第11話 これだから女の子は苦手なんだ

「やっぱりわたしが代わろうか?」

「いい。俺が運ぶ」

「無理しなくてもいいのに」

「大丈夫だ。心の中は快晴だぞ」

 気持ちとは反対の言葉を発することで、なんとか持ち堪えていた。すでに、冷や汗が滝のように流れている感覚があった。女の子というもの自体が苦手であるにもかかわらず、俺は今からそれに触れようとしているのである。女の子アレルギーと言い切ってもいいだろう。そんな俺が女の子をおんぶして運ぼうだなんて、普通の考えなら至らない。しかし、男にはやらねばならぬときがあるのだ。今まさに、そのときが訪れているのである。

 いつもは避けて通ろうとする道だけれど、あえてここは踏み込むべきだ。

「顔色悪いよ?」

「うるさい」

「目がうつろだよ?」

「わかった」

「夏菜子、心配してくれるのはありがたい。感謝している。けれどな、今はそんな弱音を吐いている場合じゃないんだ」

 女の子に女の子を運ばせる構図を見ているだけの男。どう考えてもおかしいだろう。もし俺がその光景を見れば、きっと『そこ代わろうか』と声をかけるに違いない。その発想に行き着くからこそ、俺はその立場を譲るつもりはない。

「ほう」

「そもそも、夏菜子は女の子を運べるほど力があるのか?」

「こう見えても鍛えてるからね。馬鹿にしちゃいけないよ」

 嘘をついているかと思ったが、よく記憶を掘り返してみると、夏菜子が鍛えているというのは案外本当かもしれない。その証拠に、一週間に一回のペースで『今から散歩がてらランニングするけど、一緒に行かない? 灯台のほうまで行くから、景色もいいよ』というニュアンスのメールが届く。おそらくあれは本当に走っているのだろう。

 ちなみに灯台というのは、南高津に一つだけある大御崎灯台おおみさきとうだいのことである。俺たちの住んでいる地域からは真反対に存在しており、走っていくとマラソンができるくらいの距離がある。それを週に一度しているなら、体力に自信があることも頷ける。

「でも、大丈夫。俺が運ぶ」

「…分かった。そこまで言うなら、本当に大丈夫なのね?」

「信じろ。俺を誰だと思ってる」

「ただの女装生徒会長」

 ひどい紹介のされかただった気がするが、とにかくなんとか椅子とテーブルに支えられている和泉会長を運ぶ必要がある。保健室にあるベッドのほうが、体調の回復も早いだろう。

 意を決した俺は、和泉会長とテーブルの間に潜り込むようにして、姿勢を崩した。その態勢は想像以上に辛く、このまま持ち上げることができるか、それが心配になり始めていた。

「夏菜子」

「なに?」

「保健室って、どこにあるんだ」

 姉妹校とはいえ、鮎川高校の構造を知っているわけではない。たいてい、保健室は一階にあるものだが、違うこともある。それゆえに、事前に把握しておけば無駄な移動をせずに済む。

「知らないよ。喋ってないで移動しよう? 和泉会長、なんだかしんどそうな顔してる」

 夏菜子に言われて振り向くと、確かに先ほどまでと比べると息遣いが荒くなっているような気がする。というか、目と目の距離が近くないか。いや、そもそも顔と顔の距離が近いのか。思わず驚いてしまい、数センチ宙に浮いたような感覚があった。

「そうだな。とりあえず、移動するか」

 気合いを入れて、あえて力を抜き、俺は和泉会長の太ももを手で掴んだ。全身が背中に乗ったことを確認したのち、腕を太ももに滑らせて、安定したかたちを実現させた。やればできるじゃないか、俺。

「果鈴ちゃん、間違っても力を抜いちゃだめだよ?」

「分かってるよ。そんなことをしたら、会長が落下するじゃないか」

「だって、果鈴ちゃんならしかねないじゃない」

 どうやら、あまり信用されていないようだ。女が苦手だということを知ってる夏菜子だからこそ、そんな心配をするのだ。けれど、今は和泉会長を抱えているだけ。起きていないので、話す必要はない。ほんの少しも、心配される要素はない。保健室まで運べば、この課題は達成する。何十分もかかるわけではないのだから、問題ないはず。

「こんなの楽勝だ」

 自信を持たなければ、この戦いは勝てない。勝てる試合なのだから、最後までやり遂げる意志を持たなければいけないのだ。それこそが、この難題を達成する条件だろう。

「がんばれー」

 気持ちのこもっていない応援が耳の中を通過した気がするが、そんなことを気にしている場合ではない。夏菜子の協力のもと、俺は生徒会室を出発した。


 数分後、俺は目を背けたくなる現実に直面していた。

「果鈴ちゃん? どうしたの」

「階段だな」

「うん。階段だね」

「足元が見えづらくて、危ないよな」

「大丈夫だよ。ゆっくり進めば問題ないから」

 廊下を進んでいる途中から、俺はあることに意識が集中してしまっていた。それは、和泉会長が女の子であるということである。そんなことは当たり前じゃないかとは言わないでいただきたい。なぜならば、そのことを忘れることで抱えることができていたのだから。

「そういう問題じゃないんだよ」

「じゃ、どういう“問題”なのよ」

 これはものすごくセンシティブな話題だ。いくら幼馴染とはいえ、こんなことを話題にしてもよいものか、頭の中で堂々巡りしてしまうほどに。

 端的にいえば、和泉会長は夏菜子よりも女の子っぽい体つきだったのだ。見た目と口調に反して、体がかなりやわらかい。それのどこに問題があるのかというと、言葉にはしづらい。

「つまりだな、階段を降りるだろう?」

「そうだね。降りないと保健室に行けないもんね」

「うん。それで、な? 段差があるということは、和泉会長の重心がずれるんだ」

 階段という存在は、普段あまり意識しない部分でもある。ごく自然に、人間は重心をコントロールして階段を降りていく。その際、同時にある現象が起きているのである。そのことに、なぜもっと早く気がつかなかったのだろう。気がついていたとしても、回避することは限りなく不可能に近いのだけれど。

「なにが言いたいのよ」

「…そう! 和泉会長が目を覚ましてしまうかもしれない」

 なぜその方向に話を進めたのか分からない。犯人探しなどという無駄なことはしない。現行犯逮捕となり、経緯を説明しなければならなくなるだろう。どう答えればいい。理由を説明するのが、妙に後ろめたくなってしまったから、と真実を告げるべきか。それとも、なんとか誤魔化してその場をやり過ごすべきなのか。

 おそらく、どちらも最適解ではない。

「別にいいんじゃない? だって、そうすれば和泉会長が歩いて保健室に行けるよ。果鈴ちゃんもそのほうが楽と思うでしょ」

 そういうことじゃない。俺が楽になりたいか、そうでないかという話ではないのだ。察してくれ、夏菜子さん。

「それはそうなんだが」

「だが…?」

 こうなると理由を素直に伝えるしかなさそうだ。階段の上でいつまでもこうして、和泉会長を背負っているわけにもいかない。

「あとは……さっきからずっと、和泉会長の胸が当たってるんだ。つまりその、階段を降りていくと余計に感触が伝わってきてしまうんじゃないかと。そう思うわけですが、どう思いますか」

「…はぁ?」

「そんな怖い顔しないでください。こっちは真剣に考えてるんです」

「果鈴ちゃんはもう女の子みたいなものなんだから、そんなこと気にしてる余裕なんてないんだよ?」

 いつもならば耳をすり抜けていく夏菜子の言葉が、通過途中で強制停止された瞬間だった。

「なんだって?」

「見た目だけで言うとね、女の子が女の子をおんぶしているようにしか見えないんだよ」

「なにが言いたい」

 自慢話を始めるかのような口ぶりで、彼女はこう続けた。

「もう女の子になっちゃえば」

「真剣に聞こうとして損しました」

 また夏菜子の妄想話に付き合わされた。そう思ったけれど、これがきっかけとなって俺はある発見をした。だが、この発見はかなりリスクが大きいのではないかという思いが頭の中を巡り、先ほどまでとは少し違った冷や汗をかいていた。

 それは、自分のことを女だと思い込むことである。あまりに当たり前で、目につくようなことでもない。だからこそ、今のこの一瞬だけでも自分のことを騙してしまえばいいのだ。なぜ、こんな簡単なことに気づけなかったのか。

「夏菜子、降りるぞ」

「準備できたの?」

 心配そうに見てきた夏菜子を横目に、俺は一歩ずつ進んでいった。それまでの心配はなんだったのかと思えるほど順調に、途中にある踊り場まで移動することができた。残り半分である。

「あとちょっとだね」

「うん」

 少し休憩していると、後ろにいる和泉会長が動き始めた。このタイミングでの目覚めは不確定要素が多いので、できれば保健室に到着したときに目覚めてほしい。

 そんな俺の願いは届かず、後ろにいる女の子は寝言のような発言を始めた。

「あれ、ここ布団の上じゃない」

「…そうです。踊り場にいます」

「へ? ひぇ、ちょっとどういうこと。ぎゃあー!」

 至近距離で女の子の叫び声を聞いてしまった。こうなると、もう俺は限界点を超えてしまう。視界がぐらつき、どんどん暗くなっていった。腕と背中にかかっていた重さも消えてしまった。いったい、なにがどうなっているのだろう。それを確かめることはできそうになく、俺の意識は遠のいていった。


「果鈴ちゃん、まだ起きませんね」

「ごめんなさい。私が叫んでしまったから」

「いや、無理をしたのはこの人なので。わたしに任せればいいのに」

 意識が徐々にはっきりしてきたとき、近くにいたのは夏菜子と和泉会長のようだった。和泉会長は元気になったのか。

「なに、喋ってるんだ?」

 起き上がると、頭部に激痛が走った。

「いてて……」

「こらこら、無理はしないで。はい、そっと横になってね」

 夏菜子に言われるがまま、俺はもとの寝ている姿勢に戻った。どうやら和泉会長は元気になったらしく、その代わりに俺がベッドを借りている状況だった。

「さっき先生が診てたんだけど、きっと起き上がったら頭痛がするだろうって。一時的なものだから、大丈夫だろうとも言っていたわ」

「急に倒れちゃうんですから。びっくりしました」

「それは冬子ちゃんが叫ぶからよ」

「だって、ね?」

 柔らかく笑いあう二人。なんだ、そんなに長い間、俺は眠っていたのか。しかし、窓の外はまだ赤い。

「なんだよ。いつのまに仲良くなったんだ」

「ずっと果鈴ちゃん、寝たままなんだもん。そりゃ、仲良くだってなるよね?」

「そうね」

 怖い。なんだこの二人。生徒会室にいたときは、よそよそしかったじゃないか。

「夏菜子、今っていつだ」

「あなたが気を失ってから、まだそんなに時間は経ってないよ? どうしたの、変な質問だね」

 どうやら、日にちが一日進んだりしたわけではなさそうだ。それを聞いて安心すると同時に、二人の距離の縮み方に驚きを隠せない。

「そもそもだ、冬子ちゃんってのは誰のこと?」

「和泉会長の下の名前だよ。和泉冬子いずみふゆこちゃんって名前なんだ。かわいいよね」

 夏菜子がそう言うと、和泉会長が顔を真っ赤にしていた。

「叫んじゃった理由もかわいいんだよ?」

「ちょっと、夏菜子。それは言わない約束じゃないの」

「いいでしょ。隠しててもどうせバレちゃうと思うし」

 仲が良くなっているだけではなく、すでに秘密の共有をするような関係にまで発展しているらしい。相性がいいのだろうか。

「……分かった。言ってもいいよ」

 渋々といった雰囲気で許可が降りたようだが、そんなに秘密にしていることなら、別に聞かなくてもいい気がするのだが。最も、俺に打ち明けたところでなんらいいことはないだろう。

「冬子ちゃん、男の子苦手なんだって」

「はぁ!?」

 盲点だった。考えてみれば、女の子が苦手な男がいるなら、その反対もあって然るべきだ。とても単純なことだからこそ、まさか彼女が男を苦手にしているなど、思いもよらぬことだった。

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