暴食の悪魔な神様

 エリュが現れてすぐにピーヒャラと浴室から軽快な音楽が聴こえたので、とりあえず俺はマリナに先にお風呂に入るようにお願いをした。

 眼を潤ませて頬を朱に染めながら小声で「はい」と返事をして、マリナはふわふわと浴室へ消えていく。

 なんという……これが女の顔、というやつだろうか。


 ファーストキスをしたばかりだというのに冷静な俺は、早速冷蔵庫を物色している銀髪紫眼の神様になりたての暴食の悪魔の話を聞くことにした。相変わらず情報量が多い少女だ。


「神様になったって?」

「はいなのです。地球の神様なのです」


 エリュは小さな星の入った紫色の目を輝かせて冷蔵庫の中のものを見つめている。よだれも少し垂れてるぞ……。


「神様ねえ。飴乃みなかさん、だっけ……あんな凄いものまざまざと見せられて、今更疑ったりはしないけども、エリュちゃん前と見た目とかほとんど変わらないね」

ほんあほほあそんなことははいほへふないのです


 エリュはベーコンを口にくわえながら銀色の長髪のサイドの部分を両手で持ち上げた。

 すると内側に青い色の髪の毛があった。飴乃みなかと同じ色がインナーカラーのように入っている。


「髪の毛……食べたから変わっちゃったのか。神様って、何してるんだ? みなかさんには何て言われてるの?」

「ん、う、ん。今は特に何もしていないのです」

「何も?」

「はいなのです。青い髪の怖い人に言われたのは、これ以上異種族や異世界のものが地球ここに来ないようにする、ってことだけなのです。それが主な仕事なのです」

「へ、へえ」


 思ってたのと違う。

 もっとほら、人々の願いを聞いたり、奇跡を起こしたり……。

 だってこんなにも神様を祀った場所や建造物が地球には多く存在してるのに。


「それはそれ、これはこれ、なのです」

「え?」

「祀るのも自由、縋るのも祈るのも自由なのです。でもでも、神様だって生きているのです。魔族や人間、動物と何ら変わりない本能だって持っているのです。お腹もすくし、眠たくもなるし、面倒事はやりたくないのです」


 コイツ、心の中を読みやがった?

 確かにオーラだけを読み取るヘカテーよりも優秀な悪魔のようだ。

 って、今は神様なんだっけか。


「随分テキトーな神様なんだな」

「違うのです、ユウスケ」


 冷蔵庫から卵をパックごと取り出しながら、エリュは無垢な顔で俺を見つめて、


「地球の神様は神様なのです。人間の為の神様ではないのです。神様という存在を信じることで力を発揮したり救われたりできる人間自身が凄いのです」

「そ、そうなのか」


 しれっと多方面のいろいろをアレにしそうな発言だけど……。

 そういえば、二百年だかの間地球に神様は不在だったと飴乃みなかは言っていたな。

 そう考えると、確かに人間は勝手でテキトーなのかもしれない。


「とにかく、今存在する三人の魔族以外は地球ここに来させないようにする、それだけがお仕事なのです」


 そう言うと、卵をパックごとギャリギャリと食べ始めるエリュ。お腹壊さないでね、神様。


 エリュのお腹の心配と、食費の心配の他にもう一つ、俺の頭には懸念があった。

 懸念というよりは不安と希望の入り混じる不確定要素だ。


 以前エリュが教えてくれた通り、地球に存在する三人の魔族のうち、二人は判明している。

 ヘカテーとエリュ。エリュは神様になっちゃったけど。


 そうするとあと一人。

 そいつがどのようにして、どこにいるのか。

 俺やマリナ、もしくは地球に危害を加える存在なのかどうか。

 知りたいようで知りたくないような、しかしマリナの為にも知らなければならないような……。


「ふうふへ、ははらはいほへふ?」


 再び冷蔵庫に頭を突っ込んでいたエリュが、勢いよく俺に振り返って生のほうれん草を咥えたまま喋り出したが、何を言ってるのか今度は分からない。


「え? なんだって?」


 エリュが器用に口だけを使ってほうれん草をシュレッダーのように飲み込むのを見届け、ごくりと喉の音が聴こえた後に、


「ユウスケ、分からないのです? もうひとりの魔族が」


 エリュがきょとんとした顔でそう言った。

 また俺の心の声を聴いたようだ。


「そっか、ヘカテーよりもエリュちゃんは優秀な悪魔だもんね。もう一人が誰で、どこにいるかも知ってるんだよね」

「はいなのです。でも、ユウスケもとっくに気付いてると思ってたのです」


 手の甲と背中に悪寒が走る。

 俺が? 気付く?


 ――地球に今現在、魔族が三人いるのは合ってるよー☆ 正確には純粋な悪魔が一人、半魔が一人、四半魔が一人、だけどね☆

 ――ユウくん、わからないのー?☆ まあ地球の人間だし無理ないか☆


 そして飴乃みなかの言葉を思い出す。

 悪魔が一人。半魔が一人。四半魔が一人?

 少なくともヘカテーかエリュのどちらかは半魔か四半魔ということか。


 飴乃みなかやエリュの言い方や反応からするに。

 ――既に俺はもう一人の魔族に会っている?


「ユウスケ様~」


 思考の奈落に落ちかけていた俺の意識を俺の家に戻してくれたのはバスルームから聞こえるマリナの力ない声だった。

 俺を呼んでいる。何事だろう。


 取り急ぎ冷蔵庫の中身を貪るエリュを放置して脱衣所まで向かうと、浴室の扉から顔だけを出すマリナがそこには居た。

 半透明の樹脂製の磨りガラスドアに、マリナの肌色の身体からだのシルエットだけがぼんやりと映っている。


「どうしたの?」

「はい、ユウスケ様、恐らくですが機械が故障しているみたいで……」

「え!? 故障って……具体的には? お湯にならないとか?」


 マリナは既に濡らしている髪から水滴が滴っており、少し妖艶な雰囲気だった。って何言ってるんだ俺。


「いえ、このシャプーン? という機械から、頭髪を洗浄する液体が出てこないです」

 

 マリナは沈んだ表情で隙間からヘアシャンプーのボトルを見せてきた。シャプーンて……。


「ああ、中身無くなっただけだね、詰め替えるから貸して」


 俺はマリナの手からボトルを優しくひったくり、洗面所下の棚からお徳用の詰替えシャンプーを取り出して補充を始めた。

 マリナはドアの隙間からその光景を見つめていたが、不意に、


「ユウスケ様は、ああいったことは慣れているのでしょうか」


 と言いながら顔を赤らめた。

 ああいったこと……。


「キス、のこと?」


 俺はマリナとの接吻を思い出して、一気に心臓が暴れはじめた。遅効性とか聞いてない。

 さっき冷静だったのはきっと、ちゃんと自覚してなかったからなんだろう。


「はい……私は初めてでしたので、緊張したと言いますか、でもその、う、嬉しかったです」


 ゆっくりと補充されるシャンプーの流動とマリナの赤い顔を交互に見てから、俺も心の中で自身の心臓を宥めながら、


「俺も初めてだった。俺も嬉しかったよ」

「そ、そうですか……」


 更に顔を赤らめるマリナ。多分俺も顔が赤いと思う。

 恥ずかしくも心地の良い沈黙が数秒。


 ドアを両手で猫のように掴むマリナが口を開く。


「ユウスケ様がもし嫌でないのでしたら、またいつか、キ、キスがしたいです」


 ハの字眉のマリナが怯えたような声で乙女のようなことを口にしていて、俺は見入ってしまった。

 何度目の自覚だろう。俺はこんなにも可愛くて綺麗で純粋な子と、恋人なのだ。

 近いうちにばちが当たるんじゃないだろうか。


「っわ!」


 と思ったら早速シャンプーを入れすぎたようでボトルから溢れて洗面所周りがベタベタになってしまった。早速の罰だ。


 まあでも、こんな罰ですむなら――。


「安いもんだ」


 と言いながらキッチンに戻ると、エリュは既にいなかった。

 そして、冷蔵庫は開けっ放しになっており、中身は空っぽになっていた。


 空っぽ……。


「安いも……」


 ……んではない。罰という名の食費がかさむ。

 俺はもう金輪際何があっても神様に一生祈らないと心に決めて、溜息と共に冷蔵庫の扉を閉めた。

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