ツクヨミノミコト

「月弓さんってもしかして……」


 ルメさんの弟だったりします? とは声できなかった。

 どう見ても二十代半ばのなかなかナイスバディな女性である月弓に、凄く失礼な問いな気がしたからである。


 しかしながら手のひらの上の金色の破片がそう示している。

 ルメの妄言では無ければ、ではあるが。


 俺が沈黙することしかできずにいると、月弓は唐突に大きな溜め息をついた。

 と思った次の瞬間には先程までのたれ目ではなく、ギリリと効果音が鳴りそうなほどの吊り目で俺をしっかと見つめていた。


「んで、僕に何の用かな? ユウスケくん」


 声質まで変わっている気がする。

 その表情や仕草は、明らかに先程までのおっとりテキトーなイタめの喫茶店の店長ではなくなっている。


「あの、やっぱり月弓さんが、ルメさんの、その……」

「あの女は今そう名乗っているんだね。ああ、そうとも。残念なことにね」


 マジかよ……嘘だろ。

 というか、弟って?


「だが正確には弟ってのはちょっと違うね。僕には性別という概念がないんだよ」


 やれやれといったポーズで吊り目を閉じる月弓。

 変な人だと思っていたけど、やっぱり普通の人ではなかったようだ。

 というかどんだけ地球ここには普通じゃない存在が紛れているんだよ!


「まあ、そうだね。言葉で表すなら、はんと言ったところかな。男でも女でもない。だから、弟ってのは少し違うね」

「そ、そうですか」


 まさかルメの弟が既に会ったことのある人物だとは思わなかったが、ここで俺の脳内には当然の疑問が一つ浮かんだ。

 何故、人ならざる月弓とつかさが知り合っている――?


「月弓さんは、つかさとどういう関係なんですか?」

「ふーん? ユウスケ君、そんなことを訊きに来たわけじゃないんでしょ?」


 俺の質問は一蹴されたが、その通りだった。

 今、俺がすべき行動はただ一つ。


「そうでした。月弓さん、俺について来てください」


 * * *


 驚きの連続だった。

 マリナのバイト先の店長がルメの弟だったこともそうだが、『喫茶よしむら』を出る際に、


「それじゃユウスケくん、ちょっと離れててね」


 と気だるそうに言った後に、月弓が眼を閉じて何かを口ずさみながら両手を強めに合わせて、パン! という大きな破裂音が鳴ると、『喫茶よしむら』は消失したのだ。え?


「僕が留守の間にお客さんが来ても困るし、一時的に物理閉店ということさ。まあ今は滅多にお客さんは来ないようになってるんだけどね。ちょっと前までは普通の喫茶店だったけども」


 先程まで喫茶店だった場所には、手前の通路から延長されたようにコインロッカーがずらりと並んでいるだけだった。

 

「さて。それで、どこに行けばいいんだい? どうせあの女のもとだろう?」

「……ルメさんのことすごく嫌そうにしている割には、協力的ですね」

「そりゃ、金色の破片そんなもの見せられたらそうするしかないさ。僕だって消されるのは嫌だしね。あれでもあの女は凄い力を持っているから」


 心底嫌そうな顔で月弓は両手を頭の後ろに組んで歩き出した。

 あの女――ルメさんってやっぱりものすごい存在だったのか。

 俺からしたら、白米好きの幼女にしか見えないんだけど。



 家に戻る道中、月弓はいろいろと話してくれた。

 どうやら月弓もルメと同じくらいの年齢らしく、一時期はルメに仕えていたらしい。

 数百万年前頃、太陽と月の偉さで口論となり、それ以来犬猿の仲ということだった。


「その節は人類には迷惑をかけてしまってね。なにせ僕が太陽にジャミングを仕掛けて地球の表面が凍りついちゃったりしたから」


 それってもしかして氷河期のことですか。

 ……カミサマッテスゴイネ。


 家に着くと、ヘカテーが居間の隅で体育座りをして泣きべそをかいていた。なんで?


「にんげぇええん」


 ヘカテーは帰宅した俺の顔を見るなりふわりと飛んできて、腰に抱きついてきた。


「どうしたの?」

「あの堕落者が、私を、私をぉぉぉ……」


 ヘカテーはテーブルにつくルメを指差しながら俺の服に顔を擦りつけている。

 ちょうど良くてなんとなく頭を撫でてしまった。普段の気の強い状態のヘカテーなら電撃ブロンティを仕掛けてくるかもしれないところだ。


「ふん。わらわに生意気を言うのが悪いのじゃ」

「ルメさん、何したんですか?」

「なーに、その赤いチビが悪態をついたので死をチラつかせてやったのじゃ。臨死体験、というやつじゃな。ほんの数秒じゃが」


 怖! ルメさん怖!

 そんなしつけみたいに死をチラつかせないでください。


 身がすくみながら直下のヘカテーの赤い頭を見ていると、


「ブブゥー!!」


 思い切りヘカテーが俺のシャツで鼻をかみやがった。おい!

 ガシリとヘカテーの頭を掴んで離し、びよんと伸びた鼻水を見て俺が苛ついていると、


「ふん、久しぶりじゃのう、ツクヨミよ」

「ボクは会いたかったわけじゃないけどね、姉さん」


 月弓とルメが話し始めた。

 離してもなお俺の服で涙や鼻水を拭おうとするヘカテーの頭を必死に押えながら、俺は神と神の会話に耳を傾ける。


「して、ツクヨミよ。憎きお前を呼んだのは他でもない、お前の力を借りる為じゃ」

「どうせ僕には拒否権はないだろうしね。いいよ、同じ存在のよしみできいてあげるよ。それで、僕は何をすればいいのかな?」

「お前の時を遡る力を、そこの男に施して欲しいのじゃ」

「それは別に良いけど、それって僕や姉さんにとって利益はあるの?」

「聞いて驚くでないぞ? そこの男はわらわに田の実を振るもうてくれたのじゃ」

「は? 田の実?」


 満足そうな笑顔で眼を閉じるルメと、訝しげな表情をルメに向ける月弓。


「そうじゃ。しかも何度も何度もじゃ。これは、恩義を返さねばならぬじゃろう?」

「……」


 もしかして、神様に米をご馳走するのって、そんなにすごいことなの?

 神様の力を借りられるなら、お米くらいいくらでもあげますけど。

 というかいい加減俺の服でいろいろ拭うのやめてくれヘカテー!


「そうか、姉さんはしばらく地球から離れていたから知らないよね。最近は米は特に希少でもないし、比較的安価で簡単に手に入るんだよ」

「なんと! そうじゃったのか。それではわらわが男に力を貸す理由が無くなってしまったのう」


 いやいや、それは困る!

 ほら、米には七人の神が宿るとかって言いますし……って神様相手に通用するわけがないか。


「ルメさん、そう言わずにおねがいします! 俺、なんでもしますから」

「そうじゃのう……」


 ルメは口を尖らせて顎に人差し指を当ててから、


「では、しばらくの間、わらわをここに住まわせてくれるか?」

「い、良いですよ!」

「そうか、それならばよいじゃろう。というわけじゃ、ツクヨミよ」

「ふーん。ユウスケくん、いいの? 簡単に返事しちゃって」


 ……何かまずかったでしょうか?


「この女の言うは、恐らく想像をはるかに超えているよ?」


 もしかして数年、数十年とか?


「それに、きっとユウスケくんもこの女の融通の利かなさに、困ることになると思うけど。それでも了承するのかい? 僕はお勧めしないけどね」


 月弓はため息交じりにそう言った。

 人生 (神生?)の先輩としてのアドバイスだろうが、熟知する知り合いとしてのアドバイスだろうが、そんなことはどっちでもいい。


 俺には選択肢は無い。ただ、マリナを救うだけだ。


「問題ありません。どうか、俺に力を貸してください」


 俺は二人に向かって深く頭を下げた。

 ゴン! とヘカテーの頭がぶつかった。


 * * *


「それにしてもツクヨミよ、今は人間に混じり月弓つきゆみと名乗っているそうじゃな」

「だって、ツクヨミノミコトって名前、時代遅れって感じでダサいじゃん。ユウスケくんもそう思うよねぇ?」


 月弓ツキユミ ミコト、ツクヨミノミコト。

 いやほぼ同じ名前じゃないですか。違いが分からん。


「それに、ほら、今僕は二十代の女性に扮しているしさ。ツクヨミなんて名乗ったら珍しくて浮いちゃうでしょ?」


 月弓も十分珍しい、ってか存在するのだろうか?

 俺が月弓の質問攻めに困り果てていると、察したかのようにルメが割り入ってきた。


「無駄口はそこまでじゃ。さて、男よ、準備が良いかのう?」


 準備、というのは、異世界プリュギアに行く準備ということだろう。

 ……何をどう準備していいか分からないんですが。


 俺が異世界プリュギアに行く間、マリナはルメが見ていてくれることになった。

 元地球の神が看ていてくれるなら心強いことこの上ない。


「ちなみにじゃ。そこの赤髪のチビも一緒に行ってもらう。そのほうが何かと不便もないじゃろう。わらわが一度に転移させられるのは三人が限界じゃ。ツクヨミと男、それに赤髪の三人で良いかのう?」


 良いも何も、俺には選択権は無いように思えた。

 それに、ヘカテーが一緒に来てくれるのは心強い。土地勘もあるだろうしな。


「お願いします」

「ふむ。良い目じゃ。精々頑張るのじゃな。ツクヨミよ、あとはさっき言った通りに頼むぞ」

「はいはい。仰せのままに、お姉さま」


 だらっとした月弓の声が居間に響いた次の瞬間、俺の居間はグニャリと曲り始めた。

 テーブルも壁も、両手をこちらに向けるルメの姿も溶けるように歪んでいく。


「忘れるところじゃった。赤い髪の娘よ。お前が男に隠しごとをしているのはお見通しじゃ。向こうに着いたら、それは必ず正直に男に話すのじゃぞ。それができぬなら一生地球には戻ってこれぬと思うておけ」


 隠し事――?

 何のことか全く理解できぬまま、ルメの声が反芻しながら俺の意識は途切れた。

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