私が妖怪と間違えられるようになったわけ

 ちょっとした不注意から、すべては始まった。


 私のお母さんはクリスチャンでもないくせに、ミッションスクール、いわゆるお嬢様学校というものに強い憧れを抱いていた。

 三日に一度は必ず「ああ、お母さんもミッションスクールに通いたかった」などと嘆く始末で、私の家はあまり裕福でなかったにもかかわらず、一人娘である私をミッションスクールに通わせるためのお金をコツコツと貯めていたほどだ。


 勉強が嫌いで特に行きたい学校もなかった私としても、授業が比較的簡単で午後の三時前後には帰ることができるミッションスクールは好都合だったが、寄宿舎に入って私生活までをも厳しく管理されるのはごめんだった。

 お母さんはせっかくミッションスクールに行くのなら絶対に寄宿舎に入るべきだと主張していたものの、私が「じゃあ行かない」と言い張ると、渋々といった様子で栃木県の日光市にある中高一貫校、『二荒聖陽女子学院ふたあらせいようじょしがくいん』のパンフレットを寄越してきた。


「さすがにここだと、うちからは遠すぎるような……?」


 私の住む家は千葉県成田市の土屋という地区にあり、スマートフォンで確認したところ、栃木県日光市の霧降きりふり高原にある二荒聖陽女子学院は直線距離にしても優に100キロメートル以上離れている。

 首をかしげる私に、お母さんがめちゃくちゃ不機嫌そうな顔をして言う。


「ふん。うちから通えるような場所にはミッションスクールなんてないわよ。でも、ここだったらおじいちゃんの家からなら通えるでしょ」


 どうやらお母さんは私が寄宿舎に入らないのが残念で仕方がなかったらしく、それから二週間くらいの間はずっと機嫌が悪いままで、本当にめんどうくさかった。


 とにもかくにも、そんなこんなで二荒聖陽女子学院の編入試験を受けて無事に合格した私は、早く新しい環境に慣れるために、中学校を卒業すると祖父が一人で暮らす日光市の山奥の一軒家に引っ越した。

 しかし、初登校までに一か月近くも休みがあり、どこを見渡しても自然ばかりの田舎ですぐに時間を持て余してしまう。

 色違いのポテモンを孵化させる作業にもいい加減うんざりしてきたある日、せっかく田舎に来たのだから川遊びでも試してみようかとふと思い立ち、釣り道具を探すためにずいぶんと昔から庭に建っているという蔵に向かった。


 外壁の高い位置に蝶のデザインの家紋が彫られた石蔵いしぐらの、錆びて真っ茶色になった鉄扉てっぴのひどくざらつく取っ手を両手でしっかりとつかんで、体重をかけて勢いよく引く。

 苦労してなんとか華奢きゃしゃでかわいい女の子一人が通れるくらいの細い隙間を開けて、中を覗き込む。しかし、あまりに雑然としており、釣り竿があるのかどうかすらもぱっと見ただけではわからない。


 とりあえず細長い物を目につく先からどんどん引っ張り出してみようと思い、手近なところにあった布に包まれた棒状の何かをつかむ。そして軽く引っ張るが、どうも見えない底の方が何かに引っかかってしまっているようだ。

 この時、面倒くさがって強引に引き抜こうとしたのが間違いだった。

 まるでピタゴラ装置みたいに、積み重ねられていた無数の木箱や段ボールが私に向かって崩れ落ちてきたのだ。


「わあっ!?」


 思わず悲鳴を上げてしまうほど焦りはしたが、幸いにも軽い物ばかりだったようで怪我はしなかった。

 ほっと息を吐くと、遅れて、どこからともなく手のひらサイズの平べったい木箱が落ちてきて私の頭にぶつかる。


「痛いっ!」


 私は痛みで涙目になりながらも、蔵の床に転がった木箱に恨みのこもった視線を送る。ふたがどこかに飛んでいってしまったようで、あらわになった木箱の中身が――非常に濃い翠色すいしょく勾玉まがたまの首飾りが、薄暗い蔵の中だというのにほのかに輝いているように見えた。


 ――そうだ、これを首にかけて自撮りでもしてみようかな。


 そんなことを思いついたのは、やはり寂しかったからなのだろう。

 祖父の家の近辺にはまだ友達なんて一人もいないが、スマホのライングループには中学までの友達が何人かいるのだ。そこに、このいかにも古代文明といった雰囲気の首飾りをつけた自撮り画像を載せれば、ちょっとした会話が生まれるかもしれないと思った。

 小さな虫などが付いていないかよく確認してから、私はいそいそと勾玉を首にかける。


 すると途端に、勾玉から緑色の光がブワーーーーーーーッとあふれ出した。


「ッ――――――――!!!!」


 失明するんじゃないかと思うくらいの強い光だった。

 痛みを感じるほどの眩しさにまぶたを固く閉じるが、まぶた越しにもその濃い緑色がはっきりと見えてしまう。

 とても綺麗なのに、なぜかはわからないがどうしようもなく恐ろしい。

 本能的な恐怖が津波のように押し寄せてきて、涙が零れ落ちる。

 このまま、この緑色を見ていたら頭がおかしくなってしまうのではないかと思ったが、諦めそうになったところで不意に眩しさを感じなくなった。

 まぶたの裏に残る緑色の残滓が薄らいでいくにつれて、あれほど強く感じていた恐怖も夢か幻だったかのように、それこそ波が引いていくかのごとく消えていく。


 光が消えて何分か経ち、しっかりと心が落ち着いたのを確認してから、私はおそるおそる目を開ける。


 蔵の中の様子に変化はないように見えた。

 一体なんだったのかと思いつつも、再びあの発光現象が起きても困るので写真も撮らずに急いで首飾りを外そうとする。

 すると、ひもを手にした感触がやけに軽い。

 胸元に視線を落とすと、首飾りから勾玉がなくなっており、ただの古い紐になっている。


 勾玉はどこにいったんだろう?


 早く蔵を出たかったが、あの勾玉がいかにも高価そうに見えたこともあって失くしたらまずい物なのではないかと思い、スマホのライトで照らしながら辺りを探す。

 そうしているうちにお尻をぶつけてしまい、ぱさっと乾いた音を立ててかぶせられていた布がすべり落ちて、全身を映す大きな鏡が姿をあらわした。


 振り返った私の、鏡に映った両目は先ほどのあの光と同じ――勾玉と同じ濃い緑色をしていた。

 だが、今朝起きて洗顔した際には日本人らしいとび色だったはずである。


 何がなんだかわからずに混乱したまま蔵を飛び出すと、祖父の家庭菜園にやたらと足の長い、人間に近い大きさの猿のような生き物が二匹並んで屈んでいた。

 猿もどきが私を見上げてきて、思わず一歩あとずさる。

 顔が、明らかに人間のおじさんの顔だった。

 しかし、猿もどきたちもまた驚いた様子で、食べていた菜の花を放りだして声を上げる。


「ややっ、なんと強大な妖気か!」


「ぬうっ、以前よりそこの蔵から凄まじい妖気を感じてはいたが、それそのものを目にするのは初めてじゃ!」


「もしや、この畑もそなたの縄張りなのか? だとしたらもう二度と荒らさぬゆえ、どうかどうか見逃していただけないだろうか?」


「おお、わしからも頼む。そなたがいつも蔵から出てこぬから、蔵の外なれば構わないと思うておったのじゃ。どうか許していただきたい」


 猿もどきたちは並んで土下座の恰好をして、私に向かってぺこぺこと頭を下げ続ける。

 足が異様に長いので、土下座をしていても膝が頭よりも前に突き出ていた。

 山の中や家の陰からも、なんというか、妖怪と呼ぶしかないような非常に奇怪なやつらがわらわらと集まってきて、遠巻きにこちらの様子を窺っている。

 とはいえ、なんだか皆一様に怯えているような雰囲気で、あまり近くまでは来ようとしない。


 この瞬間まで、私は幽霊も妖怪も一度も見たことがなかった。

 だというのに、急に見えるようになったそれっぽいもの。

 なぜかそれらに怖がられている私。

 そして、あの恐ろしい光を放った勾玉と同じ色に変わったこの両目。


 理屈は全然わからないけど、事情はなんとなくわかってしまう。


「呪いの装備、だったのかな……?」


 テレビゲームを遊んでいると時折登場する、一度着けてしまうともう外せない上に、かなり悪い特殊効果がついている呪われたアイテム……それを間違って装備してしまった時の状況にそっくりだった。

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