第9話 ルールは破られるためにある?
キッチンに飲み物を取りに行った美玲は、ダイニングルームにのソファに座ってテレビを見ていた蓮の姿を見つけた。どうしようか、このまま引き返して部屋にこもってしまおうか迷ったが、なぜか好奇心の方が勝り勇気を出して歩いて行った。男の人が一人でいる時に話しかけたことなど、今までなかった。
「蓮さん?」
「ああ、美玲さん。蓮君て呼んで。少しだけ距離が縮まる」
「じゃあ、蓮君。」
「はい。その方がいい」
「それじゃあ、敬語も止めていいかしら?」
「そうしてくれると、親しみがわく」
「妹と噂してたんだけど、どうしてこの家に来ることになったのかなって……あっ、ああ、勘ぐってるわけではないので、言いにくかったら、答えなくてもいいんだけど……」
「こちらのお父さんと、家の親父が知り合いで、意気投合したらしい。迷惑だから、僕は一人暮らしした方がいいんじゃないかな、って言ったんだけど。どうしても来てくれっておっしゃったそうで」
「あら、そうだったの。お父さんが……。じゃあ、ねえ。迷惑ではないので、気にしないで。私達だって、二つの家族が一つになって、ここで共同生活を始めたばかりだから、蓮君も私たちと同じようなものよ」
「美玲さんが受け入れてくれると嬉しいな。僕は一人っ子だったから、部屋を借りて一人暮らしするよりは、共同生活をした方がいい、ってこちらのお父さんが配慮してくれたらしい」
「確かに、こうして団体生活するのも社会勉強にはなるわね。分かるような気がする」
「そうでしょう」
「この間のギターと歌、素敵でした。また聞かせて……ください」
「ああ、いいよ。部屋に来て聞いて」
「でも、ルールが……他の人の部屋へは入れないことになってるので……」
「気持ちよく生活するために決めたルールでしょ。ない方が良ければ、それはそれでいい」
「そうねえ……じゃあ、変えた方がいいかな」
話しの流れで、美玲は蓮の誘いに乗り、彼の部屋に入っていた。美玲にとっては、男性と話をするのも勇気のいることだったのだが、部屋に入ったのも初めての事だった。それほど彼の誘いが自然だった。
「是非、聞いてほしいな」
「じゃあ、お邪魔します」
「何度でも。人前でも聞いてもらってるんだ」
「ああ、バンドを組んでるんだったわね」
「大学の人たちでね」
蓮はベッドの椅子に腰かけ、美玲はソファに座り向かい合う形に座った。ギターの音に合わせて、甘く切ないラブソングがその口元から流れるように聞こえてくる。歌詞と蓮の表情がだぶって、さらに魅力を増す。
「わあ、上手です! 生演奏でこんな素敵な歌を聞けるなんて、いいわあ。あら、ピアノもあるんですね」
「ああ、本物はさすがに持ってこられないから、電子ピアノです。これならヘッドホンを付けて演奏すれば、音が外に漏れない」
「じゃあ、ピアノの弾き語りも?」
「ピアノだけってわけじゃないけどね。音が美しくなる」
「そんな素晴らしい特技があるなんて、同じ大学一年生なのに、いいわあ」
「仲間と集まって練習もします」
「じゃあ、大学の勉強以外は、音楽をやっているのね?」
「ああ、それ以外の時間はバイトをしている。スーパーなどで注文のあった品物を、バイクで配送したりするんだ。これも結構大変だけど、配達したときに、感謝の言葉が聞けるのが嬉しくて、頑張れる」
「何もかも、素晴らしいわ。あのう、実家は、どこなんですか? ああ、答えたくなければいいですが」
「故郷は、ええっと……東京の西のはずれの方です」
「はずれの方って言うと、八王子とか、立川とか、府中とかですか」
「いや、もっと西の方です」
「そうすると、奥多摩の辺りですか?」
「そんなところです」
「へえ、自然に囲まれた所で育ったんですね」
「そうです。夏には小川のせせらぎ、秋には虫の声を聴き育った田舎者です」
二人の話が盛り上がっていたころ、悠斗は一人部屋にいた。
体を動かしたくなり、部屋を出てダイニングルームへ行くと、廊下の向こう側から美玲と蓮の話し声が聞こえてきた。
話声のする方へ近寄ると、そこは蓮の部屋の前だった。扉の向こうから明るく、楽し気な美玲の声が聞こえてくる。部屋に入って話をしているのだ。
―――ルール違反じゃないか!
注意すべきか、無視した方がいいのか迷った。が、手が勝手に動きドアをノックしていた。
「あの、廊下に出たら、美玲さんの話声が聞こえて来たもんで……」
「あっ、そうか。他の人の部屋に入ってはいけないことになっていたから、注意しに来たんだね」
「ちょっと気になったもので……」
「いけない、私ったら。自分で決めておいて、破ってしまったわね」
すると、間髪を入れず蓮が美玲をフォローした。
「本人同士が、同意すればいいことにしたらどうかな?」
「ああ、そうか……それでいいのかな、美玲さんも」
「御免なさい。それで、いいことにしましょうか。ルールを変えることになるけど」
「美玲さんを誘ったのは僕だから。謝ることはないよ。ルールは当事者同士が良ければ、変えていいんだから。言うならば、ルールは変えるためにあるってことさ」
「えっ、そんなあ……」
―――え、ルールは変えるためにある……って、そんなバカな。
ってことは、食器もお互いのを使っていいし、気にならなければ洗濯物だって同じ場所に干したっていいってことだ。俺はぽかんとした顔で立っていた。
「他のルールは?」
「そのままでいいよね」
「じゃあ、七帆さんにも伝えなきゃね」
「あたしから伝えておく」
美玲さんの大きな黒い目が、こちらを向いている。彼女に見つめられると、有無をいえない雰囲気がある。
―――何だよ!
じゃあこれからは、俺も許可を取ってお互いの部屋を出入りすることにするか。そんなことにはならないと思うけど、可能性はあるということだ。
―――しかし、蓮という男は、いったい何者なんだ。
―――生意気な奴!
俺は心の中でだけそう叫んで、歯ぎしりをしていた。ここは俺の家なんだぞ!
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