本当の神様

 あれから三日が経過した。

 マリナはまだ眠ったままだった。


 食事を摂らなくても体内の組織や状態を細胞単位で整える魔法をヘカテーが定期的に使ってくれている――もうヘカテーは俺の中では天使だ――ので死んだりしてしまうことはないらしい。

 だが、こっちがまるで生きた心地がしない。


 つかさも定期的に見舞いに来てはくれるが、俺もつかさもどうすることもできないもどかしさを募らせることしかできない。


 一寸先は闇とはよく言ったものだ。

 ほんの数日前まで、恥ずかしながら俺の彼女として麗しくも愛おしく笑い怒り脈打っていたマリナが、僅かな記憶の刺激で目を覚まさなくなってしまった。

 首まで掛けられた掛布団が優しく上下する様を見ながら、己の無力さを呪った。


 それはヘカテーも一緒なようで、ここ数日はいたずらにふわふわ浮くこともなく、ベッドの傍で意気消沈気味に正座をしてひたすらにマリナの様子を眺めている。


 俺が一体何をしたって言うんだ?

 どれについての罰だ? なあ神様よ。


 ……今はエリュが神様なんだっけか。

 と、待てよ?


「なあ、ヘカテーちゃん」


 自室の椅子に座りながら、首だけをヘカテーに回して俺は久しぶりに発声する。声が掠れた。


「なんですの、人間」


 ヘカテーは視線をマリナから逸らすことなく短く返事する。


「エリュなら、なんとかできないだろうか。ヘカテーちゃんより優秀な悪魔だし、それに神様になった今なら起きないマリナを何とかしてくれないかな」


 五歳の少女に助けを求める二十歳男性。情けないがなりふり構ってはいられない。


「残念ながら、きっと無理ですわ」

「どうして?」

「そもそもあの悪魔は、素質はあれども冥魔法以外は覚えていないはずですもの。ましてや原因不明で目を覚まさない人間をどうにかする魔法など聞いたこともないですわ。悪意や故意による睡眠や昏睡状態でしたらそれを打ち消す白魔法も無きにしも非ずですけど、今回マリナストライアが目を覚まさないのは悪意でも故意でもなさそうですわ。それに、白魔法は私ども魔族に扱える魔法ではないですわ」

「でもマリナにずっと治癒みたいな魔法かけてたよな。あれは白魔法じゃなくて?」

「あれは単なるそう魔法ですわ。体内のバランスを操作……要するに誤魔化しているに過ぎませんわ」


 白魔法にそう魔法ときたか。いよいよそれっぽいな。


「神様が駄目なら――」


 それより上の存在、ってことになるよな。

 他力本願甚だしいと嘲笑されてもいい。今はとにかくマリナの目を覚まさせてあげたい。


「飴乃みなか。あの人なら、この状況を打破してくれるかな」

「あ、あの概念をまたここに呼ぶつもりですの? わたくしはあまり……いえ、二度と遭遇したくないですわ」


 オッドアイを細めて苦い顔を向けてくるヘカテー。

 まあそうね、あんな異次元空間の発現とか見せられたら畏怖の対象としか見れませんよね。


「でも現に、マリナやヘカテーちゃん、エリュちゃんの地球での存在を認めてくれたし、飴乃みなかなら何とかしてくれるんじゃないかな」

「本気で呼ぶつもりなんですの?」


 マリナが目を覚ましてくれるなら、何でもするさ。


「まあ呼び方が分からないけどね。大声で呼びかけたら来てくれるかな?」

「なんて安直な発想かしら、やはり人間というものは低俗な種族ですわね」

「ヘカテーちゃんも半分それだぞ」

「ぐっ……ま、まあわたくしは優秀ですのできっと高貴な人間と悪魔のハーフなのですわ。……きっと」

「そういえばヘカテーちゃんは自分の親とか家族とかのことは覚えてないの?」

「そうですわね、考えたこともなかったですわ。気が付いたらわたくしは森に棲んでいましたし……どうして私はずっと一人だったのかしら」


 眉を寄せて目を落とすヘカテーを見て、寂しそうな顔だな、などと思ってしまった。

 自分の生みの親すら知らず、幼少から一人ぼっち。

 さらには魔族というあまり歓迎されていないであろう種族。

 どこか昔の自分と重なり、感情移入をしてしまう。ヘカテー、俺はお前の味方だぞ。


「あら人間、慈悲と同情のオーラで感傷に浸っているところ悪いですが、他に考えることがあるはずですわ」

「っと、そうだったな」


 俺はベッドに眠るマリナに目を移す。

 陶器のように白い頬に手を伸ばし優しく撫でてみたが、マリナは整然と呼吸をするのみで反応はない。


「飴乃みなかならきっとなんとか……どうやったら来てくれるだろうか」

「さあ。あの概念はわたくしの知識の範囲外の存在ですもの。分かりませんわ」

「んー、強く念じてみるとか? 心の中で強く意識してみる、みたいな」


「それは無理な相談じゃな」


 俺の問い掛けに応えたのはヘカテーではなかった。

 もちろんマリナでもなく、つかさやエリュでもなく、ましてや飴乃みなかでもなかった。


 いつの間にか気配もなく俺の部屋の壁際――今は亡きダンテちゃんのポスターがあった壁付近――に目を閉じたまま立っている少女。

 どうやらそいつが俺の問いかけに応えたみたいだった。


「ど、どちら様?」


 もういきなり知らない人が出現しても驚かなくなっている自分に呆れつつも俺はその少女に問う。

 ヘカテーはというと、何故か先程から目を見開き俺の方を向いたまま固まっている。


「わらわか? わらわは、言うなればそう、この世界における信仰の対象であり奇跡の象徴であり数多を知り尽くす存在じゃ」


 まーた厄介そうなのが現れた。

 、とか言ってるけど見た目は完全に少女……むしろ幼女だ。


「えと、つまり?」

「つまりじゃ……この星を統べる者。この星の生命体は神などと形容しておるな」


 びっくりするほど長い黒髪を艶めかせながら、目を閉じたまま腰に手を当てている。

 太陽のような形の金属製と思われる髪留め (なのか?)を頭に付け、白と赤が基調の――まるで巫女のような恰好をしているそいつは、どういうわけか親近感があった。


「神、ですか」

「そうじゃ。神じゃ」

「でも、今地球の神はエリュですけど」

「む? エリュ? 誰じゃそれは」


 怪訝な顔に開かれた瞳は、しっかりとした茶色だった。

 純和風というか、何だろう、親近感はそのせいかな。


「エリュアーレという子で、此間こないだ、飴乃みなかさんが選定し任命した新しい地球の神様です。なんでも、しばらく地球には神様が不在だったみたいで――」

「なんだってえええ!?」


 和風少女の突然の爆音の叫びで耳が飛び散るかと思った。

 今の叫声きょうせいでヘカテーも我に返ったのか、シュバッと叫び声の方へ振り返った。


「あの女ぁ、また勝手に何でも決めやがって! 一体どれだけ振り回せば気が済むのじゃ! こっちは長い間言うこと聞いてやったというのに、人の気も知らないで――」

「あら、どうにも怠惰くさいと思ったら、どこぞの堕落者じゃないですの」


 口調が変わって憤慨する和風少女に、ヘカテーが意外な声を掛けた。

 堕落者だって?


「……む。赤髪のチビよ、わらわと会ったことがあるようじゃな」

「チッ!? そ、そっちの方がチビですわ! どうみても! ですわよね!? 人間!?」


 ……五十歩百歩でーす。


「ヘカテーちゃん、知り合い?」

「そんなことよりどうですの? どちらがチビだと思いますの!?」

「その憤怒模様、心も器も小さいと言わざるを得ないようじゃな」

「キィイイイ! 腹が立ちますわ! 堕落者のくせにわたくしに楯突くのでしたら許しませんわよ」

「人間は図星を突かれると憤る存在じゃ。ちいとばかし人ならざる者のようじゃが」


 ませた子供の喧嘩を見ているようで歳をとった気分になったが、それを満喫している場合ではない。

 どう考えても普通の人間じゃなさそうな和風少女、ヘカテーが堕落者と言ったその幼女は、


「折角わらわが神業しんぎょうに舞い戻る故にこうして帰還したというのに……こうなったら好きにさせてもらうとしようかの。わらわは久しぶりに田の実が食べたいのう。そこの男、煮炊いた田の実を持ってきてはくれぬかのう」


 ……お米が食べたいようです。


「それは、別にいいですけど……ヘカテーちゃん、知ってる人?」

「その趣味の悪い格好のチビのことですの? 知ってますわ。どうやってここに来たかは分かりませんけど、わたくしの居た世界の、プリュギアで偉そうにしていた堕落者、預言者プロフェットですわ」

「プロフェット?」


 プリュギアに於いて、未来予知とまで言われる預言を十五歳の人間に授ける存在。

 マリナがそう説き、絶大な信頼を寄せたプロフェットが、今俺の部屋で大あくびをしながら眼を擦っている。


「あの、どうしてここへ?」


 目尻に涙を滲ませる和風幼女に、俺は混乱気味に訊いていた。


「どうしても何も、わらわは元々ここ地球の神じゃ。アメノミナカヌシとの契約終了と共に舞い戻ったというわけじゃ。それよりも、ほれ、田の実はまだかのう?」


 指をくわえる和風幼女。

 頭の中でメダパーニャが炸裂する中、分かったことが一つ。


 俺の部屋に突如出現したこの和風幼女も、間違いなくとんでもなくぶっ飛んだ存在だ。

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