悪魔の正体

 お通夜のような雰囲気をぶち壊したのは「あ!!」というつかさの大声だった。


「び、っくりしたな、どうしたつかさ? 何か思い出したか?」


 絨毯の上に座禅を組んでいたつかさに声を掛けたが、時が止まったかのように放心して動かない。


「おい?」


 何か思い出したのか?

 昔読んだ『グリースの四半魔』の内容を。

 これもまた今存在するもう一人の魔族に直結する可能性があるものだから、重要だ。


「師匠? 大丈夫ですか?」


 マリナも心配そうに声を掛ける。

 俺が目線だけ赤髪のヘカテーに移すと、何故か眉を寄せたままつかさを見つめていた。どういうこと?


「い、いやあ! なんでもねえ! それよりユウスケ、お前これから仕事じゃなかったのか?」

「え? あ!!」


 多分つかさと同じくらいの音量で口から感嘆符を出した俺は、ドッと冷や汗が出る感覚と共に傍に置いた鞄を手にし、


「とりあえず、ありがとうみんな! また訊くこともあるかもしれないけど、とりあえず俺は仕事に行ってくる! 留守を頼んだよ、マリナ」

「はい! かしこまりました、ユウスケ様」


 玄関に走る俺を笑顔で見送ってくれるマリナ。

 その後ろに見えるつかさもヘカテーも、いまいち顔色が優れない気がするが……。


 今は、自分のミスを片付けに行かなきゃな。


 * * *


 職場に付いたころには既に先輩が殆どの処理をしてくれた後だった。

 遅れたこととミスのフォローをしてくれたことに頭を下げっぱなしの俺に、


「同じミスさえしなきゃいいよ、ほれ、これでも飲みな」


 いつものうざ絡みが嘘のような態度で俺に缶コーヒーを奢ってくれた。

 普段飲まない銘柄の缶コーヒーを飲みながら、もしかすると普段から絡んでくるのは俺のことを気にしてくれているからなのだろうかと考えていた。


 そう考えると、急にその先輩が良い人に見えてきて、少し好きになった。

 ……俺にそっちの気は全くないけどな。


 下地を気付いてくれた先輩のおかげでミス後の処理は滞りなく、寧ろ想像以上にスムーズに終わり、夕刻の日が落ちる前には会社を脱することができた。


 帰路しなにスーパーに寄り、エリュに食い尽くされた食材を補充。ひええ、と財布が叫んでいる気がした。

 ついでにお礼も込めて、なんとなく目に入ったケーキを三つ購入し、帰宅した。


「お帰りなさいませ、ユウスケ様」


 青ジャージのまま俺を見上げる碧眼に、俺はドキリとしてしまう。

 俺の彼女……こうして何度も脳内再確認しないと夢でしたーというオチで終わらせられそうで少し怖い。


 着替えの為に自室に行くと、ヘカテーが家を出る前と同じような面でふわふわと浮いていた。

 具体的に言えば、怪訝な顔、だ。


「ヘカテーちゃん、着替えるから出て行ってもらえるか?」

「別にわたくしは人間の裸体など見慣れていますわ」

「いや、俺が恥ずかしいんだけど……」

「あら、人間にも恥じらいがあったのですわね。でもわたくしは今考え事をしていますの。お気になさらず」

「……」


 いや、だから、あの、俺が気にするんだってば。


 俺の言葉など四分の一も聞いていないようなヘカテーの反応に、俺も少し気になるところはあった。


「何か悩んでるのか? 引っかかることがあるとか」

「なんでそう思いまして?」

「いやほら、ヘカテーちゃん顔に出やすいからさ」

「ふん、わたくしは元々こういう顔ですわ」


 そう言ったヘカテーは赤と紫のオッドアイをギラリと俺に向ける。

 引きつったような笑顔で。


「うーん、やっぱりなんか思うところがあるんだな? 話してくれよ。悩みとかならきくぞ?」

「別に何でもないですわ。人間に話す義理などありませんし、人間はマリナストライアのことだけを考えてあげていればいいのですわ」

「それは違うよ、ヘカテーちゃん」


 俺がどれだけヘカテーに世話になったか。甘えてしまったか。助けられたか。

 それに。


「もう俺にとっては、ヘカテーちゃんは大切な存在だよ」

「なっ!」


 よく考えれば歯の浮きそうなセリフを、無意識に口にできたのはきっと本心だからだろう。

 

「何を言ってるんですの! 人間にそんなこと言われてもべ、別に嬉しくなんてありませんわ」


 ヘカテーはそっぽを向いていつもより上擦った声でそう言った。

 ちょっといい機会だし、続けてみようか。


「それでも俺はヘカテーに何度も助けられているし、居てくれて本当に良かったって思ってる。居なかったらどうなってたかもわからないし。ありがとうな」

「……ふ、ふん!」


 髪の色と同じくらい頬を染めてから、ヘカテーは完全に後ろを向いてしまった。


「別に、人間の為にわたくしはいるわけじゃないですわ」

「それでもさ。俺はヘカテーちゃんにすごく感謝してるし、大切に思ってる。そんなヘカテーちゃんが悩んでるのはちょっと放っておけないなって思ってさ。だから、何か悩んでいるなら話してくれたら嬉しいよ」

「…………はぁ」


 そっぽを向いたままのヘカテーから小さな溜め息が聞こえた。一体どんな表情をしているのかちょっと見てみたいな。


「まあ別に悩みという訳ではないのですわ。ただ少し、あの言葉の汚い女の方の態度が気になったのですわ」

「……つかさの態度?」

「そうですわ。人間が仕事に行く前のあの瞬間、またしても嘘をついていたのですわ。そのオーラを感じましてよ」


 ――い、いやあ! なんでもねえ!

 やっぱりつかさはあの時、何かを思い出したんだな。


「具体的にはどういうことだ?」

「まあいいですわ。とりあえず聴いてみるといいですわ」


 ふわふわと浮きながらヘカテーが吐き捨てるようにそう言った後、くるりと身を翻してから空に人差し指で小さな円を描いた。

 キィーン、というモスキート音のような嫌な音と共に空中に出現したゆらゆらと薄く光る半透明の円盤のようなものを、俺は見たことがある。

 心象カーディア・具現メタトロフィ――だったっけか。


「とにかく耳をつけて聴いてみるのですわ」


 俺はヘカテーの言う通りに、波紋のような模様が蠢く円盤に耳を近づける。

 つかさの声が徐々に聞こえてきた。


『――思い出した、だけど絶対に口にしちゃいけない気がする』

『今はユウスケもマリナちゃんも、みんな一応平和に暮らしてるし……』

『心の底にしまいこんで忘れよう……正体が分かったところでどうすることもできないだろうしな』

『でも俺はどうして今まで忘れていたんだろう。読んだのは確かにだいぶ前だけど……』

『とにかく忘れよう、俺はいつも通り明るく振る舞――』


 ブゥンと鈍い音が響き、光と音声が無くなった。

 やっぱりそうだ、つかさは地球に居るもう一人の魔族が分かったんだな。


「なあヘカテーちゃん、どうしてつかさは俺達に隠すんだ?」

「それをさっきまでずっと考えていたのですわ。結局さっぱり分からないのですけれど。まあ地球このせかいの人間が考えることなど、この崇高なる悪魔のわたくしには分からなくてもしかたがないですわ。オーホホホホ!」

「やっぱり直接訊いてみるしかないな。次に会ったら問い詰めてみるよ」

「ふん、まあ人間がそうしたいのならそうすればいいですわ。でもあの言葉の汚い女の方が強く思念してまでひた隠すのですわ、きっと何か簡単にはいかない理由があるのですわ。心して問うことをおすすめしますわ」

「そうだな。ちょっと怖いよ、どんな魔族が現れるのか……それにしても、今この場に居ないつかさの心の声も聞くことができるんだな、その心象カーディア・具現メタトロフィって魔法は」

、とは心外ですわね。わたくしには今言葉の汚い女の方がどこにいるのか、何をして何を喋っているのかも分かりましてよ。仮にも悪魔ですもの、そのくらい造作もないですわ」


 うーん、いまいち悪魔って感じしないんだよな。

 聞き分けの良いませた妹、みたいな感じと言うか。言ったら電撃ブロンティ受けそうだから口にはしないけど。

 まあ、なりは悪魔っぽいけどもね。オッドアイだし赤髪だし空飛ぶし。


「とにかくありがとう、ってか助けるつもりが俺がヘカテーちゃんに助けられてるじゃないか」

「オーホホホホ! それだけ人間はわたくしには及ばないということですわね。なんならヘカテー様と呼んでもよろしくてよ」


 大げさに長髪を手で払って、無い胸を突き出すヘカテー。

 自然と笑みがこぼれてしまっていた俺に、


「ユウスケ様、もうお着替えは……あれ、まだ着替えてなかったのですね」


 俺の部屋に入ってきたマリナからの声がかかった。

 

「あ、ああ、着替えたいのにヘカテーちゃんが出て行ってくれなくてね」

「ヘカテー! ユウスケ様の邪魔をするなら許さないぞ!」

「あら、人間、わたくしにそんな態度をとるんですの? 痛い目にあいますわよ」


 含む所のありそうな表情でこちらをみるヘカテーに、俺はを強く念じながらウィンクをした。

 オーラを悟ったのか、ヘカテーはフッと鼻から溜息を漏らして何も言わずに俺の部屋からふわふわと出て行った。


 真意を汲んでくれたかはわからないが、とりあえずありがとうヘカテー。

 今はまだ、マリナに話すべきではない気がしたんだ。


 また、マリナに秘密を作っているようで心苦しいが。

 何かとてつもなく嫌な予感がしてならない。

 先ずはつかさに確認をしてから、それから考えよう。


 ヘカテーの退出を二人で見遣った後、マリナがいつになくそわそわしているのに気付いた。


「あの、マリナ? 着替えたいんだけど」

「はい、ですがその前にユウスケ様にお話があります」


 もしかして気付いたのか?

 俺から心やましいオーラでも感じ取ったのだろうか。

 それなら隠しておくわけにもいかない、そう覚悟しながら、


「な、なに?」


 おそるおそる訊くと、見当違いの言葉が返ってきた。


「私、バイトをしたいです。ユウスケ様、どうかお許しをください」

「……なんだって?」

「バイトです。お金を稼ぎたいのです」


 爛々と碧眼を光らせるマリナは、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のような表情だった。

 ……これ、絶対つかさの入れ知恵だろ!

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