女子高生ですが、大妖怪に間違えられて式神になりました。
バケツJK
プロローグ うわさのバケツ妖怪
板張りの大広間には、大勢の
その真っただ中を、えりあしの辺りでゆるく結わえた長い黒髪を揺らして、背の高い和装の青年が歩いていく。
私はなるべく引き離されないように急ぎつつ、青年のあとを追う。
左右の目の位置に丸く穴があいているだけの、ブリキのバケツを頭にかぶった私の視界は非常に悪く、青年とは身長差があり歩幅も違うのでついて歩くだけでも大変だ。
バケツ越しに周囲のざわめきが聞こえてくる。
「なんと強大な
「たしかに、今までに感じたこともないほどの妖力だ……」
「あれが
「あのバケツをかぶったあやかしが……」
「しかし、調教がうまくいっていないゆえ、今日の会合には連れて来られないと聞いていたが……」
「あれはバケツの妖怪なのか……?」
「元来あやかしとは理解できんものだが、とはいえ、なぜバケツなのだ……」
「頭のバケツは勿論のこと、セーターにジーンズという今風の服装も気になるな……」
居心地が悪い。
たくさんの好奇の視線を感じる。
なんだかバケツがどうのこうのと言われているみたいだが、そもそもの話、私だって好きでバケツをかぶっているわけじゃない。
昨日、いきなり『明日祓い屋の会合に出席するからついて来い』と雇い主に言われて、よその祓い屋の人たちから顔を隠すのに使えそうな物を急いで探したのだが見当たらず、仕方なく庭に転がっていたブリキのバケツに穴をあけて頭にかぶって来たのである。
前を歩いている私の雇い主――冷光家の若き当主たる
和室の内壁には
私がバケツにあいた穴から室内を眺めていると、すぐ背後でバチンッ、バチイッと弾けるような音が二つして、
「うぎゅ!」
「ひぎゃ!」
という、なんともかわいらしい悲鳴が上がる。
振り返ると、部屋のすぐ外で幼女と少女が並んで尻もちをついていた。
片方は真っ白な長髪に真っ赤な瞳の、ひざ丈の巫女装束をまとった身長110センチほどの幼女で、低い鼻をもみじのような小さな手で押さえて首をかしげている。
この子は
だけど、なぜかこの和室に入れないようで、相変わらずの無表情ながらもどことなく困っている様子だった。
「は? なんじゃこれ、ちょー痛かったんじゃけど! わち、キレそう!」
キレそうになっているこちらのお方は
蜂蜜色のおかっぱ頭に狐みたいな耳が生えており、バッケちゃんとお揃いのひざ丈の巫女袴の裾から狐みたいな太い尻尾が垂れている、身長130センチほどの少女だ。
瞳は赤銅色で、
この子は
そんな彼女もやはりこの和室に入れなかったようで、尻もちをついたまま上目遣いに注連縄を睨みつけている。しかし、上目遣いって普通はもっとかわいいものだと思うんだけどな……?
どうして私のかわいい先輩たちがこの部屋に入れないのか気になり、答えを求めて私は杠葉さんを見やる。
すると、いつの間にか杠葉さんがじっと私を見ていた。
そして、急に笑い始める。
「ふ、はははは、はははははは……!」
もしかして、バケツをかぶっている私を見ているうちに面白くなっちゃったのかな?
いや、仮にそうだとしても杠葉さんは普段、人前で声を上げて笑ったりなんてしないタイプだ。
となると、日頃から危険な妖怪なんかを相手にしているわけだし、実は呪われたか何かしていて壊れてしまったとか……?
「ふ、くくく……ヤマコ、お前はこの部屋にいてなんともないのか?」
ヤマコとは、最初に杠葉さんに名前を聞かれた際に、本名を教えるのをためらった私がとっさに名乗った偽名である。
バケツをかぶっているせいで、幾分くぐもった声で私は杠葉さんの質問に答える。バケツをかぶった状態で喋ると自分の声が中で反響して不快なのだが、彼に雇われている身なので質問をされて答えないわけにもいかないのだ。
「あ、はい、べつに何ともありませんけど。でも、なんでかバッケ先輩とハッチー先輩が……」
「入れなくて当然だ。この部屋には、並みのあやかしならば触れただけで消滅してしまうほど強力な結界が張られている。だというのに、お前は平然としているのだから……フ、さすがだ」
うーむ、『フ、さすがだ』なんて言われてもな……。
私って本当は人間な上にただの女子高生だし、妖怪用の結界が効果ないのは当たり前のことなんだけど。
しかし、『バケツをかぶった妖怪の女』よりも、『バケツをかぶった人間の女』の方がよりヤバいやつ感が増す気がしなくもない。
「あのバケツ妖怪、すごいな……」
「ああ、あの強固な結界をものともしないなんて……」
「あのような強力なあやかしを式神にするとは、うらやましい限りだ……」
「チョウダイ……チョウダイ……」
「いったい、どうやって冷光家はあのバケツと契約したのだろうな……」
んん?
私を遠巻きにして見つめる連中のざわめきの中に、なんだかおかしな発言がまざっていなかったか?
「どうやら釣れたようだ」
杠葉さんが私にしか聞こえないくらいの小声で言ってくるが、なんの話なのかわからない私は間抜けな声で聞き返す。
「へ?」
「最近、俺たち祓い屋ばかりを狙う、少し力のあるあやかしがいてな……これだけ多くの祓い屋が集まれば、姿を現すのではないかと思っていた」
ええ? 予想できていたのにもかかわらず、なんで今まで黙っていたんだ?
「ぐぅうわあああああああっ!!!!!!!!」
後ろの方から、男の人の野太い悲鳴が上がった。
おそるおそる振り返ると、ボサボサの長い髪の毛を床に引きずった、異様に背が高くてやせ細った体つきをした女が、「チョウダイ、チョウダイ」と言いながら、これまた細くやたらと長い腕をハゲたおじさんの口にねじ込んでいた。
すでにおじさんに意識はなく、白目をむいてびくびくと痙攣しており、顎がはずれて舌がだらりと垂れ下がっている。おじさんの横には、彼が連れていた式神と
これは……妖怪の見た目といい被害者の惨状といい、なんというかおぞましい光景だな。
近づきたくないし、あの怖い妖怪は『よくわからないものを見かけたらとりあえず殴っとく』タイプの先輩たちにお任せして、私は杠葉さんを守るという名目で妖怪は入れない結界部屋の中にいればいいかな?
などと考えていると、楽しげに口もとを歪めた杠葉さんが命じてくる。
「デモンストレーションにはちょうどいい機会だ、この場に集まった祓い屋たちにお前の力を見せてやれ」
「はい?」
「白髪毛と蜂蜜燈は結界が張ってあるこの部屋の前に待機しろ。あのあやかしがどんな攻撃を仕掛けてくるか不明な上に、敵がやつだけとも限らない。この機に乗じて俺を狙いそうなやつが、この会場にはごまんといるからな」
いやいやいや、ちょっと待ってほしい。先輩たちよりも部屋の中に入れる私の方が杠葉さんの護衛役に適しているはずだ、ぜったいにだ。
なんで戦いたがりの先輩たちを待機させて、あんなおぞましい系の妖怪を相手にこんな頭にバケツをかぶった女を選出するんだ?
もしかしたらこの人、本当は私がただの人間だと知っていながら、気づかないふりをしていじわるをしているんじゃないか?
私がそんな風に疑心暗鬼になっている間にも、しかし、騒ぎはどんどん大きくなっていく。
「うわあ、助けてくれえ!」
「俺の式神が喰われた!」
「チョウダイ……チョウダイ……」
「くそっ、術が当たらない!」
「冷光家のあのバケツがいるだろう、何をやっているんだ!?」
「ああ、そうだ、あのバケツならば……!」
見た目によらず、チョウダイ女はかなりすばしっこいようで、祓い屋やその式神たちの攻撃をたやすくかわしていた。
さっきまで好奇や悪意を向けてきていた人たちが、助けを求めるような目で私を見ている。
うーむ、とはいえだ、やっぱり行きたくないぞ。
でも、行かないとな……だって、私は杠葉さんに逆らえないのだ。なにせ杠葉さんと私が交わしたのは単なる雇用契約ではなくて、私が彼の
それに加えて、もしも杠葉さんが死んで私がお役御免となってしまうと今度はお金が手に入らずスイーツの食べ歩きやお取り寄せができなくなるので、それはそれで冗談ではなく私にとっては命に
どう対処すべきか、なんにもアイディアがないまま、私は暴れているチョウダイ女のもとへゆっくりとした歩調で向かう。しかし、ゆっくり歩いて多少の時間を稼いでみたところで、結局なんの手立ても思いつかなかった。
こうなったらもうしょうがない。チョウダイ女がどう反応するかわからないので使いたくはなかったが、良い案も浮かばないし時間切れである。
腹をくくって、私はバケツの穴からチョウダイ女の背中を強く睨みつける。長すぎる上に妙に毛量が多い頭髪に覆われたその背中は、二足歩行する巨大なゴキブリのようにも見える。
「チョウダ……アッ、アア――アアアアアアアアアアア!!?」
チョウダイ女が悲鳴を上げて、動きを止めた。
美少女妖怪を取り込んでしまったせいで翡翠のような濃い緑色になってしまった私の両目には膨大な妖力が宿っており、この目で強く睨みつけるとどんなに凶暴だった妖怪もたちまちに怯えてしまうようなのだ。
ただ、怯えさせたからといって必ずしも大人しくなるわけではないので、実のところまったく安心はできない。
とりあえずチョウダイ女が硬直しているうちに逃げられないようにしておこうと思い、私は彼女の床に引きずるほど長い髪の毛の先をぎゅっと踏んづける。
「ア、アアー……ミナイデ……ミナイデー……!!」
どうやらチョウダイ女はミナイデ女にジョブチェンジしたらしい。
かわいそうなミナイデ女は私から離れようと必死に鶏ガラみたいな足を動かしはじめたが、幸いなことにすばしっこいだけで脚力は強くないようで、これならばひ弱な私でもなんとか押さえられそうだった。
さて、と。
とりあえずこれでミナイデ女の動きを止めることはできたわけだが、どうしようか?
美少女妖怪を取り込んだことで私には妖力がたくさんあるものの、本物の妖怪や訓練を積んだ祓い屋の人たちのようにその妖力を扱えるわけではない。なので術を使ってかっこよく攻撃したり、妖怪を封じたりなんてことは一切できない。
一応、妖力を込めてパンチすればミナイデ女をやっつけることはできると思うけど……でも、周りからめちゃくちゃ注目されている上に、雇い主である杠葉さんからは『お前の力を見せてやれ』なんてプレッシャーをかけられてもいる状況で、素人丸出しのパンチを放つのも恥ずかしい。
うーん、困ったな。お手上げだ。今後のためにも、家に帰ったらネットでお手本になりそうな動画を探して空手の型でも練習してみるか。とりあえずパンチが様になっていれば多少は見栄えもするだろう。
「ミナイデ……ミナイデ……」
逃げるのを諦めたらしいミナイデ女が、ゆっくりとこちらを振り返る。
そして、ミナイデと言いながら、顔の真ん中にある一つしかない小さな目で私を見下ろしてくる。
「ひえっ……!?」
正面から見たミナイデ女の姿は、想像していたよりもずっと怖かった。
私を見下ろす彼女の目は、小さすぎるあまり白目が見えず真っ黒で、まるで穴が開いているかのようだ。加えて鼻らしきものはどこにも見当たらず、口は唇がなくて開いたままになっており、黄ばんだ乱杭歯がむき出しになっている。乾き切ってがさがさになった皮膚の色は濃い灰色で、長すぎる腕には肘のような関節が四つもあり、さらには全身から謎の刺激臭が漂っていた。
――バツンッ!
「うひゃあっ!?」
私のかぶるバケツの頭を
びっくりして、思わず変な声を出してしまった。
もだえ苦しむミナイデ女の姿がだんだんと透き通っていき、最後には空気に溶けるかのように消えてしまう。
ミナイデ女が完全に消滅したのを確認して振り返ると、いつの間にか結界部屋から大広間に出てきていた杠葉さんが手にしていた弓を下ろす。弓は会場に入る際に係の人に預けたはずだが、冷光家に残る唯一の内弟子である
いつもとは違う、少し優しげな目で杠葉さんが私を見る。
「お前の力を見せてやれ、と言ったはずだが……俺に手柄を譲るとはな」
え? 誰かがやっつけてくれないかなと期待はしていたものの、手柄を譲るだとかそんな発想は私にはなかった。
とはいえ、この流れを利用しない手はない。
「えと……えと、ミナイデ女は完全に私に怯えてましたし、もう十分に格の違いは見せられたかなと思いまして」
「そうか。ところで、今のあやかしだがあまり頭がよさそうには見えなかったな」
今のあやかし?
ふむ。どうやら、私の考えた『ミナイデ女』という呼び名は杠葉さんのお気に召さなかったらしい。せっかく思いついたのに。
「えっと、はい。なんていうか、脳みそが家出しちゃってるような感じでしたけど」
「あれが自主的に祓い屋ばかりを狙って襲っていたとは考えがたい。そして、俺は今日この会合にヤマコを連れてくることはできないと方々に言いふらしていた」
「ふむふむ、なるほど。読めてきましたよ、やっぱりそういうことですか」
何一つわからないまま、とりあえずわかったような顔をしてうんうんと頷いておく。本当に脳みそが家出しているのは私の方かもしれない。
しかし、である。
とりあえずわかったような顔をして頷いておけば、私がちゃんと理解していると勝手に勘違いした杠葉さんの機嫌がよくなり、普段よりかは幾分接しやすくなるのだ。
大事なのはこうした
「ああ。俺は今のあやかしが、この場にいる誰かの式神だったのではないかと疑っている。ここにヤマコがいなければ、あれの相手をしたのは白髪毛か蜂蜜燈のどちらかだ。それでもすぐに被害を止められなければ、残ったもう一方も助勢せざるをえなくなったかもしれない」
「杠葉さんの言うとおりです。まったく、恐ろしいことですね」
「一時的に、俺を守る者がいなくなる。結界の中に入れば安全というのは、妖怪に対してだけの話だ。妖怪は結界の中に入れないが、祓い屋は入ることができる」
「はい。あんまり考えたくないですけど、それってつまり……」
「そうだ、今回の件は俺を殺そうとした何者かの――もしくは、大勢の企てだ。ヤマコという、あまりに強大な式神を手に入れた俺を厄介に思う者は、一人や二人では
杠葉さんは蛇のような笑みを浮かべて、結界の張られた部屋にいた、祓い屋の中でも力のある者たちの顔を順ぐりに見回した。
なるほど。今回のこれは、そういう類の事件だったのか。杠葉さんの話を聞くまで私には何もわからなかったぞ。
そして、なんだか気まずい雰囲気のままに会合はお開きとなり、私たちは冷光家が所有する国産の超高級車に乗り込む。会場に入る前からかぶり続けていたバケツをようやく外せて、ほっと息をついた。
アンコちゃんが運転する車の中で、今や私の定位置となっている後部座席の真ん中に先輩式神たちにサンドイッチされて座っていると、助手席に座る杠葉さんが振り返って私に言う。
「これで、
笑みこそ浮かべなかったものの、杠葉さんはいつになく機嫌が良さそうに見えた。
今ならちょっとお高いスイーツをおねだりしても許されそうだ。
私は帰り道にあるいくつかのケーキ屋や和菓子屋の商品を思い浮かべて、どれにしようかと真剣に悩み始めるのだった。
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