第3話 お互いの呼び方を決める

 引っ越しの荷物を解き、ようやくそれぞれの部屋に落ち着いた。子供たち三人が再びダイニングで顔を合わせた。


「あのう、悠斗君?」

「お、俺の事?」

「そう、悠斗君。だよね」

「あ、家で女の人から呼ばれたことがなかったから……焦った」

「脅かしちゃったかな」

「いや、そんなことは……」

「私たち三人兄弟、姉妹になったわけだけど、お互いの事を何て呼ぼうかしら?」

「難しい問題だな。急にお姉さんとかお兄さんとは呼びにくいし……」

「あたしもそう思ってたの。お兄さん、お姉さんという呼び方はあるけど、弟さんという呼び方はないし……。弟の場合は、みんな普通どう呼んでいるのかしら。名前で呼んだほうがいいのかしら。悠斗君でいい?」

「あ、それでいい。苗字はみんな柏木になったんだから、名前で呼ぶのがいいんじゃないかな」

「じゃあ私の事は何て呼ぶ? お姉さん、それとも美玲?」

「美玲……さん。俺にとってはお姉さんだから、呼びつけは不自然だから、美玲さんて呼んでいい?」

「いいわよ。なんか恥ずかしいわね。男の子に美玲さんて呼ばれるの。特別な関係って感じがして……」

「それ以外の呼び方が思いつかない」

「いいわ。私の事はそう呼んで」

「美玲さんは弟の俺に君を付けるんだね」

「だって、弟って言ってもねえ、年が近いし今日から兄弟になったばかりなのに、呼びつけにするのもねえ」

「じゃあ、悠斗君て呼んで下さい!」


 話しを聞いていた妹の七帆が、口元をつんととがらせて話に入って来た。唇が少し上を向いているだけで、怒っているわけではない。なまめかしい感じがして、引き付けられた。


「さて、私のことは何て呼ぶの?」

「妹だから、七帆ちゃん、て呼んでもいいかな。たった一つ違いだけど」

「いいわ。七帆さんだとちょっと他人っぽいから、それでいいわ」

「じゃあ、これでお互いの呼び方は決まりね。ちょっと練習してみましょう、悠斗君」

「はい、美玲さん、七帆ちゃん」

「悠斗君、これで呼び方は完璧よ」


 最後に七帆が悠斗を君付けで呼び、呼び方の練習は終わった。


 こうしてテーブルの向こうに二人が座っていると、喫茶店で紹介された時の記憶がよみがえってきた。あの時は散々迷ってメニューを決めていたんだっけ。ここでも、二人が話していると絵になる。


「これで誰かが不愉快になったら、又話し合いましょう。いいかしら、悠斗君?」

「いいと思います。だって、お姉さんの提案ですから、僕はそれに従います」

「年齢に関係なく、ここは民主的に色々な事を決めましょう。年齢で上下関係を作るのは良くないと思うの。共同生活をするんだから、長続きさせなきゃね」

「そうですね。流石お姉さんです。いいこと言います」

「お姉ちゃん二人でいた時とは違うわね。やっぱり、男の子がいると……」

「まあ、黙ってて、七帆!」


 美玲さんは顔を少しだけ赤らめて、ほおが膨らんだ。これが怒った時の表情なのだろうか。妙に色っぽい。


「じゃあ、私はもう部屋に、戻ります」

「そうですか。僕もそうします」

「それなら私も、では悠斗さん!」


 最初に立ち上がった美玲は、妹の七帆に目配せして部屋へ戻って行った。今日から兄弟だ、姉妹だと言われても、全く実感がない。それどころか、初めて会った女の子二人と共同生活をすることに、わくわくしてしまっている。いけないと思うのだが、気持ちは止められない。この気持ちは、隠しておかなければ。気持ち悪いと思われないように。




 自分の部屋に戻り、机の前に座ってフォトフレームに入った写真を見た。中学生の時からのあこがれの女の子の写真だった。彼女とは同じクラスだったが、三年になっても告白することが出来ず、別々の高校へ進むことになり、何事もなく離れ離れになってしまった。それから、一度も会っていない。この写真だって、バス停で立っているところを、時刻表を確認するふりをして、スマホで隠し撮りしたものだ。今考えても、情けなかった。そんな自分が、年上と年下の女性と共同生活している。これから何が起こるのか、ドキドキしないはずがなかった。たとえ家族とは言え……。


 しんと静まり返った部屋の中にいると、ガタリと家具が動く音がした。音のする方向は美玲さんの部屋だ。そうだ。壁を隔てた隣の部屋には、あの美しい美玲さんがいる。今頃何をしているんだろう。部屋で着替えなんかもするのだろうか。当たり前だ。するに決まっている。その時には下着姿になって……。考えただけでも、体が震えそうになる。

 少し幼さのある七帆ちゃんは、今頃何をしているのだろう。女の子というのは部屋で一人きりの時には何をしているのだろう。そんな想像をすると情けない程どきどきしてきた。しかし、そんなことを考えているということをおくびにも出さないように、そして絶対に二人に知らないように気を付けよう。


 悠斗が悶々としていたその頃、七帆は美玲の部屋へ入り二人で顔を見合わせ、ホッと胸をなでおろしていた。ソファに深く沈みこむ様に美玲は腰かけ、ウサギの顔の張り付いたクッションを抱きしめた。その隣に七帆が座る。


「お姉ちゃん、お疲れ~っ! よくやったわ!」

「あああ……緊張した。あれでよかったのかしら」

「上出来よっ! よく頑張った。男子とほとんど口をきいたことのないお姉ちゃんにしては、とっても自然な会話で、しっかりした姉のイメージが出来上がったわ」

「ふ~っ。一安心だわ。これから毎日男の子と顔を合わせるなんて、考えただけでも気が滅入るわ。何を話していいのか、これから毎日が戦い!」

「そんなに気を張らないで、相手に見透かされるわ。女子校育ちで、大学も男子が少数派の学部に進んで、全く男子に耐性がないんだものね」

「仕方ないじゃない。これからは、自然に会話ができるように、心がけていくことにする。自分を変えるいいチャンスかもしれない。それに比べて、七帆は度胸あるわよね。あんなにかっこいい男の子を目の前にして、普通に会話ができるんだから」

「慣れよ、こればかりは日頃から自然に男子と接して、会話のセンスを磨いていくしかないのよ」

「ああ、頼りにしてるわ」


 こんな女子トークが繰り広げられていることなど、当の悠斗はつゆ知らず。部屋へ戻って二人の事を考えていた。


(姉の美玲さんは、頼りになるお姉さんという感じだな。采配があり、てきぱきと話をまとめていく姿に見惚れてしまった。きっと将来は、立派な社会人になるんだろうなあ。一緒に暮らしていても、具合が悪くなったらきっと看病してくれるんだろうな。妹の七帆ちゃんは、活発で明るくて気取らないところが魅力だ。ああ、彼女も妹としては最高だな)


 悠斗は、二人の事を考え、いつの間にかにやにやしていた。


―――いけない、いけない、ふたりとも家族になったのだ。


―――異性として見てはいけない! 


 と否定しては見たが、いつの間にかわくわくしている自分がいた。

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