つかさの誘惑

「なあ、ユウスケ……」


 目の前には顔を赤くするつかさ。

 いつにも増して女っぽく、色っぽく、そして可愛い。


 つかさは普段から、言動以外の部分は、格好も髪型も仕草も、確かに女の子らしく可愛い。

 それは認めよう。

 でも今日のつかさは一味も二味も違う。

 ここ数年友人として見てきた俺が言うのだから間違いない。

 誰よりも乙女で、奥ゆかしくも真っ直ぐで、別人のように『女の子』だ。


 そのつかさが、俺の真正面で俺の顔を見上げて、頬を染めながら眼を閉じた。

 不自然ではない程度にほんのりと唇を突き出しながら。

 そんなつかさの肩を、俺は両手でしっかりと掴んでいる。


 これって? これって!

 マジでどういう状況だよ!? どうしてこうなった?


 記憶を今朝まで遡る――。


 * * *


 猫の喉音のような奇怪な音で俺は徐々に意識が浮上した。

 差し込むと鳥のさえずりが半覚醒の俺を優しく突き刺す。


 どうやら、奇怪な音は机の上の俺のスマホが放っているらしい。

 見れば算盤そろばんの上でスマホが振動すると同時に少しずつ横移動していた。なんで算盤が出てるの……。


 ゾンビのようにぬるりと手をスマホまで這い伸ばして、画面を見るとそこには『秋山 つかさ』の表示。

 俺の唯一の親友だ。


 今日は土曜日。

 いつもなら、連絡もせずに唐突に俺の家を訪れ、勝手を知り尽くした通い妻的立ち回りで干渉してくるつかさが、ご丁寧に着信とはどうしたことだろう。よっぽど大切な要件だろうか。


「はい」


 寝起きの俺は半分も声が出ない。


「おーっす、って今起きたのか? 随分寝坊野郎だな!」

「んー」


 視線だけを横にずらしてセットしていない目覚まし時計を見ると、十一時を指していた。


「まあまあ、慣れてきたな」

「何が慣れたんだよ! 仕事が休みの日だからって、若いうちから昼まで寝てたらすぐに老いぼれちまうぞ!」

「なんだよその年寄りみたいな台詞」


 察しの通り、俺は今日も今日とて机に突っ伏して睡眠をとったのだった。

 ベッドはマリナに使ってもらっている。

 ……まさか俺は十六歳の子と自制心のある一緒に寝る訳にストイックなもいかない二十歳だしな。


 視線をベッドに移すが、マリナの姿は見当たらなかった。

 先に起きて家事をしてくれているのだろう。

 代わりにベッドの直上でふわふわ浮きながら眠っている赤い髪の悪魔なら居るが。


 慣れたとは言っても、身体の節々がしんどいのには変わりなく、椅子から立ち上ってスマホを持っていない手を天井に近づけて全身を伸ばしながら、


「それで、何の用だ」

「よくぞ訊いてくれた! ユウスケ、今日予定有るか?」

「あー……えーと」


 大体、つかさのこの切り出し方のパターンは十中八九草野球の誘いだった。

 正直仕事やの疲れで爽やかに「スポーツしようぜ!」な気分ではない。


「昼過ぎから、大川中学校の野球部との練習試合があるんだってよ! 俺の親父おやじが昨日から痛風で動けねえもんだから、なんとかユウスケに出てもらいたくてよ! 俺も出るからさ!」


 捲し立てるような早口でつかさが大きめの声を出す。

 まあ俺も中学までは野球部ではあったし、嫌いではないが……。


「えーと」

「頼むよう……ユウスケしか頼める奴がいなんだよぉ。親友だろぉ?」


 こう言われると弱い。

 チッ、都合のいい時だけ猫撫で声を出しやがって。


「わかったよ、あとでお前の家に行けばいいか?」

「さっすがユウスケ! 持つべきものはやはりユウスケってか? グローブと、それと前回持って帰ってもらったボールだけ持ってきてくれ! じゃ、待ってるからな!」


 俺の承諾が分かっていたかのようにつかさは俺が声を挟む間もなく一方的に言いきって電話を切りやがった。

 まあ確かにここのところ運動不足と言えばそうだったな。

 いい機会だが……さて、いつぞやに踏んだボール戦犯はどこにあったっけ。


 * * *


「私も、見に行きたいです!」


 部屋干ししている洗濯ものを取り込みながら、青い芋ジャージ姿のマリナは碧眼を輝かせてそう言った。


「いやいや、でもほら野球だよ? 練習試合だよ? 見ててもよく分からないでしょ」

「いいえ、ユウスケ様がされるものなら、たとえそれがどんなものでも私は興味があります!」


 ハンガーから下ろした俺のTシャツを両手で力強く握りしめてグイと俺に近づくマリナ。

 皺になっちゃうよ……。


「その気持ちは嬉しいんだけど、俺的にはお留守番してて欲しいかなって」

「私は見に行きたいです!!」


 フンス! と鼻から文字が出そうな息を出して更に顔を近づけてくるマリナ。

 こうなるとマリナは手に負えない。ああ凄い頑固だよこの子。


「わかったよ……でも、できるだけ目立たないようにするんだぞ? それでなくてもマリナは、その――」


 綺麗で可愛いから目立つ、とは口にしない。したら赤面しそうだし。


「その、何ですか? …………ユウスケ様、顔が赤いですよ?」


 しなくても赤くなっちゃったし。あーあ。


「と、にかく! あんまり目立たないような恰好と立ち振る舞いをすることが連れて行く条件! わかった?」

「仰せのままに、です、ユウスケ様」


 目を細めて口角をあげるマリナに、俺の顔はもう少しだけ熱を帯びた気がする。

 こんな可愛い子に想ってもらえるとか、誰が予想できただろうね。


「それでユウスケ様、野球とは、どのような戦闘の類なのですか?」

「いや戦闘じゃないよ!」


 * * *


 目立たない格好と言ったのに、物置部屋に隠しておいたはずの西洋風の鎧を纏い始めたマリナを慌てて着替えさせてから、ヘカテーに留守を頼んでつかさの家に向かった。


 それにしてもヘカテーにはいろいろと頼りっぱなしな気もするな。


わたくしはマリナストライアと過ごせるなら、別に何でもいいですわ」


 ヘカテーはそう言ってたけど、俺が仕事の平日もマリナと共に留守番をしてくれているヘカテーには、今度改めて感謝を示さないといけない気がする。


 飴乃みなか――宇宙の管理者と名乗った彼女が去ってから五日が経過した。

 その間も、ドッタンバッタンが多少ありながらも、なんとか俺は仕事に行けていたし、マリナとヘカテーとの三人暮らしも何とかこなしていた。


 それは平凡と言えば平凡でもあり、素敵と言えば素敵な数日間であった。

 俺にちゃんとした彼女ができたのも初めてだし、いきなり同棲ってのも初めてで、俺にとっては濃厚でもあり目まぐるしくもある日々だ。

 ……まあヘカテーお邪魔虫が居るので二人きりの同棲って訳ではないけど。


 それでも、ヘカテーには感謝している。

 なんだかんだ、俺の抑制に一役買ってくれている気もするしね。


 そんなことを思う反面、頭の中では存在感を放ち続ける希望がある。

 可能なら、マリナを元の世界に帰してあげたい、という希望だ。


「ユウスケ様、外は暖かくて良いですね」


 金髪を優しく揺らして隣を控えめに歩くマリナの言葉に、その希望はどうしても霞んでしまう。

 マリナとずっと一緒に居たい。

 やっぱりこれもまた、俺の中の希望であるからだ。


 こんなセルフジレンマを持ち続けていつまで正気を保っていられるんだろうかとか、それともジレンマ自体に違和感が無くなってし崩し的に日々を過ごしていくだけの人間になっていくのだろうかとか、思考の殴り合いを脳内でキメている間につかさの家に着いた。


 インターホンを押そうと人差し指を伸ばしたところで、


「おーっすユウスケ! ってマリナちゃんも一緒か!」


 背後からつかさの声がした。

 振り返ると、淡い桃色の七分セータに、黒基調のギンガムチェックのスカート姿のつかさが人差し指で輪っか状のキーホルダーをくるくる回しながら立っていた。

 ショートボブを揺らしながらニカリと笑うつかさ。言葉遣いさえ直せばマジで女の子の塊になるのにな。


「あの、師匠、お久しぶりです」

「久しぶり! っても五日ぶりくらいだけどな! 取り敢えずまだ時間あるからよ、うち上がってけよ! ちょうどもらったお菓子もあるしよ!」


 鍵のついた輪っかを回しながら、つかさは俺とマリナの間をちょっぴり強引に通って、開錠して中に入っていく。

 俺とマリナもそれに続いた。

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