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 さて、それから数日後の土曜日、予定通り灯美はウロマとともに小百合の家に向かった。


 当然、灯美は勝手に同行を決められたことに不満はあったが、


「なんで私まで行かなくちゃいけないんですか?」

「一人暮らしの女性の家に行くのです。僕みたいな男が一人だと、清川さんも何かと不安でしょう」

「ああ、言われてみれば」


 ってなやり取りで、大いに納得せざるを得なかった。確かに、ウロマみたいな胡乱な男を、一人で独身女性の家に行かせるのはまずい。


 小百合の住むマンションは、カウンセリングルームから電車で二駅ほど離れた、オフィス街と住宅街のはざまにあった。五階建てで、小百合の住まいは三階の角部屋だった。そのすぐ隣には、建設中と思われる、同じくらいの高さのビルがあった。


「わざわざお越しくださってありがとうございます。中へどうぞ」


 小百合はすぐに家の中に入れてくれた。今日の彼女はタートルネックの薄手のセーターとロングスカートを着ていて、スレンダーな体がいっそう細く見えた。


 小百合の家は3LDKで、全体的に落ち着いた雰囲気の内装だった。一ヶ月前までは、ここで婚約者のジェームズと一緒に暮らしていたという。また、彼が亡くなった後も、彼の部屋や身の回りのものはそのままにしているそうだ。まだ片付けるふんぎりがつかないということだったが、灯美はその気持ちがよくわかった。彼女もかつて母親を亡くしたときは、同じような心境だったから。


「ヒロセさんが落ちて亡くなったというベランダはどちらですか?」

「……こちらになります」


 小百合はウロマと灯美を寝室のほうに案内した。二人で使っていたのだろう、大きなダブルベッドが置かれている部屋で、小さなベランダに面していた。ウロマはすぐに窓を開け、そこに出た。灯美もあわててウロマに続いた。


「これは……なかなかどうして、絶景ですね」

「部屋を借りた当初はこうでもなかったんですけれど」


 ウロマの言葉に、小百合は苦笑いして答えた。その言葉の意味は、灯美にもすぐわかった。ベランダのすぐ目の前には、建設中のビルがあったからである。おかげで、南向きだというのに日当たりは最悪だ。ビルの陰になっていて、ベランダは実に薄暗い。景観だってひどいものである。目の前には建設途中のビルの壁面を覆うブルーシートが広がっているだけなのだから。


「二ヶ月前からこうなんです。これだけ近いと、工事の音もかなりうるさいんですよ。今日みたいな休みの日はそうでもないんですが」

「なるほど。それは災難ですね」


 ウロマはそう言うと、ふと、ベランダの手すりをつかんで、前のめりになり、下を見た。


「ここの手すりはけっこう低いですね。清川さんのような女性ならともかく、僕くらいの背丈だと、この体勢はなかなか厳しいものがあります」


 と、体操選手のように手すりに手を乗せた状態で両足を浮かせながらウロマは言った。いや、その体勢だと誰でも厳しいだろう、と、灯美は心の中でツッコミを入れた。


「SNSの写真を拝見したところ、ヒロセさんも相当大柄だったようですが、どれくらいだったのですか?」

「ジミーは百九十二センチありました」

「ほう! さすがに大きいですね。僕の完敗です」


 ウロマはベランダのほうに体を戻しながら言った。とりあえず、この男の身長はそれ以下らしい。


「まあ、彼がそれぐらいの長身でも、それだけの理由で、バランスを崩してここから転落したとは考えられないでしょうね」

「ですよね……」


 と、小百合がつぶやいたとたん、灯美ははっと閃いた。


「もしかして、誰かに突き落とされたんじゃないですか?」


 そう、これは殺人事件! 名探偵灯美の華麗な推理の始まりである――かに思われたが、


「それはないと思います。ジミーがここから落ちたとき、家のドアは鍵がかかっていましたから。誰かが部屋に入った形跡もありませんでしたし、マンションの防犯カメラの映像からも不審者の出入りは確認されなかったそうです」


 小百合に一瞬で否定されてしまった……。


「警察だって、一応はそのへんを調べたことでしょうしねえ。アテがはずれて残念でしたね、灯美さん」


 ウロマはそんな灯美を見て、いかにも小馬鹿にするようにニヤリと笑った。ぐぬぬ、と、歯軋りする灯美であった。


 それから、三人はベランダから家の中に戻った。まず寝室を見て回ったが、特に変わったところはなさそうだった。三人はそのままジェームズが使っていた部屋に行った。そこは六畳ほどの広さで、木製の家具ばかりのやはり落ち着いた雰囲気の部屋だった。書斎として使っていたのだろう、壁際には本棚があり、アメリカのヒーロー漫画、アメコミの単行本などが並べられていた。また、部屋の中央には机があり、その上にノートパソコンが置かれていた。


「これはジミーが使っていたものです。何か手がかりが残されていないか調べようとしたんですが、パスワードでロックがかかっていて、どういうデータが入っているのか、確認できませんでした」


 と、小百合がいかにも困った感じで説明したとたん、また名探偵灯美は閃いた。


「なら、このパソコンを作ったメーカーに問い合わせて、ロックを解除してもらえばいいじゃないですか」


 そうだ、そうすれば、すぐに中身は確認できる。そして、そこにきっと、事件解決の手がかりが――と、考えたわけだが、


「実は、すでに問い合わせてみたんです。ただ、お客様のプライバシーにかかわることなので、そういうことはできないと言われました」


 またしても小百合は灯美の思いつきを即座に否定した……。


「なんでですか? ヒロセさんはもう亡くなっているんですよ? だったら、プライバシーも何も――」

「これが本当に亡くなった人物のパソコンなのか、メーカーは確認しようがないですからね。当然の対応ですよ、灯美さん」

「い、言われてみれば、確かに……」


 スマホならともかく、パソコンだしなあ。またしてもウロマに鼻で笑われ、歯軋りする灯美であった。


「まあでも、どこかにパスワードを書いたメモが残されているかもしれません。探してみましょう」


 ウロマはそう言うと、机の中を調べ始めた。まず、一番上の引き出しには、ジェームズが使っていたのだろう、ブルーのサングラスがきれいに並べられて収められていた。また、その下の引き出しには文房具などの小物が収められており、さらにその下には、オーデコロンやウェットティッシュやデオドラントスプレーなどのエチケット用品が入っていた。いずれにも、パスワードの手がかりになるようなものはないようだった――が、


「おお、これは!」


 エチケット用品の引き出しの奥からウロマが何かを発見したらしかった。見ると、彼は錠菓の金属製のケースを握り締めている。日本でよく見るものではなく、海外のメーカーのもののようだ。


「清川さん、これいただいてもいいですか?」

「ええ、かまいませんが」

「ありがとうございます。お宝ゲットです」


 ウロマはニカッと笑って、戦利品を見せびらかすように錠菓のケースを振った。中身がたくさん入っているようで、ジャラジャラと音がした。


「先生、意地汚いですよ。いくら好物だからって」

「そりゃあ、舶来品のレアアイテムですからね。どんな味か気になるに決まっているでしょう」


 ウロマはそのまま錠菓のケースを白衣のポケットにしまった。

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