つかさの狂惑

 俺はヘカテーのおかげで少しばかりネガティブな考えが紛れながら自宅に到着した。

 開錠して扉を開けると、玄関には見慣れたサンダルのような靴が置いてあった。


 どうやら既につかさは来ているらしいな。

 マリナが勝手に家にあげたのだろう。まあ、つかさだからいいけども。


 マリナなら強盗のような悪い奴でも捲し立てられて信じてあげてしまいそうだ。

 ……その場合気の毒なのは恐らく強盗側ってことになりそうだけど。


「ただいま」


 ここ最近まで数年は一人暮らしだった為ほとんど言う機会のなかった挨拶を俺は久しぶりに口にして少しだけ恥ずかしくなりながら居間に入ると、そこではテーブルについて楽しそうに会話をする二人の女性が居た。


「おーっす、おかえりユウスケ」

「ユウスケ様、お帰りなさいませ」


 相変わらずの芋ジャージのマリナと、大きめの白のパーカに黒スキニーの、今日は比較的大人しめな格好のつかさ。

 一番の危険人物の姿は見えない。


「エリュは?」


 俺はマリナとつかさ、どちらともなく聞こえるようにくうに向けて曖昧に訊きながら、スーツの上を脱いでネクタイを緩める。


「エリュちゃんは眠たかったようで、今はユウスケ様の部屋でお休みになってます」


 マリナが答えるのと同時くらいにつかさはスッと椅子から立ち上り、早歩きで俺のもとに歩いてきた。


「ほら、ユウスケ、スーツとネクタイよこせ。皺になるといけないだろ。ユウスケの部屋着は物置部屋に一セット置いといてやったから、そこで着替えてこいよ。スラックスも掛けるから脱いだら持って来いよ。ワイシャツは自分で洗濯かごにでも入れてくれ」


 まるで全てを熟知している妻のようなつかさの動きに、俺もマリナもポカンとしてしまった。

 ……マジで通い妻かな? 言ったら怒るから言わないけど。


 直後、なんだか知らないがマリナは突然俺を睨み始めた。

 睨む、というよりは恨めしい、みたいな目だ。

 睨まれても困るのだが……俺は貴女の彼氏ですよ、みたいな表情を作ってみたが、全く伝わってないようだ。これも文化の違いカルチャーギャップって奴だろうかね。


 逃げるようにして俺はつかさに言われた通り物置部屋に行き、拘束具たるスーツから部屋着に着替えることにした。

 そしてここで気づいたが、どうやらヘカテーは姿をくらましている。

 前回もそうだったが、つかさに見られたら都合でも悪いのだろうか。


 ワイシャツとスラックスを脱ぎながら、改めて考えを纏める。


 差し当たりの急務は、つかさとの話し合いだ。

 マリナには少し悪いが、席を外してもらわねば。


 居間に戻ると、ムスッとしたマリナが立ちはだかった。


「どうしたの?」

「……ワイシャツをお預かりします!」

「う、うん。ありがとう」


 ひょっとして手際の良いつかさに嫉妬して次は我こそが、みたいな感じなのだろうか。

 尽くされるのはちょっと嬉しい反面、それどころじゃない心境に俺は苦笑いになった。


 洗濯かごへの往復を済ませて俺のもとに戻ってきたマリナに、


「マリナ、一つお願いがあるんだけど」


 俺が声を掛けると、マリナは青い目を爛々と輝かせて、


「はい! ユウスケ様、何なりと!」


 祈りのポーズで俺に一歩近づいてきた。


「つかさと大事な話があるから、俺の部屋で待っててくれないか」


 が、俺の言葉で俯いて小さくなってしまった。

 いや、本当ごめんね、マリナ。でももしかするとこれもマリナの為になるかもしれないんだ。


「わかりました」


 しゅんとしながら、とぼとぼとした歩みで俺の部屋に消えていくマリナ。


「あらあら、オーホホホ! 喧嘩ですの? 恋人になって早々、喧嘩ですの?」


 どこからともなくいつの間にか現れたヘカテーが俺を煽ってくる。

 ちょうどテーブルに座っているつかさからは見えない位置で、だ。


「そんなんじゃないさ。でも、ヘカテーにもお願いがあるんだけど」

「なんですの。人間風情のお願いなど、悪魔であるこのわたくしが聞いてあげる義理など――」

「マリナと一緒に居てやってほしい。あんまりマリナに寂しい思い、させたくないんだ」


 そう言うと、ヘカテーは一瞬目を見開いて、すぐにそっぽを向きながら、


「ふん。マリナストライアの為なら仕方ないですわね。人間の為ではないですわよ」


 赤い髪を手で激しく払いながらツンデレチックにそう言った。若干頬も赤い気がした。


「ありがとう」


 俺のお礼を聞き届けると同時にふわりと浮いて俺の部屋に向かっていくヘカテー。


 大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。

 そして視線をテーブルに着くつかさに向ける。


 舞台は整った。


 * * *


 つかさと俺はちょうど向かい合う形でテーブルについている。

 テーブルの上には、先程までマリナと二人で飲んでいたであろうコーヒーの入ったマグカップが二つ置いてある。


 俺のこの家に、つかさと二人でいる事にはとうの昔に慣れていた。

 会話がなくとも、空気のような存在というのだろうか、居ても居なくてもいいような居心地の良さはすでに数年前から感じている。

 果たしてそれが良いことなのかはわからんが。


 そんな俺ら二人は、今までにない気まずさを感じている。

 それが証拠に、珍しくつかさも無意味にマグカップをモジモジ弄っているし、俺も普段気にしない自分の指や手を頻りに見てしまっている。

 沈黙が針のように鋭利に感じるのはいつ振りだろうな。


 それでも、切り出さねばならないだろう。

 こういう時はまあ、男から発言した方が良いだろうね。


「つかさ、それで昨日の話の続きなんだけど」

「お、おう! そうだな」


 つかさはマグカップを弄っていた手をテーブルの下に移動し、いつにない真面目な顔になった。

 俺も無意識に背筋が伸びている。


 さて、どういうことか説明してもらおうか。


「で? どうしてヘカテーの事やマリナの世界について、つかさが知っているんだ?」

「……ユウスケは、飴乃先生、知ってるか?」

「飴乃先生?」


 唐突な変化球に俺は声が裏返ってしまった。


 飴乃先生。

 昨日マリナとのデートの際に見た異世界転生もののアニメ映画『転生先の違和感』の劇場版。

 それの原作者が確か飴乃先生だったな。

 つかさが好きな作家でもある。


「飴乃先生がどうかしたのか?」

「ユウスケは、飴乃先生の処女作って知ってるか?」


 どんどんと話が逸れていっている気がする。もしかしてはぐらかそうとしてるのか?

 先の見えないつかさの問いにほんの少し苛立ちが発生した。


「いや、知らないけど」

「十年くらい前、まだ先生が無名だったころの作品で『グリースの四半魔』って作品だ」

「それがどうしたの?」

「俺は小学生の頃に読んだことがあるんだ。俺がラノベにハマるきっかけになった作品でもあるんだぜ」


 つかさは凛とした表情のまま俺の顔をしっかと見つめている。

 よく見るとつかさって相当可愛く整った顔しているな。


「ふーん」

「確か実家で読んだ気がしてな。だから昨日はそれを探しに実家に行ってたって訳だ!」

「訳だ! じゃなくてさ。それがマリナの世界とどう関係あるんだよ」

「どうもこうも、全部だよ」


 そう言ってつかさはショートボブの髪を揺らしながら前のめりになって顔を近づけてきた。

 ふわりと良い匂いがして、苛立つ心がちょっと和らいだ俺に、つかさは、


「そのライトノベルに出てくるんだよ。マリナストライア・ヘイリオスって子が」


 妄言のような事を吐いてきた。

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