第16話 もなかアイスの思い出
このあとどうしようかと途方に暮れていると、自転車が道路の水を弾くような音が近づいてきていた。土砂降りのなか災難だなと思っていると、その音は通り過ぎる前にピタッと止まった。
「お姉さま…ですよね?」
「この声は、もしかして中津さん?」
「そうですよー! 後ろ姿でそうじゃないかなって思いました。あれ、副会長も一緒だったんですね」
ものすごい勢いで爆弾を踏み抜いたよ、この子。
「あのな、ずっと隣で走ってたんやけど、見えんかったんかな?」
「そんな怖い顔しないでくださいよ」
誰のせいだ、誰の。
中津さんは、制服の上から体操着を着ているようだ。もしかして、俺たちに混ざるつもりでここまで追いかけて来たんじゃないかな。だとすると、かなりタイミングが悪い。
「わたしも雨宿りしていってもいいですか?」
「どうぞ」
バス停にある休憩所とはいえ、かなり小さい。定員は三人といったところだろう。俺はできるだけ余裕があるようにと端にズレたが、中津さんが座るとかなり窮屈に感じた。一人分以上は空けたつもりだったのだが。
ふと横を見ると、この異変に気付いたのか、理奈も中津さんのほうを見ていた。
「ちょっと、中津さん?」
「はい、なんでしょう」
「なんでしょうやないわ。果鈴と距離近すぎるんちゃう?」
「全然、ほんの少しもそんなことはないですよ?」
「なんでそんなに密着してるん」
理奈の言う通り、中津さんは明らかに俺とゼロ距離にいた。意図的としか思えないその行為に、理奈はたいそうお怒りのようである。
「だって、お姉さますっごく寒そうにしてます。ちょっとでも風避けになればと思って」
「それなら、服を貸すとかいろいろ方法あるやろ」
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
「「黙ってて」」
俺のせいで言い争いを始めてしまった。なんとか俺が止めようと思ったが、どうやらあいだに入る隙間は存在していなかったようだ。
「中津さん、体操着の下は制服やんな?」
「…はい、そうですけど?」
「濡れてないよな?」
「そうですね、多分濡れてないと思います」
「仕方ないから、体操着を貸してあげて」
彼女なりの妥協案だろう。理奈も上着を羽織っているので貸すことはできるが、そうすると中津さんからの攻撃にあうと分かっていたのだろう。
中津さんが体操着を脱いでいるときに、歯ぎしりのような音が聞こえた。そんなに嫌なのかよ。
「お姉さまどうぞ。……なんだか恥ずかしいです」
「そうか? しかし、すまんな。あとで洗って返します」
「いいんです。風邪ひかないように、気をつけてくださいね」
理奈からの熱い視線を感じながら、中津さんの体操服を着ていた。するとそれまでの激しい雨が嘘だったかのように、休憩所の中へ太陽の光が差し込んだ。
ずぶ濡れになっていた自転車のサドルから水滴を落として、中津さんは元気よく漕ぎ始めた。その先は坂道になっているので、そのまま下っていった。俺たちは走る気にはなれず、だらだらと歩いて進んでいった。
「あの子、ほんま元気やな」
「そうだね。……というかね、理奈。嫌なら嫌だって言えばよかったのに」
「別に嫌やない。ただ、なんとなくもやもやしただけや」
それを嫌なことだと言うんじゃないかとツッコミたくなったが、あえてやめておこう。余計な火種は作りたくない。
坂道を下りきると、駄菓子屋のほうを見て中津さんが止まっていた。どうしたのだろう。
「果鈴、スポーツドリンク買ってきて。喉渇いた」
「あいよ」
そう言って、理奈は海のほうにある石段の上に座った。よほど疲れているのだろう。
「中津さん、なにか買うの?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
中津さんは自転車を降りて、不思議なことを言ってきた。
「お姉さま、覚えてますか? 覚えてなくてもいいです」
話の中身は、どうやら思い出話のようだ。俺に対する問いかけでもありそうなので、ひとまず黙って聞いてみることにした。
「ここの駄菓子屋で、お姉さまは少ないお小遣いでもなかアイスを買ってくれたんです」
「もなかアイスを…?」
お姉さまという言葉との繋がりは思い出せなかったものの、俺がまだ小さかったときに、誰かにもなかをあげた記憶が少しずつよみがえってきていた。
『疲れたよね。しょうがないから、もなか買ってあげる』
『いいよ、そんなの』
『いいってば。灯台まで一緒に来てくれたから、そのお礼』
『勝手についてきただけだよ? …あのさ、もなかってなに?』
『え!? もなか知らないの? それは損してるよ!』
『損したくない!』
『おじちゃん、もなか二つ』
『200円ね』
『はーい。……やべ、お金ぎりぎりだった』
小銭を寄せ集めて、おじちゃんに渡した記憶があった。しかし、そのとき一緒にいたのは中津さんだっただろうか。
「そのとき食べた味が忘れられなくて、家に帰ったあとでずっと探しました。でも、なかった」
それもそのはず。あのもなかは、ここにしかなかった。島に住んでいる人なら誰でも知っていたし、夏場になれば必ず買いに来ていた。
けれど、そんな当たり前だと思っていた日常が消えてしまったのは、つい最近のことだった。駄菓子屋のおじいちゃんが倒れてしまったのである。それはつまり、もなかアイスを作れなくなったということ。
今は、おばちゃんが一人で店に立っている。
「そうだろうなあ。もうあれは食べられないよ」
どれだけお金を出しても、おじちゃんが作っていたもなかには勝てない。けれど、その味を記憶のなかで覚え続けているなんて。
「…わたしのこと、思い出してくれました?」
「いや、まったく。飲み物買いに行くけど、中津さんもなにか買う?」
「なんでですか?! えっと、買います!」
太陽が出てきたせいか、急激に気温が上がっている気がする。汗が目に入ってくるくらいには、暑い。そのせいか、駄菓子屋の前にある“アイスクリン”の文字に、俺はどうしようもなく惹かれてしまっていた。
「おばちゃん、アイスまだある?」
「あるよ。…ん? 果鈴ちゃん、久しぶりだね」
「久しぶり。あんまり来れなくてごめんね。それじゃあ、三つください」
「はい」
さっきまで悲しそうにしていた中津さんの顔に、笑顔が戻ってきているような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます