を考えておこう。

 私は幻の部屋からただの夢の中に強制送還されながら、最後にそんなことを思うのだった。

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