悪魔の隠し事
「それで、さっきのは何だったの?」
「ああ、
「そっちじゃなくて! あの化け物だよ!」
夜の森の中、俺は涙目になりながらパンツ一丁になっていた。
先程自ら化け物の唾液を付着させてしまった服を脱いだからである。幸い、パンツまでは湿っていなかった。さっきは
「あれはオルトロスですわね。この星の魔物ですわ。あの大きさから、きっと百年以上は生きていますわね。そもそも日光が苦手なオルトロスは自身の住処である森や洞穴から出ることはないので、きっとこの森に昔から棲みついていたのですわね。この辺りには洞穴も無いですし……」
ヘカテーは相変わらずふわふわと
「要するに、あんなに大きなオルトロスが私の住んでいた森にいる以上、私の居た時代でないのは間違いないですわね」
「ということはやっぱり、ルメさんの言う通りここはマリナやヘカテーちゃんたちが居た時代の百年後の…………ぶわっくしょい!!」
流石に寒い。本当の葉擦れが聴こえる風が吹く度に、鳥肌が立っている。体感気温は十度も無い気がする。
「あら、人間。私が暖めてさしあげましょうか? いろんな方法を知ってましてよ」
「普通に服をくれないか。魔法で服とか出せないかな」
「ふん、つれない人間ですわね。とりあえず」
ヘカテーはそう言うと、人差し指を一本高くつき上げ、そのまま腕を振り下ろした。
ヘカテーの指が空中で描いた部分にゆらゆらと光る線が出現した。この輝きはどこかで見たことがある。
――そう、俺のダンテちゃんポスターを掻き消したあの光に似ている。
「さて、とりあえずここに入るのですわ」
ヘカテーはそう言いながらまるでヒビの入った膜を破るように光を両手で開いた。
「入るって……これ大丈夫なのか?」
「次元の狭間、ですわ。場所自体は何も変わらないですけど、空間次元が違うのですわ。んー、
少しも何も、何にも分からん。でもそうだな、たまには
どちらにせよこのままだと寒くて死んでしまう。
* * *
指示された光の隙間から中に入ったが、景色自体は先程と何ら変わらなかった。
強いて言うなら少しだけ色合いが違うというか、周りの景色の彩度がおちているような感じだ。
そして無風だった。音もほとんどない。
「ここなら、次元干渉できる存在以外には気付かれませんわ。とりあえず夜の森は魔物の
あとから入ってきたヘカテーの顔には少々疲労の色が見受けられる。
助けられてばかりの俺は、
「わかった。んだけどさ……」
風が無い、魔物からの干渉も無いのは有り難いんだけど、パンイチは寒い。
「ああ、服、ですわね」
「うん。頼めるかな」
「とりあえず、そこに横向きに寝てもらえますかしら?」
そう言ってヘカテーが指差した「そこ」はどう見ても地面だった。
いや、雑草は生えているから痛くはなさそうなんだけどさ。
「こうか?」
服がもらえるなら仕方がないと、俺は言う通り雑草の生い茂る地面に横になった。
見える位置に立っていたヘカテーが歩いて見えなくなったかと思った次の瞬間、
「――――っ!!」
ドサッとした衝撃を伴って、俺の背後に温かいものがくっついた。
その後すぐに腕が俺の半裸の上半身に巻き付いた。
「どうですの? 暖かいですの?」
背後からヘカテーに抱擁されたようだった。
ヘカテーの服越しの体温が俺の上半身に熱を伝える。
「申し訳ないですわ。私に衣服を造形する魔法は使えませんの。その代わり、こうして直接暖めることはできますわ」
心なしか上擦った声のヘカテー。俺の大胸筋辺りにある右手にも、少し力が入っているように見える。
「ヘカテーちゃん?」
「な、なんですの」
「もしかして、ちょっと緊張してるの?」
「はぁ? 何を言ってますの人間。私は色欲の悪魔ユースから男を手玉に取れる程の教えを貰っているのですわ。こんなことくらいで緊張など」
「あはは、そうだったね」
考えれば、ヘカテーはまだ十五歳なのだ。
いくら熟練者からの教えがあろうとも、その辺はやはりまだ子供なんだよな。
今まで散々余裕たっぷりにからかってきたくせに……って童貞の俺が言えたことじゃないけども。
「なんか、その余裕っぷり、腹が立ちますわね」
「余裕だなんてそんな」
「まあ、いいですわ。で、どうですの? 温かいですの?」
「うーん、そうだな……」
ここはちょっと意地悪をしてみようか。今までのお返しを込めて。
「ちょっと微妙かなあ」
「そ、そうですの……」
「うん、ヘカテーちゃんも服を脱いでくっ付いてくれたらもっと暖かいかなー、なんちゃって」
さあ、困るか? 怒るか?
というか俺、なんでこの状況で最低なこと言ってるんだろう。命の恩人に。
「わ、分かりましたわ。それがマリナストライアの為になるのでしたら……」
ここで俺は我に返った。
そうだ。
いつ何時も、ヘカテーは何よりもマリナを一番に考えていた。俺を助けるのも、俺の為にいろいろとしてくれるのも、最終的にはマリナの為だ。
マリナの為。俺の彼女の為に、ここまで多くを犠牲にしてまで献身してくれる恩人に対して、俺はなんてひどいことを言っているのだろう。
「ヘカテーちゃん、冗談だ」
……いやまあヘカテーにいろいろとされた酷いこともあるけれどさ。
それを差し引いても、俺はヘカテーともっと向き合って、一緒にマリナを救わなければならないなと、強く思念した。
と思っていると再び背中に優しい衝撃があった。
そして明らかに先程よりも温度が高い。そして柔らかい。
「ヘ、カテーちゃん!?」
「もう遅いですわ。その代わり、振り向いたら殺しますわよ」
震える声で俺の背中にくっつくヘカテー。
きっと今俺は背中に感覚を感じる神経の全てが集まっている気がする。
「殺すって……前、ヘカテーちゃん俺の前で裸になってたじゃないか」
「あの時は……その……」
「その?」
「もう! な、なんでもないですわ! と、とにかく振り向いたら冥魔法の餌食ですわよ」
珍しく随分と歯切れの悪いヘカテー。
俺はよくわからない高揚感と緊張感で湧き出るドーパミンを丁寧に脳の隅に追いやりながら、改めて恩人に言葉を紡ぐことにした。
「ヘカテーちゃん、本当にありがとう」
「何がですの? 裸の女の子とくっ付けてそんなに嬉しいんですの?」
「そうじゃなくて、マリナのことさ」
俺は目の前の彩度の下がった雑草を見つめながら、マリナの笑顔を思い浮かべた。
「俺一人じゃきっとマリナを助けられないし、ヘカテーちゃんがマリナのことを大切に思ってくれているからこそ、こうして救う機会を得られたと思うんだ」
「……」
「そもそもマリナを地球に飛ばしたのもヘカテーちゃんだしな」
「……」
「それにマリナの為にしろ、こうして俺に何度も救いの手を差し伸べてくれて、俺は本当に救われているよ。ありがとう」
三呼吸ほどの沈黙の後、背後のヘカテーは口を開いた。
「ユウスケ」
「お、初めて俺のこと名前で呼んでくれたね」
「ユウスケにお願いがあるのですわ」
「……うん。返しきれない恩もあるし、きくよ」
俺の上半身に巻きつくヘカテーの腕がより一層強張る感じがした。何を言うつもりだ?
「何があっても、どんな事実を聞いても、ユウスケはマリナを助けるために動いてくれますか?」
ヘカテーが俺の後頭部付近で放つその問いは、ヘカテーらしからぬ口調で、ヘカテーらしからぬ弱々しいものだった。
「どういうことだ? 当たり前だろう、彼氏だしさ。マリナが四半魔だと分かっても、俺の気持ちに何ら変わりはないんだから」
「……その、気持ちが問題なんですの」
おかしい。ヘカテーから聞いたことのない本当に弱っている人の声がする。
「どういうことだ?」
「お願いですわ。何があっても、マリナを救うために動くと、誓ってください」
「誓い?」
「そうですわ。悪魔との誓い、ですわ。絶対に揺らいではいけない誓いですわ」
迷うまでもない。誓うまでもないさ。もとよりそのつもりだ。
だが、弱々しいヘカテーの為に、敢えて声にしてあげた。
「誓うよ。俺は絶対にマリナを救う。何があっても。どんな事実を聞いても」
「本当ですの?」
「ああ。悪魔との誓いだ」
何か悪魔との契約みたいでちょっと中二心くすぐるな、なんて思っていた俺に告げられたヘカテーのその後の言葉は、俺にとっては途方もない不透明な絶望感を抱かせるには容易かった。
「ありがとうですわ。それでは告白いたしますわ。そして深く謝罪致しますわ。ここに来る前に、あの堕落者の言っていたこと、なのですけど……」
堕落者――プロフェットであるルメさんの言葉?
『忘れるところじゃった。赤い髪の娘よ。お前が男に隠しごとをしているのはお見通しじゃ。向こうに着いたら、それは必ず正直に男に話すのじゃぞ。それができぬなら一生地球には戻ってこれぬと思うておけ』
隠しごと……。
ヘカテーが俺に何か隠していることがある?
「
「魔法……」
出会って間もない頃?
俺は爆発的に嫌な予感が広がる。
俺の中の不透明な感情。そして理屈では理解できない思考。
ヘカテーの言った、さっきの釘を刺すような言葉。
「ユウスケ、あなたには冥魔法の一つをかけたんですの」
「冥魔法……」
「ええ。その魔法の名は
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