第35話 もし俺が幼馴染と義理の姉妹になったら。

 そういうわけで俺は丘の上にある、夏菜子の家に来ていた。藤村の家に来るのは、いつぶりだろう。

 ここへ来るたびに思うのは、家の敷地がとんでもなく広いということだった。島の中でもそれなりに旧家なので、藤村と聞けばすぐにどこか分かるらしい。俺にとってはそんなことは関係なしに夏菜子とは本当にただの幼馴染でしかないからか、手を伸ばしづらいとされる藤村家にはそれなりにお世話になっていた。


「お邪魔します」

「どうぞ。とりあえずお茶いれてくるから、そこで待ってて」


 夏菜子にそう言われてふすまを開けると、見慣れた和室が瞳に映った。部屋の中央には昔ながらの座卓ざたくが置かれているだけで、本当になにもない部屋だ。ほかにあるのは本棚くらいで、テレビもない。

 暇をつぶすものがなく退屈していると、廊下のほうから軋む音がした。


「眠そうな顔ね」

「そりゃそうだろ。いつ来ても生活感のない部屋じゃないか」

「失礼だよ。一応、ここは私の部屋なんだから」

「それがおかしいって言ってんの。衣装タンスがほかの場所にあるにしても、この綺麗さは異様だぜ」


 そう、ここは夏菜子の生活部屋なのだ。部屋の中に本棚と机しかないこの場所が。

 ……その異質さゆえに、彼女はある意味でお嬢様扱いされている一面もあったりする。お嬢様キャラを確立させてしまったせいで、苦労しているらしいが。


「仕方ないじゃない。勝手に綺麗にされちゃうんだから」

「お嬢様は言うことが違うね」

「……そんなんじゃない。窮屈なの」


 湯気が立っているお茶を喉に流し込み、相変わらず夏でも熱々だなぁと思いつつ緑茶の香りを楽しんでいた。こういうことは自分の住んでいる家では体験できないからな。


「部屋を散らかせたいのか」

「そういうことじゃないって分かるよね? ひどいなぁ」

「父親はまた出張中なの?」

「そう。それに母もついて行ったから、今は家に一人なの」

「まじか」

「ほんと」


 インテリア雑貨関係の会社を立ち上げて海外出張を繰り返している夏菜子の父親。

 その父親を慕っているらしい夏菜子の母親。

 二人は家を空けることが多く、夏菜子の家にはお手伝いさんがほぼ毎日いる。勝手に掃除をしているのは、藤村家のお手伝いさんなのだ。


「それって色々とまずくないか」

「どうして」

「夏菜子は自覚がないのかもしれないが、年頃の女の子だ。それも女子高生。…一人で暮らすなんてのは危ないだろう?」

「近くに仲がいいおばあちゃんいるし、大丈夫だよ」

「そういう問題じゃなくてだな」

「じゃあどういう問題なのよ」


 ここまで言っても分からないのか……。そんなことを思いながら、俺は深いため息をついてこう続けた。


「心配なんだよ。夏菜子のことが」

「な、なに言ってるのよ。どういう風の吹き回しかしら」

「おかしいか?」

「そうじゃないけど……調子狂う」


 そのあとの彼女は、しぼんでしまった風船のようにぐにゃりと折れ曲がって机に突っ伏していた。時間が経っても空気が入る見込みがなかったため、肩を叩いて振動を加えると復帰した。


「今日の本題、忘れてないか」

「大丈夫よ。場所を変えましょう」


 夏菜子に促されるがままについて行くと『掃除用具入れ』と書かれてある扉の前で彼女は立ち止まった。意味が分からずじっと見つめていると、周りを確認してその扉をそっと開いた。


「ここはね、私だけの秘密部屋。少しずつ集めてきた服の隠し箱」

「秘密部屋ってことはもしかして……」

「父はこの部屋の存在を知らないわ。お手伝いさんに部屋を作るのをお願いしたけれど」

「そこまでして隠す必要あるのか? 言ってみればすんなりいきそうだけど」

「ダメだったからこんなことしてるの。ほら、これ着なさい」


 秘密部屋の中は階段があり、下るとさらにたくさんの洋服ダンスがあった。

 夏菜子の家は……というか父親が厳しい人で、彼女は私服というものが一切ないに等しい生活を送っていた。受け継がれてきた着物を一年中着て過ごしている。

 何度もお願いしたそうだが、洋服の着用を許されず。夏菜子は密かに気に入った洋服を隠して収集するようになってしまった。

 それがいつのまにか、こんなに大規模になっていたとは……。資金源はいくらでもありそうなので、起こり得ない話ではないが。


「装うということは、本物よりも本物らしくすることなのよ」

「まわりくどい言い方はよしてくれ。つまりなにが言いたい?」

「時々気まぐれに女装をしていても効果はあんまりないってこと」

「…いつも女装をしろってことか?」

「毎日同じことの繰り返しをしていれば、自然に身につくはずなの。あれね、体が覚えるってやつ」


 持たされたのは、水色のワンピースだった。なんとも夏らしい服装だ。

 もう一つは白のブラウスにデニムスカート。さすがに私服スカートは恥ずかしくありませんか。


「着替えて」

「いいのか? 俺が着ても」

「着てもらえたほうが、服たちも喜ぶから」


 本当は、夏菜子が着たくて集めた服なんだよな。

 どんな気持ちでこんなところに詰め込んでるんだよ。

 そんな言葉を発してしまいそうになるほどに、服を俺に渡すときの彼女の顔は寂しそうだった。


「着替えたぞ」


 慣れない女物の服に苦労しながらも、なんとか着替えが完了した俺は、さっそく夏菜子に見てもらうことにした。

 すると、なぜかほんの少しだけ顔を赤らめた夏菜子が、恥ずかしそうにこんなことを言い始めた。


「やっぱり、女装するならその役になりきるべきだと思うのよ」

「ほう?」

「だから、ちょっと考えてたんだけど。私たち仮の姉妹ってことにしようよ」

「はぁ? 話が飛び過ぎて理解が追いつかないんだが」

「つまりね、義理の姉妹を演じれば自然的に女装をやりきれるんじゃないかって」


 意味不明な発想に俺はついていけていなかったが、夏菜子はそんな俺を思い切り引き離しながら話を進めていった。


「さっそく始めましょう」

「どっちが姉ちゃんをやるんだ」

「ねぇ、お姉ちゃん?」

「……いきなりお姉ちゃんはないだろ」

「どうして。そのほうが雰囲気出ていいかなって」

「妹がいいのか…?」

「お姉ちゃんって呼ぶの、だめ?」


 油断していた。夏菜子に対してこういった感情をもったことがなかったからこそ、俺の無防備な心にときめきがかくれんぼしていた。

 触らなくても分かる。自分の顔がとんでもなく熱い。そして、足元がとんでもなく涼しい。風通しが良すぎないか、このスカート。寒暖差で心がやられてしまいそうだ。


 

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