つかさの迷惑

「おーっすユウスケ、こんな時間にすまんな! あまりにも大量の着信とメッセージが入ってたもんだからビビっちまったよ! お前はメンヘラ彼女かって!」

「つかさ、お前今まで何してたんだ。というか今どこだ?」

「んだよユウスケ、今度は父親みたいだぞ。俺は今、ちょっと訳あって実家にいるぜ」


 受話部分から聴こえてくるつかさの声は、いつもと何ら変わりがない調子だった。

 銀髪を揺らして怪訝な顔を向けてくるエリュを横目に、俺はつかさに問う。


「なあ、つかさ。おまえってもしかして……」

「なんだよ、怖い声出して」

「もしかして、お前、悪魔なのか?」

「はぁ?」

「ちゃんと答えてくれ。悪魔なのか? もしくは魔族、とか」

「…………ユウスケ、お前最近寝不足か? それとも欲求不満か?」

「……」


 ちゃんと寝れてはいない。

 ただ欲求不満ではない。多分。


「つかさ、はぐらかさないでちゃんと答えてくれ」

「……いいだろう、教えてやるよ。実はな……俺は」

「俺は?」


 訪れる沈黙。

 おい、嘘だろ?


「おい、つかさ?」

「…………バレちまっちゃしょうがねえ」

「嘘、だよな?」

「ああ、ユウスケの考えている通りだ。俺は悪魔だ」


 つかさの言葉に、俺は思い切り後頭部を殴られたような感覚とともに眩暈が発生した。


 俺が、唯一気のおけない友人だと思っていたつかさが、人間じゃない……。

 数年間の付き合いとはいえ、裏切られたようなどす黒い感情が湧いてくる。


「なぁーんてな!! カッカッカッカ!! んな訳ねえだろ! ユウスケも遂に悪魔にでも脳味噌を浸食されたか?」

「……」


 安堵と憤りが同時に爆発して頭の血管がどうにかなりそうになった。


「俺は人間だよ。確かにマリナちゃんっていう存在でいろいろややこしくなっているようだけど、俺は間違いなく地球の人間で、お前の親友だ。安心しろよな、ユウスケ」


 親友。

 今まで言われたことも言ったこともない単語に、今度は少し泣きそうになった。

 そっか……つかさは俺のことをそんな風に思ってくれてたのか。


「そっか、良かったよ」

「良かったよ、って……ユウスケお前そんなしょうもない確認の為に大量にメールだの電話だのしてきてたのか?」

「俺だってそんな訳ないとは思ってたよ。でも、ヘカテーの奴が、つかさは只者じゃない、なんて言いだすし、この地球に今現在魔族は三人いるとかも言われたし」


「はー? ヘカテーの言うことなんかを信じるのかよ。俺との付き合いの方が長いだろ? な、ユウスケ」



 ん?



「なあ、つかさ」

「ん? 何だよ急に怖い声出して」



 おかしい。



「お前、ヘカテーのことなんで知ってるんだ?」



 つかさが昨日、通い妻しに来た時には、マリナにしか会っていない筈だ。

 ヘカテーは、つかさがマリナと一緒に家を出て行くまでの間、マリナとのドンパチから逃避するために次元の狭間に隠れていたからだ。


「…………」


 どうしてそこで黙るんだよつかさ。


 ――あの女の方、只者じゃないようですわね。

 ――あの女の方はマリナストライアやわたくしのことを恐らく知っていますわね。

 ――この辺りには、それに該当するのは三人しかいないのです。


 蘇るヘカテーとエリュの言葉。


「なあ、答えてくれよつかさ。どうしてヘカテーのことを知ってるんだ」


 受話部分からの無音の代わりに徐々に早く強くなる自身の鼓動。

 やっぱりつかさが残る一人の――


「本当はちゃんと実物を見つけてからと思ったんだけどよ……まあしゃあないな。分かったよ、ユウスケ。明日ちゃんと話すよ。明日の夜にでもユウスケの家に行っていいか?」

「実物? ……ってなんだよ、それに俺の質問の答えになってないぞ」

「そこらへんも全部含めて明日話すからよ! 今もう夜中の二時だぞ?」


 つかさのこの言葉で俺は少し我に返り、軽く辺りを見渡す。

 時計が指し示す二十六時十分。

 肘枕の体勢でふわふわ浮きながら寝ている赤髪のヘカテー。

 今にも寝てしまいそうに目蓋の重力と戦う銀髪のエリュ。


 そうだ。俺も明日から仕事だった。


「わかった。そうしたら明日の夜、待ってるな」

「おう、とりあえずおやすみだぜ」

「うん。おやすみ」


 通話を終えて深呼吸をする。


 やはりそうだ。ヘカテーの言う通りだ。

 つかさは何かを知っている。


 時計の秒針の音だけが鳴り響く居間に暫く立ち尽くしてから、俺は眠そうなエリュをブランケット数枚で作成した簡易布団に寝かせて(今日はここで許してくれ)自分の部屋に戻る。


 俺のベッドで無防備な寝顔をするマリナにほんの少し心が和らぎながら、それでも渦巻く暗い感情は拭いきれない。


 しかし今は寝るしかないと、俺は椅子に座って机に突っ伏す。

 こういう時は早めに寝ちまうのが一番だと、加持さんも言っていたな。

 全く早くはないけど。


 * * *


 案の定、質の良い睡眠など取れずに朝を向かえた。

 既に起きてベッドの上に正座をする芋ジャージ姿のマリナと目が合い、


「おはよう」


 と声を出した。思い切り掠れてしまった。


「おはようございます、ユウスケ様」


 窓から射す優しい朝日がちょうどマリナの上半身に当たっており、寝起きの俺には柔らかく笑顔を見せるマリナが聖女か天使か、そんな風に見えた。

 ……真っ青な芋ジャージで全部台無しだけど。


 取り急ぎ支度の為に居間に行く。

 ヘカテーは見当たらなかった。

 エリュはブランケットを齧りながらまだ夢の中にいるようだった。


 ……というか、マジでどうにかしないとな。

 小さな物置部屋付の1LDKの俺の部屋でこんなにたくさんの少女と同棲する訳にはいかない。

 いや約二名は少女ってか悪魔なんだけどね。


 昨日エリュに食料を食い尽くされていたので朝食を作ることも出来ず、どうしようか迷った挙句近くのコンビニにダッシュして食料を多めに調達。

 スーパーが開いていないこの時間。コンビニでの買い物は高上りだが、この際仕方がない。

 放っておいてマリナがエリュに食べられでもしたら困るし。


 おにぎりを一つ胃に入れて、恥ずかしいので物置部屋で着替えを済まし、マリナにお留守番とエリュのお守を頼むと、問題が発生した。


「私は、ユウスケ様と一緒に居たいです。ユウスケ様が出かけるのであれば、私も同行いたします」


 いや、あのね。

 確かに「自分の思いを表に出して」とは言ったし、彼氏としては嬉しい意思表示だけども。

 これから仕事なんでね。職場に恋人を連れ込むわけにもいかないしね。こればかりはね。


 なんとか命令という形で説得し、ムスッとした顔で了承したマリナ。ちょっと可愛かった。


 様々な不安が残る中、とりあえず俺は家を出て職場に向かった。


 出勤中、勤務中、休憩中も勿論のこと、思考は迷宮を彷徨うばかりで平静を装えているかは不安だったが、うざ絡みしてくる先輩がいつも通りのうざ絡みだった為、なんとか俺は正常に振る舞えてはいるのかなと少しホッとする。


 浮ついたまま長い業務を何とか終えた俺は、会社を飛び出して可能な限り最短で家に向かう。

 帰路すがらも思考は相変わらず渦巻いている。


 家で何かが勃発しているかもしれないという不安もそうだが、今大部分を占めている思考はやはりつかさの事だった。

 エリュの言っていた、今地球に存在する三人の魔族。

 ヘカテー、エリュ、そして最後の一人が、もしかすると……。


「疑心のオーラがだだ漏れですわね。だから、それはないと言ったはずですわ、人間」


 自宅に向け歩道を早歩きする俺の耳に、確かにヘカテーの声が響いた。

 しかしながら足を止めて辺りを見渡してもヘカテーの姿はない。

 

「……空耳?」


 小さく俺がそう呟くと同時くらいに、ヘカテーの声で「魔性変調解除アッファーロ」と聞こえた。

 直後一瞬右耳に重みを感じ、それが無くなったかと思えば、俺の目の前でピンチアウトされた画像のようにヘカテーが徐々に大きくなった。


「オーホホホ! 空耳じゃないですわ。わたくしはずっと居りましてよ」


 赤い長髪をこれでもかと言わんばかりに手で払い、オッドアイで俺を見つめながら八重歯を見せるヘカテー。


「ずっと、って」

「ええ。小さくなって、人間の耳に入り込んでいましたわ」

「耳!?」


 何かやたら今日は耳が痒いと思ったら!


「なんでまたそんなところに」

「決まっていますわ。この世界の人間の行動原理も知っておいて損はないと思ったのですわ。まあ、低俗なことばかりでつまらなかったですけれど」

「低俗って……」

「あの光る画面を見つめてボコボコした板を指で叩く行為が何になるんですの?」


 街灯の直下で、ジトッとした眼で俺を見てくるヘカテー。


「それが俺の仕事なの」

「仕事? あれが人間のやりたいこと、なんですの?」

「やりたいことではない、けど……」

「では何の為に、人間はやりたくもない仕事をしているんですの?」

「何の為って……生きる為、かな」

「あんな変なことをしなくても、人間は生きていけるじゃありませんの?」

「仕事をしないとお金がもらえないの!」

「お金……そんなものなどなくても、生きていくことはできるはずですわ」

「お金が無いと食べ物も住む処も手に入らないよ」

「あら、人間は脆弱なんですのね。わたくしども悪魔は、生まれてからお金など手にしたことはないですわ。それでも食べ物や住処に困ったことなどないですわ」


 ヘカテーは見下したような顔つきで俺を見つめている。


「異世界での定義を地球ここに持ち出さないでくれ」


 俺はそんな台詞を吐きながら、その実頭の中ではヘカテーの言うことに少し得心がいってしまっていた。


 俺は何の為にやりたくもない仕事をしているんだろう。

 お金が無けりゃ生きていけない、そんなこの国の制度に従って生きているのは何の為だろう。

 原始の時代には貨幣など存在しなかったのに、それでも人間は生きていた。

 しかしその時代は同時に多岐にわたる危険が付き物でもあった。


 やりたくもないことをしてある程度の安全の保障がある今と、危険が付き物ではあるがある程度の自由がある昔と、果たしてどちらが幸せなんだろうか。


「稚拙な感情のオーラを出しているところ申し訳ないですけれど、もっと他にすべきことがあるんじゃありませんの?」


 そうだ。そんなことを考えている場合じゃなかった!

 ヘカテーちゃんナイス。ってか俺アホだ。


 俺は自宅へ歩みを進めながらヘカテーに話しかけた。


「さっき言った、それはないってのは、やっぱりつかさのことだよな?」

「そうですわ。あの言葉の汚い女の方は、間違いなくこの地球せかいの人間ですわ」


 俺と並行して歩きながらキッパリと答えるヘカテー。

 人通りが少ないとはいえ、浮いて移動しないでくれるのは助かる。

 誰かに見つかったら大変なことになりそうだし。


「でも、エリュは地球に三人魔族が居るって言ってたぞ?」

「…………」


 黙り込み、何故か顰め面をし始めるヘカテー。


「確かにエリュアーレは優秀な悪魔ですわ。わたくしよりもそういった探知能力には長けていますわね。もしかしたら私の気づかない血の薄い魔族が地球ここにまだいるかもしれないですわ。でもこれだけは断言致しますわ。あの言葉の汚い女の方は、間違いなく地球このせかいの人間ですわ」


 改めてヘカテーが断言し、俺は少しだけ肩の荷が下りた気分になった。

 つかさはやはり悪魔や魔族ではない。ただの、俺の親友だ。


「へえ、エリュってヘカテーちゃんより優秀なんだ。五歳なのに」


 俺の言葉に眉の間がどんどん狭くなるヘカテー。


「うるさい人間ですわね。燃やしますわよ」

「ごめんなさい」


 っと、ヘカテーが悪魔なのを忘れてた。

 良い奴だけど、おちょくるのはした方が良いな。

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