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「ただ、僕たちは先日会ったばかりの関係です。少し話をしたぐらいで、あなたが共感性の低い人物だと決め付けることはできません。あなたの中に、自分が殺してしまった猫への憐憫や罪悪感の感情があっても、それをあえて表に出さないでいるだけなのかもしれませんからね。初対面の相手ならなおのことです。なので、あの日から今日まで、僕なりに安芸山さんがどういう人物なのか、すでに広く公開されている情報から考えてみました。過去にテレビ番組に出演されていたときの動画を見たり、雑誌のインタビュー記事に目を通したり、安芸山さんご自身がSNSで公開されている写真や書き込みを閲覧したりというふうにです。するとやはり、あなたは僕が考えていた通り、自己愛が強く、共感性が低いの人物ように感じられました」

「自己愛?」

「はい、一般に、人は自己愛が強いほど、他者への共感性が低くなりがちです。そして、そのような共感性の低さが行き過ぎると、例えば反社会性人格障害、いわゆるサイコパスなどと呼ばれます。彼らは他者への憐憫の感情など微塵も持ち合わせておらず、常に自分本位で、時に何の躊躇もなく他者を傷つけます」

「そ、それがどうした! 俺はそんな猟奇殺人犯たちとは違う!」

「そうですね。安芸山さんは別にサイコパスじゃありません。自己愛性人格障害というほどでもありません。単に人よりいくらか自己愛が強く、共感性が低いという人間性なだけです。これは別に悪いことじゃありません。企業のトップとして、リーダーシップをとっていくのなら、むしろプラスに働くことでしょう。自己愛の強さは、そのまま承認欲求や自己顕示欲の強さとなり、それが仕事を成功させるための原動力となるでしょうから。また、そういう人間性のリーダーなら、社員をリストラするたびに、いちいちその将来を憂うようなこともないでしょうしね。過酷な残業だって、いくらでも押し付けられるというものです」


 灯美はその言葉にふと、思い出した。先日、隆一がさわやかな笑顔で、うちもたまには残業バンザイですよ、的なことを言っていたのを。そうか、あれは社員に対する思いやりがちょっと足りない人だから言える言葉だったのか……。


「ただ、やはりその事実は――すなわち、あなたのそんな人間性は、黒猫を車で轢き殺してしまって、その精神的ストレスから視覚障害を負ってしまったという仮定とはあまりにも結びつかない。それに、先日のあなたの発言でおかしなことは他にもありました。あなた自身の事故の証言が、最初と後で大きく違っていたのです」

「違っていた?」

「あなたは最初にこういうふうに言いました。黒猫を車で轢く直前、はっきりとその姿を確認したと。その瞳がギラギラと光っているのが見えた、と……。ところが、少しばかり僕と楽しくおしゃべりした後、あなたの事故の証言は一変しました。今度は、まるで車と猫がぶつかる瞬間まで、まったく猫の存在に気づいていなかったように言っていたのです」

「あ……」


 隆一ははっとしたようだった。自分でも、この矛盾に気づいていなかったらしい。


「一人の人間が、同じ一つの体験を、それも普通の人にとってはかなり衝撃的で印象深いであろう体験を語るのに、どうして短時間でこうも証言が食い違うのか、僕は疑問に思いました。単なる言い間違いでしょうか。それとも、記憶が錯乱しているだけなのでしょうか。いや、そもそも、安芸山さんの記憶はどの程度、正確なのか……。僕はそこで、あなたの事故の記憶がなんらかの原因によって歪められているのではと推測しました。そして、あなたの証言がどの程度事実と合致しているのか確かめるために、あの後、あなたの会社で働く社員たちのブログやSNSのアカウントのいくつかを特定して、彼らが発信している情報を調べてみました。すると、おおよその事実は、あなたが話してくれた通りのようでした。つまり、彼らのネット上での発言から、今から一ヶ月前、あなたの会社はとても忙しかったこと、事故の翌日から、社長のあなたが急に眼帯をして出社してきたこと、あなたの車が急に変わったことなどの裏づけが取れました。したがって、今から一ヶ月ほど前の夜、あなたが帰宅途中に、なんらかの特異な体験をしたことは間違いなさそうでした。問題はそれが何かということです」


 ウロマの口調はよどみなく、言葉遣いはいくぶん迂遠だったが、論理は透徹しているように感じられた。


「そこで僕は、今度は違う方向から、その晩のことについて調べることにしました。あなたが帰宅途中に何かを体験したことは間違いないのですから、あなた自身のSNSの書き込みや写真の情報から、あなたの帰宅ルートを特定し、その近隣の施設で何か変わったことが起きていないか、確認することにしたのです。すると、意外と早く、異変は見つかりました。この近くにある高齢者施設のホームページに、今から一ヶ月前の深夜、施設の外に出て行ったっきり、行方がわからなくなっているおばあさんのことが書かれていたからです。尋ね人、という感じで、情報を求めているようでした。そして、それによると、その日、彼女は白いネグリジェを着ていたということでした。……おそらく、このような?」


 と、そこでウロマはかがみこみ、目の前の死体が身につけているボロボロの白い服を指差した。


「ねえ、安芸山さん? この方が彼女だとすると、どうしてこんなところで息絶え、朽ちているのでしょうね?」

「…………」


 ウロマの問いに、隆一は下唇をかみ締め、顔をしかめるだけだった。するとウロマは、地面に転がっていた灯美のスマホを拾い、それを何やら操作して、掲げた。


「では、質問を変えましょうか。安芸山さん、あなたがあの晩車で轢き殺した黒猫は、こんな顔をしていませんでしたか?」


 ウロマが隆一に向けて掲げたスマホの液晶画面には、一人の老婆の顔写真が映し出されていた。おそらくは、この近くにあるという高齢者施設のサイトに掲載されているものだろう。隆一はそれを見るや否や、蒼白になった。明らかに、見覚えがあるという反応だった。


「ああ……そうだ、この顔だ……この婆さんだ。あの晩、俺の車めがけて飛び出して来たのは……」


 やがて、隆一は観念したように白状した。

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