第5章 優樹菜
第41話 抱きしめることのためらい
義理とはいえ、俺たちは確かに兄妹だった。だからこそだろうか。俺はずっと優樹菜の近くにいることができると、信じていたんだ。
心の底から、無邪気にそう信じていた。
「お兄ちゃん、好きな人いないの?」
当たり前のことにすら、俺は気づいていなかった。
優樹菜が俺のもとを離れてしまうという可能性。もしくは、俺が優樹菜のもとから離れるという可能性。
「好きな人なぁ……」
家族だからという理由だけで、安心してしまっていた。
頭のどこかに存在していたはずの不安要素を無視して、毎日の当たり前を過ごし続けていた。その日までは。
「急にどうしたんだ? 好きな人でもできたか」
「ううん。違うの」
「違うのか」
「うん。……実はね、今日告白されたの。同じクラスの人に」
今すぐにでも優樹菜のことを抱きしめたかった。そうすれば、その時間だけは離れていく心配をしなくてもいい。物理的な接触を求めてしまうことは、兄妹としての立場上どうなのだろうと思っていた。
「そうか。返事はしたのか?」
「まだ。……お兄ちゃんに話してからにしようと思って」
「なんでそこに俺が出てくる」
「……だって」
「ん?」
「嫌じゃないの?」
仲が良いから、そんなことを聞いてくるのか。どこまでなら大丈夫なのか。そんな言い訳を探しながら、優樹菜との時間を日々過ごしていた。そして、そんな考えはきっと捨てなければいけないのだと考えてもいた。
「嫌だと言ったら、優樹菜はそいつとのこと諦めるのか」
「うん」
「即答かよ」
「それで、好きな人いるの? いないの?」
制服を着たままで俺のことを上目遣いで見つめながら聞いてくる優樹菜は、とんでもなくずるかった。
分かっているのか、そうでないのか。制服を崩して着ていたので、白シャツの隙間から中身が見えてしまっていた。肌色を見せてしまっていることに、きっと気がついていないのだろう。
それは俺が優樹菜の兄だから。油断していても、なにも起きないと思っているから。きっとそうなんだ。それなら、俺はこの立場で彼女のことを好きになっても許されるのか。
考えても無駄なことが頭の中を巡りつつ、質問の回答をどうしようかと悩んでいた。
「……いない」
「そかそか。いないんだ」
許されるならば、俺はそのまま自分の気持ちを吐き出して、力任せに彼女の温もりを感じたかった。そうすればきっと言葉にしなくても、気持ちで繋がれるんじゃないかと信じ切っていたから。
けれど、それは同時に優樹菜に対する裏切り行為でもある。血が繋がっていなくても、家族。兄妹。ならば、その一線を超えてはいけない。
理性と感情のはざまで、もがき苦しんでいた。
初めから仲が良かったわけじゃない。優樹菜と一緒に生活するようになってしばらくのあいだは、挨拶すら交わさないような不安定な状態が続いていた。
やはり転機は、いじめられている優樹菜の姿を見たあの日だった。それをきっかけにして、それまでの冷たい関係がなかったかのように言葉を交わす回数が多くなっていった。
幼い頃に幼馴染としての優樹菜に出会ってからのことを思うと、数年間で大きく関係は変わってしまった。
そのはずなのに、俺の優樹菜に対する気持ちはずっと変わらずにいた。
自覚していた。俺がどうしようもなく、優樹菜のことを好きなんだと。
妹に対して抱えてはいけない感情が芽生えているのだと。
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