第17話 『お姉さま』の謎

「でも、いくらなんでも覚えてなさすぎます、お姉さま」

「仕方ないじゃないか。覚えてないものは覚えていないんだから」

「ほら、あの洞窟で一緒に秘密基地ごっこもしたじゃないですか」


 彼女の口からは、どんどんと俺の知らない記憶が飛び出してくる。それが本当に『俺』の話なのかどうかを、真剣に疑ってしまうほどだった。ただ、あくまでも懐かしむような雰囲気で、楽しそうに話す彼女の顔は、嘘をついているようには見えなかった。


「ねえ、中津さん」

「……はるちゃんって呼んでほしいです。あのときみたいに」

「だから、その記憶がないんですってば」

「それでもいいんです。だめですか?」


 あまり考えたくはなかったけれど、俺よりも彼女のほうが身長が高い。目を合わせようとすると、思わず上目遣いになってしまうほどには。

 そんな人から寂しそうにお願いをされてしまうと、弱ってしまう。年下なので、なおさらだ。


「……分かりました、いいです。そのかわり、あたしからは“はるさん”って呼ばせてください。“はるちゃん”はさすがに恥ずかしいです」


 この歳になってというとおじさんくさくなってしまうのであまりしたくないが、ちゃん付けで他人のことを呼ぶのはさすがに無理がある。


「いいですよ、それで。でも、お姉さまからの敬語はいい加減やめてほしいです」

「どうして?」

「だって、お姉さまのほうが一つ先輩じゃないですか。それなのに、後輩に向かって敬語を使うなんておかしいと思いませんか?」

「まあ、言われてみれば確かにそうだ」

「それに……」


 彼女はそう言いながら、俺よりも少し先に進んでいた足を止めて、くるりと回って後ろのほうを向いた。太陽の光に反射して、彼女の茶色の髪の毛が綺麗に輝いていた。ウイッグを手入れしている身としては、毎日あの綺麗さを保つのはすごいなと感じる。

 女装をするために地毛を伸ばすべきかどうか考えたことはあるが、面倒くさそうで何度か諦めていた。ウィッグの手入れと地毛の手入れでは、かなりの違いがある。特に、自分の髪の毛をセミロングのウィッグと同じ長さにしようとしたとき、いったいどれほどの時間がかかるのかを想像するだけで疲れてしまう。


 また、夏の制服は薄い。中津さんは雨の中でも体操着を着ていたとはいえ、その下に着ていた制服に水分が到達していないとは限らない。つまり、角度によっては制服のシャツの中が透けて見えそうになっていた。本人は気づいているのだろうか。そのことの重大さに。


「わたしに敬語を使って話すお姉さまは“お姉さま”じゃないです」


 はるさんの頭の中にいる俺は、かなり彼女と仲が良かったように聞こえる。それほどまでに関係があるのなら、少しくらいは覚えていてもいいじゃないか。記憶のかけらにそれらしき子がいたことはなんとなく覚えているのだけれど、それが本当に目の前にいる『中津春花』であるかどうかが分からない。

 確信がもてないうちは、覚えていないと言うしかない。


「そう言われても、あたしはその“お姉さま”のときのことを覚えてないんだよ」

「……んあ、そうでしたね。本当に、全然、ほんの少しも覚えてないんですか」

「そうだね。覚えてないよ」


 謎の多い『お姉さま』のことは、俺の記憶のなかにはなかった。そもそも、そのことを覚えているのは彼女だけなのだ。

 今までほとんどの時間を一緒に過ごしてきた、夏菜子でさえも覚えていないと言っていた。茜にいたっては、俺だけしか見ていないから分からないなどと意味不明なことを言ってきたので、話にならなかった。


「ちょっと目を離したすきにいちゃつくとは、いい度胸やな? ああ?」


 アイスとラムネを手に木陰でくつろいでいたはずの理奈が、仁王立ちをしながら俺たちのほうを見て指差していた。どうやら元気メーターが回復したようである。


「この程度でいちゃついてると判定するのは、少し無理がないか?」

「いや、そんなことないで」

「そもそも、俺とはるさんは……」

「はるさん?! 誰やそれ、もしかして春花ちゃんのことを言ってんの?」


 隣を見ると、はるさんが顔を赤らめて恥ずかしそうにしていた。それがあまりに分かりやすかったのか、理奈は額に手を当ててやれやれといった感じだった。

 もしかして、俺が悪いのか…?


「それなら、理奈もそんな感じに呼び方変えようか? 桜葉ちゃんとか?」

「……それはない。ないわ」


 怒りの感情が消滅してしまったのか、肩を落として理奈は学校のほうへ歩き始めた。てっきり理奈も呼び方を変えてほしいのかと思ったけれど、どうやらそういうわけではなかったらしい。

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