第2章 雲の向こう側まで

濡れ雨

第15話 だって男の子だもん

「ちょっと待ってや! なんでそんな早いの!」

「そんなこと言われてもなあ」


 後ろから情けない声を出しながら走って追いかけてくるのは、いつもはクールを装っている副会長だった。


「なんかむかつく!」


 事の発端は例のマラソン大会。

 生徒会役員のうち、運動部に所属している人はいない。つまり、生徒会として参加するにもかかわらず、勝てる要素のある人がいないのだ。

 それならば俺が代表参加すると理奈に言ったところ『それは、参加する前から負けてるみたいで嫌や』などと。

 どうしろって言うんだ。


「でも、副会長が言ったんだろ」

「言った」

「自業自得?」


 理奈でなくて俺が参加すれば、ほぼ間違いなく上位にいけると思うのだが、それはしたくないらしい。

 勝ちたいのか負けたいのか、どっちなんだ。


「そういう言い方せんといてや!」

「まあまあ、走りながら怒るとか器用なことしなくていいから」

「やっぱりむかつく! そもそも、なんで果鈴は制服で走ってんの?」

「女子制服に交換するのを特別に許可された代わりに、体操服をもらえなかったからだよ」


 理不尽だ。夏菜子がどういう理由で女子制服と交換したのかは知らないが、まさか没収されるとは思っていなかったのだ。

 それ以降、俺だけ体育の授業に参加できていない。まあ、着替えのこととかを考える必要がないので、楽といえば楽なのだけれど。


「言えばよかったやん」

「いや、こっちから言うのはなんか変な話だろ?」

「…ちょっと待って、一旦休憩!」


 そう言い放ち、理奈は視界から消えた。まさか倒れたのかと思って焦りながら後ろを振り向いてみると、膝に手を置いて荒い呼吸を繰り返していた。そんなに本気で走っていたつもりはないのだが。

 戻ると、バス停のベンチに座ってぼうっとしている険しい顔の女の子がいた。


「……話しながら長時間走るなんて、違反やろ。違反」

「なんのだよ」


 文化部一筋の副会長にとっては、少し厳しい練習だったようだ。

 すごく今さらだけれど、理奈に任せるのは危ないのではないか。本人はやる気に満ち溢れているが、とにかく体力がない。まだ大会本番まで時間は残っているので、頑張ればいい線までいけるだろう。しかし、それと目標を達成することはイコールではない。


「やっぱり、あたしやと厳しいんかな」

「正直、そうだろうな」


 それでも、俺には走ってほしくない。聞かなくても分かることだった。


「あんたは、どう思う」

「俺が走ったほうがいいと思う」

「あたしの話聞いてた?」

「だってさあ、勝つためにはそうするしかなくないか?」

「生徒会長なんやし、大人しくしといて」

「そこまで言うなら、なんとかなる方法があるってことか」

「いや、ないけど」


 ないんかい。あまりに自信満々な態度に、一瞬打開策があると思い込んでしまったじゃないか。

 思えば、理奈が副会長になってから、無理をしてるんじゃないか感じるときが何度かあった。主に、先生との交渉やどうしようもないときに一人で解決しようとする癖、などなど。

 できないことを『できない』と言えない。それが理奈の本性だった。


「果鈴がどうこういうことやない」

「そういう言い方ないだろ」


 これじゃ、生徒会長になった意味がない。


「やっぱり、相談しようぜ。ほかのやつに」


 そう言うと、理奈は途端に嫌な顔をした。どうやら、隠すつもりもないらしい。


「それは、したくない」

「なんで」


 当たり前のことに、理奈は気づいてくれない。誰かに頼るという手段を選ぶことを、なんとか避けようとしているとしか思えない。もし自分だけで解決しようとしているのならば、それは俺が許したくない。

 自分勝手でわがままだけれど、無理だけはしてほしくない。


「理奈が迷惑をかけたくないって思ってるなら、それは大きな勘違いだからな?」

「…勘違い?」

「そうだ。俺が生徒会長なんだから、俺のしたいようにさせてもらう」


 勉強面では頼れる理奈だが、こういうときには本領を発揮できないという、もったいないやつなのだ。リーダーシップがあるのに、自分でなんとかやり遂げようと無理をしてでも頑張ってしまう。

 それを曲げさせるのは、生徒会長である俺の役目だ。


「なにをするつもり?」


 彼女がそう聞いた瞬間、屋根のあたりからパンパンとなにかを弾くような音が響いた。なんだろうと思い外に出ると、大量の水滴が制服を濡らしていった。


「おいおい、まじかよ」

「わあ、スケスケやな」


 言われて下を向いて見ると、制服が濡れて肌が服越しに透けて見えていた。これは本当にひどい。体操服を着ていないがゆえに、一度濡れてしまうとどんどんとその酷さが際立つのだ。

 対して、理奈はまったく濡れていない。こういうのは、ふつう逆なのではないか。男が濡れても、なんのいいこともない。むしろ、理奈から馬鹿にされる要素が増えてしまっただけのように思える。


「とにかく、生徒会役員会議するぞ」

「ははは。なんの説得力もないわ」


 通り雨のタイミングは、良かったのか悪かったのか。

 男の濡れ制服なんぞ、理奈に見せたところでなにも起こらないし、恥ずかしくて今すぐ着替えたかった。

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