悪魔の悲願

「いいか、ヘカテーちゃん。作戦通りにな」

「わ、わかりましたわ。人間を信じてみますわ」


 あの後、居間に移動して三十分程ヘカテーの相談に乗ってやった俺は、仲良くなるための作戦を遂行すべくマリナの眠る俺の部屋に戻ってきた。


 作戦、などと言っているがそのじつ中身など何もない。

 俺が仲介するにしても、最終的に本人の口から想いを発さないことには伝わらないことだってある。

 ヘカテーにはただ、俺が導いた後に正直な言葉を口にしてもらうようにした。それが作戦の正体だ。


「まだ、起きないようだね」

「そのようですわね」


 俺はヘカテーと横並びにベッドの傍に立つ。

 マリナは綺麗な顔で寝息をたてている。

 小さめのその唇があまりにも無防備で、俺は触りたくなるのを必死に我慢した。


「あらあら、人間。色欲がダダ漏れですわよ?」

「えっ、色欲?」


 左隣の小さな赤髪悪魔は溜息をついて目を閉じる。


わたくしは誇り高き悪魔ですのよ。低俗な人間から湧き出る感情の種類くらい読み取れますわ。今人間がマリナストライアに小さく欲情したのだって、わたくしにはお見通しですわ」

「してないしてない! 欲情なんて!」


 うえ、大まかでも心読めるとかマジで反則級だなこの悪魔。

 色んな意味で気を付けないと。


「……まあ、人間がそう言うのならそれでもいいですけど。そんなことより、そろそろ目が覚めるようですわ」


 オッドアイをキッとマリナに移動させるヘカテー。

 俺も視線をマリナに移すと、眉と唇を動かし始めていた。


「マリナ! 目が覚めたか」

「…………ん……ユウスケ様、ご無事ですか」


 まだ薄くしか開いていない碧眼を必死に俺に向けるマリナ。

 意識が戻って真っ先に俺の心配とか、本気で俺に従えるつもりなんだねこの子。


「俺は大丈夫。マリナのおかげだよ。本当にありがとうな」

「ありがたきお言葉……お慕いするユウスケ様の助けになれて、私は嬉しいです」


 マリナは横になったまま澄んだ笑顔でそう返した。

 その笑顔を見て俺は自分の胸がチクリとするのを感じた。


 こうも無条件に俺に尽くしてくれるマリナに、俺は何を返せばいいのだろう。

 マリナを元の世界に帰すとしても、その前に何かこの子にしてあげなければ俺の気が済まない。


「ところで、ユウスケ様。ヘカテーはどうしました?」


 眉根をクイッと上げてマリナは俺に訊いてくる。

 寝たままのその体勢だとマリナからヘカテー見えないようだ。ヘカテー小さいしね。


「あー……えーと、それなんだけど」


 俺は無理矢理笑顔を引っ張り出してから、手のひらでヘカテーの方を差した。

 マリナは少しだけ上体を起こし、ヘカテーを見つけたかと思うと勢いよくベッドの上で飛び上がった。


「ヘカテー! 貴様、何のつもりで――」

「まあまあ、ちょっと落ち着いてよマリナ」

「これが落ち着いていられますか! 何を企んで――」

「マリナ! 一旦そこに座って!」


 あまり言葉を遮るの好きじゃないけど、まあ仕方ない。

 マリナはしきりに視線を俺とヘカテーに往復させた後、物言いたげな顔のままベッドの上に正座をした。

 相変わらず俺のTシャツに短パンという野暮ったい格好で、ちょっと申し訳なくなった。


「ヘカテーちゃんから、君に言いたいことがあるそうだ。聞いてくれるかい?」

「ユウスケ様がそう言うなら……」

「よし」


 俺はヘカテーの方を向き、頷きで合図する。

 それを見たヘカテーは不安そうな顔で小さく頷き返し、マリナの方を向いた。

 そこにはやっぱり悪魔の威厳みたいなものは感じられなかった。


「マ、マリナストライア。わたくしはその……」


 頑張れ、悪魔! ……なんちゅう応援だ、罰が当たりそう。


「なんだ」


 明らかに胡乱な者を見る表情のマリナ。


「わた、わたくしが、その、貴女と仲良くしてあげてもよろしくてよ」

「断る!!」


 即答だった。まあそうだろうね。

 ヘカテーは困惑の表情を俺に向けて、


「に、人間。話しが違いますわ」

「ヘカテーちゃん、言い方が悪い、もうちょっと素直な言葉で伝えてみて?」

「今のは素直じゃなかったですの?」

「いや、照れが勝って上から目線になってたよ」


 俺とヘカテーがヒソヒソ話をする間、マリナは正座したまま怪訝な顔を崩さなかった。

 ヘカテーは下手くそな咳払いをした後、改めて口を開く。


「その、マリナストライア。わたくしは貴女と仲良くしたいですわ」


 おお、よく言った。なんだこれ。『はじめてのおつかい』をみている気分だ。


「断る!!」


 マリナの返答と表情は揺るがなかった。


「に、にんげぇんん……」


 ヘカテーは遂にたっぷりの涙目になってしまった。

 その姿からは悪魔の威厳などやっぱり皆無だった。


「ま、まあまあ、マリナ。ヘカテーは悪い悪魔じゃないし、君と仲良くしたいってのはどうやら本当らしいんだ」

「お言葉ですがユウスケ様。悪くない悪魔などいません。それにプリュギア東の森でヘカテーが私にした数々の無慈悲な攻撃、私は忘れられません」


 無慈悲……そんなひどい攻撃したの? と俺がヘカテーを見ると、


「ヒュー、フーフーヒュー」


 口を尖らせて両手を頭の後ろに組み、赤と紫の眼を床に向けている。ああ、したのね。

 というか魔法使えて、心も読めて、口笛は吹けないのかよ。


「まあでも、それもマリナと仲良くなりたかったがゆえの行動だったらしいんだ。それに、この地球せかいに居る間は、絶対にマリナに危害を加えたり攻撃をしたりはしないって。……そうだよな?」


 ヘカテーを向いてそう言うと、子供みたいな顔で赤い髪を激しく揺らして頷き倒していた。

 マリナは疑いの眼でそれを見ている。


「俺からも頼む。できれば俺は穏便に過ごしたいし、家の中でドンパチされても困るしさ」


 マリナはここでようやく口を尖らせて、


「ユウスケ様が、そう言うのでしたら……」


 渋々といった感じで了承をし、

 

「ヘカテー。その代わり、ユウスケ様に危険が及ぶようなら容赦はしないからな!」


 と付け加えた。

 ヘカテーは眼を真ん丸にしながら、


「え、ええ。それは約束致しますわ。まあ魔法の使えない貴女が容赦をしなかったとしても、恐るるにはあたいしませんけれど。その、これからよろしくですわ、マリナストライア」


 照れを隠すように無い胸を突き出して眼を閉じたままそう言った。


「ああ、よろしく、ヘカテー」


 正座のままのマリナは僅かに笑ったように見えた。


 これにて、一件落着ってか?

 そもそも、悪魔と勇者の仲を取り持ってよかったのか分からないが、俺の家にいる以上は様々な被害の元となる争いは避けたいから……まあこれで良かったということにしよう。


 不意にヘカテーが目に涙を溜めてこちらを見つめているのに気付いた。


「どうした?」

「人間……」


 次の瞬間、ヘカテーはふわりと浮いて俺のもとまで飛んできた。

 そのまま正面から俺はヘカテーに抱擁されてしまった。え?


「やっと、やっとですわ……想いは想いつづければ通じるのですね。ありがとうですわ、人間」


 言いながら俺の胸にすりすりと顔を左右に擦る小さなヘカテー。

 悪魔の威厳どころか、ただの幼い子供だった。

 でも、どうしてかドキリとしてしまう自分がいた。そしてその小さな頭を撫でたくなる衝動。

 きっとこれはアレだ、悪魔の罠というか誘導だな、うん。

 

「な、な、へ、ヘカテー!!」


 不意にベッドから大きな声がし、俺が見た時には既にマリナがヘカテーに向かってとび蹴りをするところだった。

 しかし強い風を感じたと思った次の瞬間にはヘカテーはいつの間にか部屋の隅、亡きダンテちゃんのポスターの下あたりに移動していた。


「ユウスケ様にくっつくな! ユウスケ様は私の主だ!」

「あら? わたくしは別には加えてませんことよ? オーホホホ!」

「問答無用! ハァア!」


 再度ヘカテーに向かって走り、攻撃を始めるマリナ。

 あのー……ドンパチはやめて欲しいんですけど。


 ドタバタと激しく喧嘩をするマリナとヘカテー。

 その音に紛れて一つインターホンが鳴った。来訪を知らせる玄関のチャイムの音だ。


 手の付けられない状態の二人を放置し、玄関に向かう。宅配かなんかか?


「はーい」


 サンダルを雑に履いて玄関の戸を開けると、


「おーっすユウスケ! 差し入れ持ってきたぜ! もう新刊読んだかー?」


 男勝りな口調とはかけ離れた、ピンクのスカートに丸襟の白いシャツといういかにも女子女子しているショートボブの女の子がそこにはいた。

 俺の友人、秋山つかさだった。


「上がっていいかー? 何か随分ドタバタうるさいな?」


 言い終わる前につかさはスカートから伸びた生足に履いているサンダルみたいな靴を脱ぎ、勝手にずかずかと上がり込んだ。


 まずい。まずいまずい。

 異世界の住人、マリナとヘカテーが今現在俺の家にいる事を、どう説明したらいい?

 どう説明したらつかさは信じてくれる?


 冷や汗というものを俺は初めてかいた気がする。

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