第11話 父親がこの家からいなくなる!  

 夕食の時、珍しく速く帰ってきた親父が皆を前にして言った。


「みんな聞いてくれ。突然だが、来月から海外へ赴任することになった」

「えええ―――っ! 突然すぎだろう! 海外って……どこだよ~~っ!」


 静かだった食卓に、突然大波が襲い掛かった。今まで会社で働いていて、こんな突然の出張は初めてだった。国内で短期間出張することはあったが、まさか海外赴任とは。外国に支店なんかあったのか。しかもよりによって、自分の親父がそこへ行くことなんて想像したこともなかった。


「マレーシアだ。発展途上の国だが、街中は便利なようだ」

「そんなことを言っているんじゃなくて、これから俺たちの生活はどうなるんだ!」

「お前たちは、今の生活のままでいい。だから、単身赴任する。ここへ住んで、学校も今のまま続ければ問題ない。お母さんも、ここで仕事を続ける。一緒に来ても今と同じ仕事はできなし、お前たちの事が心配だ」

「そんなあ。もう決まったことなのかよ……」

「ああ、断ることはできない」


 新しい家族との生活が始まったばかりだというのに、会社は何を考えているんだ。そして、俺はここで、知り合ったばかりの家族の中に、一人ポツンと取り残されることになる。


「悠斗を残していくのは心配だが、高校生のお前が一緒に行っても、いいことはないだろう。だから、ここにいた方がいいと思う」

「それで、どのくらいなの、期間は?」

「一年間と言われている」

「一年間! 長いなあ。言われてるって、一年後には、必ず帰って来られるんだろうね……」

「多分、帰れると思う」

「思うだけか」


 しかし、いい歳しているとはいえ、新婚の男が単身で海外赴任することなどあるのか。奥さんは一人こちらで取り残されて、大丈夫なのか。ああ、それ以上に、親父のいないところで美人姉妹たちと暮らしていていいんだろうか。その方が心配だ。


「悠斗、美人姉妹にはくれぐれも手を触れないように」

「そんなことを心配してるのかよ。あり得ない!」


 一人になった時に、親父が耳元で囁いた言葉だ。そんな状況にしておきながら、よく言うよ。俺の事を虫かなんかみたいに勝手に毛嫌いしておいて、手なんか触れるわけがない。


 

 結局、もう決まったことだからと、予定通り出発することになり、俺と奥さんの二人が空港へ見送りに行った。


「親父、絶対に一年で帰って来てくれよな。そうじゃないと、俺、ぐれちゃうから……」

「何をいってるんだ。お前ならしっかりやっていけるよ。それから、優しいお母さんが付いてるから、何でも頼っていいぞ」

「そんな……昨日今日知り合ったばかりじゃないか」

「そうよ、悠斗君。私を頼ってね」

「おお、頼もしい。よろしくな」

「困ったことがあったら、電話するよ。そっちからも電話やメールしてくれよ」

「ああ、時間を見つけて連絡する」


 まったく、これからどうなるんだ。ますます大変になる……


「じゃあ、あなた気を付けて、連絡してね……」


 最後は、奥さんとしっかり手を握り合って空港でお別れした。泣き言ばかりになってしまったが、帰り道はしっかり気を取り直して振り向かずに帰った。


 家に帰るのが怖いような気がした。だって、もう自分の元々の家族がいないんだから。他人の中に放り込まれたようなもんだ。


「た・だ・い・ま……」

「あら、送って来たのね。お帰りなさい、ママも、お疲れ様。無事に出発したのね」

「ああ、もう行ってしまった。ふう」


 もう空の彼方へ飛んで、ちょっとやそっとでは会えなくなる。そんなこちらの気持ちを察したのか、同情を込めた言葉がかけられた。


「気を落とさないで、私たちがいるじゃない」

「ああ、そうだね。はあ……」


 君たちがいることが、時にはストレスになることなど、知りもしないようだ。ひょっとして、俺の事をいびるんじゃないか、と変に勘ぐってしまう。同居人の蓮までが、顔を出して俺の様子を見ている。


「大勢いてよかったじゃないか。一人じゃなくて」

「そうだね……ありがと。疲れたから部屋で休む」


 一人部屋に入ると、寂しさが押し寄せてきた。こんなことなら、一緒にマレーシアへ行くべきだった。すると、部屋をノックする音がした。許可なしでは入れないというルールがあったので、返事を待っているようだ。俺は数秒間黙っていたが、再びノックの音が聞こえたので「どうぞ」と返事をした。


「入るわね」


―――ああ、七帆さんの声だ。


―――何の用だろう。


 ドアが開いて、お盆を手にした七帆さんの姿が見えた。悪戯っぽい目をして、こちらを見ている。同情なんていらないよ。お盆の上にはコーヒーカップとお菓子が置かれている。


「お茶とお菓子を持ってきたから……」

「あっ、そう。そこに置いといて」


 俺はぼおっとして、返事をした。ベッドの上に寝転がったままだったので、彼女は部屋に入り、お盆を机の上に置いた。すると、目に机の上に飾ってあったフォトフレームが目に入った。その写真に写った少女は、制服姿でバス停に立っていた。あどけない表情で前を向く、中学生。その写真の少女は誰だろう、と七帆が手に取った。


「あ~っ、可愛い女の子! 中学生でしょ」

「あっ、何してるんだ! 人のものを買ってに触って!」

「だって、机の上に飾ってあるから、見えちゃったのよ。大切な写真なの? ひょっとして悠斗君の彼女?」


 俺は起き上って、手を伸ばした。すると、抵抗するように、写真を握りしめている。


「だめだ! 誰でもないよっ! よこせっ!

「えっ、いけなかったの?」

「もう、見るな、見るな!」


 悠斗は写真をひったくるように取りかえし、写真を胸元に隠した。


「御免なさい。見ちゃいけなかったんだ」

「まったく、部屋に入っちゃいけないって決まりだっただろっ! 黙ってはいる奴が悪いんだ」

「入る時声を掛けたじゃない。駄目だって言わなかったから」

「……ったく、お盆を置いて、早く外に出ろよ!」


 この家に来て初めて、怒鳴ってしまった。しかも女の子に。こんなことは初めてだった。怒鳴ってから、自己嫌悪に陥った。

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