つかさの溺惑

 面接の翌日。

 マリナが初めて実際にアルバイトを開始する日で、俺は色んな意味で気が気ではなかったが、だからと言って仕事を休んで見守りに行くことなどできるはずもなく、いつも通り俺は通勤をしている。


 家を出る踏ん切りがなかなかつかなかったのも許して欲しい。

 マリナはまだ地球このせかいに来て一ヶ月そこそこの異世界の人間なのだ。


 俺は初めてマリナに会った時の事をあれやこれやと思い出し、一層不安が募りながら職場に到着した。


 一応、「何か問題が発生したらいつでも連絡ください」と、月弓店長に俺の連絡先を伝えておいたので、緊急事態が発生してしまった時のために上手く会社を離れる言い訳を考えておかなければならない。

 スマホが今日一日、沈黙を貫いてくれることが一番ではあるのだが。


 * * *


 永遠に続くのではと錯覚してしまう程長く感じた午前中も漸く通り過ぎ、昼休みになった。

 絡んでくる先輩の昼食の誘いを柔らかく断った後、俺はすぐさま『喫茶よしむら』に向かって歩みを進めた。


 無意識に早歩きしながら、昨日のマリナのオレンジ制服姿を思い浮かべる。

 あれは理性を失いかける程似合っていたな……。


「あ! ユウスケ様!」


 『喫茶よしむら』のオープンな入口を覗くようにしている俺に、カウンター近くに立つ木目調の丸いトレイを持ったマリナからの声がかかった。


「こーら、いらっしゃいませ、でしょ」


 次いで厨房の入口らしき扉の傍から月弓の声がする。


「そうでした。いらっしゃいませ、ユウスケ様」


 マリナはトレイを両手で抱えたまま大げさにお辞儀をした。

 長い金髪を高い位置でポニーテールに纏めていて、オレンジ調の制服も相まっていかにも喫茶な感じな風貌だった。何喫茶かは言わないけど。


「うん、今昼休みでお腹も減ったし、それにちょっと気になったから。マリナがちゃんとバイトできてるかなって」

「あ、ユウスケ様ちょっとひどいです。でも、ありがとうございます。とりあえず、こちらの席にどうぞ」


 マリナは困ったような笑顔をしてから、二人用のテーブル席に誘導してくれた。


 取り急ぎ俺はメニュー表を開き、目についたオムライスを注文した。

 マリナは「かしこまりました」と厨房の方へ消えていく。

 そのマリナと入れ替わるようにして同じ制服を着た店長の月弓が俺のもとへやってきた。


「ユウスケ君って、独占欲が強いのね?」

「え! なんでそうなるんですか」

「だって、昨日の今日で必死に血相変えて様子見に来るなんて」


 月弓はニマニマとたれ目をいつも以上に垂らして俺の顔を覗いてくる。


「いや別にそういうのじゃ……ただ、ちょっと心配だったと言いますか」


 だってマリナさんまだまだ地球このせかいに慣れてないですし。


「そんなに私に預けるのが心配?」

「いえ、そういう訳では……」

「マリナちゃんは優秀よ。もう、一通りの事は覚えたもの。それに美人だし可愛いし、他のお客さんが放っておかないかもねぇ。ふふふ」


 な、何だとッ! そっちの心配はしてなかった!

 とは言っても、俺の他にお客さんは見当たらなかった。お昼時だというのに。


「あの、失礼ですが、あまりお客さん入ってないですよね」

「あら、ほーんとに失礼ね、ユウスケ君。でもでもいいのよ、ウチは必要な人にしか必要のないお店だから」

「はあ」


 どういう意味だ? 負け惜しみか?

 昨日『昼ピーク』って単語を発してた気がするんだけど……。


「そーんなことよりも。ユウスケ君に一個訊きたいんだけど、いい?」

「はい、何でしょう?」


 厨房から何やら焼く音が聴こえ、良い匂いが漂ってきた。

 月弓はショートボブの端をチリチリと摘まみながら俺にこう言った。


「マリナちゃんって、普通の人じゃないでしょ」


 俺はこの質問に即答できなかった。

 月弓がどういう意味で、どこまでの意味で訊いてきたかが分からなかったからだ。

 金髪に碧眼だから? ちょっと変わった言動や行動をするから? それともまさか、地球の人間じゃないと察したから?

 はいそうですと言えるわけもなく、「えーと」しか口に出せないでいると、月弓は声を出さずに笑ってから、


「あー、いいのいいの。私がそういうの分かるってだけだから。良い子だし、私にとってはそれで十分よ」


 恐るべし月弓氏……もしかしてこの人も普通の人じゃないのだろうか?

 戸惑いが表情に出ていたのか、俺の顔を見ながら月弓はポケットに手を入れ、


「とりあえずは私に任せてね。無理はさせないし、しっかりと働かせるのも店長の義務だしね」


 そう言うとタバコを取り出し、手際よく一本だけを口に咥えた。


「あ、あの――」

「あー、いいのいいの。バイト代のことでしょ? ちゃんと正規の賃金払うから。銀行口座とか持ってないらしいから手渡しになるけどね」

「いえ、そうではなくて」

「なにぃ? まだ他に何か心配?」

「ここ、禁煙席です」


 俺はテーブルの上の禁煙マークを指差した。


「……いやん、ユウスケくんのケチ!」


 いやなんでだよ。てかアンタの店だろ。


 * * *


 その後すぐにマリナが美しい形のオムライスを運んできた。

 味は至ってシンプル。普通に美味しい。喫茶店の軽食はこうでなくちゃ。


 月弓の「私に任せて」という発言で何故か気持ちが軽くなった俺は、午後からの仕事に集中することができた。

 よく理解はできないが、月弓のもとでならマリナは大丈夫だろうという安心感が俺の心に芽生えている。

 心理操作でもされているんだろうか。詐欺に引っかかる人間ってこんな感じか?


 仕事が終わり、帰宅すると先に帰っていたマリナが迎えてくれた。

 髪は解かれいつもの芋ジャージ姿だったが、バイト時のオレンジ制服姿が頭にチラつき、いつもの三割増しで気分が高揚してしまった。ちょっと想像癖がついている自分に悲しくもなった。


 結局、俺以外には客が来なかった事、厨房にはもう一人働いている人がいる事、月弓の教え方がすごく分かりやすかった事など、マリナはバイト先での出来事を話してくれた。

 円らな青い瞳で生き生きと話してくるマリナを見て、俺はつかさに感謝しなければなと思った。


 それにしても、あの月弓という女性とつかさはどういう関係なのだろうか。

 そして先日、ヘカテーの心情カーディア・具現メタトロフィのおかげで判明した、つかさが思い出したはずの三人目の魔族。

 やはりつかさに直接会っていろいろと訊かなければならないな。


「あれ、そういえばヘカテーちゃんは?」


 俺はスマホでメッセージアプリを開き、つかさに連絡をしながらマリナにヘカテーの行方を問う。


「はい、確認したいことがあるとかで、しばらく出かけると言ってました」

「そうか」


 マリナ中心に動くはずのヘカテーが、それを差し置いて調べ事。

 さらには先日のヘカテーの妙な態度。


 俺が得体の知れない微弱な胸騒ぎを感じ始めていると、インターホンが鳴った。


「誰だろう、こんな時間に」

「あ、ユウスケ様、私が出ます」

「いや、俺が出るよ」


 キッチンでコーヒーの準備をしていたマリナが動こうとするのを制し、俺は玄関に向かう。

 現在夜の九時過ぎ。宅配などでもあるまい。まさかつかさか?


「はい」


 小声を出しながら玄関を開けると、そこには黒いパーカのフードを目深に被った小さな人間が無言で立っていた。

 隙間から見える髪からするに女の子だろうか。


「あの、どちらさまで?」

「ユウスケさん、ですか?」

「そうですが」


 俺の肯定と共に、黒フード女子はわなわなと両手を揺らし始めた。何だ?


「えーと、どちらさヴぅッ!!」


 一瞬のことだった。

 気付いた時には俺の腹部は黒フード女子の拳に綺麗に突かれていた。

 痛みと衝撃と共に情けない声を漏らしてしまった。


「ぅ……な、何するのさ!」


 腹筋もう少し鍛えとけばよかったななどと的外れな思考が渦巻く俺に、黒フード女子がこう告げた。


「あなたを許しません」


 そして両手をまるでボクサーのように構える。

 ちょっと待て、何だ一体?


「許さないって何? ケホッ、君誰?」


 俺の問いを無視する黒フード女子に、ある疑念が浮かんだ。


 もしかして、遂に現れたのか?

 三人目の魔族――!


「どうしましたユウスケ様!」


 背後からマリナの声がする。


「いやそれが、ヴべッ!」


 またしても俺の腹部に衝撃と痛み。黒フード女子の正拳突きがクリティカルヒット。

 苦しさから喋られずにいると、マリナがどうやらさまを見ていたらしい。


「き、きさま! ユウスケ様に何をッ!」


 マリナは動けない俺とドア枠の隙間をぬって玄関を飛び出し、黒フード女子に一瞬で近づく。

 黒フード女子も一瞬怯んだように見えたが、すぐさまマリナに向けて構えた。


「あなたが泥棒ですね! あなたも許しません!」

「ユウスケ様に何をする!」


 泥棒? マリナが?

 腹を押さえながら額に脂汗が噴き出るのを感じていると、マリナと黒フード女子が取っ組み合いを始めた。


 ……と思ったらあっさり関節を決められた黒フード女子が「痛い痛い!」と叫び始めた。

 マリナ、強いっすね。初見で剣携えたマリナと対峙した俺が生きているのは超幸運なのでは?


「マリナ、離してあげて」

「ですがコイツはユウスケ様を」

「大丈夫、とりあえず話を聞いてみよう」


 俺の言葉に、マリナは不本意そうな表情で手を離す。

 叫んでいた黒フード女子は、シュバッと数歩後退しマリナと間合いを取った。


「とにかくさ、許せないとか泥棒とかよく意味が分からないから説明してくれないかな」


 痛みから片眼しかあけられていない俺は、言葉を絞り出して黒フード女子に話し合いを提案する。

 平和的解決が一番、暴力反対、だ。剣技や魔法を鍛錬してきたマリナ達を真っ向から否定してしまう言葉かもしれないので、口にはしないけどな。


「私はあなたを許せません!」


 刺々しい口調で黒フード女子はそう言ったが、構えを解き、被っていた黒フードを脱いだ。

 現れたのは中学生? くらいの綺麗な顔立ちの女の子だった。


 こいつが三人目の魔族だとしたら、疑問が二つほどある。

 まず一つは俺達を許さない理由。

 もう一つは…………魔族って女の子しかいないの?


「とにかく、ここじゃ近所迷惑になるし、うちにあがるかい?」

「ユ、ユウスケ様! このような危険な人物を家にあげるなど――」

「う、裏切り者の家になんて上がりません! 話ならどこでもできるはずです!」


 裏切り者って……俺はいつこの子を裏切ったのだろうか。前世の恨みとか?

 疑問が増えた。


「でもほら、もう寒いし、夜だし迷惑になるから」

「ふん、そうやって丸め込もうとしても無駄です! 私はあなたを許しません!」

「うーんと、確か……冷蔵庫に一昨日買ったケーキまだ一つ残ってたような」

「ケ、ケーキ……」


 お?

 あからさまに目を見開いたぞこの子。


「うん、ケーキ。大きいいちごの乗ったやつ。それ食べながら家の中で話さない? あがるかい?」

「あがります」


 ケーキに釣られ大人しくなった黒フード女子。チョロッ!


「ユウスケ様、しかしこいつはユウスケ様に手を」

「まあ、何か事情があるんじゃないかな。それも含めて話をしよう」


 マリナは納得のいかない表情と声だったが、ここでこの謎の女子を逃がすのは得策ではない。

 とにかく今俺に必要なのは情報だからな。


 つかさが思い出したかもしれない三人目の魔族。

 もしかすると自分から出向いてきてくれたかもしれないのだから、これを逃がす手はない。


「とりあえずあがってよ。その前に、名前教えて?」

「はい」


 途端に素直になったな。現金な奴。


「アタシは秋山かれんです」

「ほう、かれんちゃん。………………ん?」


 秋山?

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