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「あなたの今の発言は、まさにあなたが、直春君のことをペットか何かと勘違いしていた証拠に他ならない。そう、ずっと首にリードをつけて、自分の手元に置いておくためのね。当然、彼に自由などありません。あなたに外で働くことを妨害されて、それなのに、毎月渡されるお金はごくわずか。喘息がすっかりよくなっているにもかかわらず、家に引きこもっている以外、彼に選択肢はなかったでしょう。まさに、あなたの思う壺でしたね……。彼があなたに暴力をふるいはじめたということをのぞけば」

「あ……」


 ウロマのその言葉に、信子ははっとしたようだった。


「まさか、あなたは、直春の暴力が私のせいだったとおっしゃりたいの?」

「そりゃあ、そうでしょう。彼にとっては、あなたはいわゆる毒親で、とてつもなく鬱陶しい存在だったでしょうからね。殴りたくもなるでしょう」

「そんなはずありませんわ! 私はいつだって、喘息の直春のために――」

「はっは。あなたは今まで、そんなふうに、痛いところを指摘されるたびに、息子さんの喘息のことを持ち出して、自分の行為を正当化してきたんですね」


 ウロマはもはや嘲りを隠そうとはしなかった。


「おそらく、あなたにとって、直春君の暴力のことをカウンセラーに相談するということは、噛み付き癖のあるペットの犬をトレーナーに預けて矯正させてもらうのと同じような感覚だったのでしょうね。しかし、当然ですが、直春君は犬ではない。一人の人間ですし、カウンセラーたちもまた、そのように扱います。そして、あなたと彼からそれぞれに話を聞き、すぐにあなたのありように問題があると気づいたことでしょう。あなたは本当にわかりやすい例ですからね。きっと、彼らは異口同音に、あなたの顔色を伺いながら遠まわしに、こんなことを言ったはずですよ。『お母さん、少々息子さんに構いすぎではないでしょうか。彼と少し距離をとってみてはどうですか』『彼はもう大人です。母親とはいえ、何でも気を使う必要はありませんよ』『息子さんの喘息なら、そんなに心配はいらないですよ。彼はもう一人でも大丈夫です』などとね……。どうですか? 僕の想像、当たってますか?」

「そ、それは――」


 信子は愕然としたようだった。まさに図星をつかれたという反応だ。


「そして、そんな彼らの、非常にまともなアドバイスに対して、あなたは烈火のごとく怒り狂ったことでしょう。あなたの中には、重病人である息子を支えてあげられるのは母親の自分だけだという、絶対正義の大義名分があったでしょうからね。その強固な盾がある限り、彼らの言葉は決してあなたには届かない……。まあ、それは結局、あなたの身勝手な思い込みに過ぎなかったわけですが」

「お……思い込みなんかでは……」


 信子はもはや青息吐息で、反論すら辛そうだった。


「おそらく菊池さんは、今まで一度たりとも直春君の気持ちについて、ちゃんと考えたことはないでしょう。しかし、僕は、なぜ彼が唾棄すべき犯罪行為に手を染めてしまったのか、よくわかる気がするのですよ。あなたは昨日、僕にこう言っていましたからね。自分は昔からパソコンは苦手だと。つまり、彼にとって、ネットの世界は機械オンチのあなたに唯一干渉されない聖域だったのでしょう。だから、そこでなんとか自分の自由になるお金を稼ぐしかなかったわけです。実際、あなたは一つ屋根の下で暮らしながら、彼がパソコンを使って何をしているのか、まったく理解していなかったわけですしね」

「わ、私は直春の母親です! あなたなんかより、ずっとあの子のことを理解していますわ!」

「なら、どうして、今日まで彼の犯罪行為に気づかなかったのでしょうかね。僕は昨日、あなたの話を聞いただけで、彼のやっていることがすぐわかりましたよ。なんせ、買ってきたばかりの雑誌をバラバラにしているというんですから。そんなの誌面の内容をスキャンしてパソコンに取り込むために決まってるじゃないですか。それがウェブデザイナーとやらの仕事だとしたら、考えられるのは一つです。最近はそういうものの取締りが厳しくなっているのに、よくやるものですねえ」

「まさか、あなたは全部知ってて、それであんな角砂糖を私に押し付けたんですの?」

「はい」


 けろっと答えるウロマだった。灯美はぞっとした。なんというゲスさだろう。


「しかし、僕は別にあなたになにも強制はしていません。ただ、あなたに選択肢をご用意しただけです。それを選び、実行したのは菊池さん、あなたご自身です。あなたがもし、僕なんかのところに来る前に、善良なカウンセラーたちの言葉に耳を傾けていたら、あるいは、直春君ときちんと向き合って話し合っていたら、彼が逮捕されることは決してなかったのではないでしょうか」

「あなたは直春が逮捕されたのは私のせいだとおっしゃりたいの!」

「そうですね。一般に、成人している子供の犯罪行為を親の責任だと決め付けるのは、とてもばかげたことですが、彼の場合は例外的にそうだと言えるでしょう。あなたが彼をそこまで追い詰めたのですよ」

「ふざけないで!」


 信子は立ち上がり、事務机を両手で叩いて叫んだ。その目からはぽろぽろ涙があふれており、体は小刻みに震えていた。


「菊池さん、直春君はすぐに釈放されて家に戻ってこれるでしょう。そう遠くないうちにね。そのときまでに、少し頭を冷やして、今まで母親として彼にやってきたことを思い返してみるといいでしょう。僕がカウンセラーのはしくれとしてあなたに言えることは、今はそれだけです」

「何がカウンセラーですの! あなたなんか、ただの詐欺師じゃないですか!」


 信子は顔を真っ赤にして怒鳴ると、そのままつかつかと外に出て行ってしまった……。


「やれやれ。あの人ときたら、ろくに人の話を聞かずに帰ってしまいましたよ。なんのためのカウンセリングだったんでしょうかね」

「先生の言い方が悪いですよ、いくらなんでも」


 途中から、ただ相談者を煽っているだけにしか見えなかった灯美だった。


「まあ、それは仕方ありませんね。やさしく遠まわしに言っても、彼女には決して伝わらない。彼女は永遠に自分が間違っていたと理解しない。だからこそ、彼女は無辜のカウンセラーたちの屍を乗り越えて、僕のところまでたどり着いてしまったわけですし。実にご愁傷様です」


 はっはっはとウロマの楽しそうに笑う。他人の家庭をぶちこわしておいて、この笑顔である。


「それによく考えてもみてください。彼女たち親子の未来はともかく、僕のおかげで、一人の犯罪者がきっちりお縄になったわけですよ? 著作権を侵害されていた出版社にしてみれば、僕とてもよいことをしたと言えるでしょう。天網恢恢疎にして漏らさず、です。いやあ、そう考えると、実に爽快な気分ですよね!」

「せ、先生は鬼か悪魔かなんかなんですか?」


 灯美は頭がくらくらしてきた。果たして自分は、こんな人のもとで働いていて大丈夫なんだろうか?

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