悪魔の登場
掛け時計の律動だけが居間に響く中、俺は居間のキッチン寄りの場所に置いている木製のテーブルに顔を着けて考えを巡らせている。
昨日の夜中に、突然俺の部屋に出現した地球の人間ではないマリナ。
初見では襲い掛かってきたが、今ではどういう訳か彼女は俺との主従の関係を望んでいる。
現在二十三時過ぎ、マリナはシャワーを浴びていた。
全くもって
こればかりは男と女な以上、その場で教えたりすることはできないからな。
「あの…………ユウスケ様が望むのなら、私は一緒でも構いませんけれども」
ダメだ! 俺が構う!
いくら主従の関係でもそういうところは分別をしっかりつけよう。うん。
人間は理性の生き物だ。
人間は動物だから本能に身を任せる、ではない。
動物でも理性を持っているからこそ、人間なのだ。――――ユウスケ
くだらない格言を脳内で生み出したところで、もう一つ自分にツッコミを入れる。
――結局、主従って何だよ!
マリナの言い分は分かるが――いや、よく分からないけども――それでもいきなり現れた年頃の少女に「貴方に付き従います」と言われて二つ返事を決めて良い訳がない。
そりゃ、見れば見る程綺麗な顔をしていたし、青い瞳も長くて艶のある金髪も美しいし、こんな子が自分に従属しているとか男からすれば夢のような事なのかもしれない。
でもマリナは異世界の人間だ。それにまだ十六歳。
自分の国でやり残した事だってたくさんあるだろうに。
しかしながら、
それに、マリナはそれをちゃんと了承してくれるだろうか。
幸い、明日は土曜日。仕事は無い。
この土日の間にいろいろと何とかしなければ、と俺は小さく決意した。
不意に俺は右手の感触を思い出す。
「柔らかかったな……」
「何がですか? ユウスケ様」
「うわあ!」
いつの間にか身体にバスタオルを巻いたマリナがすぐ傍にいた。
透き通る白い肌にお湯の雫が滴っている。
「あああ浴び終わったのね! 早かったね」
「勇者たる者、何事も手際よくしなきゃですから」
そう言ってびしょびしょの髪の毛のままニッコリと微笑む。
毛先からぽたぽたと床に水滴が落ちてしまっている。後で拭かなきゃ……。
「勇者たるものが、誰かに付き従えてもいいものなの?」
「それは、そうなんですけど……でもプロフェットのお言葉は絶対です!」
キリッとした顔でマリナは言い切った。
バスタオル一枚の彼女から良い匂いが漂っている。(いや俺んちのシャンプーなんだけど)
「と、とにかく、服を着てきたら? 俺のもので申し訳ないんだけど、脱衣所に上下セットで置いといたから。しっかり体を拭いてから着てね」
「ありがとうございます、ユウスケ様。痛み入ります」
小さくマリナは会釈をし、その際に髪の水分が俺の顔に飛ぶ。
そのままペタペタとまるで子供のような小走りで脱衣所に戻っていくマリナ。
子供染みているのもそのはず、マリナはまだ十六歳なのだ。
しかもいきなり
家族や友人などが恋しくもあるだろうし、やっぱり可能ならば自分の世界に帰してやらねばならない。
――いやでも、十六歳にしては大きかったな……。
俺は再び右手を見つめた。
「ユウスケ様」
「ひゃい!?」
いつの間にか脱衣所への扉からマリナが顔だけを出してこちらを見ていた。
何度も驚かせないでくれ。
「それで、何が柔らかかったんですか?」
「何でもない!」
俺は慌てて白々しく右手をヒラヒラとさせた。
もしかして分かってて訊いてきてるのか、この金髪。
* * *
俺のTシャツを着たマリナはそれはもうダボダボで、
目のやり場に困るのでさっきからできるだけ見ないようにしている。
良かったねマリナさん、俺が
そんなマリナと俺は、零時過ぎの現在、俺の部屋でこれから就寝するところだ。
もちろん俺の寝具はこの椅子一つだ。
ベッドにはマリナに寝てもらう事にする。
「あの、私はどこでもいいので、ユウスケ様がベッドをお使いください」
「いや、俺は
「でも」
「いいからいいから。これは命令だから。主従関係なんだろ?」
「……わかりました」
こんな感じでマリナは渋々了承した。そりゃそうだ、女の子に床やら椅子やらに寝てもらうのはそれこそ紳士じゃない。
少し困り顔のマリナが、両手で掛布団をぎゅっと握りながら、
「もし、ユウスケ様が良いのでしたら、ここでご一緒に寝ても……」
「ダメ! ダメダメダメダメダメダメ!」
良いわけがあるかバカたれ! それでなくても一緒の部屋で寝るってだけで俺は気分的に禁忌を冒している感じがするというのに。
ましてや十六歳 (しつこい)、俺は成人。冷静と沈着の間に心を沈めよ俺……。
ふう、良かったねマリナさん、俺が
ちょっぴり惜しいことをしたななんて、一寸も頭を
「それじゃ、とりあえず今日はおやすみ、明日また話をしよう」
「わかりました、ユウスケ様。おやすみなさいませ」
パフッと布団に寝転んだのを見届けてから、俺は電灯の紐を引っ張った。
暗くなってから五分もしないうちにすうすうと寝息がベッドから聞こえてきて、俺は少し安心する。
それにしても、
年頃の女の子でなくても、こんな状況なら普通なら不安で眠れなかったり、恐怖を感じたりするものだろうに。
ただ神経が図太いだけなのかも?
そんなことを悶々と考えている内に、俺もいつの間にか意識がなくなっていた。
次に俺が意識を取り戻したのは、生暖かい風が顔に当たった時だった。
定期的に顔にかかる温い風。
何だろうとゆっくりと重い瞳を抉じ開けていくと目の前にマリナのきょとんとした顔があって俺は、
「ぅわあああ!」
という悲鳴と共に身体をびくりと伸ばし、後方に体重が掛かった椅子は俺と一緒に力なく倒れた。
後頭部を打った。最近つくづく後頭部に衝撃を感じている気がする。痛い。
「大丈夫ですか!?」
ちゅんちゅんと鳥の歌が聞こえる中、マリナが歩み寄ってきて俺の逆さまの視界に映り込む。
「お、はよう、マリナ」
「おはようございます、ユウスケ様」
あからさまにあたふたきょろきょろするマリナ。
どうしてそんなに俺に顔近づけてたの……。
「その、すみません驚かせてしまって……私、ユウスケ様の御顔をしっかりと見つめたことが無かったので、その、目に焼き付けておこうと思いまして」
朝から歯の浮きそうな台詞を顔を赤らめながら言うマリナ。
ああ、そういうこと。
「とりあえず、起こしてもらっていいかな」
「はい」
俺を引っ張り上げるマリナの力は少女とは思えない強さだった。
勇者の子孫も伊達じゃないって事か。
それでも、やっぱり手は小さいんだな。
* * *
焼いた食パンに目玉焼きとウィンナーという、朝食らしいっちゃらしいメニューを平らげた後、マリナに俺の考えを話すことにした。
居間のテーブルに二人で付いて向かい合い、綺麗な瞳に向かって俺は口を開く。
「俺は、マリナは自分の世界に帰った方が良いと思う」
「どうしてですか?」
「だってほら、家族とか友人とか、君を心配する人はいるだろ? だから、帰る方法を一緒に考えて――」
「嫌です!」
マリナは怒ったような悲しいような顔で案の定反抗してきた。
想定の範囲内だ。なんかこの子まあまあ頑固そうだし。
「どうして?」
「プロフェットのお言葉は絶対だからです!」
「でも、ほら、家族とかのことを考えてみてよ」
「いません」
「え?」
「私には家族はいません。とっくの昔に命を落としています」
そう言うマリナの顔は何故か感情の籠もっていない顔だった。
嫌なことを言ってしまった気がする。
「ごめん、知らなくて」
「いいんです、私は一人でも生きてこれましたから。それに、今は一人じゃありませんし……」
胸の前で指遊びを始めながら俯くマリナ。
一人じゃないって……やっぱり俺が居るってこと?
「でも、友人とかいるでしょ? マリナに鍛錬をさせた師匠みたいな人とかさ」
「それは、はい、少しはいますけど」
「ほら! ほらほら! きっとその人たちも突然いなくなったマリナを心配しているよ」
「それはそうかもしれませんけど……」
「だからマリナは自分の世界に帰った方が良いと思う」
それがきっと、この子のためだ。
「嫌です!」
予想通り、やっぱりこの子はざわざわ森の頑固ちゃんだ。
頬っぺたなんか膨らまして俺を睨んでやがる……。
こうして面と向かって言っても埒が明かなそうだ。
別方向から攻めてみるしかない。
「じゃあそうだな……マリナってどんな魔法が使えるの? この前は使えなかったみたいだけど」
「はい。三つほど覚えているものがあります。今は、ユウスケ様に封じられていますけど」
「いやいや俺は封じてないってば!」
まだ疑ってたの? 俺が陰魔法の使い手って。
「……違うんですか?」
「違うってば! そもそも、
「存在しない?」
「うん。原理はよく分からないけど、
「そうなんですか……」
一気に悲嘆そうな顔になるマリナ。小さく見える。
やはりこの子の世界にとって魔法は相当大事なモノらしいな。
「ちなみに、使えるのってどんな魔法?」
マリナの気を取り直そうと俺はわざと明るい声を出す。
「はい、一つ目はバルフレイムといいます」
「ああ、あの時俺に放とうとしたヤツね」
「その節はごめんなさい……バルフレイムは手のひらから純度の高い真空の球を出して、対象物への接触と同時に人間一人くらいの大きさに拡大して範囲内の対象を気圧の刃で切り刻みます」
思ってたんと全然違え!! 何それ超怖いんですけど。
というかそもそも真空に純度とかあるの?
「それは……不発で本当に良かったよ。あと二つは?」
「二つ目はティレメトといって、一度行ったことのある所に転移できる操作系魔法です」
「それだ!」
それしかない!
この日の為のような魔法じゃないか!
「それを使えばマリナは元の世界に帰れるだろ!」
「嫌です! それに、多分無理です」
「どうして?」
「私、分かります。今の私には多分魔力が無いです。いつも感じる魔力が身体から感じられないんです」
そう言ってマリナは手を胸に当てて俯く。金髪を垂らして、酷く落ち込んで見える。
やっぱり、魔法は相当重要なモノらしいな。
地球に来たから魔力が無くなったのか。将又他の原因があるからなのか。
どちらにせよその転移魔法も、使えないという訳か。
「そうか……でも、どうしてマリナから魔力? が無くなったんだろうね」
「――そんなもの、決まってますわ!」
なんと、俺の問いに答えた声はマリナのものではなかった。
いつの間にか俺の部屋にはもう一人誰かが居て、俺は驚きのあまり固まってしまった。
椅子に座ったままのマリナがビュッと後ろを振り返ったそこに、宙に浮く赤い髪の少女が居た。
「う、浮いてる」
俺はそう呟くことしかできなかった。
ふわふわと浮いてにやりと笑うその少女は片方は赤眼、もう片方は紫色の眼のオッドアイで、黒が基調の今般のメイド服に近い、いかにもお嬢様って感じの服装だった。
その少女は鋭い八重歯をチラつかせながら、
「この世界に迷惑を掛けない為に決まっているじゃありませんの。オーホホホッ!」
腰に手を当てて高らかにそう言い放った。オーホホホって……。
俺が呆気にとられていると、マリナは椅子を倒して立ち上がり、そのオーホホホに間合いを取りながら構えた。
そしてソイツを睨みつけて、
「ヘカテー!」
と叫んだのだった。
遂に出たよヘカテー。もうどうすりゃいいのマジで。お手上げだ。
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