第14話 ため息は夜霧へ
「お兄ちゃん?」
家に帰ると、優樹菜がエプロンを着て出迎えてくれた。さながら、新婚ほやほやの嫁みたいなので、妙にくすぐったかった。
そもそも、セーラー服を着たままエプロンを着るのはだめだ。いろんな意味で危険極まりない。
「ただいま。ご飯作ってくれてるの?」
台所のほうからは、なんだか良い香りが漂ってきていた。煮物か炊き込みご飯といったところだろうか。
「うん。今日、帰ってくるの遅かったね」
「それはだな、いろいろ事情があってだな」
主に和泉会長関連の話で揉めていた……とは言えそうになかった。というのも、和泉さんと夏菜子が帰ったあとも、生徒会室では質問攻めにあっていたのである。
「あんた、和泉ちゃんとどんな関係なん」
「だから、昨日会ったばかりだって言ってるだろ。それ以上でも以下でもない」
「それにしては信頼されすぎやろ」
はっきりとした回答をしなかった俺もいけないのだけれど、拘束時間が長すぎた。最終的に許されたので、帰ることができた。いったいなにを許されたのかは、全く分からない。
「まあ、ええわ。疲れたから、今日は解散」
理奈から責められる理由なんて思いつくはずがない。和泉さんと理奈にどんな関係があるというんだ。
「他校の生徒会長を
ちょっと待ってほしい。なぜそこで“他校の”なんて言葉が出てくるんだ。まだ俺はなにも言っていないはず……。
「それ、どういう意味だ」
「風の噂で聞いたよ。烏森の生徒会長が都会の学校の生徒会長を学内に連れ込んだって」
なんてとんでもない噂だ。それだけを聞くと、俺がまともじゃない人間みたいじゃないか。それも、わざわざ島から出てするなんて、普通とは思えない。
だが、それは俺じゃない。
「いろいろと誤解を招く表現だな」
「で、お兄ちゃんはどんな子を連れ込んだの?」
「鮎川高校って知ってるだろ?」
「うん」
「そこの生徒会長さん。そもそも、自分から烏森に行きたいって言い始めたんだから、連れ込んだって表現は違うぞ」
俺がただの女装生徒会長であると知ったあとも、和泉会長は付いてきた。つまり、その部分を気にしないという意味なのだろうか。
それとも、あえて無視したのだろうか。
「お兄ちゃん、可愛いくせにモテるからねえ」
「おい。一言余計だぞ」
「……お兄ちゃんはね、もっとお淑やかになるべきだよ」
「はい?」
「女装の精度を高めて、いっそのこと女の子になっちゃえばいいよ」
優樹菜は、俺のことを馬鹿にするときに、必ずと言っていいほどこういった言い回しを使う。女の子になればいいなんてのは、心の底から出た言葉ではないことくらいは分かる。
そして、彼女が『姉』という存在を求めていることも知っている。だからこそ、俺は今でも家の中では女装をしている。たとえ、今はそこに意味を見出せないとしても、これは俺なりのケジメなのだ。
それからしばらく経ったある日の夕方。スポーツ大会の本番が近づくなか、俺たちは大会の練習そっちのけで旧校舎に集まり、あることに精を出していた。
「これでひとまず終わり……でいいかな」
掃除担当の夏菜子が努力した甲斐もあり、旧校舎もとい旧部室棟は埃まみれの状態から解放されていた。白っぽくなり薄汚れていた部屋が、かつての懐かしい雰囲気を取り戻していた。
「夏菜子、ありがとう。ほかのみんなもありがとうね」
すっかり夜になり、俺は旧校舎の屋上に来ていた。どうしても和泉さんと二人きりで話したかったからである。
本当にここへ来て大丈夫だったのか、そして後悔していないか。そんなどうしようもない話を、一度落ち着いたときにしたいと思っていたのである。
「南高津は、本州と違って星が近くに見えるでしょ?」
そう聞くと、和泉さんはふうっとため息を吐いた。
「なんだか、懐かしい気分です。ここへ来たのは初めてなのに、昔に戻れたような、そんな気持ちになりました」
「他にも、
都会から来た人たちは、いつかいなくなってしまう。そのときが来るまでは、しっかりと記憶に刻み込んでほしい。そう思うのは、いけないことだろうか。
「私、実を言うと息苦しかったんです」
「はい?」
「ああ、ごめんなさい。私の独り言なので、聞き流してください。そうしてもらえると、嬉しいです」
木の葉が揺れる音がするなか、遠くでは夏菜子たちの談笑しているようだった。
「生徒会長として、というよりも学校の中では誰からも期待されてた。自分でこんなことを言うのは恥ずかしいけれど、成績を落とさないようにとか生徒会長として恥ずかしくない行動とか、そういうことばかり気にしていたんです。それが、辛かった」
暗闇に包まれていたのでよく見えなかったが、彼女が涙を流しているように感じた。静かに、誰にも気づかれないように。
「そんな環境から、抜け出したかったんです。もう少しで任期が終わって、ゆっくりできる。そう思っていたときに、あなたが現れた」
「あなたって、あたしのこと?」
「そう。果鈴さんなら、信用できると思えた。すごく自分勝手でごめんね」
「謝ることじゃないよ」
彼女がどんな想いで南高津に来たのかはピンと来ていなかったが、ここまでの話を思い起こすと、そう不思議なことではない気がしてきた。
島に帰る前。つまり鮎川高校を離れる間際、俺は鮎川高校の野洲先生にこんなことを伝えていた。
「野洲先生」
「うん?」
「あたしのいる高校は、鮎川高校と比べると田舎にも程があると思います。それでも、あたしたちは誇りをもって生徒会を運営しています。孤島ですが、それでもこちらへ来たいという人がいたら、ぜひよろしくお願いします」
それに釣られるように、手を上げた女子高生がいた。ただ、それだけの話なのである。
話を盗み聞きされたくなかった俺は、事前に夏菜子や優樹菜たちへ旧校舎から遠くに離れるよう伝えていた。それに耐えきれなくなったのか、ふと奥のほうから手を振る影が見えた。それに合わせてなにかを言っているが、よく聞こえない。
おそらく夏菜子あたりだろう。やがてその影は近づいてきて、顔の表情が見えるくらいになっていた。
「果鈴ちゃん! いつまでそんなところでいちゃついてるの?」
「夏菜子……。変な発言は慎もうね! そして、しばらく口は閉めてていいよ」
そんな戯言を垂れ流すために、彼女はわざわざ走ってきたのか。そう思うと、不思議と唸り声が漏れていた。
その後ろから続いてきたのは、優樹菜だった。
「お姉ちゃん! さっき夏菜子ちゃんが嫉妬してたよ。どうして他校の生徒会長と仲良くなろうとしてるのよ…ってね!」
夏菜子が嫉妬…? にわかに信じがたい発言に、俺の耳の中を通過した言葉は反対側のほうへとスムーズに抜けていった。
「あのね、優樹菜。そういうのはあんまり大声で言うものじゃないんだよ」
そうして、俺たちは烏森高校生徒会の結束をより硬いものにするため、旧校舎にてそれぞれの思いを投げ合った。これにどんな意味があったのかは分からないし、かなり内容に偏りの生じたものであることは明確だった。
これから長い夏が始まる。そう確信を抱いた出来事でもあった。
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