第10話 あくまでも装っているだけです

「長い旅路を終え、果鈴は未開の地にたどり着いた……」

「未開の地じゃないから。むしろ大都会だから」

 夏菜子の妄想ネタに付き合っている暇はない。雑魚寝できたとはいえ、完全に体が疲れ切っていた。もはや、悲鳴をあげている。

「果鈴ちゃん、ため息なんてついちゃだめだよ」

「いいだろ。別にさ」

 そう言い返すと、夏菜子が大げさにため息を吐いた。嫌がらせか、なんなのか。

「美少女はため息なんて吐かないんだよ」

「どこのお嬢様の話だ?」

「果鈴ちゃんは美少女なんだよ!?」

「分かったから落ち着け。周りの目が痛い」

 フェリー降り場にて言い合う二人。訳ありのような雰囲気を醸し出している気がするので、可能ならば夏菜子とは関係のない、第三者であると言いたかった。これではまるで成田離婚みたいじゃないか。とにかく恥ずかしいので、すぐにでも立ち去りたい。

 数時間前に起きたメイク練習台事件のあとは、本当に地獄のような時間だった。夏菜子の視界から周囲の人々が消え、俺のメイクに集中するがあまり、言葉にならない単語を連発。挙句の果てには、俺が男であるにもかかわらず美少女であるということを赤崎先生に力説。結果的に、周囲の方の耳に入ってしまうという荒技を披露された。本当に、この人はなにも考えていないというか、俺のことになると常識を投げ捨ててくる。今すぐに、島へ置いてきてしまった常識を拾ってきてほしいものだ。

「だって、事実だよ」

「時と場合を考えろ。そして、わきまえろ」

「ひぇ。果鈴ちゃん、怖い顔してる。可愛い顔なのに、似合わないよ?」

「誰のせいだと思ってる」

 やりとりするのが馬鹿馬鹿しくなり、夏菜子の暴走を止める気にもならない。

「本当に二人は仲がいいわね」

「いや、違うんですよ先生。これのどこに、仲がいい要素があるんですか」

 子どもの喧嘩を見守る保護者のような目で、先生は俺たちのことを見ていた。


「着いたね」

「そうだな」

 電車で移動すること数十分。久しぶりに乗る電車に懐かしさを覚えたのも束の間、俺たちはとある学校の校門前に立っていた。校門横の看板には、鮎川市立鮎川高等学校と書かれていた。本日の目的地である。

「赤崎先生。これって、直接生徒会室に行けばいいんですかね」

「先に職員室へ行ったほうがいいんじゃないかな。もしかすると、生徒会室に誰もいないかもしれないし」

 赤崎先生の案により、一度職員室に立ち寄ることとなった。正面玄関付近にいた警備員のおじさんに軽く会釈をして、職員室の場所を尋ねた。この高校の職員室は二階にあるらしく、階段を登って職員室を探した。少し歩くと、それらしき場所が見つかった。誰かが入った直後なのか、扉が開けっぱなしになっていたので、そのまま入口から声をかけてみることにした。

「失礼します。烏森高校のものです……」

 緊張のあまり普段よりもか細い声で入室した職員室は、想像していたよりも狭かった。てっきり都会にあるために、もう少し広いものだとばかり思い込んでいた。実際には、職員室を魔改造したような作りになっていた。おそらく、元はあの薄い壁より先も職員室だったのだろう。

「おお、お待ちしていました。鮎川高校生徒会顧問の野洲やすといいます。よろしくお願いします」

 挨拶してきたのは、体のつくりがいい男の人だった。かなり若い見た目だ。赤崎先生とそれほど離れていないように見える。

「初めまして、烏森高校の生徒会顧問、赤崎といいます。本日はよろしくお願いします」

「うちの校長が挨拶したいと言っていました。生徒会長は生徒会室にいます」

「そうなんですか。このあと二人だけ、先に行かせておいてもいいですかね?」

 赤崎先生の提案通り、俺と夏菜子が校長と深く話をするのはおかしな話だ。そういうわけで、俺と夏菜子は挨拶だけを済ませて、生徒会室へと向かっていた。

「なんだか、緊張するね」

「そうか? まあ、他人の敷地に入ってるようなものだから、落ち着かない気持ちはあるけどさ」

 人の気配がまるでない廊下を進むと、生徒会室と書かれたプレートがあった。中に人はいるのだろうか。ビニール袋の擦れた音が響くくらいに、静かな空間だ。引き戸をノックしてみると、ガラス窓の揺れる音が廊下に響いた。

「すみません。烏森高校の生徒会です」

「あ、はい! どうぞ、入ってください」

 引き戸を開けると、中はなんの変哲もない教室になっていた。生徒会室というよりも、教室である。

「初めまして、烏森高校の生徒会長をしています。立花です。よろしくお願いします」

「同じく初めまして。生徒会会計をしています、藤村です」

 二人でタイミングを見計らって頭を下げると、目の前にいた生徒会長らしき人が立ち上がった。

「いや、あの。顔を上げてください。ご挨拶が遅れました。鮎川高校、生徒会長の和泉いずみです。本日はわざわざお越しいただき、本当にありがとうございます」

 挨拶が終わり、和泉会長はお茶を淹れてくれた。一人で準備させるのは申し訳ないと思い立ち上がったが、すぐに断られた。なにも言葉を発していなかったのだが、きっと考えを先読みされてしまったのだろう。

「お待たせしました。どうぞ」

「ありがとうございます」

 熱いうちにと思って飲んだが、ちょうどいい温かさに俺は感動してしまった。熱いお茶というのは本来、口から吐く息で冷まして飲むものだが、これは明らかに違う。すでに温かさが調整されているのである。そのためか、冷ます必要がなく、かといってぬるくはなく、本当にちょうど良い温度になっていた。

「あの、和泉会長」

「…私のことですか? はい、どうしましたか」

「お茶が美味しいです。温度がちょうど良くて飲みやすいですし」

 そう伝えると、彼女は頬を少し赤らめていた。なにも特別なことを言った覚えはないのだけれど。

「ありがとうございます。お茶は取り寄せたものなので、美味しいのは分かります。私もさっき飲んでいましたから」

「あの、和泉会長。わたしも飲んでて思いました。熱いはずなのに、すぐに飲めるようにしてるのは、すごいですね」

 夏菜子がこんなことを言うのは、かなり稀だ。俺以外への関心が限りなくゼロに近い彼女にとって、それほどの衝撃だったのだろう。

「いえ、あの。褒めてもなにもないですよ?」

「そんなつもりじゃないですから。本心で、そう思ったので」

 俺のその一言がとどめを刺してしまったのか電気ポットのほうを向いたまま、しばらくこちらを振り返ってはくれなかった。


「そういうわけで、今日の本題に入りましょう」

 そう言いながら和泉会長が取り出したのは、姉妹校留学制度の資料だった。

「本当にするんですか? この古き良き制度」

 姉妹校留学制度。実はこの鮎川高校と烏森高校は、姉妹校という関係がある。今日こうしてはるばるやってきた理由も、それに関連することだった。

 数十年前のことだ。南高津島の人口減少問題が表面化し、早急な対策が必要だという話になった。移住制度も整えたが人口は回復せず、村役場で議論が何度も行われたそうだ。そこで出た案が、この姉妹校留学制度だった。つまり、子どもが居なければなにも変わらないということで、この制度が生まれた。ただ、この制度はあくまでも減少の加速を遅くするだけだった。現在はこの制度を積極的に使うものはおらず、昔話として話題にあがる程度のものとなっていた。そもそも、空港すらないこの島に都会から来る人など、いるはずがないのだ。

「ええ。何名かの立候補はいるのよ」

「都会から島に来るなんて、途中で嫌になって帰っていくのがオチです」

 思わず、口にしてしまった。島暮らしに馴染めず、結局制度満了まで居続けることができなかった人を見てきた俺には、この制度の価値を見出せずにいた。旅行感覚で島に来られても、困るのだ。お互いにいいことなんてない。だからこそ、今日はこの制度の廃止を提案するために、俺はわざわざここまで来たのだ。制度そのものが無くなれば、こんなことを考えずに済むはず。

「大丈夫だと思うわ。だって、こんなに可愛い生徒会長さんがいるんですもの」

「可愛いだって、嬉しいね果鈴ちゃん」

「はい?」

 冗談じゃない。どこをどう見れば可愛いんだよ。和泉会長、突然どうしましたか。目にゴミでも入ってしまったのではないでしょうか。心配です。

「身長もわたしより小さいもんね」

 余計な一言を挟んでくる夏菜子。事実なので、反論のしようもない。この空間にいる人で背の高さで並ぶなら、最前列は俺だ。だからこそ、女装が似合ってしまうという事態に陥っているのは、紛れもない現実なのである。受け入れたくはないが、和泉会長の身長を少し分けてほしいと思っていた。

「やめて。それすごく気にしてることだから」

「ごめんなさいね。本当にそう思ったの。メイクもしっかりしているし、派手にならないようにナチュラルに仕上げているもの」

 ふふ、と微笑む美人生徒会長。なにを企んでいるのでしょう。そもそも、生徒会室に入って挨拶した時点で、身長が明らかに高いことに気がついてはいたのだ。そして、考えないふりをしていた。しかし、どうやら和泉会長はそれを見逃してはくれなかったようだ。さらに、夏菜子が塗りたくったメイクもしっかり見られている。まるで、事前にしっかり準備をしてきたみたいじゃないか。

 そんなことを思うと途端に気まずくなり、耳が熱くなっているような気がした。

「違うんですよ。これは夏菜子が……藤村さんがしたんです」

「そうなの?」

「はい! だって、果鈴ちゃんがどうしてもメイクをしてほしいってお願いしてきたんですよ」

 自信満々で答えていた夏菜子だった。ただ、そこに明らかな嘘が混じっていたので、あとで叱ることにする。今それをすると、余計に話が拗れそうなのでやめておこう。

「あら。二人はよっぽど仲がいいのね。あたしは他人にそんなこと頼めないわ」

「仕方ないですよ。だって、果鈴ちゃんはまともにメイクしたことないんです」

「それで藤村さんがかわりに?」

「そうなんです。いくら女装が趣味だからって、メイクの一つも覚えないなんて、はっきり言って怠けてるんですよ」

 夏菜子がそう言い切った瞬間、和泉会長の顔が歪んだような気がした。いや、完全におかしくなっていた。気のせいではなさそうだ。俺と夏菜子を見比べて、間違い探しをしているのか、目線を左右に動かしていた。そこにいったいどんな意味があるのかと思ったが、それほど意味がある行為ではないだろう。ならば、どうしてそんなことをしているのか。それは理解できなかった。

「えっと、藤村さん」

「なんですか」

「立花会長って、女の子ですよね?」

 変なことを言い始めた。俺が女? 冗談もほどほどにしてほしい。セーラー服を着てはいるが、これはただの女装だ。それ以上でも以下でもない。女装はあくまでも女を装っているのであって、本物ではない。つまり、俺はあくまでも男であるという前提の上で、女装という行為が成り立っているのだ。女装が上手いと言ってくれるのは嬉しいが、女だと間違われるのは望んでいない。

「なに言ってるんですか、和泉会長。あたしは見ての通り、男ですよ」

「果鈴ちゃん。その格好で言うのは、こっちがなんか変な気分になっちゃうから、やめようね」

 隣からの謎の忠告を受けつつ、俺はじっと和泉会長の目を見た。どうやら、俺のことを本物だと思い込んでいたようだ。

「立花会長が、男の人?」

「そうです。あたしは、こんな格好をしていますが男です」

 はっきりそう伝えると、次の瞬間に和泉会長は椅子から転げるように体が横に倒れた。危ないと瞬時に気づいた俺は、すぐに駆け寄って体を支えた。おそらく彼女の全体重がかかっているが、なんとか支えられているようだ。

「うわあ。今までで一番ひどいね」

「なにがだ。ちょっと、こっちへ来て助けてくれ頼む」

 渋々といった雰囲気でこちらへ来た夏菜子は、和泉会長の体勢をなんとか椅子の上に戻すのを手伝ってくれた。

「果鈴ちゃんの女装、やっぱり女装っぽくないのかな」

「哲学的なことを言うんじゃない。とりあえず、和泉会長を保健室に連れていくぞ」

「はーい」

 気の抜けたような声で返事をした夏菜子は、しばらくの間、独り言をボソボソとなにかを呟いていた。なにを言っているのかは分からないが、とりあえず放っておくことにした。どうせ、いつもの妄想癖がでているだけなのだ。こうなると、もう手の施しようがない。自然にこちらへ帰ってくるのを、ただ待つしかないのである。


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