私が式神になったわけ

「うーん、油断したな……」


 祖父に頼まれて山菜を採るために山に入った私だったが、近くで妖怪たちが戦い始めてしまい、身動きが取れなくなってしまった。

 朝食をとってすぐに山に入ったのに、気づけばもう日が高い。採ってきた山菜は今日の夕飯に使うらしいので、あく抜きもしなければならないしそろそろ帰りたいのだが、この戦いが長引かないことを祈るばかりだ。


 私は身を隠していた茂みの隙間から、最近緑色になってしまった瞳をそっと覗かせる。


「ブシャアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」


 二足歩行で筋肉モリモリの、馬鹿みたいに大きい黒毛の牛さんが雄たけびを上げた。

 そして、ひざ丈の巫女装束を身にまとった、真っ白い長髪に赤い瞳の小さな幼女ちゃんを踏み潰そうとする。

 しかし、どうやら幼女ちゃんは見た目に反して身体能力が異常に高いようで、素早い動きで牛さんの踏みつけをかわすと、幼女とは思えない跳躍力で木の幹を蹴って別の木に飛んでを繰り返して牛さんの頭上まで跳ね上がり、握った小さな拳を牛さんの脳天に叩き込む。


「ブモオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!」


 びっくりするほどうるさい悲鳴を上げて倒れた牛さんの巨体が地響きを起こし、辺りの木々にとまっていた鳥たちが一斉に飛び立った。

 私の瞳が緑色になってしまった日を境に毎日妖怪を見かけるし、妖怪同士が戦っている光景も小規模なものならば何度か目にしたが、こんなに迫力のある戦いを見たのは初めてだ。怪獣映画みたいでちょっと興奮もしたが、見つかってしまって巻き込まれでもしたらと思うと生きた心地がしなかった。


 幼女ちゃんの背後に佇んでいた、長い黒髪を一つに結わえた着物姿の若い男が、ひっくり返って微動だにしない牛さんへと近づき首を横に振る。


「弱い、これでは物足りない……シラバッケ」


 かなり変わっているが、シラバッケというのが幼女ちゃんの名前なのだろうか。呼ばれた幼女――シラバッケちゃんがぴくりと反応した。

 表情はさっきから変わらず無表情のままだが、なんだか嬉しそうに体を左右に揺らしている。


「喰え」


 男が命令するや否や、勢いよくピョンと飛びだしたシラバッケちゃんが牛さんの胸に乗り、手刀を突き入れる。

 牛さんの胸元から大量の血液が噴き出して、シラバッケちゃんの真っ白い髪も肌も紅く汚れていくが、彼女は頓着する様子もなく大きな心臓を抉り出した。

 そして地面に下りると、口を開けてがぶりと喰らいつく。


 すると、心臓を失った牛さんの巨体がだんだんと透き通っていき、あたかも幻だったかのように消えてなくなってしまう。

 だが、シラバッケちゃんに付着した血液が、地面に飛び散った血液とその臭いが、確かに牛さんが存在していたことを物語っていた。


 シラバッケちゃんが牛さんの心臓を食べ終えたのを確認すると、男が屈んで、シラバッケちゃんの首輪から垂れ下がった縄を拾い上げる。

 そう、何を考えているのかこの男、たぶん妖怪とはいえ見た目はとても愛らしい幼女であるシラバッケちゃんに首輪をつけて、縄でつないでいるのだ。

 顔は良いが、とんでもない変態野郎である。覗き見る私の視線も、自然ときついものになってしまう。


 突然、シラバッケちゃんが弾けるようにこちらを振り返った。

 茂み越しに、私と目が合う。


「どうした?」


 男の方もまた、シラバッケちゃんの目線を追ってこちらを見やる。

 シラバッケちゃんは私と目を合わせたまま固まってしまい、まったく動かない。


「向こうに何かいたか? 見つけたなら、それも喰ってしまえ」


 そう言って、男はシラバッケちゃんをつなぐ縄をふたたび手放す。

 しかし、シラバッケちゃんは牛さんの時のようにピョンと飛びかかっては来ず、立ち止まったまま、じっとひたすらにこちらを見つめている。


「シラバッケが行かないとなると、小物ではないのか? しかし、妖力ようりょくはどこからも感じない。つまり、俺の目を欺くほどの力を持つ、大妖おおあやかし……?」


 真っ赤な瞳を爛々らんらんと輝かせたシラバッケちゃんが、頭の先からつま先まで全身をぶるりと震わせる。

 そして両手を大きく振りかぶると、シラバッケちゃんの頭上にどこからともなくバスケットボール大の火球が生じた。


 凄く嫌な予感がするぞ、もしかしなくても私に投げつけるつもりなんじゃないか?


「――ま、待ってください!」


 自らの危機を察して、私は怯えながらも立ち上がり、隠れていた茂みから姿を現す。


 すると、今まで変化のなかったシラバッケちゃんの表情が明らかにこわばった。

 シラバッケちゃんが掲げていた火球がどんどん膨れ上がり、シラバッケちゃんの体よりも大きくなる。


 これはまずいと、私は慌てて声を上げる。


「だ、駄目です! 投げちゃ駄目です! ストップ! タイム、タイムです! えと、えと……降参、降参します!」


 シラバッケちゃんと目を合わせたまま、私はゆっくりと両手を頭上に上げる。もちろん、こっちも何か投げ返してやろうというわけではなくて、戦う意思を持たないことを示すためだ。

 しかし、それでもシラバッケちゃんは火球を消してくれない。


 私のことをじっと見つめていた男が、おもむろに口を開く。


「……本当に俺の目を欺いていたとは、驚いた。これほど強大な妖力を持つあやかしは初めて目にする。俺は冷光れいこう家当主の、冷光杠葉ゆずりはだ」


 いや、一瞬後には火球に焼かれてしまっているかもしれないこの状況で、悠長に自己紹介なんかされても私としては困ってしまう。

 とにかく、まずはシラバッケちゃんが掲げている火球をどうにかしてほしい。


 突然な自己紹介をしてきたレーコー何某なにがしさんが、続けて言ってくる。


「頼みがある。俺の式神になってほしい」


「は?」


 この人は何を言っているのだろうか?

 式神って映画なんかで陰陽師が使う、あのよくわからない使い魔みたいなやつのことか?

 ああいうのってなんか術を使って作ったり、捕まえた妖怪を従えたりしているイメージがあるけど、私は人間だぞ?


「何が欲しい? お前ほどの大妖怪を式神にできるのならば、腕でも足でも一本ずつくらいならば今この場でくれてやる」


「ええ……? い、いらないです。お金とかならともかく、腕や足なんてもらってどうするんですか?」


「そうか、金か。人間社会に混ざって暮らしているのならば当然必要だろうな。ならば俺が死ぬまでの間、毎月100万円支払おう」


「んんっ、んえ、ひゃっく、ひゃくまんえん!?!?!?」


 100万円って、1万円札が100枚!?

 それも、毎月!?

 なんの取柄もない上に基本的に怠け者だし、運動音痴で勉強だってたいしてできないし、そんな私が月収100万円なんて普通に考えたら絶対に稼げっこない。絶対にだ。それこそ、腕や足を賭けたって問題ないと思えるくらい、自信を持って断言できるぞ。

 なにせ、中学校の担任の先生に、『どんな子でもお金を払えば入れてくれる高校や大学はあるけど、あなたが将来どこかに就職できるのか先生今から不安だわ』だとか、『性根が腐っているのよね、残念だけどもう手遅れよ』だとか、『せめてもっと美人だったらね、現実って非情ね』だなどと散々に言われていた私だ。


「ひゃ、ひゃく、ひゃくうま……!!!」


「他にも要望があれば、できるだけ叶える。お前が好んでいるらしい人間社会風に言えば、式神契約というのはお前たち妖怪にとっての就職のようなものだ。例えば勤務時間などについても、できる限り希望におう」


「し、しばらくは……えと、最初の三年間は、学生アルバイトみたいなシフトでもいいですか?」


 さすがにお母さんに申し訳ないので、入学金を払ってもらってしまった以上は学校に行かないといけないし、未成年なので夜には居候先である祖父の家にちゃんと帰らなければ騒ぎになる。


「ほう。スウェットにダウンコートなどという恰好をしているから人間社会に慣れているのだろうとは思ったが、アルバイトやシフトといった言葉まで知っているのか……いいだろう、三年くらいならば構わない。土日は朝から晩まで、平日は夕方だけ働いてもらって、休みは平日に二日やる。とはいえ、何かあった際には泊まり掛けで働いてもらうこともあるかもしれないが、まあ稀だろう」


「お、おお……! それで、えっと、あの、その三年間は、お給料は……?」


「そうだな、25万でどうだ? うちもそれほど金に余裕があるわけではないが、大妖怪を式神にできる機会などもう二度とないかもしれないからな。先行投資ということで、少し多めに支払おう」


「そ、そんなにですか!?」


 学校に通いながらのパートタイムで貰える金額としては十分過ぎるというか、びっくりする金額だ。

 当然ながら、不満なんてあるはずもない。


 彼は私の前のめりな反応を見て小さく頷くと、「ただし」と言葉を続ける。


「三年後からは平日も朝から晩まで、できれば屋敷に住み込みで働いてもらいたい。それと、俺が死ぬまで契約は継続されるから、そのつもりでいてほしい」


 ふむ。むしろ望むところだ。

 私としてはできるだけ長く働かせてもらいたいので、終身雇用してほしいくらいである。なにせ高校卒業後は月給100万円だぞ、100万円。


 私は勢いよく頭を下げる。


「ぜ、是非とも、よろしくお願いします!」


「ああ。ではこの場で契約を交わしてしまおう」


「はいっ!」


 と、勢いよく返事をしたはいいが、式神になる契約ってどういうことをするんだ?

 というか、実際のところ私は人間なのだが、そこのところは大丈夫なのだろうか?


「シラバッケ、いつまでそれを持っている?」


 我があるじであり冷光家が当主、杠葉さんのご指摘を受けて、シラバッケちゃんが自らの頭上に掲げたでっかい火の玉を見上げる。

 そして、わずかに首をかしげると、いきなり持っていた火の玉をあさっての方向にポイした。


 あさっての方向といっても、どこに投げたところで山の中、森の中である。

 当たり前だが、木々が燃え始める。


「へっ!? ちょっ!? ここ、うちの山なんですけど! 早く火を消してください!!」


「なるほど、この山はお前の縄張りか」


 杠葉さんが神妙な顔で頷く。

 縄張りって、野生動物みたいに言わないでもらいたい。

 単純な話で、ここらの山々は代々うちの家系がご先祖様から引き継いで所有しているというだけである。もはや月収100万円のためにも内緒にするしかなさそうだが、私は山田家の一人娘であり、れっきとした人間なのだ。


「っていうか、頷いてないで火をどうにかしてください!」


「わかっている。さすがにこれは俺としても予想外の事態だ。火をむやみやたらに投げ捨てないように、あとできちんと言い含めておく」


 杠葉さんはそう言ってシラバッケちゃんに視線をやるが、クレイジーすぎるポイ捨てをした幼女は首をかしげるばかりだ。

 さすが幼女つよい。言葉とか常識が通用しないやつは凄くつよいな。


 小さく嘆息した後に、杠葉さんは着物のふところからおふだのような紙切れを取りだして、物凄い早口でなにやら呪文を唱え始める。


 すると、頭上遥かに真っ黒い巨大な雨雲が形成されてゆき、瞬く間に大雨が降りだした。

 今までに経験したこともないほどの集中豪雨が、広がりつつあった火の手をたちまちに消し止める。


「お、おおっ……凄いです!」

「これで問題ないな。そうしたら、この札を額に貼れ」


 化け物の顔のような、なんだかよくわからない模様が描かれた紙切れを杠葉さんから手渡される。

 受け取った紙切れの裏側には両面テープがついており、私は無言のままにその保護紙をはがす。

 こういうのって、両面テープで貼りつけるのか。別にいいんだけど、なんだか少しがっかりとした気分になった。


 言われた通りに額にお札を貼りつけた私を見て、杠葉さんが心なしか緊張した面持ちでたずねてくる。


「式神の契約を結ぶために、お前の名が必要だ。教えてほしい」


 うーむ、名前か……。

 人間だとバレてしまうので本名は使えない。

 しかし偽名といっても、とっさには思いつかない。

 あまり待たせるのも不自然に思われそうだし、こうなったらもう本名の山田春子からもじるくらいしかないか。


「――ヤマコ」


「ならば、ヤマコ。今この時より我が身朽ち果てるまで、お前の名は俺の物だ」


 揃えた人差し指と中指の先で、杠葉さんがお札の上から私の額を軽く突いた。

 そして、また早口でよくわからない呪文を唱える。


 偽名で、本当は人間なのにきちんと契約が結べるのか不安だったが、なぜかはわからないが特に問題は起こらなかった。


 まさか呪いの勾玉まがたまのせいで、人間ですらなくなってしまっているなんてことはないだろうな……?


 そんな不安が心をよぎったものの、将来的に月給100万円を約束されたことへの興奮が勝り、すぐに忘れてしまった。

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