つかさとかれん

 俺が時間を掛けてつぶさに話し終えると、マリナは複雑そうな顔をして口を開いた。


「師匠とのお話、教えてくれてありがとうございます。ですが……」


 まあ彼女としては複雑になるよな。

 過去に救ってくれた恩人が現在進行形で親しく、しかもそれが異性ともなれば。


「ライトノベルやテイガクとは、どういったものなのですか?」


 あ、そうじゃなくて? よく分からなかったって顔かい。


「ライトノベルは書物の一種、停学は、うーん、謹慎処分みたいなものかな」

「なるほど、それではダンテちゃんというのはどなたです?」

「うっ」


 心なしかマリナの口角が上がっている気がする。ちょっと怖いんですが。


「そんなことより!」


 かれんが微妙な雰囲気の俺とマリナに大声で割って入ってきた。ナイスつかさ妹。


「これでハッキリしたはずです! ユウスケさんには誰が必要かが!」


 黒パーカの長めの袖部分をギュッと握ってかれんは言葉を継ぐ。


「お姉ちゃんがこんなにもユウスケさんの為にいろいろとしてきたのに、それを裏切るようなユウスケさんは許せません!」

「いや、許せませんと言われても」

「ユウスケさんは、お姉ちゃんとくっ付くべきです! 一刻も早く! そこの金髪の人とは早く別れてください!」


 唾を飛ばしながらマリナを指差して怒りの表情で怒鳴るかれん。

 本気で言っているのだろうな。

 横目でマリナを見たが、なんのこっちゃよく分からなそうな顔をしている。


「あのさ、かれんちゃん」

「気安く名前でよばないでください!」

「えー……じゃ妹ちゃん、俺にとってつかさは間違いなく恩人だ」

「そうですよ! お姉ちゃんはユウスケさんみたいな童貞野郎に声を掛ける慈悲深い聖女のような人です」

「おい! 童貞野郎って言うな!」

「ユウスケ様、ドウテイとはどういう意味ですか?」

「…………」


 言えるか!


「それでだ(誤魔化した)、つかさがどんな理由で、どんな意図で俺に近づいたのか、その過程は俺は知らないし知りたいとも思わない。だけど出会ってから今まで、こうして親友と呼べるような付き合いをしてこられて俺は本当に良かったと思っているし、これからも俺はつかさとそういう関係で――」

「――かれん!!」


 説得のような口調で話していた俺の声を遮ったのは聞いたことのない悲鳴のようなつかさの声だった。

 激しく肩で息をして額や頬に汗をかいている。


「つかさ! お前いつの間に」

「師匠!」

「あ、ああ、わりい、カギ、開いてたもんで、そのまま、入っちまった」


 つかさは息を切らしながらそう言うと、椅子に座るかれんの傍に素早く歩み寄り、かれんの腕を乱暴に掴んだ。


「おねえちゃ……」

「わりいな、ユウスケ、マリナちゃん。妹が余計なことしちまったみたいで。ほら、帰るぞかれん」

「待ってよ! お姉ちゃんはそれでいいの!?」

「何がだよ。いいから帰るぞ。ほら、立て!」

「良くないよ! だってアタシお姉ちゃんのことずっと見てきたんだよ? お姉ちゃんがどれだけ本気なのかも知ってる」

「何わけの分からないこと言ってんだよ! ほら早く立て! 帰るぞ」

「立たない! アタシもうお姉ちゃんが泣いてるとこ見たくない!」

「はぁ? 泣いてねえよ、何勘違いしてんだよ」


 姉妹喧嘩のようなものを俺は黙って見ていることしかできなかった。

 口を挟む余裕など欠片もない程、姉妹は激しく言の葉でぶつかり合っていた。


「勘違いじゃないよ! アタシ知ってるもん! お姉ちゃんがユウスケさんと」

「やめろ!! 何も言うなバカ妹!!」

「バカはお姉ちゃんでしょ!」


 かれんの目から大粒の雫が零れ落ちた。


「どうして逃げるの? どうして隠すの? 壊れるのが怖いから? そしたらお姉ちゃんの気持ちはどこに行くの?」

「いいか、かれん。ユウスケは今、マリナちゃんと付き合っているんだ。マリナちゃんもスゲー幸せそうで、ユウスケもきっと幸せだ。それでいいじゃないか」

「良くないよ! お姉ちゃんが不幸になってる! あんなに努力したお姉ちゃんが辛い思いをするのはおかしいよ!」


 つかさの努力?

 俺には皆目見当がつかない。


「俺がいいって言ってんだ、それでいいだろ? 俺は……俺はユウスケが幸せならそれでいい」

「良くないよ……お姉ちゃんが、お姉ちゃんが……報われないよッ」


 椅子に座ったまま俯いて嗚咽を漏らし始めるかれん。

 つかさもかれんの腕を掴んだまま、苦い顔をそらして黙ってしまった。

 俺とマリナはただ茫然と、見ていることしかできない。


 これが修羅場ってやつか? などと状況を客観視している自分が居て、自分で自分に不快感を覚えた。


「師匠……」


 流石にマリナも何かを感づいたのか、こうべを垂れてしまった。


「い、いやぁわりいなユウスケ! 雰囲気最悪にしちまってよ! 俺がいるとやっぱり邪魔になっちまうよな。つーことでよ……」


 つかさは苦笑を俺に見せて、


「俺達、もう会わない方がいいかもな」


 明るい口調でそう言った。

 全身がビリビリと痺れるような感覚。


「待ってくれよ」


 おかしい。高校を出る時には覚悟を決められたはずなのに。


「もう会えないのは、嫌だ」


 自分で言ってて思う。なんて無責任な野郎なんだろうか。


「じゃあよ、ユウスケ」


 それを見透かしたような薄い笑みで、つかさは一つ肩で呼吸をしてから、


「俺と付き合ってくれよ、ユウスケ。俺を彼女にしてくれよ」

「つかさ……」

「ああ、認めるよ。俺はユウスケのことが好きだよ。ずっと前から、本当に好きだ。……あーあ、言っちまった」


 つかさが乾いた笑いをして、それを涙目のかれんが座ったまま見上げている。


「もう、自分じゃどうしようもないくらい好きだ。ユウスケの為なら何でもできるってくらい好きだよ。好きで好きで、本当に苦しい。助けてくれよ。ずっとユウスケと一緒に居たいよ」


 俺はマリナを一瞥する。

 俺からはつかさの方を向くマリナの表情は見えない。一体どんな顔をしているんだろうか。


「もう会えないのは嫌ってんなら、ユウスケ、俺と付き合ってくれよ。お願いだよ……」


 つかさは諦めたような悲しい顔でそう言った。

 最近俺はつかさに悲しい顔ばかりさせている気がするな。


「つかさ。俺には今、彼女が居る」


 ヘカテーの言葉を俺は思い出していた。


 ――何かを取り繕ったりせずにそのまま素直に正直に本当のことを言うのですわ。


「初めてできた俺の彼女はまさかの異世界人だ。初対面では殺されかけたし、なかなか信用もしてくれなかったし、頑固でたまに意地っ張りで、まだ地球こっちにも慣れてない部分があるからヒヤッとすることも多いけどさ。でもすごく真面目で、真面目すぎるくらいで、正直で純粋で、可愛くて綺麗で、優しくて繊細で。そんな俺には勿体ないくらいのマリナが、俺のことを好きって言ってくれて。論理や期間も関係なく俺もマリナのことが好きになってさ」


 俺は不思議と恥ずかしさを感じずにつらつらと口にしていた。

 途中からマリナが俺の方をしっかと向いて頬を赤らめていた。


「だから、つかさの想いには答えられない。本当にごめん」

「あっははは。まぁもちろん知ってたけどな」

 

 つかさが間を開けずにいつもの笑顔で返事をする。

 直後にかれんが両手で顔を覆い再び嗚咽を漏らし始めた。


「それでも」


 図々しくて自己中で無責任なのは分かってるけど。

 それでも。


「もうこれっきり会えないってのは、俺は嫌だ。俺にとって、つかさはかけがえのない恩人だし、唯一無二の大切な親友だ。我儘なのは重々わかってるけど……それでも俺は、今まで通りつかさと親友で居続けたい。だめ、かな」


 俺の孤独で辛い学生生活で奇跡的にできた唯一の親友と、会えなくなるのは嫌だ。

 それだけ、つかさは俺にとって救いだったから。


「ユウスケ、お前さあ、マジで最低な野郎だな」


 つかさはニッコリと笑い、同時に両目から涙を零した。


「振ったくせして、それでも今まで通り傍にいてくれなんてよ。俺の気持ち考えたことあるのかよ。お前と居るだけでこっちは苦しいんだよ。胸が痛えんだよ。お前とはまあまあ長い付き合いだからよ、お前の気持ちも分かるんだよ。だから辛いんだよ。お前が俺のこと女として見てないってのも分かるんだよ。それでも俺はユウスケのことが、どうしようもないくらい好きなんだよ。ひでえよ。ひでえやつだよ、ユウスケ」


 とめどなくつかさの目から溢れる涙。

 心臓が締め付けられたような気分になる。


「諦めるしかないってのも分かってるんだよ。だから俺は口にはしたくなかったんだ。本当は言うつもりもなかったし、ユウスケが幸せになるならそれでいいって、思い込もうと努力したんだよ。でもさ、胸の痛みはなくならねえよ。割り切って接することなんてできねえよ。だって、俺は……。そんな簡単に諦められたらこんなに苦しくねえよ」


 笑顔のまま涙を流し続けるつかさを、俺は見ていることしかできない。

 どんどん自分が嫌になっていく気がするね。


「諦める必要なんてないですわ、秋山つかさ」


 唐突に、高飛車気味な幼い声が頭上から聞こえた。

 見ればいつの間にかヘカテーが俺の頭上に浮いていた。


「へ、ヘカテーちゃん!?」

「なーに、男なんて生き物は脆くて弱いものですわ。秋山つかさ、あなたにはわたくしが色欲の悪魔ユースから教わった、男の誘惑の仕方を教えてあげますわ」


 ヘカテーはそう言うと地雷服のような黒い服のスカートをはためかせて俺の頭上からつかさの方へと飛んでいく。

 そしてかれんの頭上でつかさを見下ろすように止まった。


「え、え、浮いてる!?」


 かれんが真上のヘカテーを見て驚いていた。まあそうですよね。


「ヘカテーちゃん……」

「あーら、秋山つかさ。不明瞭な強欲のオーラが無くなったと思ったら今度は悲嘆のオーラ全開ですのね。でも安心するのですわ。いいことを教えてさしあげますわ」


 どういう風の吹き回しか、今まで何故かつかさを避けていたヘカテーがつかさに親身になって話をしている。

 呼称まで本名に変わっている。本物のヘカテーなのか?


「どうやら秋山つかさは人間のことが諦められなくて苦しんでいるようですけど、諦める必要はないのですわ。そもそも、人間とマリナストライアとの関係も、永遠かどうか分かりませんことよ?」


 俺のことは未だにとしか呼んでくれないのかよ。


「誰が誰とどのような関係に変化する、そんな未来のことなどはどんな存在にも分からないのですわ。それこそ、神にさえ」


 もしかしてつかさを慰めているのだろうか?

 ヘカテーの言葉にマリナがわなわなと拳を揺らしているのが見えた。


「それに」


 ヘカテーは俺の方を向き、これまたふわりと飛んできた。

 そのまま俺の目の前で浮いたまま止まり、人差し指で俺の顎をクイと上げて、


「この人間の器量なら、女の三人や四人、わけもなさそうですわ」


 はい?


わたくしども悪魔は、この世界で言うところの一夫多妻制のようなものですわ。生まれいずる悪魔はもれなくアイドネウス様にその身を捧げますわ。アイドネウス様は偉大な魔王、器を考えれば当然ですわ。まあお仕えするのは上級悪魔になってからですけれど。少々小物感は否めませんけど、この人間の器量なら、マリナストライアだけではなく、その内秋山つかさやわたくしも女として傍に置くにきまってますわ」


 決まってねーよ! 何を勝手なことを……。

 一夫多妻制、うん、いや男のロマン……っとこれ以上好感度下げるような発言はやめよう。


「ヘカテーちゃん、日本は一夫一妻制だよ」

「あら、そうなんですの? でも形式上、ですわよね? 人間もきっとそのうち、私の魅力にも気づいて女性として欲するにきまってますわ」

「いや、ヘカテーちゃんはなんていうか、居たことないけど、妹みたいな、放っておけない子って感じかな」


 俺が唸りながらそう言うと、ヘカテーは一瞬目を見開いたかと思うと、テーブルの上にふらふらと着地し、失意体前屈の格好で、


わたくしってそんなに女の魅力がないのかしら……やっぱり胸が……所詮男は胸なのかしら……」


 ぼそぼそと呟き始めた。

 ごめんってば、落ち込まないで。


「へへ、まあヘカテーちゃんの魅力は置いておいて……そうだな! よっし!」


 顔がびしょ濡れのつかさが、いつものような明るい口調で口を開いた。


「分かったよユウスケ! お前の望み通り、俺はこれからもお前の親友だ。これからも変わらずに、今まで通りよろしく頼むぜ! もちろん、マリナちゃんとの恋路を邪魔するなんて野暮なことはしようと思ってねえ。でもな? 昔も言ったことあるけどよ」


 つかさが目を細め、同時に大きな雫が両頬を伝った。


「俺諦めが悪いんだ」


 つかさは、暴力野郎だった俺に近づいてくる時と同じ台詞を言った。

 そして俺は思い出す。

 つかさも相当な頑固者だということを。


 俺は無意識ににやけてしまってから、不安そうな顔をして俺とつかさを交互に見るマリナの手を取った。

 力強く握ると、マリナは少し顔を綻ばせて同じくらいの力で握り返してきた。



 マリナの気掛かりな胸裏も、つかさの深すぎる苦悶からの決意も、俺には完全に分かることはできない。

 それでも今俺は、俺にできる最善を尽くすしかない。

 男としてそれを貫く中で、マリナがついて来てくれて、つかさも離れて行かないことを祈りつつ。


 それにしても、またしてもヘカテーに救われてしまった感じがするな。

 ちょっと場違いというか的外れな助言だったような気もするけど。


 しかしそのヘカテーの空気の読めない発言も、もしかしたら計算されたものなのかもしれない。

 だとしたら、マジで、ヘカテー天使の所業だよ。悪魔なんてもうやめろよ。

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