俺の彼女は労働者(アルバイター)

「バイトって……どうしてまた急に」


 取り急ぎ着替えを済まし、居間のテーブルで待つマリナのもとへ行き、早速本題に入った。

 椅子の上にやたら姿勢よく座るマリナが返答する。


「はい、ユウスケ様がエリュちゃんのせいでお困りのようでしたので、何か力になれないかと師匠に相談したのです」


 やっぱりつかさかー!!


「お困りって……食費のこと?」

「はい、ユウスケ様の為にできることでしたら、私はやりたいのです」


 その気持ちはありがたいんだけど……。

 マリナが正規の手続きでアルバイトなどできるとは思えないのだが。

 本来地球このせかいに存在しないはずの人間なのだから、履歴書だって作れないし、戸籍だって……。


 * * *


「ああ、ありますわよ、コセキというのでしょう?」


 あるのかよ!


地球このせかいの住人の証、わざわざそんなものが必要なのも面倒極まりない世界ですけれど……まあ生きていくのに必要かとは思いまして役所や裁判所の人間に洗脳魔法である洗脳プリシーモをかけて作らせたのですわ。冥魔法は有能なんですのよ。オーホホホホ!」


 どこからともなく現れた黒い地雷服のヘカテーが高笑い混じりに俺とマリナの会話に割り込んできた。

 何か今、さらっと怖いことを……やっぱりこいつ悪魔だ。


「既にわたくしとマリナストライアの分のこの国の戸籍は存在してますわ。無いと何かと不便かと思ったのですわ。なんならあの暴食の分も作ってさしあげますけれど」


 定期的に姿を消すヘカテーは、知らない所で色んなことをやっているようだ。

 本当、どんだけマリナのこと好きなんだろうねこの悪魔。


「いや、エリュちゃんの分は要らないんじゃないかな」


 神様になっちゃったし。


「そうですの。聞いておりましたけれど、これでマリナストライアがバイトとやらをする弊害はなくなったんじゃなくて?」

「いや、まあそうかもだけど……」


 弊害は無きにしろ、問題はたくさんありそうだぞ。

 どんなバイトをするかにもよるが、あの時のデートのようにになりそうで……。


「ヘカテー、もしかして私の為にいろいろとしてくれていたのか?」

「あら、ようやっと気づいたんですの? 感謝をしてほしいところですわ」

「ああ、ありがとう」


 マリナの素直な感謝が珍しかったのか、ヘカテーは僅かに眉をピクッとさせて頬を赤くした。


「ま、まあ当然ですわね。だって、わたくしはマリナストライアの、と、と、ととと、ととと」


 ヘカテーがDJみたいになってる。

 って言いたいんだろうね、きっと。


「と、特別な下僕ですもの! オーホホホホ!」

「何? 下僕!? 私は貴様の下僕になった覚えはないぞ!」

「あら、違いまして? わたくしはそのつもりでいましてよ」

「なんだと!? ヘカテー、貴様が森で私や他の人にしたことを私は忘れてないからな! ユウスケ様が仲良くしろと言わなかったら、貴様なんか――」

「あら、わたくしもマリナストライア如きに本気を出したことなどありませんわ」

「何だとッ!? ではもういい、貴様をここでッ――」


 ちょ、ちょ、ちょ、


「ちょっと待った! どうしてそうやってすぐに喧嘩するのさ!」


 一触即発なマリナとヘカテーに強引に声を掛けた。

 こんな感じの立ち回りは日常茶飯事だ。もう少し穏やかに過ごしてくれぇ。


「とりあえず、マリナと話したいからヘカテー少し外してくれるか?」


 俺の言葉に、ヘカテーは複雑そうな悲嘆顔でふわりと俺の部屋の方へ消えていった。

 ヘカテーも、もっとマリナと仲良くしたいだけだろうに。

 あれだけ他人に「素直」だの「正直」と、悪魔らしからぬことをさとしておいて……灯台下暗しってことか?


「ユウスケ様、それで……」

「ああ、バイトね」



 聞いたところ、俺が仕事に出た後、マリナはつかさに相談したようだった。

 エリュのせいで食費が、と度々独り言のようにぼやいていたのを聞かれていたらしく、何か自分にできることは無いか、のような感じで話を持ちかけて、つかさが教えてくれた返答が「バイト」だったそうだ。

 どういう手回しかはわからないがつかさが既に面接を取り次いでくれたらしく、それが早速明日とのことだった。


「バイトというものをすれば貨幣が手に入るらしいのです。そうすれば、ユウスケ様のご負担も減るかと思います」


 マリナは遠足前の小学生のような表情でそう言うと、俺に一枚の紙を渡してきた。

 それには手書きの地図が描かれており、駅の東側にある大きな×バツ印が目的地のようだ。

 まるで宝の地図だ。一体何の店だろう。


「ここがバイト先?」

「はい、明日その場所に行き、メンセツというものをしろと師匠に言われました」


 俺はと言う単語で自分の就活を思い出して少しブルーになった。

 就職活動時のストレスが蘇る――。


 あの威圧的な面接官の表情と声。緊張により突如ステルス化する模範解答。面接時に初めて明かされる真っ黒な社内事情。

 ……できることなら二度と経験したくはない精神攻撃、それが面接だ。

 なんなら地球この世における陰魔法みたいなものだな。何言ってんの俺。


「ユウスケ様?」

「あ、ああ、ごめん」


 危ない危ない、メンタルブレイクアウトするとこだった。

 やるじゃねえか俺の陰魔法トラウマ。いやだから何言ってんの俺。


「ですので、明日、ご一緒にこちらへ行っていただけますか?」

「えーと……え? 俺も?」

「はい、保護者もご一緒にと師匠が言ってました。私には両親は既にいませんので、ユウスケ様が。これも師匠が言ってました」

「一緒に面接受けるの?」

「あの……駄目、でしょうか?」


 テーブルを挟んで向かいのマリナが沈んだ表情に変わった。


「駄目、ではないけど……この×バツ印って何の店? どんなことするか聞いてる?」

「いえ、聞いてません」

「きっと大変だよ? 仮にも働いてお金を貰うってことだから、時間もなくなるし疲れるし」

「はい」

「時には我慢も辛抱も必要になると思うけど」

「はい!」

「それに、別に俺に気を遣う必要はないよ? 食費ったって大したもんじゃないし……それでもバイトしたいの?」

「はい!!」


 あー、こうなったらマリナは絶対引かないヤツだ。

 この子の頑固さは折り紙つきだもんな。

 果たしてつかさが斡旋したこの×バツ印がどんな店なのか不安は残るが、ヤバい店ってことはないだろう。つかさもアホじゃないし。


「わかった、それじゃ明日一緒に行こう。最寄駅の駅ナカだし場所なら俺分かるから、一応明日行くルートを覚えておいてね? 通うことになるかもだし」

「はい!! ユウスケ様ありがとうございます!」


 笑顔満開に変わるマリナを見ていると、俺の面接へのトラウマや不安が些事さじに感じられるな。

 まあこれで一つは片付いたとして。

 あと、もう一つの懸念といえば……。


「マリナ、もう少しヘカテーと仲良くできないかな」

「……」

「ヘカテーちゃんは、本当にマリナと仲良くしたいって思ってるんだよ。ただ、素直じゃないっていうかさ」

「知っています」


 すっかり笑顔がどこかに行ったマリナはテーブルに目を落として金髪を揺らした。


「ヘカテーからは、友好的な感じが伝わってきます。本当は心根は良い悪魔というのも分かります」

「そうなんだ。俺もヘカテーちゃんに助けられたこともあるしさ。あの子、良い子だよ。だからできれば――」

「でも、私は悪魔という存在をどうしても許せません。ヘカテーが嫌いなわけではありませんが……」


 マリナは更に深く目を落とした。

 ここで俺は漸く自分の浅はかさに気付いた。


 ――私には家族はいません。とっくの昔に命を落としています。

 ――勇者である私の両親を殺した、嫉妬の悪魔です。

 ――ユウスケ様が、そう言うのでしたら……。


 俺はマリナに自分の両親を殺した『悪魔』という存在と、軽々しく仲良くしてと短絡的にお願いしていたのだ。

 俺がマリナの『あるじ』であり、命令に近いお願いをしたからこそマリナはヘカテーという悪魔と共存を許しているだけなのだ。


「ごめん、俺が無理言ってたね」

「いいえ、でもユウスケ様の言う通り、ヘカテーからは本当に悪意の様なものは感じられません。悪魔という存在は許せませんが、単純にヘカテーとは、きっとりが合わないんです。……もしかしたら、私とちょっと似ているからでしょうか。そういうのをドウゾクケンオ、と言うんですよね? 魔法の箱の中の住人が言っていたのを聞いて、意味を調べてみました」


 マリナとヘカテーが似てる? どこが?

 それに関してはさっぱりだが、マリナが心の底からヘカテー自体を憎悪している訳ではないということが分かって少し心が軽くなった。

 ってか同族嫌悪なんて言葉出る番組ってどんなだよ。


「どうやって意味を調べたの? 文字も読めないのに」

「はい、この間行ったスーパーの店員さんにお訊きしました」


 スーパーの店員に何訊いてるんだよ!

 店員さんのきょとん顔が目に浮かぶな。


 * * *


 翌日。

 俺とマリナは最寄駅に向かって歩いていた。

 俺の足取りは非常に重い。まあ、俺が面接を受ける訳ではないんだけどさ。

 それでも気は進まない。てか面接に保護者付くって聞いたこと無いぞ。


 流石にこれから面接という子に青の芋ジャージを着せる訳には行かないで、マリナには唯一の私服であるつかさからもらった服を着てもらっている。

 純白のシャツにブルーグレーのカーディガン、黒いワンラインが入った鼠色の短めのスカート。

 面接にはふさわしくないが、他にないので仕方がない。


「師匠が言うには、『よしむら』というのが面接の場所の目印とのことです」


 よしむらぁ? 誰だそいつは。

 よしむら書店とかそんな感じか?


 ふと、俺はマリナが書店の本棚を布はたきでパタパタしながら、入ってくる客に笑顔を向けて「いらっしゃいませ」と言っている姿を想像した。ポニーテールで、何故か眼鏡をかけている。


「ユウスケ様どうしました? にやけてますけど……」

「い、いや! なんでもない!」


 本人のいるところで本人の妄想するのはいかんという教訓を得た頃合いで、駅に着いた。

 四つ折りにしたつかさ手描きの地図を開き、×バツ印の書いてある駅ナカ東側に向かう。


 立ち並ぶコインロッカーに挟まれた通路を通り、理髪店とお土産屋を過ぎて、そろそろ端についてしまう頃に遂に俺達は目的のお店を見つけた。


 喫茶よしむら――。


「なんだ、喫茶店か」


 声に出してしまう程、俺は安堵していた。

 一体何のお店なのかと不安で昨日はあまり寝れなかったからな。机で寝ているせいかもだけど。


「キッサテン……とは、なにをするところなのですか?」


 隣を歩くのが誇らしいほど綺麗で目を引く格好のマリナが、無垢な碧眼を向けて訊いてきた。


「うん、コーヒーを飲んだり、食事をしたりするところ」

「コーヒー、食事……まるで、ユウスケ様の家みたいですね!」

「んー、少しちがう」


 ひっそりと佇むように在る『喫茶よしむら』に、俺達は開放された入口から何故か恐る恐る入った。

 木目調で統一された店内は昼過ぎだというのに薄暗く、席もあまり多くない。

 そして誰も居なかった。店員すらいなかった。おい?


「すいませーん」


 控えめに、しかし奥まで聞こえるように声を張った。

 チラリとマリナを見ると、いつもよりピンと背筋が伸びている気がする。緊張しているのだろうか。


 十秒程して「はーい」と気の抜けた女の声とともに厨房と思われるところから女性が出てきた。


「いらっしゃい、テキトーなところに座ってねー」

「…………」


 俺は言葉を失った。

 喫茶店の接客にしては雑だなーとかそういうことではない。

 店員と思わしき女性の格好に、だった。


 コスプレといわれても疑わないほどの、派手なオレンジ調の布地に、ボタンや肩部分などに白いフリフリがふんだんに使われている制服。

 極めつけはスカート丈だ。太ももの半分は露出しているのではないだろうか。

 ――俺が入ったのは喫茶店だよな?


「どうしたの? 座らないの? おふたりさんっ」


 レジスターの置いてあるカウンターに頬杖をついて、女性は俺達に視線を向ける。

 ショートボブでたれ目のその女性は、恐らく二十代の半ばといったところだろうか。


 再びチラリとマリナに目をやったが、両拳をこれでもかと言わんばかりに握りしめてピンと張りつめている。緊張してるのね。


「えー、秋山つかさの紹介で、この子の面接をしに来たものなのですが」

「あー!! もしかしてマリナちゃん? つかさからきいてるよー、とりあえずこっちきてー? あ、男の人はテキトーに座って待っててー? ほらほら!」


 たれ目のコスプレショートボブは、マリナの腕をガシリと掴みスタスタと奥に消えていった。

 ……え? 俺が来た意味は?


 * * *


 十五分は経っただろうか。

 置いてあるメニュー票も見尽くし、いよいよ手持無沙汰、というところで「おまたせー」という気の抜けた声が聞こえ、奥から先程の女性とマリナが戻ってきた。

 のだが。


「~~っ!」


 俺は声にならない声を喉の奥で鳴らしてしまった。

 戻ってきたマリナは、先程の女性が身に纏っていた物と同じ制服を着ていたのだ。


 マリナが着るとまるで異国のお嬢様のようで、似合いすぎていて吃驚仰天した。俺の体内の何かが大噴火を起こしている。

 フリフリ付のカチューシャまでつけていて、金髪のマリナが着ると上品さも増し、俺はわけも分からず無言で拍手をしてしまった。


「あははー。んねー似合うよねー。同じの着てる私が霞んじゃうよねー」

「ど、どうでしょう、ユウスケ様?」


 マリナが上目遣いで照れながらも、笑顔になっていた。緊張は解けたかな?


「すごく似合ってる、ただ……」

「ただ?」

「ちょっとスカート短すぎないかな」


 適度な質感の細い脚が、オレンジのスカートからこれでもかと言わんばかりに出ている。

 見る角度によっちゃ事件が発生しそうだ。


「あらぁ? キミもやっぱり男だねぇ、はははは」

「…………ユウスケ様のエッチ」


 おっさんのような反応の女性店員に対し、マリナはポソリとそう言って顔を真っ赤にして俯いた。

 まさかマリナの口からそんな言葉が出るとは……一瞬、死ぬほど興奮したのは内緒にしておこう。



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