悪魔の嫉妬
「なあヘカテーちゃん、お前が余計なことを言うからこんなことに!」
「知りませんわ。それに
「でも、タイミングというか、あそこでそれ言うか?」
「でも事実、あの言葉の汚い方に練習と称してキスをしようとしたのは本当のことではなくて?」
俺の部屋での、ちょっと前の出来事を遡って思い出す。
俺は意を決してマリナにキスをしようとして、それをヘカテーに邪魔をされて、つかさへのキス練習疑惑をばらされて……。
その後、俺の部屋をマリナが飛び出して行ってしまって、こうして俺とヘカテーが不毛な口論を繰り広げている、という訳だった。
「それにしても、マリナストライアからあからさまな嫉妬のオーラが出ていましたけれども、少し普通のオーラじゃなかったような」
全く悪びれる様子の無いヘカテーが、俺の頭上をふわふわと浮きながら急に難しそうな声を出した。
「どういうこと?」
「んー……」
オッドアイをきょろきょろさせながら難しい顔で空中をふらりふらりと飛んでいる。いつもの黒い地雷服のスカートから純白の布地が丸見えだ。
「普通の嫉妬とちょっと違うような……」
「というと?」
「よくわかりませんわ。そんなことより! 人間は早くマリナストライアに謝りに行くのですわ」
「いや、まあそうなんだけどさ……どう言ったらいいか」
「どうもこうもありませんわ!」
ヘカテーは浮いたまま赤い長髪を手で激しく払ってから、俺の顔面に指を突き刺した。
「何かを取り繕ったりせずにそのまま素直に正直に本当のことを言うのですわ。こんな状況になって誤魔化したりするのは明らかに悪手ですわ」
…………うん、いや正にその通りだな。本当に正しいこと言ってくれる。
ただ、悪魔の口から「素直」だの「正直」だの出てくるとは……もうヘカテーちゃんは悪魔卒業した方が良いのでは?
「そうだな。ありがとう、行ってくる」
「さっさと仲直りして、キスでもしてくるといいですわ」
ヘカテーは
さて。
恐らく居間か物置部屋か、俺の家の中にいるであろうマリナの元へ贖罪に行くとしよう。
今のところ、俺ってマジでダメな彼氏だよな。
* * *
マリナはすぐに見つかった。
というか、普通に居間のテーブルについていた。
「マリナ」
俺が声を掛けるとマリナは一瞬ピクリとこちらを向き、すぐに眉を寄せて俯いてしまった。
若干頬っぺたが膨らんでいる。
膨れ面のマリナが少し愛おしく感じながらも、俺は筋を通すために対面に座る。
男には、言いにくいことも言わなきゃならない時があるのだ。
深呼吸をしてから、俺は全てを正直に話そうとしたが、
「ユウスケ様」
先に口を開いたのはマリナだった。
「ユウスケ様は私の
泣きそうな、それでいて真っ直ぐな顔でマリナは話す。
「でも、私はユウスケ様の彼女でもあります。ユウスケ様が本気ではなかったとしても、私は本気でユウスケ様のことが好きです」
「本気じゃないなんてそんな……」
反論しようとして俺は口を噤んだ。
今の俺は何を言っても説得力がない。
「一つだけ、訊いてもいいですか」
マリナは今までで一番の不安な顔をして、上目遣いに俺の目をしっかりと見つめながらそう言った。
「なに?」
「本当に、正直に答えてください」
「……分かった」
俺の返事から十秒は沈黙があっただろうか。
自分の呼吸音と掛け時計の音しか聴こえない程の静かな沈黙。
それもマリナの意を決したような問いで破られた。
「ユウスケ様は、本当に私のことが好きですか?」
……マリナ、本当に可愛いな。
どんどん好きになっていくのが自分でもよく分かる。
表情、しぐさ、言葉、どれもが愛しいと思える。
本当に何なんだろう、この感覚は。
「俺も自分でビックリしてるくらいだよ」
「……?」
「論理を超越してる。こんな気持ちは初めてなのさ」
「ユウスケ様、どういうことですか?」
ますます泣きそうな顔になるマリナ。
直接的表現はガラではないけど、これ以上悲しませるのは恋人として失格だな。
「俺は、マリナが好き。今まで、こんなに女性を好きになったことはないってくらい好きだよ」
素直に言葉にすると自分の首をキュッと絞めたくなるくらい恥ずかしくて、俺は顔に熱を帯びていくのを感じた。
マリナは目を大きくして、すぐに泣き笑いのような表情になった。
「……よかった、です」
「心配というか、嫌な思いをさせてごめん。その、つかさの、その、さっきのことなんだけど――」
「いいんです」
俺が勇気を捻りだして白状しようとするのを、マリナはゆっくりとかぶりを振って制した。
「もう、いいんです。何があったかは訊きません。ユウスケ様が私のことを好きでいてくれるなら、それだけで十分ですから」
「いやでも、え、と……」
百パーセントの潔白証明ではないだけに、言わなくていいならそれに越したことはないというクズっぽい安堵感が広がりつつある俺に、
「そのかわり」
とマリナが少し恥ずかしそうに言葉を継いだ。
「そのかわり?」
「はい、ユウスケ様、付き合う時の言葉を覚えていますか?」
「えーと」
付き合う時の言葉? 何だ?
「もう少し、自分の思いを表に出して。彼女なんだから。ただ付き従うだけじゃなくて、マリナの考えや思いや欲も、俺は知りたいからさ――――ユウスケ様はこう仰いました」
ああ、はいはい。それね。……そんなこと言ったっけ?
「ああ、言ったね」
多分だけど。
「ですので、一つ、思いというかお願いを……してもいいですか?」
マリナから何かをお願いされるのは初めてのような気がした。
これは俺にとってある意味チャンスだ。
これまで、ダメダメな彼氏だった俺が、少しでもマリナの為になってあげることで、真っ直ぐで誠実で良い子のマリナに相応しい恋人になる為の。
「うん。マリナのお願いなら、何でもきくよ」
贖罪も兼ねているし、多少の無理でも聞いてやらねばな。
「ありがとうございます。では、その……」
俯き気味のマリナは、金髪をふわりと揺らしながら立ち上がって俺の傍まで歩いてきた。
青い芋ジャージ姿なのを加味しても、充分にマリナは綺麗だった。
「その……」
「その?」
「私と、その……」
「その?」
「せ…………せ…………」
「せ?」
せ?
「せ……セッ……」
「セッ?」
「ユウスケ様、私と、せ、セッ……」
セッ?
セッ!?
セッ!?!?!?!?!?
「え!?」
いや待て、恋人のお願いとは言え、それはいくらなんでもッ!
だってだって、マリナはまだ十六歳だぞ!?
そうすると俺が捕まるというかなんというか……。
それとも
それにしては童顔だし幼めな容姿だけど……出るとこはしっかり大人チックだけど。
「せ、
マリナはそう言うと両手で赤い顔を覆って下を向いた。
ああ、
……。
そっちかあああああああああああ!!
ああ!! マジでビビってしまった。
いやまあソッチだよね、ですよね、そんなわけないものね。
全身から変な汗が吹き出してしまった……ああシャワー早く浴びたい。
「ユ、ユウスケ様?」
っと、一人でガチャガチャ考えてる場合じゃない。
マリナの思いにしっかりと応えなければ。
というか本当は催促される前に自分からしなきゃならなかったよな。どんどんダメ彼氏度が増している気がする。
「わかった、マリナ、目を閉じて」
ならばせめて、俺がリードをしなきゃ。
俺も椅子から立ち上がり、マリナの正面に立つ。
マリナは少し顔を上げて、ギュッと目を瞑った。
力の入っている両拳が胸の前で小刻みに揺れているのが見える。
素早く辺りを見渡してヘカテーの邪魔が入らないことを確認した後、ゆっくり顔を近づける。少し、顔を右に傾けながら。
意外なことに、そこまで心臓は踊らず、緊張も適度なもので済んだ。
それがどうしてかを一瞬考えて、すぐに考えるのを放棄した。
そのまま俺はマリナとキスをした。
マリナの唇は暖かくて柔らかくて、少し強張っているのが分かった。
それでも、手を握ったり抱擁するのとは次元の違う、言葉にできないような生まれて初めての心地よさを感じた。
世のリア充共はこんなことを四六時中やっているだと?
全く許しがたいが、今なら俺もそっち側なのだろうか。
「ユウスケ、マリナを食べてるのです?」
不意に右耳に聞き覚えのある女の子の声が入ってきた。
俺とマリナはお互い驚いて離れ、声の方を見るとそこには銀髪に紫色の目の少女が立っていた。
「エリュ!」
またしても音もなく玄関からでもなく、突如として俺の家に出現したのはエリュだった。
初対面の時と同じ白いフリフリのワンピースの格好だった。
「ユウスケ、マリナおいしいのです?」
「いや! これは、その食べてるんじゃなくて……というか、どうしたの? 久しぶりだね」
飴乃みなか――宇宙を統べる者が「エリュには地球の神様になってもらう」と言って連れていった以来の再会だな。
「ユウスケの家の食べ物を食べに来たのです」
相変わらずの暴食な言動のエリュの目をよく見ると、紫色の瞳の中に星が浮かんでいた。
小さいが、確かに
「それと、エリュは神様になったのです」
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