第36話 黒髪ロングストレートの少女
八月三十一日、夏休み最終日。それはつまり、スポーツ大会の本番日になったことを意味するものだった。
「よし! みんなの頑張りのおかげで、なんとか本番を迎えることができた。けど、今日の日を無事に終えることがゴール。それまでは手を抜いちゃだめだぞ」
「「おー!」」
「なにかあったら連絡とか相談しろよー。マラソンの時間でなければ本部にいるから」
「一番無理してたくせに、今更なに言ってんの」
俺の意気揚々とした言葉は、いとも簡単に砕かれてしまった。
理奈……副会長には隠し事は通用しないということか。表情に出しているつもりはないのだが、なにに対しても理奈は俺の考えを見破ってしまう。もはや才能だ、これは。
「まあ、とにかくみんな。本当にここまで付いてきてくれたことに、感謝してる」
本番開始がまだあと一時間後にもかかわらず、感情はすでに高ぶっていた。
「茜。細かいところの整理整頓と伝達をしてくれて、ありがとう」
「ん」
「夏菜子。見えないところまでサポートしてくれて助かった。ありがとう」
「いつものことよ」
「理奈副会長。厳しく接してくれたおかげで、なんとか生徒会を存続できた。ありがとう」
「別に果鈴のためじゃないから」
とっさのひとことが出ないところになんとも言えない辛さはあったが、きちんと生徒会役員とその他会員の全員に気持ちを伝えることができて、俺はもう十分だと思った。
烏森高校生徒会の代表として、半年間をこのメンバーでやり遂げることができる。その集大成が、この大会なんだ。
「果鈴ちゃん。本番はこれからって、忘れてないよね?」
「もちろん!」
「それじゃ、これ着けてね」
そう言いながら夏菜子がこちらに投げてきたのは、黒い毛の塊だった。正体が分からずひっくり返してみたりして見ていると、夏菜子がため息をついてこう言い放った。
「あの、もしかして自分が頼んでたの忘れてる? 忘れてるなら返して? 時間かけて作ったんだから、大事に保管しておくわ」
「あー! 待て! 違うんだ。これは違うんだ!」
「なにがどう違うってんのよ」
これはいけない。夏菜子の怒りメーターが急上昇しているせいか、口調がとんでもなく崩れている。よくない兆候だ。
「あれだよ。急に言われたもんだから、ちょっと抜けちゃっただけだぜ?」
「…ほんと?」
「ああ」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんとだよ。だから、被り方を教えてくれ」
これは俺が夏菜子に頼んでいた、特殊仕様のかつら……もといウイッグだ。
元々夏菜子が持っていた黒髪ロングストレートのウイッグを、夏場の外使用を想定して軽量化と通気性の向上を目的に改造と貸し出しをお願いしていた。……口が裂けてもそのことをすっかり忘れていたとは言えないが。
そんなことを頭でぐるぐると考えていたところで、理奈がとんでもないことを言い始めた。
「やっぱり夏菜子と果鈴会長って……」
「ん? どうした?」
「生徒会公認の夫婦だよね」
「ちょっと理奈ちゃん。なんてこと言い出すのよ」
夏菜子も夏菜子だ。ちょっと理奈にからかわれたくらいで、そんなに顔を真っ赤にしなくてもいいじゃないか。あからさまな反応をしてると、余計に疑われそうだ。
彼女とは、なんでもない…よな?
「とりあえずこんなものかな。果鈴ちゃん、鏡自分で見てみて」
「ああ。……おぉ?! これ、マジで俺なのか」
「うん。おおマジ」
椅子を回転させて後ろに設置してあった姿見を使って見た自分の姿は、微かに面影はあるとはいえ別人だった。そして、耳の横に髪の毛がある感覚がむず痒くて仕方ない。これをすんなり受け入れるのは、難易度がとんでもなく高いぞ。
「あのさ。耳に髪の毛が当たってそわそわして仕方ないんだけど、どうにかできないのこれ」
「走るときは髪の毛結ばないと邪魔でしょ。わたしのヘアゴム貸したげる」
「ありがと…けど使い方分かんないよ?」
そう言うと、やれやれと言いたげな顔をしながら、夏菜子は慣れた手つきでウイッグの毛をまとめてポニーテールにした。
「これで黒縁メガネかけたら、デキるおねーさんって感じになりそう」
「なんの話だ」
「黒髪ポニテと黒縁メガネ。ふむ」
夏菜子とじゃれあっていると、ふと横からの目線が当たり続けていることに気がついた。それもとびきり痛い奴だ。目線を送る犯人の様子を見ていると、全身を上から下へ下から上へと目を動かしながらずっと見ていた。
それだけを聞くと、とんでもない変態行為だな。理奈にそんな変態的要素があったなんて。
「やっぱおかしいか?」
「いや、どう考えても似合いすぎやろ」
「……眼科行ったほうがいいぞ。早急に」
冗談ではなく、もしかするとホンモノの変態少女かもしれぬ。しかしこの場合、俺のほうが変態にあたるのか。
夏休み最終日。これが前期生徒会長としての最後の仕事だった。
改めて宣言する。俺はこの仕事をやり遂げると。そして、はるか先にあると思い込んでいたゴールは案外近くにあるのだと。そこに対してどれだけ応えられるか、それが今の俺に問われているものの一つだった。
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