忘れられた究極魔法

「そんな訳が、だってマリナは両親ともに勇者だって言ってたぞ? それに――」


 ――ガタン!

 俺の言葉を遮るように大きな音が浴室の方から聞こえた。

 直後すぐにマリナが浴室側から駆けてきた。


「師匠! 今のはどのような冗談なのですか」


 まさか浴室に居るマリナにつかさとの話が聞こえていたのだろうか?

 そんなはずはないと思える程、つかさの声は控えめであった。

 それこそ、地獄耳でもなければ。


 ――わたくしの耳をそこらの人間と一緒にしないでほしいですわ。


 直後、俺はヘカテーの言葉が脳内で再生された。

 まさか、本当にマリナも……?


「ああ、マリナちゃん! 聞こえちゃった? ごめんな」

「師匠、そんなはずはないです! 私の両親は共に勇者のはずです! メーディアにはずっとそう言われて」

「いやー、俺もマリナちゃんが魔族だとか思いたくはねえけどよ。俺が読んだ記憶では、マリナちゃんは四半魔なんだよな」


 つかさ、やめてくれ。

 物凄く嫌な予感がする。


「よんだ……る力を駆使したということでしょうか? ですが、そんなはずは! 確かに幼少の記憶はほとんどありませんが私が魔族の血を引いているなど」

「もしかしてなんだが、マリナの父さんって、グランストライア・ヘイリオスって名前じゃないか?」

「えっ」


 一歩、マリナは後ずさった。

 それが図星ということを物語っている。


「俺の記憶に間違いがなければ、その四半魔の父親の名前がグランストライア・ヘイリオスだ。半魔と結ばれて、マリナストライアを生んだって話だったはずだ」


 やめてくれ、これ以上口を開かないでくれ、と強く思いながらも、俺は何も言うことはできなかった。

 さっきから冷や汗が止まらない。


「そんな……私が、魔族……?」


 マリナは震わす両手を見つめながら碧眼をぐらつかせた。

 ヘカテーもやはりさっきからずっと動かない。


「まあ、魔族だろうが、ユウスケにとっては関係ないよな?」


 つかさがフォローのようにそう言ったと同時に、マリナは絨毯の上に力なく倒れてしまった。


「マリナ!!」


 俺は顔からうつ伏せのように倒れ込んだマリナを抱き起こす。

 初めて俺の部屋に現れた時のように顔に擦り傷を作って気絶している。


「ユ、ユウスケ、やっぱり俺言わないほうがよかったよな。マリナちゃん大丈夫かな」

「どうだろう、とりあえずベッドに寝かす。つかさ、手伝ってくれ」


 自分の両親を殺したと今まで憎み続けてきた悪魔の血が自分に流れているかもしれないとなれば、倒れてしまうのも無理はないのかもしれない。


 だが、俺の嫌な予感はこれで終わることはなかった。


 * * *


 日付が変わりそうな時間でもあった為、つかさには帰ってもらうことにした。


「やっぱり俺のせいだよな。ユウスケ、俺、どうしよう」


 珍しく弱気なつかさに、俺は無理矢理笑顔を作って、


「元はと言えば俺がつかさに話すように促したんだ。つかさのせいじゃないよ。それにマリナに聞こえてしまったのも予定外だったしな」

「でもよ、マリナちゃんが来た時に俺が話を止めていれば」

「いいや、どのみちいずれ分かることでもあったんだから。それにライトノベルの内容が全部正しいともかぎらないしさ」


 これは欺瞞ぎまんだった。

 全知全能たる飴乃みなかが書いたライトノベル。みなか本人が「実話を文章にしただけのもの」と言っている以上、つかさの読んだ『グリースの四半魔』の内容は事実に相違ないだろう。

 ということは、マリナは四半魔なのだ。なんてこった。


「マリナちゃん、大丈夫かな」

「とりあえず、俺がずっと付き添うよ。何かあったら連絡するからさ。つかさは明日も学校だろ?」

「おう……でもやっぱり余計なこと言っちまったかな」

「らしくないなぁ。 大丈夫だ! マリナも強い子だし、目が覚めたらちゃんと話してみることにするよ。きっと受け入れられるはずだ」

「……うん」


 俺の視神経はしょんぼりするつかさを無性に可愛く映したが、俺の左脳はマリナが目を覚ました時のことで一杯だった。

 どのように説明し、どのように納得させればできるだけマリナを傷つけずに済むだろうか。


 つかさを見送った後、相変わらず硬直状態で浮くヘカテーの足を掴んで俺の部屋に連れて行く。

 ベッドに寝るマリナは絆創膏を付けてはいるが安らかな表情に見える。


 沸いた風呂に入ることもなく、その日俺はベッドに寝かせたマリナに付き添った。

 茫然自失のヘカテーは無音で俺の部屋に浮いているだけで、すうすうとマリナの寝息だけが聴こえる。

 机に突っ伏す俺は、心配は尽きぬはずなのに徐々に瞼の重みに負けてしまった。



「にんげぇえんん……」


 次に意識を取り戻したのは左耳をくすぐるヘカテーの泣き声を聞いた時だった。ってなんで泣いてるの。

 すっかり窓から陽が差している。朝のようだ。


「ヘカテーちゃん、おはよう。なんで泣いてるの?」

「だって、マリナストライアが、マリナストライアがぁ!」


 俺の服にしがみついて泣きじゃくる赤髪を何とか宥めて話を聞いたところによると、マリナストライアの生命力のオーラが弱っているとのことだった。

 体育座りをするヘカテーの、短めのスカートから伸びる細い脚の付け根の純白の布地に一瞬目を奪われながらも、俺は詳しく聞いてみることにした。


「生命力のオーラって、要するにこのままだと死んじゃうってこと?」

「すぐに死ぬような感じはしないですわ。でも、嫌な予感はしますわね。このまま、目を覚まさないような……」


 鼻をぐすんと鳴らしながらも、ヘカテーは俺の質問に答えてくれた。

 こう見るとやっぱり、まだまだ子供って感じだな。


「そっか、それで悲しくて泣いてたのね」

「なっ! 泣いてませんわ! 花粉症なのですわ」


 いやいやいや。もうすぐ十一月ですけど。

 花粉症にかかる悪魔とか聞いたことないし。


「とにかく、ついてあげて、目を覚ますのを待つしかないね。ヘカテーちゃんは大丈夫?」

「何がですの?」

「あー、えーと、その、つかさが言うには半魔って話だったけど」


 やっぱりショックだったりするのだよね。悪魔としては。


「ふん。どおりで他の悪魔より能力が若干劣っていたはずですわ。あの食い意地の悪魔にすら気配察知能力でも劣ってましたし。まあある意味納得ですわ」

「やっぱり、ショック?」

「デリカシーの無い人間ですわね。まあ少しは……でももう一つ納得できることもありましてよ」


 相変わらず涙目気味のヘカテーはこれでもかと言わんばかりに長髪を手で払ってから目を閉じて言葉を継いだ。


わたくしがマリナストライアに、その……好意を寄せた理由ですわ」

「どういうこと?」

「本来悪魔は、特殊な理由がない限り仕えるべき魔王であるアイドネウス様以外の生物に意味で興味を持つことなどないのですわ。それでもわたくしがマリナストライアに惹かれたのは、人間の血が混ざっていたからと考えれば納得いきますわ」


 ちょっぴり頬を赤らめながら説明するヘカテー。

 半魔、か。道理で良い奴なはずだ。


「でもさ、能力が劣るとか言ってたけど、ヘカテーちゃんは地球ここに来るときに五次元干ディアスタシー・渉魔法レイトロギアを使ったんだよね? あれって究極魔法とか言ってなかった? それ使えるのって相当優秀な悪魔ってことでしょ?」


 悲しそうなヘカテーを少しでも励まそうとした俺の発言は、あることを思い出させることになった。


「はい? 人間、何言ってますの? ディアス……なんですの? 究極魔法にそんな魔法はないですわ」

「え、でもヘカテーちゃんやマリナ、エリュちゃんがプリュギアから地球ここに来るときに使ったって……」

「は? そんなものは……そういえばわたくし、どうやって地球にきたのでしょう……思い出せませんわ」


 ここで俺はようやく思い出したのだった。

 飴乃みなかの発言だ。


 ――マリナちゃんの世界で言う、五次元干ディアスタシー・渉魔法レイトロギアは今後存在しないものとするから☆ やっぱり基本的に世界同士の干渉はイレギュラーだからさ☆


 あの青髪概念によって、五次元干ディアスタシー・渉魔法レイトロギアは存在しないことになったのだった。

 どうやらヘカテーの記憶からも消えている。

 なぜ俺だけが記憶しているのかは謎だが。


「まあ何にせよ、わたくしはマリナストライアと共に居られればそれでいいのですわ」


 ヘカテーはそう言ってベッドに寝るマリナの顔を覗いている。

 その健気な小さい後姿を見て無性に頭を撫でたくなったが、電撃ブロンティが怖いのでやめておき、俺は居間に出て職場に電話を掛けた。

 休む連絡を入れる為だ。

 こんな時、俺の職場がブラック企業じゃなくて良かったと心底痛感する。


 ヘカテーに付添を任せ、俺は朝食を作った。

 一応マリナが目を覚ましたら食べられるように三人分。一つにはラップをかけて冷蔵庫にしまった。


 普段マリナに任せている家事をこなしながら、マリナの目覚めを待った。

 すっかり冷え切った水の入るバスタブの栓を抜きながら、俺は脳裏に嫌な予感がよぎる。


 このまま目を覚まさないのではないか――。


 渦を巻いて吸い込まれていく水を見つめながら、「きっと大丈夫」と独り言をつぶやいた。

 同時に脳裏にはケチャップ文字とマリナの笑顔が浮かぶ。


 大丈夫だ。マリナは強い子だから。



 そんな思い空しく、その日マリナが目を覚ますことはなかった。

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