第32話 初めてのせつなき、初めての向き合い

 ずっと見逃していたことがあった。見て見ぬふりをし続けていた。

 優樹菜のほうがより、それを意識していたはず。意識していたからこそ二人のあいだにある壁は、とんでもなく高かった。俺に入る隙間がないほどに完全に分断されていた。

 いつからそんな状態になっているのかを、俺は思い出せずにいた。


「なあ、優樹菜」

「うん?」

「いつから母さんと話してないんだ?」

「……どうしたの急に。なにか言われたの」

「そういうわけじゃないけど」


 優樹菜の母親は、ずっと一緒に暮らしていた。そもそも子どもだけで生活することを許してくれるほど、この世界は優しくない。学生寮とかであれば別だけれど、ここはなんの変哲もない一軒家。つまり、保護者は必ずいるわけで。


「じゃあ、どうしてそんなこと言うの?」

「あたしは優樹菜のお姉ちゃんだから」


 優樹菜が俺のことを守るというのなら、俺は優樹菜のことを導く必要がある。今までの俺自身がどうしていたのかは断片的にしか覚えていないが、きっと『あの人』からは逃げていたに違いない。そうでなければ、もっと関わりがあるはずだ。俺も優樹菜も。


「今さら言われてもどうしようもできないよ」

「そんなことないだろ」

「……果鈴ちゃんには、関係ない」

「関係なくはないよ」


 そこまで言うと、優樹菜がようやく俺のほうを向いてくれた。拒絶されているわけではないだろうけど、そこからしばらくのあいだ返事はなかった。ただ俺の服の袖を掴んだまま、離してもくれなかった。

 どうすればいいのかも分からずに待っていると、優樹菜の口が開いて言葉が落ちた。


「今までずっと別々で暮らしていた。同じ家だけど違う生活をしてきたの。だから家族になって仲良くしようなんて、できるはずないよ…!」

「優樹菜……」

「必要以上の関係を築こうとは思えなかったし、お母さんというよりはあまり話さないお姉ちゃんと思って今まで過ごしてきた。だからこれからもそれでいいの。私にとっての家族はたった一人。果鈴ちゃんだけでいい」

「せっかく会える場所にいるのに…けど、そういう問題ではないんだよな?」


 俺の母親はすでにこの世にいない。会いたくても会えない。一方で優樹菜の母親は生きているし、なんなら同じ屋根の下で暮らしている。そのことをふと忘れてしまうほど、お互いに干渉していないようだけど。



 どういうわけか、優樹菜は意識的に母親のことを避けているように見える。詳しい事情を知っているわけではないので二人のあいだに深く立ち入ることはできないが、このまま放っておいていいとは思えなかった。

 かりそめながらも優樹菜のお姉ちゃんなんだから、少しくらいそれっぽいことをしたっていいはずだ。


「お久しぶりです」

「私のことは、覚えているの?」

「正直言ってあまり覚えていません。あなたが、優樹菜の母親だってことくらいしか記憶に残っていませんから」


 優樹菜。ここはお姉ちゃんに任せとけ。

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