つかさの思惑

 つかさの持ってきた「差し入れ」はどうやらケーキの類らしく、それらしい箱をテーブルに置いたつかさは勝手に俺のキッチンに潜り込み、「コーヒーで良いか?」などと言っている。


 土曜日になるとしばしばこうしてつかさが俺の家にやってくる。

 高校二年で初めて同じクラスになり、大学二年になる現在までその習慣は途切れたことはない。

 もっとも俺は大学へは行かずに就職をしたので大学生なのはつかさだけではあるが。


 その大学生のつかさは俺の家のコーヒーやマグカップの置き場所などは把握しておるようで、今日も手際よく勝手にドリップしたコーヒーの入ったマグを二つ持って居間に戻ってきた。


 そしてどこからか取り出したコースターをテーブルに素早く置き、そこにマグを二つ置いた後、小走りで皿とフォークを二つ持ってきては箱を開けてケーキをセッティングしている。

 勝手の知り具合や手際の良さはもう完全に「通い妻」って感じだ。


 過去に一度、「お前まるで通い妻みたいだな」と零した際には、つかさは顔を真っ赤にして憤慨し、


「ふざけた事言ってんじゃねえ! 蹴り倒すぞ!」


 と言われたのを思い出した。沸点は分からんがつかさが本気で怒ったのを見たのはそれが最初で最後だった気がする。どうして怒ったかはよくわからん。


「んで、読み終わったのかよ? ユウスケ」


 持参したチョコレートケーキを早速頬張りながらつかさが訊いてきた。


「いや、まだ読めてな――」


 ――ドォン!!


 俺の部屋の方向から聞こえてくる轟音。

 同時に俺の頬に汗が滴るのを感じた。


「なあ、やっぱり騒がしいな。もしかして誰か来てるのか?」

「いや! えーと……」


 隠すべきなのか? 正直に言うべきなのか?

 後ろめたいことは何も無いのだが、「異世界から来た人間」なんて言ったところで妄言扱いされて終わる気がする。

 大切な友達から距離を置かれるのは俺にとっては凄く嫌な事だ。折角できた唯一の友達なのだから。


 ――タタタタタタ!


 間髪入れずに俺の部屋から聴こえてくる騒音。

 俺の汗も量が増えている気がする。


「でも、明らかに誰かいる音だよな?」

「いや、その…………そう! 犬! 犬を飼ったんだ!」


 これはファインプレーだ!

 確かつかさは犬アレルギーなはずだ。これで自分から犬が居るであろう俺の部屋に赴いたりはしない筈だ。


「え、マジかよ」

「マジマジ。つかさが犬アレルギーって知ってるから、俺の部屋からは出さないようにしてるんだよね、はは」


 ――シュィン! シュインシュイン!! ビシュシュシュ!!


 それでも続く騒音。ってか何の音だよ!! 俺の部屋で何が起こってるの。


「なあユウスケ、犬ってあんな風に鳴くのか?」


 つかさはケーキを食べる手を止めて、俺の部屋の方向を見つめている。


「そうそう! 俺の犬変わっててさ! あははは……」


 俺が乾いた笑いをしていると、バタンという音とともに俺の部屋からマリナが飛び出してきてしまった。

 ヘカテーとの激しめな戦闘のせいか、マリナが着ている俺のTシャツはところどころ破け、綺麗な白い肌が露出している。

 そんな格好のマリナがキリッとした顔で、俺とつかさが居るテーブル前まで走ってきた。


 つかさはやってきたマリナを見て眼を見開き固まった。

 マリナはそれに構わずに辺りをきょろきょろし、「ヘカテーの奴め」などと呟いている。

 俺はもう、それはもう心の中で悲鳴を上げるしかなかった。


 一通りキョロついたマリナが俺に気付き、


「ユウスケ様」


 と一言言ったくらいで視線がつかさに向き、マリナもきょとんとした顔で固まった。

 世界が停止したような数秒の沈黙。


 それを打破するために俺は目をつかさに、掌をマリナに向け、


「うちの、犬です」


 と言った。


 双方からの視線が死ぬほど痛い。いっそ殺してくれ。


 * * *


「まさかユウスケがそこまでの変態だったなんてな」

「ユウスケ様、私はあなたにお仕えする身ですが、流石に犬はひどいです」


 だぁああああ、もういろいろごめんって!!


 こうなってはしょうがない、そう思って俺は全て正直につかさに話した。

 ついでにマリナにもつかさについて軽く説明してやった。


 案の定、つかさは終始怪訝けげんな顔を崩さなかったが、マリナの本名をマリナ自身が口にした時に何故かつかさの顔つきが変わった。


「マリナストライア?」

「はい、マリナストライア・ヘイリオスと申します」

「それって……」


 突然見たことのない驚嘆顔を作ったつかさ。

 もしかしてつかさはマリナの事を――


「めちゃくちゃカッコイイ名前だな! イカしてるぜ!」


 ――知っている訳ではないのね。

 そりゃそうよね。地球こっちの人間じゃないし。


「ふーん、突然現れた異世界の人間ねえ……それを信じるにせよ信じないにせよ、とりあえずその格好はどうかと思うぜ? マリナちゃんは女の子なんだし、何よりユウスケに目の毒だ。コイツはナヨッとしてるけどこれでも男だからな」


 ナヨッとは余計だが、つかさの主張は概ね正しい。

 先程から俺は目のやり場に困っているからな。


「はあ、しかし私はこの世界の貨幣をもっていないので……」

「なあんだそんな事かよ! 俺に任せとけって! ユウスケ、ちょっとマリナちゃん借りていいか?」


 つかさはマリナの両肩を掴みながら俺にそう訊いてきた。


「借りるってどういうことだ?」

「なーに、ちょっとばかし服を買いに行くだけだよ。ずっとユウスケの服着させるわけにもいかないだろ?」

「そうだけど、マリナを外に出したら色々と危険というか……」

「大丈夫だって。俺が一緒に居るし、それにほら、マリナちゃんは今、魔法が使えないんだろ?」

「まあそうだけど……」

「大丈夫だ、ユウスケは本当昔から心配性だよな! まあ、とにかく俺に任せとけって。連絡はするからよ! それでいいよな? マリナちゃん」

「え、ええと……」


 捲し立てるように話すつかさに、困り顔と碧眼を向けてくるマリナ。

 まあたしかに、丈の合わない俺の服を着せるのも可哀そうではあるな。


「マリナが行きたいなら、行っておいで」


 困った顔のマリナに俺はそう告げた。

 一瞬目をチラつかせた後に、少し微笑んで


「かしこまりました」


 とマリナは言った。

 まあそうだな。つかさは信用できる友人だし、任せてみようか。


 流石にマリナをズタボロの格好のまま外出させる訳にはいかないので、とりあえず干してあった長ジャージ上下を着せてやった。


「じゃ、いってくるわ。皿とフォークとマグカップ片づけといてくれな! あとケーキ食えよ! 新刊も読めよ! あとは楽しみにしておいてくれよ! じゃあな!」


 マリナを引っ張って出て行ったつかさに、注文が多過ぎるわ! と心の中で叫んだあとに、俺の家は静寂に包まれた。


 そういえばマリナが来てから――まだ丸二日すら経っていないが――引っ切り無しにパタついて落ち着かなかったので、漸く一人になって落ち着くことができた気がする。

 深呼吸をし、微妙に張りつめていた神経がほぐれていく感覚を覚えながら俺はテーブルに置いてあるケーキを食べようと椅子に座った。


 が、ケーキが無かった。


「オーホホホ! この世界の食事もなかなか美味しいですわね!」


 俺の向かいにはいつの間にか唇の端にチョコを付けたヘカテーが座っていた。


「ぅお! びっくりした、どこに行ってたんだ?」

「オーホホホ! マリナストライアがじゃれてくるのが少し面倒でしたので、次元の狭間に隠れておりましてよ」


 次元の狭間って。、でするような芸当じゃねえ。

 てか俺のケーキ……。


「それにしても人間、あのつかさという言葉の汚い女の方。あれは誰なんですの?」

「誰って、俺の友達だけど」

「そうなんですの。あの女の方、只者じゃないようですわね」

「まあそうだな。行動力とか凄いし、なんだかんだでいつも――」

「そういうことじゃありませんわ」


 不意に冷めた声を出すヘカテー。


「どういうこと?」

「あの女の方から強欲の感情が数種類出ておりましたわ。具体的にハッキリと分かったのは、そう……、ですわね」


 お前は何を言ってるんだ。さっぱり分からん。

 そんな意味を込めた視線をヘカテーに向けると、ヘカテーは呆れ顔で溜息をついた後に口を開いた。


「お頭のよろしくない人間の為に簡単に言うなら、要するにあの女の方はマリナストライアやわたくしのことを恐らく知っていますわね」

「は?」


 マジでお前は何を言ってるんだ。悪魔でも言っていいことと悪いことがあるんだぞ。


「つかさがこの世界の人間じゃないって言いたいのか?」

「そうじゃありませんわ。あの女の方は間違いなく地球の人間。生まれも育ちもそれは間違いありませんわ」

「じゃヘカテーちゃんやマリナを知っているはずが無いだろ」

「そうですわね……その筈なんですけれども」


 は! 感情の種類を読み取る力も大したことないじゃないか。

 考え込むような顔で黙り込んでしまったヘカテー。


 そんなことより俺のケーキ返してくれませんかね?


「まあ、それはさておき、ですわ。折角マリナストライアとお友達になれたというのに、ああも嫉妬に興じられては交友を深められませんわ。早く人間もマリナストライアと親密になってくださいませんこと?」

「親密って何だよ」

「マリナストライアが人間に忠誠を誓っているのに、人間はマリナストライアに何もして差し上げないつもりですの?」

「いや、そう言われてもなあ」


 確かに何かしてあげなきゃとは考えてはいるけれども。

 そりゃあ、電撃ブロンティから庇ってくれた恩人でもあるし、できる限りのことはしてやりたいけどさ。


「ま、考えておくことですわね。私はマリナストライアが帰ってくるまで睡眠でもしていますわ」


 そう言うとヘカテーは大きな欠伸をして、ふわりと浮いたかと思うとそのまま俺の部屋に飛んでいった。いいな、俺も空飛んでみたい。



 無くなったケーキ皿やマグを片してから、俺はつかさの言う通り新刊の続きを読むことにした。

 山嵐先生の作風は俺の好みド直球であり、感情移入のしやすい言葉選びや共感の出来る心理描写にいつも心を動かされる。

 今回の新刊の挿絵もどれもが可愛く丁寧に描かれていて、あとがきもネタ満載、大満足の一巻だった。


 読み終わった頃には時計は既に夕方の五時。どんだけ読むの遅いんだよ俺。

 そろそろ洗濯でもしようかと腰を上げた時に俺の携帯が鳴った。


 画面には『秋山 つかさ』の表示。

 ということはマリナも一緒なんだろうか。


「はい、もしもし」

『――えっ…………ここに話すといいんですか? ……――はい……』

「ん?」


 明らかにつかさではない人物の、遠い声が途切れ途切れに聞こえてきた。マリナか?


「もしもーし」

『ユウスケ様、マリナです』

「うん、どうしたの?」

『えーとですね……』


 少しの沈黙と小さくて可愛い咳払いが聴こえた後、


『ユウスケ様は私に助けられました。なので、私にお礼をしなければなりません』

「はい?」


 どうしたんだ? いやまあその通りなんだけど。

 あれだけ忠誠忠誠言っていたマリナの発言とは思えないし、何より凄く棒読みだった。


『ユウスケ様は私のお願いを一つ叶えるべきです。違いますか?』

「いや、まあそうだけど」


 マジでどうしたんだろう。受話器から聴こえるマリナの声はやっぱりカタカナを羅列したような棒読みだった。


『それでは、明日、私とデートをしてください。正午に家まで迎えに行きます。いいでしょうか』


 ピンときた。これあれだ、つかさの仕業だな? アイツに言わされてるんだな?


「マリナ、デートの意味わかってる?」

『はい、先程師匠から聞きました』

「師匠?」

『イエーイ!! 師匠のつかさだぜー!!』


 突然の大音量に劈かれ鼓膜が悲鳴を上げた。

 

「つかさ、お前どういうつもりだよ」

『どうも何も、ユウスケは明日、マリナちゃんとデートするんだよ! 命の恩人なんだろ? そんくらい聞いてやるってのが男ってもんだろ!』


 命の恩人、スタンガンから守ってくれたのをそう言っていいのかは微妙だ。

 それにマリナには命を狙われたこともあるけどな。


 まあそれでも。

 そうだな。

 そのくらい聞いてやるのが恩人への態度ってもんだな。


「分かったけど……俺、女の子とデートなんてしたことないぞ!」

『大丈夫大丈夫! こっちで何とかしてやっからよ! そんな訳で今日一日マリナちゃん借りるからな! 今日は俺の家に泊めるけど、心配すんな! いろいろと吹き込んでから明日の昼にはそっちに行かせるからよ!』

「……今よこしまな言葉が聞こえたんだけど?」

『気にすんな、ユウスケはマリナちゃんの為に明日デートをすればいいだけだ! まあ楽しみにしておけよ! じゃあな!』

「おい!」


 俺の反論を聞いてくれることもなくすぐさま電話を切られてしまった。


 デートねえ。

 嫌な予感が込み上げるのとともに、言葉にできない高揚感も湧き出ていることに気付き、深く複雑な溜息をつくことしかできなかった。

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