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「さきほども言ったとおり、若年性ミオクロニーてんかんは、薬が効きやすいタイプのてんかんです。ただ、それでも、発作を起こしやすい条件というものがあります。具体的には、睡眠不足、疲労、精神的ストレス、などです」
「あ……」
小百合ははっとしたようだった。それはまさに、当日のジェームズの状態そのものだ。
「そして、ここからが重要なのですが、ミオクロニー発作は特に寝起き、起床後三十分以内に起きやすいという特徴があります」
「ああ、だから、あの日ジミーは――」
「ええ、そうです。彼は自殺ではなかった。断じて!」
ウロマは力強く言い切った。
「つまり、今までの話を整理するとこうです。当日の朝、彼はてんかんの発作が起きやすい状態にあった。さらに、眠っているところを工事の騒音でたたき起こされ、イライラもしていた。そして、その状態でベランダに出て、工事現場に向かって文句を言おうと手すりから身を乗り出したところで、彼は突然、持病のてんかんのミオクロニー発作に襲われた。それはおそらく、手足が少しばかり痙攣する程度のものだったでしょうが、手すりは低めで、彼は長身でした。その痙攣により、彼は前のめりになり、手すりをつかむこともできなくなり、バランスを崩してそのまま下に落ちてしまった――と、まあ、こういう事故だったわけです」
「事故?」
「ええ、もちろんです。何が悪いというわけではありません。その日、たまたま彼のコンディションが悪く、たまたま工事の音がうるさく、たまたま彼が持病を忘れて不注意にもベランダの手すりから身を乗り出してしまった。そういう出来事が重なって起こった、ただの不幸な事故だったのです。断じて、あなたとの口論が原因で彼が自ら命を絶ったわけではありません」
「そう……だったんですね……」
とたんに、小百合は体を震わせ、涙ぐみはじめた。おそらくずっと、ジェームズの自殺の原因が自分にあるのではと悩んでいたのだろう。そして、今やっと、その重苦しい自責の念から解放されたのだ。
「ありがとうございます。本当のことがわかってよかったです」
涙をぽろぽろとこぼしながら、小百合は深々とウロマに頭を下げた――が、
「いえ、お礼を言ってもらうのは早いですよ。まだ、肝心の『動機』が解明されていません」
「動機?」
「彼がなぜ、あなたに持病を隠していたかということです」
と、ウロマはそこで、ローテーブルの上にずっと置きっぱなしだったノートパソコンを指さした。そう、ジェームズが使っていたものだ。
「僕はゆうべ、このパソコンのロックを解除し、保存されているデータなどを調べました。そして、ブラウザの履歴から、彼がネットで自分の病気について調べていたことを確認しました」
「ああ、だからジミーはこれにパスワードを設定して、私に見られないようにしていたんですね」
「ええ、おそらく。あなたに病気のことが少しでもばれないように気を使っていたのでしょう。そして、その調べている内容から、彼がなぜあなたに病気のことを隠していたかも、おおよそ推測できました」
「調べている内容?」
「彼は自分の病気が子供に遺伝するかどうか調べていました」
「遺伝……あ」
小百合はその言葉の意味をすぐ理解したようだった。
「もし自分の病気が遺伝性で、子供にもなりやすい体質が受け継がれるものだったとしたら、結婚を前提に一緒に暮らしている恋人には、さぞや言いづらいことだったでしょうね」
「ええ……そうかもしれません。でも、私には話して欲しかったです。私は彼がどんな病気だってかまわなかった……」
「しかし、あなたのご両親がそう思われるとは限らないでしょう。病気のことを知られたら、もしかしたら結婚を反対されるかもしれない。……少なくとも彼はそう思ったから、あなたに打ち明けることができなかったのではないでしょうか」
と、ウロマはそこで、閉じたままだったノートパソコンを開き、電源を入れた。そして、ログインパスワード入力ボックスが表示されたところで、モニターを小百合のほうに向けた。
「このパソコンのパスワードは、ローマ字で sayuri dai dai suki でした。入力してみてください」
「サユリダイダイスキ……」
小百合は言われたとおりにパスワードを入力した。エラーは出ず、すぐにパソコンは起動した。これであっていたようだ。
やがて、デスクトップが表示された。アイコンは左側に数個、きれいにならんでいる。壁紙は小百合とジェームズ、二人の写真だ。とても親密に肩を寄せ合って笑っている。二人とも実に幸せそうな顔だ。
「ジミー……」
小百合はとたんにその写真に目を奪われ、涙ぐみ始めた。急逝した恋人の変わらぬ笑顔がそこにはあった。
「彼はあなたとの写真をパソコンの壁紙にするほどに、あなたのことを想っていたようですね。ほかにも、あなたとの思い出の写真はたくさん保存されていました。失礼ながら拝見させてもらいましたが、どれもあなたへの深い愛情を感じるものばかりでしたよ」
「ジ、ジミーったら……」
小百合は涙を手でぬぐいながら、少し恥ずかしそうに笑った。
「ヒロセさんが自分の病気を隠していたのは、誰よりも清川さんのことを愛していたからではないでしょうか。だから彼は、あなたとの関係に少しでもひびを入れるようなことを言えずにいたのだと……少なくとも、僕はそう思います」
「はい……。私も、そう思います……」
小百合は再び涙を手でぬぐいながら、うなずいた。そして、立ち上がり、ウロマに深々と頭を下げた。
「何から何まで調べていただいて……。今日は本当にありがとうございました!」
「いいえ、こちらこそ」
やがて、ウロマたちは小百合の家を後にした。
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